自爆姫
岩に囲まれた世界、アースフィルの空は、今日も優雅に漂う騎空艇であふれている。
人は空を目指した。重力のしがらみに囚われず、自由であるために。
鉄に囲まれた室内で、機械油に塗れた歯車がゴウンゴウンと音を鳴らす。
通路を隔てて、それ以外は鉄の歯車で埋め尽くされているその部屋で、二人の騎空艇兵士が愚痴をこぼしていた。
「おい、聞いたか? ヴィンセント大隊長の話! また、無茶な指令を出したらしいじゃないか! その無茶な指令に付き合わされるこっちの身にもなって欲しいぜ……!」
ーーがちゃん。
「おい、よせって! こんなの上の連中に聞かれた日にゃ、俺達の首なんか軽く飛んじまうぜ⁉︎ それこそ何年か前に絶滅したホビットオーガ種族みたいにな!」
ーーがちゃん、がちゃん。
「ホビットオーガ種族ねぇ……。俺は一回も見た事無いんだがなぁ……。ありゃ、都市伝説じゃないのか?」
ーーがちゃん、がちゃん、がちゃん。
「いやいや、それが都市伝説じゃないんだって! ………………って、あそこに何かいないか?」
騎空艇兵士が指を差した場所には、確かに何かがいた。
それは次第に距離を詰め、彼らの目にもハッキリと目視出来るまでに近づく。
騎空艇兵士がそれを視認した時、彼らは絶望によって支配され、恐怖によって震え上がった。
『深淵鋼鉄の自爆姫』
騎空艇に乗る者であれば、一度は耳にした事がある。ーーそう、『死神』の通り名である。
空を駆ける騎空艇の、さらに上から降ってきた。その者を一度見てしまったら、確約された死の宣告から逃れる事は非常に困難を極める。
何故ならば、自爆姫は空にしかおらず、人は空に逃げ場など存在しないからである。
『存在しない』というのは他でもない。自爆姫が侵入するのは騎空艇、つまり空の上という事だ。
彼女の自爆により、墜ちゆく騎空艇内では何処に逃げても、待つのは等しく騎空艇の墜落という『死』の一文字である。
彼女は腰の後ろに装着されているフラグピン式殺傷爆弾を取り外し、右手で構える。
フラグピンに手をかけ、騎空艇兵士に向けてそれを投げつける。ーーわけでもなく、手に持ったままゆっくりと歩み、距離を詰めてゆく。
「くっ……来るなァァァァ‼︎ 止まれ‼︎ 止まれェェェェ‼︎」
「うがァァァァァァァァァ‼︎ クソがァァァァ‼︎」
騎空艇兵士の軽機関銃が、彼らの恐怖と動揺により、長い間撃ち続けられる。
しかし自爆姫は、その弾丸の雨に対して回避行動を一切とらない。ただただ、ゆっくりと歩みを進め、金属のがちゃん、がちゃんという音を室内に響かせるだけである。
「クソッ! クソッ‼︎ クソォォォォォォッ‼︎」
「撃ち続けろッ‼︎ 化け物めっ……‼︎」
自爆姫の深淵鋼鉄式耐爆メイルに銃弾は命中し、跳弾する甲高い金属音が無数に聞こえてくる。
まるで管弦楽団が創り出す、様々な激しい音色の、狂騒曲を演奏しているようだ。
「軽機関銃だぞ⁉︎ 何故だ……‼︎ あの黒い鎧は何故、傷一つ付かないんだ⁉︎ あの装甲は一体何なんだ‼︎」
「あれは深淵鋼鉄だ! 三○年前に発見されて以来、その驚愕の強度と耐久性に注目されていた。
しかし、その代償として、その物質が持つ有り得ない質量を、人間は克服する事が出来なかった。扱える者なんて、自爆姫くらいだと聞いている……」
「何故それを、あいつは鎧として着て歩けるんだ⁉︎ 人間では無理なんだろう⁉︎」
「そんな事、俺が知るかよ‼︎ 神のみぞ知る……、自爆姫のみぞ知る事なんだろうよ‼︎」
ーーかちん……かちっ……かちっ。
銃撃の激しい音が止み、空の薬莢が地面にこぼれ落ちる音と、撃ち止めを告げる物悲しい引き金の音。かちゃん、かちゃん、という自爆姫の足音だけがその場を包み込んでいた。
騎空艇兵士との距離はおよそ二メートル。
殺傷爆弾の前では、ほぼ零距離と言える間合いに立ち、彼女はゆっくりとフラグピンを引き抜いて、絶望にへたり込む兵士達に一言告げた。
「……ばいばい」
命が終わる音、というのは呆気ないもので、酷く乾いた破裂音が一瞬だけ、室内に木霊する。
つい先程まで生を宿し、人の形を形成していた『もの』は、既に『物』に変わっていた。
壁や格子床には鮮血や肉片が飛び散っている。
ーーがちゃん、がちゃん。
なおも自爆姫は歩き続ける。
勝利を約束された英雄が、最後の進軍を遂行するように。
重苦しくも優雅に、冷たくも情熱的に、虚しくも嬉々として、彼女は機関室へと辿り着いた。
機関室。騎空艇の核となる部分で、全てのエネルギーや動力回路がこの部屋に集まる。つまり騎空艇の心臓部に位置すると言えばわかりやすい。
自爆姫は部屋の中心部に起動式対装甲爆弾をセットする。その大きさは従来の爆弾とは比べ物にならないくらいに巨大で、騎空艇一つ程度なら簡単に排除してしまうのだろう。
彼女はゆっくりと呼吸をすると、起動式対装甲爆弾のスイッチを入れた。