君を追ってのその先へ3
『あと数年だしな。年金を貰えるまで頑張るよ』
仲間の大西はそんな事をよく言っていた。前歯が1本欠けていたが「金が無いから治さない」と言ってそのままに、「でもタバコが挟めて便利だぜ」と笑っていた。大西は「仕事が貰えるだけありがてぇよ」と、仕事を掛け持ちしていた。痩せ型ではあったが、それなりに筋肉が付いていた為に元気に見えた。だがそんな働き方をした結果なのか、それとも単に寿命だったのかは不明だが、突如この世を去った。
『もう無理だわ』
スーパーのレシートの裏、殴り書きされたそれは遺書と呼べる物。仲間の一人である内田はとある公園の木の下に、そんな紙きれを残しこの世を去った。生前、内田は「もう死んでもいいわ」と笑いながらよく言っていた。酒を飲みながらに言われたその言葉に本気さは感じず、「確かになぁ」と、私は笑いながらに相槌を打っていた。内田が腰痛やらと色々何かを抱えていたらしいが詳しい事は聞いていない。そんな中、生きる為に働き続けていく事が辛くなったのかもしれない。
私を含めて内田も大西も60歳を超えていた。3人共に定職は無く、もっぱら日雇いで生計を立てていた。その現場では私を含めて似た物同士が集まり、仕事終わりには安いカップ酒を片手に公園や路上に座り込み、社会に対する低次元の愚痴を肴に傷を舐め合っていた。
6畳一間の安アパートで1人暮らし。特売日を中心に買い込んだ食材をガス代を気にしながら自炊をし、小分けした物を保存しながら少しづつ消費する。日雇いメインの仕事の大半は朝早く、夕方には終わって1杯飲み、20時頃には帰宅しそのまま寝る。仕事が無い日は暗くなったら寝るを心掛けての電気代を節約し、値段を気にしながらのコインランドリーに於ける洗濯も出来る限りまとめて洗う。服も仕事に向かう為に持っていると言っても良い程に、同じ色の同じ作業着といった物しか持っていない。靴も同じデザインの靴を2足だけ。服にしても靴にしても、お洒落といった要素は一切不要である。
安アパートに風呂は無く、1日2日置きに銭湯へと向かう。シャワー室が付いてるような仕事場であれば御の字だ。内田や大西の家に行った事は終ぞ無かったが、話を聞いていた限りでは、私と同じような状況だったようだ。腰痛持ちの内田はコインランドリーに行くにも腰が痛くて大変だと笑っていた。
日雇いであるが故に休みたければ休んでも良い。但しその分の金は勿論貰えない。働かなければその日の収入はゼロとなる。2日で一箱のタバコとカップ酒。それ以外に贅沢と言える様な事に金を使ってはいないにも拘らず、そうした生活をしていてもお金が溜まる訳でもなく、ギリギリの生活を強いられる。
何もしなくても金は掛かる。いや、何もしない訳には行かない。夏以外のシーズンなら覚悟は必要ではあるが、路上生活という選択が無くは無い。それはそれで過酷ではあるが、それを選択すれば家賃や光熱費は掛からず金は必要無い。だが生きていく以上は食べる必要があり、店で食べるにしても買うにしても金は要る。それを慈善団体に頼るという事も出来るであろう事から、厳密には金は無くとも生きていくだけなら可能と言えるのかもしれないが、やはりそれは現実的では無い。そんな生活をしている中では、病気や怪我にでもなってしまえば全てが破綻する。路上で寝たままあの世へ行けるというなら楽ではあるが、そうでないなら辛すぎる。
何か特別に秀でた能力がある訳でも無く、年齢もあって働ける仕事も時間も限られる。それなりの労働時間を提供した対価からは引かれる分もそれなりに多い。手元に残った中からの雑費支出も何だかんだで多い。故にただただ明日を心配するのが日課であり、それを忘れるべくタバコを吸い、酔いを求めて酒を飲み、仲間達と下らない話で時間を潰す。
定食屋で見るテレビには、自宅で仕事をすると言うテレワークやら、食事が無料の会社等の内容が映し出される。そんな物は私にとっては夢の世界。世の中では有給だのが話題になる事が多々あるようだが、そんな話は私に関係無い。その人達を羨む事はあっても妬みはしない。そこで働く人達はその為の努力をしてきたのだろう。それをしてない今の私の状況は当然の帰結という事なのだろう。働き出してからずっとブルーカラー。今の私達では仕事があるだけマシというものだろう。
定食屋であっても一番安い物を頼む。時には一緒にビールを頼む事もあるが、それは贅沢な物であり毎回頼めはしない。一日の贅沢といえば酒屋かコンビニで購入するカップ酒。最高に美味いという訳では無く、酔いたいが為に飲む。そして酔いながらに仲間と下らない話しでもって笑いあう。ただただそれが続く日常。それが身分相応と言える私の日常。
働いて得た少ない金を競馬やパチンコに費やす者もいる。そこで大当たりしたとしても、宵越しの銭は持たないと言わんばかりに、その日の内に使いきる程に飲んでしまう者もいる。金があれば簡易宿泊所に泊まり、無ければ路上で寝るという割り切った生き方。私は小心者であるが故なのか、そういった賭けごとの類は一切やらない。とはいえ日常生活と酒と煙草に金は消えていく。
生活保護で生計を立てる者もいる。低賃金で働くのならば、生活保護で生計を立てる方が賢い選択なのかも知れないなと思う事もある。だが何か夢や展望がある訳ではないが、今の年齢でそれをすればエピローグになる気がする。
とはいえ夢が無い訳では無い。安い店で良いから浴びる程に吐く程に酒を飲みたい。腹いっぱい食べたい。良い家、良い服、良い女。そういうのはいいから明日を気にせず飲み歩きたい。懐を気にせず食べ歩きたい。それが私の見ている夢、見て良い夢、身分相応の夢、とでも言えようか。
既に費やした60数年。今はただただ刹那的にその日を暮し、自然と寿命が尽きるのを待っている状態。それは下らない人生と言えるのかもしれない。数年前までは特に感じなかったが、最近ではそんな生き方それ自体に息苦しさを感じなくもない。昔は社会その物がもっとアングラな感じがあった気がするが、今の世の中は街も綺麗になるに従い、考え方その物も綺麗になってきた気がする。自分達は年を取るだけで何もやっている事は変わらないのに、社会や街といった周囲が変わっていく。それについていけないのか息苦しさを感じる。そういった変わりようは政治による物なのだろうか。それとも単に街の人が入れ替わる事で変わっていくという事なのだろうか。そういえば選挙なんて何年行ってないだろうか。まあ、誰が選ばれた所で私には関係無い。
仲間に先立たれナーバスになっているだけかもしれないが、私の存在は一体何なのだろうかという疑問が脳裏を過る。無理して働き生活していく事に何の意味があるのだろうかと。生きていく理由が分からないままに働き続け、寿命まで生き続けるだけなのだろうかと。生きる事だけに価値があると言う事なのだろうかと。単なる僻みから来ているのかも知れないが、今のこの世界にどんな価値があると言うのだろうかと。長い歴史の中で、数十年生きる人間の人生に何の意味があるのだろうと。そこに価値があるのだろうか、そんなのは考えるべきでは無いのだろうか。だとしても考えてしまう。自分の今の状況を俯瞰してしまう。
得られる少しの金の為、毎日の様に体に鞭打ち働く私の価値とは何なのだろう。今の仕事をせずとも常に私の代わりが存在し、私がやっていた仕事は滞りなく進んで行く。そんな私の価値は自給で1000円にも満たない。であれば、本当に私は大した事は無い。
働き続けた後は寿命を待つだけの年金暮らしになるのだろう。だがその年金だけで暮らしていけるのかは分からない。尚も仕事を探して働き続けなければいけないのかもしれない。若い時にはそんな老後が待っているなんて夢にも思っていなかった。何か特別な物が待っているとも思ってはいなかったが、そこまで軽い物だとは思わなかった。働かずして金を得る方法が存在しない訳では無い。その方法を選択すれば、贅沢は出来ないであろうが恐らく衣食住は確保できる。それなりに生きていく事は出来るだろう。だがそれが何だと言うのだろうか。それは一体何の為だというのだろうか。
「生きていたいか」と問われば「生きていたい」と答えるかもしれない。だが「何故生きていたいか」と問われれば答えに窮し、「死にたくないから」と答えるかも知れない。そして「何故死にたくないのか」と問われれば「生きていたいから」という堂々巡りになる事だろう。贅沢したい訳ではないが、やはり無理してまで生きたいと言う理由が見つからない。きっと今の私にとって生きる事それ自体、魅力も価値も何も無い。
やはり立て続けに仲間を失った事で悲観的になっているのだろう。仲間の死を目にした私には生と死が同等に見えている。いや、死の方が価値あるようにすら思える。世の中の雰囲気に流され、生きる事それ自体に拘り過ぎていただけなのかもしれない。
突如としてこの世を去った大西は苦しかっただろうか。自ら終えた内田のその終わり方は苦しくなかったのだろうか。そこまで大西や内田という仲間を大事にしていた訳ではないが、漠然と「置いていかれた」という気がしてならない。いや、今更に新しい人間関係を築くのが億劫だというだけかもしれない。大西が取った自ら終えるというその選択肢は終ぞ持っていなかったが、それを見た事で私の選択肢の1つになると同時に、自ずと答えはその1つに絞られた。それは単に楽な方に逃げているだけと言われるのかも知れない。それを否定するつもりもないし反論出来る程の学も無い。
『もう充分に生きました。ご迷惑をお掛けします』
コンビニのレシートの裏。そんな短い言葉を書き、私は先に逝った仲間を追うようにして、この世に別れを告げた。
「おはよう、オジさん」
耳元でそんな言葉を掛けられ、私は目を覚ました。寝ぼけ眼で見つめた視線の先には、私の顔を覗くようにして小学生らしき男の子が立っていた。
「えぇっと……君は……?」
「僕は琢磨」
私はどこぞの硬い床で以って横になっていた。そして横になったままに聞いた。
「琢磨……君?」
「そう、オジさん名前は?」
私は上半身をおもむろに起こすと、目の前に広がる不思議な光景に目を奪われた。
「えっと、私の名前は田村……。あの、琢磨君……ここは……」
「死後の世界」
「……死後の世界?」
「そう。まあ、オジサンはここに来たばかりだからね、そんな反応するのも無理はないね。どう? 不思議な光景でしょ?」
私の視界に入るその世界には何も無かった。いや、頭上には雲一つない文字通り真っ青な空と燦々と輝く太陽があった。その太陽は眩しいだけで熱さも暖かさも一切感じない。そして大地と呼べる地面には建物等は一切見当たらず、大理石と見紛う艶のある白くて硬い地面が果てしなく続き、地平線が見える程に広がっていた。
「不思議って言うか……」
「オジサン、自分が死んだ事、分かってるよね?」
その言葉で思い出した。確かに私は死んだはずであった。であれば、ここは天国と呼ばれる場所であろうかと、再び私は果てしなく続く地平線に目を奪われた。
「そうか……私は死んだんだ……うん、そうだ、死んだ……。あれ? じゃあ、琢磨君も死んでるって事?」
「そうだよ」
男の子は屈託のない笑顔で笑った。小学校低学年と思しきその体躯。どこかの野球チームの帽子をかぶり、半袖半ズボンという姿は元気な男の子としか見えない。その子がどうして死んでしまったのだろうかと疑問に思ったが、それは辛い過去かもしれない。であれば思い出させるような質問は良くないだろうと、それを問う事はしなかった。
「それで琢磨君。私は……」
「どうなっているのかって事でしょ? 魂と言える存在になった、という事だよ」
「魂?」
「そう」
通常は耳にしないその言葉。葬儀の場において位しか耳にしないその言葉を、小学校低学年と思しき男の子が口にした。
「魂って言われてもね……」
「ほら、こんな感じ」
そう言って男の子は私の頭に手を置いた。否、その手は私の頭からすり抜けた。
「うわっ!」
目の前を、いや、顔の中を小さい手がすり抜けた事で、私は年甲斐もなく声を上げて驚いた。そんな私の姿を見て、男の子はケラケラ笑った。
「ね? 魂だけだから触る事も出来ないんだよ」
「魂だけ……なるほど……こういう事なんだ……」
何とも不思議な感覚だ。生きている時と何ら見た目は変わらないのに、実体は存在しない。
「そういえば琢磨君は幾つなの? 多分小学生だとは思うけど」
「僕? ここに来たのは9歳の時かな」
9歳とすれば小学校3年か4年であろうか。本人も残念ではあろうが、親御さんの心中は察して余りある。とはいえ私に子供はいないので、その心中は計りかねる訳ではあるが。
「そう……残念だったね。それで琢磨君はここにいつからいるの?」
「ここはずっと太陽が沈まないし時計も無いからね。どの位僕が此処にいるかは数えてもいないから分からないけど……。あ、でもね、この前ね、僕の小学校時代の同級生と会う事が出来たんだ。でも最初は全然分からなくてね。だってシワシワのお婆ちゃんだったんだもん。その人の昔の話を聞いていたら『あれ? 僕と同じ小学校だね』って事で、よくよく話を聞いたら、僕と同じクラスの友達だったって気付いたんだよ」
「シワシワのお婆ちゃんって……じゃあ琢磨君て何十年もここにいるの?」
「うーん。多分、80年位じゃないかなあ」
「は、80年?……じゃあ琢磨君って本当は90歳近いって事?」
「そうなるね。見た目は子供、中身は爺ちゃんって奴だね」
死んだ当時と変わらぬ姿のまま、こんな所で80年近くも過ごしていたとは信じられない。にしても、死後の世界とはいえこんな小さい子に対してそんな理不尽な事があっていいのだろうか……。
「オジさんは今幾つ?」
「ん? ああ、私は61歳……だね……」
「じゃあ僕の方がオジサンよりも先輩だね」
「そ、そうなるね……」
私よりも20年近く先輩の子供が目の前にいる。やはり信じられない。
「琢磨君はずっとここに1人で?」
「そうだよ。ここに来るのは寿命よりも前に死んじゃった人達だけでね。僕もお父さんやお母さんと会えるかなと思って歩き回ったけど、きっと無事に寿命を迎えたんだろうね」
無事に寿命を迎えた。笑顔で言ったその言葉がとても悲しく聞こえた。ここに来る人は寿命よりも早く亡くなった人であるというのなら、ここに来ないという事は現世で以って寿命を全うしたという事であり、それはそれで良い事である。良い事ではあるはずなのに、その子の言葉は悲しく聞こえた。
「あれ? そういえば同級生のお婆ちゃん? その人はどうしたの?」
「ん? ああ、もう居ないよ」
「居ない? 琢磨君を置いてどっかにいっちゃったの?」
「そうだよ」
「いや、そんなの酷すぎじゃない?」
「でもしょうがないよ。ルールだもん」
「……ルール?」
「あ、まだ言ってなかったね。この『死後の世界』は寿命よりも早く亡くなった人が来る世界なんだけど、本当の寿命が来たらここから消えていくの。消える時には段々と透けて行って消えちゃうの。孝子ちゃんはそうやって僕の目の前から消えたんだよ」
「き、消えたって……その後はどうなるの?」
「知らなぁい」
男の子は笑顔で言った。生前に見聞きした地獄という世界では延々と地獄を味わうという。それ故にこの「死後の世界」というのもそれと同様だと思っていた。だがそうではなくここからも消えていくという。そしてその後どうなるのか……。しかし何故にその子が笑顔で居られるのだろうかと疑問に思う。男の子の言う孝子ちゃんとは同級生のお婆さんの事であろうが、その同級生が消えてしまったというのに、何故笑顔なのだろうかと。だがすぐに分かった気がした。男の子はこんな何も無い所で80年という長い間、そういった別れを多く経験してきたのだろう。消えて行く人を多く見送ってきたのだろう、ずっと見送ってきたのだろう。故に、目の前の小さい男の子とって、永遠とも言える別れは日常と言えるのだろう。そう思うと切なくなると同時に、年甲斐もなく涙が溢れそうになった。
「僕の場合、あと数年で消える事が出来るんじゃないのかなあ。でもオジサンは後20年位はここにいる事になりそうだね」
「そう……なるのかな……」
「終わっちゃえば短いかもしれないけど、ここでの20年って凄い長く感じると思うよ? ここにはご飯なんて無いし、ゲームもお菓子も何も無いしね。まあ、僕達は魂だけの存在な訳だからお腹は減らないけどね。ほんとに何も無い。そんな所に寿命が尽きるまで居ろなんてさ、神様って人がいるんだったらその人は鬼だよね。ははは」
私は20年で済むが、目の前の男の子はその4倍の80年という長い間、1人でこんな所に居たというのか。多くの別れを経験したというのか。何か悪さをした上で死んだのなら兎も角、何の罪も無いであろう小さな子供にこんな仕打ちがあるのだろうか。こんな所業を神という存在がやってのけたというのなら、確かにそれは鬼と呼ぶにふさわしい存在だろう。
「そういえばオジサンはどうして此処に来たの?」
「どうしてって……」
「ちなみに僕は交通事故だったんだ。よく覚えてないけどね」
自分の意思で死んだわけではない目の前の男の子に、自殺したとは言い辛い。
「ひょっとして自殺?」
「え? 何で?」
「何となく」
「まあ……恥ずかしながら……それだね……」
「ふーん。僕も結構自殺したって人に会ったけど、やっぱり自分で死んじゃうってどういう事かわかんないなあ。聞くと怒る人もいるし、下を向いて何も話してくれない人もいるし」
事故等の不可抗力で亡くなったのなら説明はし易いが、私の場合には何とも説明し辛い。こればかりは大人の事情という事で理解してもらいたいが、子供の質問位には答えてあげたい。
「まあ、オジサンは疲れちゃったから……かなぁ」
「疲れたの? 休めば良かったんじゃないの?」
『疲れた』という言葉に色々な意味を込めたつもりであったが、やはり子供には上手く通じず素直に率直に聞いてくる。
「そうだね。確かに休めばよかったね。でも休むとご飯を食べるお金が無くなっちゃうんだよね」
「誰も助けてくれないの?」
やはり説明が難しい。助けてくれるという意味では生活保護とかを説明しないといけなくなる。
「いや、助けてくれる人達はいたんだけどね……その人達も他の人達を助けるので忙しくってね。オジサンまで手が回らなかったんだよ」
「ふーん」
とりあえずは納得してくれたようだ。まあ、実際に助けを求めた事も無い。求めるそれすらも面倒でもあった。その上で全てを捨てた。命を投げ捨てた。
「琢磨君は普段はどうやって過ごしてるの?」
「僕は此処に来たばかりの人にルールとかを教えてるだけ。他にやる事も無いしね」
「そう……なんだ……」
男の子の純粋さに押し潰されそうな気がする。ボランティア的な行動等、私には終ぞ思いつかない。
「そうそうオジサン、この世界ではね、人は空を飛ぶ事も出来るんだよ。まあ飛ぶと言っても10メートル程の高さまでしか上がれないし、そのスピードも歩く程度の速さだけどね。良かったら飛んで見ると良いよ。直ぐに飽きるかも知れないけど結構楽しいものだよ」
何も無いこの世界。当然ながら酒やタバコは無いだろう。やる事といえばただただ呆然と過ごすか、果てしなく続く世界をひたすらに歩き続けるか、空を飛び続けるか位だろうか。
「お……た……ら……」
遠くから声がした。その方向へ目を向けると、そこには陽炎で揺れる2つの人影。その影は何となく手を振っているように見えた。
「オジサンの友達?」
「え? えっと……」
私は目を凝らしてその2つの人影を見つめた。
「おーい、田村ぁ!」
「あれ? あれは……」
それはメモを残して自ら逝ってしまった仲間の内田。その隣には過労で倒れてそのままこの世を去った大西。既に死んでいるはずの2人の仲間の姿がそこにあった。
「あれは……オジサンの仲間だ……」
「良かったねオジサン、早々に友達と会えて。ここでは話し相手がいるのは良い事だよ」
「え? ああ、まあ、そうだね……」
中身は私よりも上の世代なのかもしれないが、見た目が小さい男の子にそう諭される様に言われるのは、何だか不思議な感覚だった。これが現世であれば怒鳴っていたかもしれない。とりあえずその子の言う通り、仲間と会えた事は幸運と言ってもいいのだろう。
「あの、琢磨君さ、君はこれからどうするの?」
「どうするって何が?」
「良かったらオジサン達と一緒にいないか?」
目の前の男の子の寿命は残り少ないのかもしれない。とはいえ今すぐ寿命がくる訳でもないだろう。であれば、子供とは言えないのかもしれないが、1人で放って置くのは忍びない。
「僕の事は気にしないで良いよ」
男の子は笑って言った。
「でも……」
「本当に気にしないで。そもそも僕、オジサンより年上なんだよ? はははは。じゃあオジサン、僕行くね。バイバイ」
そう言って男の子はフワッと宙に浮き、何の音も無くスーッと動き出すと、そのまま空へと向かって上がっていく。そして自分は1人で居る事が当たり前だとでも言うようにして、そのまま何処かへと飛び去って行った。その様子を見て、内田と大西が駆け寄ってきた。
「おい田村っ! 何だ今の子供! 空飛んでたぜ!?」
「ん? 何だ大西、知らないのか? この世界じゃ人は空を飛べるんだぜ?」
「はぁぁぁ?」
「まあ、とりあえず、ちょっと座ろうぜ」
私と大西、内田の三人は何も無い地面に胡坐をかいて車座を作った。
「しかし又2人に会えるとはな。大西は過労で倒れてそのまま逝っちまうしよ」
「そんなの俺の所為じゃねぇよ。しかし死んじゃうって分かってたらよ、働かずに有り金全部を使って飲みまくりたかったなぁ。ははは」
大西はそう言って、前歯が欠けたままの歯を見せながら大笑いする。
「つうか内田、お前はあんな遺書残して首括りやがってよぉ」
「ははは、悪い悪い、でも仕方なかったんだよ。腰もやっちまったし持病もあったし、もう首が回らなくなってな」
首を括ったはずの内田が目の前で高笑いしている。それは何とも不思議な光景だった。
「つうか田村よぉ、ここは一体何なんだよ? 何にも無いしよ。そもそも俺達死んだはずだよな? それに子供が空を飛んでたしよぉ」
「あ? 何だ知らねぇのか?」
「田村は知ってんのか?」
「しゃあねぇな、教えてやるよ。ここはなあ――――」
私は先ほど男の子に聞いたばかりの知識を、ひけらかすようにして教えた。といっても、空を飛ぶには具体的にどうすればいいのかは分からない。
「死後の世界……。そんな物が本当にあんのか……。信じられんねぇな」
「信じるも信じねぇも無いだろ? お前らが今いるこの世界がそうなんだからよ」
「まあ、そうかもしれねぇけどよ……」
「つうあ田村は何で此処にいるんだよ? 別にお前は病気持ちでも何でもねぇだろ? 事故にでも遭ったのか?」
「あ? まあ、俺はお前らに当てられちまったんだよ。俺だけ残して逝っちまいやがってよ」
「はあ? じゃあ田村も首括ったって事か?」
「何だよ田村、俺達が居なくなって寂しかったのか? ガハハハハ、笑える!」
「うるせぇょ、まったく。ははは」
陽が沈まないこの世界に於いて、私達3人はずっと話し続けた。愚痴を言い合い傷を舐め合った。この『死後の世界』に於いても、やっている事は生前と何ら変わらない。違いがあるとすれば、仕事をする必要は無く、明日の心配が無用であり、愚痴という肴はあっても酒やタバコが無いというだけ。
私達は一面何も無い『死後の世界』に於いて花を咲かせた。かつての職場の使えないリーダーや口だけの雇用主、そしてワーキングプアといった物が生まれてしまう社会に対する低次元の愚痴。そう云った「愚痴の花」を咲かせた。決して美しいとは言えないその花の色は、黒とグレーの暗く沈んだ斑模様といった所だろうか。けれど、私達にはお似合いの色であろう。
2020年03月07日 初版




