ご報告②
「と言うわけで、彼女を妊娠させてしまったので学校やめます。あと援助してください」
昔ながらの日本家屋。
田舎ならではの親戚が十数名は座れる半ば骨董品じみた大きな長テーブルで一応ちゃんと正座して、僕はそう両親に告げた。
「は?」
分厚くて四角いメガネをクイっと右手で持ち上げて、父さんは呆気に取られている。
卓上には湯飲みが湯気を立たせ、お茶請けの煎餅を片手に休日のお昼の気怠い時間を満喫していたところ、本当に申し訳ない。
「ん? んん? ママ、珍しく光明が冗談を言っているねぇ。あはは、お前はそういうのが本当に下手だなぁ」
最近後退し始めたオデコをぴしゃんと叩き、父さんは母さんに笑いかける。
「あらあらパパ? ミツくんが十年に一度あるか無いかの勇気を込めて発した渾身のジョークを、そう軽く扱うものじゃないですよ? でもミツくん、ママはそういうタイプの冗談はあんまり好きじゃないなぁ?」
台所から自分と婆ちゃんの分のお茶を運んできた母さんが、エプロンを脱ぎながら同じ様に笑う。
「そうだぞミツアキ。良いかい? 社会に出たらお前にも分かる時が来るだろうが、時と場合と場所を選んで言って良い事と悪い事を判断しないと父さんみたいに定期的に僻地に飛ばされたりするんだからな?」
「そうねぇ。取引先の社長に『増毛なら良いとこ知ってるんですよ私! なんなら口を聞いときましょうか!?』なんて軽はずみに言ってさえいなかったら、パパももっとお給料を頂いていてママもパートに出なくて済んでたかも知れないわねぇ」
いつもニコニコ笑顔を絶やさない母さんのこめかみが、ピクピクと脈を打っている。
あの時は本当にキレまくってたからなぁ母さん。
ただでさえ田舎の安月給な父さんの給料が、同期に比べてかなり安い理由はそれだもんなぁ。
「光昭、詳しく話を聞こうじゃないか」
お茶を一口ゆっくりと口に含みそっと卓の上に置いて、実質的な我が家の主人である婆ちゃんが僕の顔を眼光鋭く睨む。
腰も曲がってただでさえ小さい身体が余計に小さく見えるはずなのに、婆ちゃんの威圧感と存在感は年々歳を経る毎に増して行っている気がする。
僕は同年代男子に比べて口数も少ない方だし、必然的に嘘やごまかしを口に出すことはないのだが、やはり婆ちゃんを目の前にすると下手なことを言えないと身構えてしまう。
上品な老眼鏡と綺麗な着物を着こなし、すっかり真っ白になった髪をぴっちりとキメている婆ちゃんは、孫の贔屓目を抜きにしてもやはりカッコよく見える。
「お兄ちゃん、学校辞めるの!? インチキだ! お兄ちゃんが辞めるならアイノも辞める! そんで動画でバズってチヤホヤされる!」
「おい馬鹿。すっこんでろ馬鹿」
居間の奥の方に設置してあるソファに寝そべりながら、男性アイドルがゲームじみたアスレチックできゃいきゃいしてる番組を見ていた愚妹が顔を上げた。
後ろ頭で括った馬の尻尾のようなポニーテールが、ダイナミックに揺れて余計に馬鹿っぽく見える。
「馬鹿っていうな馬鹿!」
インテリジェンスのかけらも感じさせない返答だこと。
今はお前と中身の無いスッカスカな会話をしている場合じゃないんだ。
そのままテレビに釘付けになっていておくれ?
「愛乃ちゃん、お金をやるから婆ちゃんの晩酌用のおつまみを買って来ておくれ。余った分は愛乃ちゃんのお小遣いにしていいから」
「行く! いつも兄ちゃんが買ってくるので良いの!?」
さすが婆ちゃん。
馬鹿の手綱を握らせれば町内一位だ。
お小遣いという言葉がなによりも大好きな僕の妹は、目をキラキラさせてソファから飛び降りた。
馬鹿故に無駄に高い運動神経を遺憾無く発揮して、軽快なステップで瞬時に婆ちゃんの元へとやってくると、ジャンピング正座なる難易度の高い技を披露してくれる。
「ああ、島田屋さんの焼き鳥だ。井浦の婆さんのいつものと言えば、大将には通じるからね。ほら」
着物の裾から財布を取り出した婆ちゃんが5千円札を抜き取ってアイノへと手渡す。
「わぁ、5千円!!!」
なぁ我が妹よ。
中学生にもなってそのはしゃぎっぷりはどうなのだ。
兄はお前が見知らぬおじさんからお金を貰ってほいほいと着いていってしまう光景がまるで現実の様に幻視できちゃうんだが。
頼むから、もう少し聡く生きてくれ。
「行ってきまぁす!」
「せめて上から何か羽織ってからにしておくれ愛乃ちゃん。そんな薄着じゃ婆ちゃん心配になってしまうよ」
いくらなんでも薄手のキャミソールにショートパンツで外に出歩くなよ。
もうすこし危機感を抱いて欲しい。
「わかったー!」
婆ちゃんの言葉に大声で返事を返しながら、アイノはあっという間に居間から姿を消した。
落ち着きの無い奴め。
「それで、光昭。お付き合いしているお嬢さんを妊娠させたというのは本当なのかい?」
老眼鏡を外して卓の上に置き、婆ちゃんは静かな口調でそう切り出した。
口調こそ穏やかだけど、確かな怒りが端々から滲み出ている。
「お、お義母さん。まさかそんな。ミツくんに限って」
「美乃さん、光昭はこんなことを冗談で言う子じゃない。信じられないのも分かるがちゃんと最後まで話を聞いてやろうじゃないか。説教やらなんやらはそれからさ。なにせ他所のご家庭に迷惑がかかってるかも知れないんだ。私らが冷静にならないといけないよ」
「は、はい」
婆ちゃんにそう諭されて、母さんも居住まいを正して卓越しの僕へと向き直る。
「それで光昭、申し開きを聞こうじゃないか。賢いアンタなら分かっているとは思うが、婆ちゃんは今とても怒っているんだ。正直に洗いざらい話をしな」
「うん」
まぁ、怒られるのも覚悟しているし。
「それで、そのお嬢さんはいくつなんだい? 同級生かい?」
「同級生では無いよ。婆ちゃんより歳上」
「は?」
「え?」
「ん?」
大人三人が鳩が豆鉄砲を食らったかの様な表情をし、そして困惑の声をあげた。
「わ、私より歳上?」
「うん」
正確な年齢まではミコ様自身にも分からないらしいけど、少なくとも500年は生きているのは確か。
稲荷大明神に仕える前の野生の野狐だった時期や、そこから化生して妖になった時間も数えれば、もっと行っているかもしれないけれど。
「そ、それはその人の命にも関わるじゃないか! 高齢出産になるよ!?」
「え、いや確かに高齢出産であってはいるけれど、そこは気にしないでいいんじゃないかな」
仮にも神様なんだし、普通の人間に比べれば身体は遥かに頑丈だ。
それに肉体的には10歳から20歳前半までを自在に操れるミコ様である。
普段は神通力節約のためにロリっ子になっているけれど、さすがに出産の時はちゃんと大きくなるはず。
僕と『致す』時は高校生ぐらいの外見でしたよ。そこはご安心ください。まぁ、僕はロリっ子のミコさまであろうと問題なく興奮できる変態だけど。さすがにね?
それはまたいつかの機会にね?
「なんでそんな楽観しているんだミツアキ! その人のご住所を教えなさい! ママ、僕の一番綺麗な背広を出して! 謝罪をしに行かなければ!」
「お、おちついてパパ! ミツくんとの年齢差を考えたら騙されている可能性の方が高いわ! ほら、結婚詐欺みたいなアレよ! 妊娠詐欺よ!」
「はっ! そ、そうか! なにも知らないミツアキを言葉巧みに騙して、ウチからお金を引出そうって言う魂胆か! よ、ようし! 僕がその婆さんに毅然と言い返してやるから安心するんだミツアキ! ママ、背広の前に警察に相談だ!」
「か、かっこいいわパパ! 大丈夫よミツくん! パパとママとお義母さんに任せなさい! そんな性悪ババア、けちょんけちょんに──────」
なんだなんだ。想像力逞しいなぁ僕の両親は。
「落ち着きなさい二人とも! 通報するのも怒鳴り込むのも光昭の話を聞いてからだよ!」
いつも冷静な婆ちゃんまでもが、興奮して大声を張り上げ出した。
なんだか大混乱である。どうしてこうなったんだろう。もっとみんな落ち着いて欲しい。
ん? そう? もう少し説明してからの方が良くない?
え、もう遅い?
なんで泣いてんのミコ様。なにが申し訳ないって?
まぁ、良いか。
「えっと、本人が顔を合わせて謝罪したいって言ってるから、紹介するね?」
「こ、ここに来ているのかい!?」
顔を青ざめさせて父さんが卓から身を乗り出す。
「お外で待たせているの!?」
母さんも同じように顔面を蒼白させて立ち上がり、襖を開けて廊下から玄関を覗き込んだ。
「うん。ずっとここに居たよ」
「ずっとここにって、何を言っているんだ光昭。もしかしてお前、熱でもあって気が朦朧としているのかい? だからオカシイ話をしているのかい?」
婆ちゃんが本当に心配している時の顔をしている。
「熱は無いよ。意識もしっかりしているし、話たことは全部本当の話だから。とりあえず紹介するね。ミコ様、良いよ」
神様としての権能を発揮して普通の人に見えないよう『境界の向こう側』に身を置いていたミコ様を呼ぶ。
この状態なら特別な瞳を持つ僕か、よほど霊感が高い人か信心深い人にしかその姿が見えない。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
「な、なんだいっ!?」
神通力の霞が現世の空気を混じり合い、水蒸気の様な煙となって居間を一気に満たす。
これは清浄なる神の飛沫。
格の低い低級霊や妖程度なら、この飛沫を浴びただけで成仏したり消滅したりする、本来ならとってもありがたいモノだ。
本来なら大仰な神事や祭事などを行い、長い年月をかけて人々の信仰を集め、迷える大勢の祈りを浴びてようやく顕現するはずの神の降臨が、我が家の居間で行われている。
古くて所々にガタが来ているこの日本家屋が、一気に神々しい空気に包まれた。
なんだか家全体がミシミシと悲鳴を上げている気がしないでもない。
やがて神の霞はゆっくりと晴れていき、僕の敬愛する狐の神様がその御姿をここに現した。
それは──────とても綺麗な土下座スタイルで。
「大事な大事な御子息に血迷った変なことを言わせてしまいっ、大変申し訳なく思っていますっ! たぶらかしてごめんなさいっ!!」
名代なれど稲荷の名を冠する神と、僕の家族のファーストコンタクトが、今ここに執り行われた瞬間だった。