純真だった私の天使は、純真が過ぎて堕天使みたいになっていた
四月後半の日曜日。私は近所のスーパーからの帰り道、瓶に入った炭酸水を開けて飲んでいた。
そこそこ高いやつ。試しに買ってみたけど、そんなに美味しくなかった。
高校卒業を機に一人暮らしを始め、大学を卒業し、新社会人になり、新人研修期間。
したい仕事でもなかったけど、無事に就職を終えた。
そんな自分へのお祝いと、大人になった実感の為に、日曜の昼からお酒でもと思った。けど、あまり好きではないので躊躇して、結局買ったのは微妙な炭酸水。もう買わない。
まったく、普通のジュースにでもしておけば良かった。
マンションに入り、エレベーターで4階へ。
降りて、家に向かう。
「立花さん」
すると、名前を呼ばれた。
私、立花桃と申します。
誰だろうと顔を上げると、そこには、惚れ惚れするような美少女が立っていた。
「……ん? えっと……」
誰だろうと首を傾げると、少女はニコッと笑う。
「お久し振りです。祖師谷です」
その珍しい苗字に、ピンとくる。
祖師谷雪恵。ここから電車で一時間くらい掛かる、私の実家のお隣さん。
「雪恵ちゃん? え、なんでここに? 家族で引っ越してきたの?」
「ははは。昔みたいに、雪で大丈夫です。今日から、お隣で一人暮らしです」
「なんでまた!?」
私は今年から新社会人。そして彼女は七つくらいしただったはずだから、今年で高校生くらいのはず。
「春から、こっちの高校に通うことになりまして」
「そ、そうなんだ……へぇ、えらいね、高校生で一人暮らしなんて」
思わず感心した。
すると、えへへと可愛らしく雪恵ちゃんは微笑む。
「それで、立花さん」
「ん?」
あぁ、目の保養だなぁと、嬉しそうに笑っている雪恵ちゃんをジッと見つめていた。
「いつ、結婚しましょうか?」
私は手を滑らせ、そこそこ高い炭酸水を地面にぶちまけた。
私は取り敢えず、我が家に雪恵ちゃんを上げた。
「お邪魔します、今日からお隣さんですね」
晴れやかに、爽やかに、一点の曇りなく、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
もう少しで昇天するところだった。
彼女、雪恵ちゃんとは、私が中学から高校の間に、良く遊んだ間柄だった。
私が中学生の頃に雪恵ちゃんは小学校へ入学し、私が高校生の頃に小学校の高学年だった。
家が隣と云うことで、何かあった時にうちで雪恵ちゃんを預かったり、逆に私が夕飯をご馳走になったりした。
当時……まぁ今もだけど、雪恵ちゃんは、それはもう天使のように可愛かった。もう、会う度に抱き締めた。大好きだった。
まぁ、それが恋愛なのか友愛なのか庇護欲なのかはさておいて、とりあえず、顔と性格が最&高だった。
で、当時の私は、所謂「尊い」みたいな言葉の代わりに、「結婚して」という言葉を良く使用していた。
出会い頭の彼女は恐らく、そのことを云ったのだろう。
ただ、ごめん……私、恋人はいないけど……ノンケなんだ。
「どうぞ、雪ちゃん」
「ありがとうございます」
粗茶を出す。
「それで……雪ちゃん。私の親に私の住所を?」
「はい」
まさかのお隣さん。
確かに3月で、お隣さんは引っ越した。時節的に就職か、転勤か、その辺だろう。
そして、彼女は偶然そこに契約したのだろう。
……執念で隣を待ち続けていた、わけではない、よね?
「立花さんとこうして隣になれて、嬉しいです。えへへ、またお隣さんですね」
「そう、ね」
本当に、待ち続けてたわけではないよね? ちょっと怖い。
「そ、それで、雪ちゃん……結婚って云うのは……」
よもや本気じゃないよね? 本気ではないよね?
そういう気持ちで訊ねる。
「はい。私は16になりますから、もう結婚も大丈夫な年齢になります。いえ、そんなに急ぐわけでもないのですが、居ても立ってもいられず、大好きな立花さんの近くに来たかったので」
あ、やばい、ガチっぽい!
「……えっと」
冗談だよね?って、訊けない。
彼女は、彼女が昔のままなら、嘘が下手くそだった。演技力も乏しかった。
中学で相当な何かがなければ、今この表情と科白で、私をからかうなんてことはできない。
「そ、そうかぁ。それじゃあ、でも、結婚とか付き合うとかってなると、親とかにも云わないと、だよね」
あははと笑いながら、彼女の行動の抑制を試みる。
「あ、はい。親にはもう話してありますので大丈夫です」
!?
「ど、どう、え? なんて、親に?」
私は思わず真顔になって雪恵ちゃんに訊ねる。
すると彼女は、にこりと楽しそうに笑う。
「立花さんが私に結婚したいと云ってくれた日から、親にはずっと、私は立花さんが好きなので立花さんと結婚したいという旨を伝えてますので」
な、なんだ小学生の頃の話か。良かった、小学生の戯れ言だと思われる奴だ。
それを聞いて、私はふぅと息を吐く。
「ただ、念には念を入れてずっと云い続けていたのですが、中学生の頃ににわかに空気が変わり家族会議になりました。でも、無事説得しました」
!!?
え、待て。中学生の頃に? 小学生の頃からずっと? ずっと云い続けてて、家族会議になったの!?
顔が強張る。ちょっと上手く笑えているか自信がない。
「ちょ、ちょっと、その状況で良く、こっちに引っ越して来れたね?」
「? 両親は、立花さんがそれで良いなら、構わないと云ってました」
さては、私が突き放して追い返すことを期待したな!?
「そ、そうかぁ……」
「立花さんのご両親にも結婚したいとご挨拶したら、お母様にうちの子をよろしくと云って頂きました」
「お母さぁぁん!」
駄目だ、うちの父はノンケだけど、母はバイなんだ。雪恵ちゃんと私との恋愛だって、あの人は本気で応援する。父を説得してでも応援する。
知らぬ間に外堀が埋められていた。
「それで、立花さん」
雪恵ちゃんは、幼い頃から変わらない無邪気な笑顔で、それでもどこか熱っぽい瞳で、私に笑みを投げ掛けてくる。
「しばらくはお隣さんで、その、デートとかもしたいんですが……いつか、一緒に暮らしたいな、なんて……」
……気のせいだ、私の天使が発情しているなんてことは、ないはずだ。
しかし、告白とかすっ飛ばしてもはや恋人扱いになっている。どうせなら告白したりされたりっていうイベントがあった方が……いや、私が堕ちるから考えるの止めよう。
「そ、そうねぇ……家賃、高いしね」
「はい。そうなんです。ですので、いずれは、一緒に住まわせて頂ければ、家賃も折半できて助かるんです」
雪恵ちゃんのほぅと漏れる吐息が気になる。
雪恵ちゃんのうっすら赤みが差した頬が気になる。
「あの、立花さんって、ご飯は自分で作ってます?」
「あ、うん。外食より安いからね。でもかなりてきとうだよ……そうだ、こんなの」
友達に自虐する為に撮った、レンジでチンするご飯と肉を焼いただけの夕飯の写真を見せる。
多少でも幻滅してくれないかな、という淡い期待。
「あ、美味しそうですね」
「デスカー」
まさか褒められるとは。
「でも、お野菜が足りないですね。あの、良ければ私が、朝とか夜とか作りましょうか?」
「え!? いや、悪いよ!」
「でも、一人分を作るとなると高く付きますので、そうさせてもらえると私もバランスの良いご飯が食べられるんです。合い鍵を貰えれば、こっちにきて毎朝きちんと作りますので」
健気に私に尽くそうとしてくれる女子高生。
合い鍵云々って部分ですごくゾッとしたけど、きっと他意はない。
……夜這いかけてきたり、不在時に物色してきたりしないよね?
私は今、天使を疑っている。
「え、えっと、それはありがたいんだけど……やっぱり、悪いかなって」
「そんなことありません」
強い感じで、雪恵ちゃんが云う。
「立花さんに、私の作ったご飯を食べて貰いたくて、ずっとお料理頑張ってきたんです。栄養面も気にして、立花さんを健康に、それにますますお綺麗にする、お手伝いがしたいんです」
ぶっちゃけ綺麗って初めて云われた!
「絶対に駄目、でしょうか?」
「い、いや、絶対ってわけでは」
「良かった」
「あ、あれ?」
おかしい、今別に肯定していないのに押し切られたぞ。
この美少女、意外と小賢しい云い回しを使うようになっている。
雪恵ちゃんは立ち上がり、とことこと私の横に来て、ちょこりと座る。
凄い良い匂いがした。
「えへへ……また会えて、嬉しいです」
そう云いながら、私にそっと寄りかかってくる。
凄く、柔らかかった。
私は、生まれてこの方付き合ったことはないが、好きなアイドルも漫画のキャラも男だった。雪恵ちゃんをそりゃあもう可愛がったことはあれど、ノンケだと思ってる。
だが、今かなり理性が揺れている! 自認している性的嗜好が揺れている!
正直、雪恵ちゃん抱き締めたい!
落ち着け私。
私が葛藤していると、ポンと雪恵ちゃんが手を叩く。
「あぁ、そうだ、その、まだお風呂の用品を買い揃えていないので……今日、立花さんのお風呂をお借りしても良いですか?」
「あ、あぁ、いいよ」
そう云われて、思わず雪恵ちゃんの身体を見てしまう。
小学生の頃と比べて、随分と凹凸がしっかりしていた。
「あ、昔みたいに一緒に入りますか?」
「え? はぁ!? いや、狭いし!」
「えへへ」
彼女は照れて笑った。
だが結局、この日の晩、私は雪恵ちゃんとお風呂に入った。
肌は、すべすべだった。
お父さん、お母さん。
……私は道を誤るかも知れません。