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精神的にダメージを負って気を失うなんて、今世でも前世でも初めてのことです。見たくない聞きたくないという思いと、前世では体裁を重んじる傾向があったのでストレートに悪意をぶつけてくることは少なく、ここまで集中されて攻撃されたことも無く、一気に高まったストレスで自己防衛が働いたのでしょうか?
あれ以上に彼らのドロドロと醜い姿を目にすることがなかったのは幸いでしたが、気を失ったことで、それを上回る不幸が引き起こされてしまいました。
この世界には捜査をしてくれる警官や、弁護をしてくれる弁護士の存在はないので、私が気を失えば、誰も弁解をしてくれる人は皆無になるということです。
よって私は有罪と見なされ牢屋に入れられてしまいました。それも貴族専用の牢屋では無く、鉄格子に薄っぺらい布が放り込まれた市民の犯罪者用の牢屋です。
窓は無く鉄格子の向こうに灯される明かりのみの薄暗い場所に、パーティーに出席したままの姿で無残に放り込まれたようです。
牢番の人に声をかけ、蔑む視線に耐えつつも、なかなか答えてくれない牢番に根気よく、今までの状況とこれからの私の待遇を教えてもらえることが出来ました。
どうやら私はこのまま屋敷に帰ることも許されず、国外追放となるらしいのです。
公爵令嬢である私に期待を寄せていた両親が、この状況に黙っていないと考えていたのですが、それも弟であるニコラスが両親を言いくるめたみたいで「お前は公爵家の恥だ!縁を切る」という手紙が送られてきました。
将来は国母、王妃にと望まれ丁重にもてなしを受けていたというのに、この落差について行けません。
気力を失い呆然とするしかない牢屋の中で、私はこれまでのことを振り返っていました。
本当に何がいけなかったのでしょうか?
冷たい床に身を預け、夢と現実の境を彷徨わせながら目を閉じました―――
「侯爵という位ですが、領地にはまだまだ貧しい人達が多いのです。領地視察に出かけ偶然に見かけたのが、食べる物が無く倒れている子供でした。当時の私と同じ年頃で、何をしているのかと問えば、食べる物が無く動けないというので、持っていたお金を渡しこれで食べ物を買えば?と言ったところ、子供は体力が無いのに激怒したのです。こんな大金を渡されたら盗んだと言われて捕まる!と。衝撃でした。物事を知らなすぎる私に対してと、普段当たり前のように食べている食べ物が市民に行き渡っていないことが、何もかも衝撃でしたよ。だから私は何か出来ることが無いかと探し、自分の魔力量に目を付けたのです」
大人しくて人を恐れるリカルドがつっかえずに普通に話してくれるようになるまで結構時間がかかりましたが、夢を語るまで仲良くなっていたと思います。その彼の夢が、最低限1日1食民が食べられるぐらいの食物を育てたい。ということ。リカルドの領地は岩山が多く食物が育ちにくいそうなのです。岩山では鉱石がとれるらしいのですが、ここ数年芳しくないみたいで、食べ物に困る人が増えたようなのです。
人に対して恐怖を感じてしまう経緯までは教えてもらえていませんが、それでも人との繋がりを持とうとしている姿を目にしていたので、いつかは克服できると見守っていました。
そしてリカルドの思いに感動した私はリカルドと共に【育成】の研究を手伝ったのです。
ああでもないこうでもないと試行錯誤したり、昔の魔法陣を解読したりととても充実して楽しかったはずなのに・・・
私とリカルドと数名の生徒、そして毎日訪れる魔法省の方しか立ち入らない私達の研究室が荒らされたのは、いつだったかしら?
ミズキ=ハトリさんが学園に来て間もなくのような気がします。どこでリカルドと知り合ったのかは分かりませんが、私が留守の間に入ってきて、リカルドに「こんなところに引きこもってばかりいると身体に良くないわよ」と言ってリカルドを連れ去ったらしいのです。そのさいに研究室があれたと同じ研究室に通っている数名の生徒から話しを聞きました。その後も何度もリカルドを連れ出し、その度に研究室があれたのだと。どうして連れて行くだけで研究室があれるのか不思議でたまりませんでしたが、あれから私は紙に記述しても紛失してしまうので、記述は頭の中に記憶することにしました。
今世の私の頭はかなり優秀らしく、記憶したい事柄はほぼ覚えていることが出来るのです。実は学年トップどころか満点を取るのも可能だったりします。それはさておき、このことが更なる不幸をおこしたようですね。今までの研究結果が残されていないことで、研究室に籠もって研究をしていない。しいては魔法省の方と癒着があったという方向に向かってしまったのです。
何がどう転ぶのか本当に分からないわ。
弟のニコラスは精神的に追い詰められていたのを知っています。将来は王妃となる姉の存在を疎ましく思っていたのも。
両親と周りからの期待をこたえる私と、次期公爵としてみられる弟、いつも比べられていて肩身を狭くしていたのを知っています。
幼いときは一緒に勉強し、お妃になった姉さんを公爵として支えます。と可愛く約束してくれていたのに、大人になるというのは残酷なもので純粋さを抉ることになるのですから。
周りの厳しい評価と公爵の名に釣られてくる人達に辟易し弟は人を信じることを止めてしまったのです。
四大基礎魔法の適正のない弟は、無魔法でも使えるという幻の【鑑定】で、人の真意を測ろうと【鑑定】の魔法陣を探しました。ですが、弟は魔法だけでなく頭の方も少々・・・その足りないようなので、夢を見るものの現実の作業としては進んでいなかったようなのです。ですから、私が裏から手を回して【鑑定】の魔法陣のことを書いてある童話や書物を弟に渡したのです。
弟とは別に、私なりに研究を進めた結果、【鑑定】の魔法、魔法陣は女神の加護がなければ使えないと言うことを知りました。
女神の加護・・・それは貴重な加護であり、魔を払うとされている巫女でさえ与えられていないものです。何を基準としているのかは分かりませんが、世間に知られているのは歴史の中でも10人にも満たないとのこと。
夢を砕くことになるのですから、それは弟には伏せていました。なにより、私が教会で受けた適正検査で希少な【女神の加護】持ちだったと言うこともあり、さらに疎まれてしまうことを恐れて言えなかったのです。
弟が【鑑定】を身につけ、私が弟を大事にしていることを知ってもらいたかったのですが適いそうもありませんでした。
それでも真摯に向かえば家族なのだから修復可能と安易に考えていたのです。ただお妃修行と魔法陣の改良などに時間を取られて、修復に回す時間がなく今に至っただけのことです。
騎士希望のハンスは趣味の散歩で知り合い、身体を動かす楽しさを知りました。彼は彼なりに自分の限界を感じていて【身体能力向上】というスキルを身につけようと必死になっていました。
校医であるダニエル先生もしかり、治療を受けられない人達を救うためにと【癒し】の魔法陣を作ろうとしている姿勢に感銘を受けました。
ノエル様は次期王となるプレッシャーがあったので、彼をたてるように私は一歩控えることを心がけていました。
彼よりも目立たない、彼を影から支えることを徹底していました。後ろを振り返れば笑みで返すようにと。
何があっても付いてきてくれる存在というのは貴重です。私が笑みを返せばノエル様もホッと安堵して微笑んでくださっていたのです。
彼らとは現実の苦悩はありますが、穏やかで優しい時間を過ごしていたのです。
私の苦痛と忙しさは彼らには見せないように努力したものです。
少しでもお手伝いが出来ないかどうか、私なりに魔法陣の研究を進めていたのですが、優先順位が決まらずに、どれも中途半端になっていたようですね。
その間に、ミズキ=ハトリさんは、弟には綺麗な言葉で心を開き、ダニエル先生には病気にかかる前に、病気をしない方がいいと食事法を教え、リカルドには人間恐怖症の基を聞き出して緩和させ、ハンスには力ばかりじゃなく心意気を説き、ノエル様には王族というプレッシャーから解放をしたそうなのです。
ミズキ=ハトリさんが行ったこと全部、牢番さんから聞いた話しです。
一通り思い返した後、突如、前世のある場面を思い出しました。
会社で部下が不満を言い始め、不手際を起こしたときのことです。私は彼女たちを怒ることはせず、不手際で生じた事柄を解消するために翻弄しました。その不手際が解決した後、上司から言われた言葉です。
「貴方は頑張るところが間違っている」
具体的に何処が間違っているのかは教えてもらえず、当時は対処方法が間違ったのかなというぐらいにしか思いつかなかったのです。
突如思い出したその言葉、今はよく分かる気がします。
人との衝突を恐れ、こじれることを恐れ、私自身を否定されたくなくて無難な道を選んだ結果だと言うことが。
そう、私は頑張るところが違っていた・・・のよ。それは分かったわ。でも感情は追いつけない。
あの言葉は私全てを否定する言葉と言うことに。そして今、それを実感して涙を流している。
私は頑張るところを間違った―――
私の今までの努力は何だったの?辛いお妃様修行、なりたくもないお妃さまへのプレッシャーはノエル様と同様のストレスだったのよ。
決まってしまったことだったから仕方ないと諦めていたけど、本音ではなりたくなかったのよ。
学園に入る頃から、お妃様の修行は言葉や立ち振る舞いだけですまなくなり、政治的な草案を宰相の使いが来て試されたわ。
一度、魔法陣の改良をしたために魔法省に目を付けられ、魔法陣の改良が国のためになるからと、今までの既製の魔法陣の改良を全て資料として持ってこられたわ。それが楽しくて時間も忘れて研究した私も悪いけど、こんな多忙にしておいて、他の方への時間が減っていったのは私だけが悪いわけじゃない。
都合のいいときに使っておきながら、こうして牢屋に入れられても誰一人として助けに来てくれない。
「な・・・なんて滑稽な・・・・・・なんて・・・・・・私の小さいことか・・・・・・」
全てではないにしろ、自分を押し殺して対応してきた私に対しての仕打ち。怒りを通り越して悲しみに支配されている。
ノエル様を支えることと国を豊かにすることに今出来る私の力を全て捧げてきたというのに、その努力も認めてもらない。
貴族令嬢が魔法陣の改良をしていることはあまり知られてはいけないからと、一部だけは私が改良したことにして他の全ては魔法省のメンツのために魔法省が行ったことになった。もちろん宰相の使いも私が前世の見聞を基に意見を出したのも、採用されたのも知っている。でもこの国が豊かになるのならと、手柄を横取りされても何も言わなかったわ。男性を立てて一歩引く・・・それが貴族の令嬢としての、強いてはお妃様に求められるものだったから。
でも私はまだお妃候補であり、お妃様になっていなかった。権威がある公爵であっても、公爵から「縁を切る」と言われてしまえば、ただの小娘なのよね。
私が影で支えてきたことがらは全てなかったことになっているのよね。
「なんて空しい人生なのかしら・・・・・・」
全てが私の努力違い。全てが空回り。本当に滑稽で涙が止まらないわ。
汚れた牢屋の地面に両の手を突き、うなだれた頭から髪が落ちる。ぽたりぽたりと止めどなく涙が床を濡らしていった。
「・・・ふ・・・、ふふ・・・・・・っ、ふふふ・・・・、っ・・・あ、は・・・あははははははっ!!!」
空っぽの私、何もない私、全てを否定された私、存在が必要とされない私。
これが可笑しくないなんてないでしょう!全てが無駄だったのよ!!!
心が抉られる!?そんな生やさしいものじゃない。憎しみが籠もった幾つもの目、信用していた存在は、私を疎ましく思っていたなんて。
そして、こうして牢屋に入れられ、存在そのものを否定されて消されてしまうのよ。皆がそう望んでいる。
今まであった心がなくなった瞬間―――あるのは可笑しさだけ。
「ふふふふ、あははははははぁ!あーーーははははっ!」
「何が可笑しい!静かにしないか!!」
牢番の人が私の笑い声を聞きつけ、鉄格子我を叩いて威嚇するが、私は笑い続けた。何かに取り憑かれてように笑い続けた。
牢番は何度か怒鳴り声を上げ、私の笑い声を止めようとしていたけれど、最終的には私のことを気味悪く感じたのか、持ち場に帰っていった。
もちろん私はその後も笑い続けた。
だけど、なんだろう?可笑しさだけがこみ上げてくるのに涙が止まらないの。
そう、私は全て間違った。でも、でもね、想いだけは本物だったのよ?弟を愛しいと思い、ノエル様が大事だったし、支えてあげたいと思っていた。先生の慈愛に満ちた考えも素晴しいし、ハンスの前向きな姿勢は応援したかった。リカルドは私の無二の親友とまで思っていたのよ。
それらの想いは全て本物だったのよ?
彼らに糾弾されても、私の想いだけは変わらなかった。私は変わらなくても、彼らは変わった、と言うだけのこと。
彼らには私が必要なかったというだけのこと。それだけなのに、涙が止まらないの。
泣くじゃくりながら、ひっひっと引きつったように笑う。止まらない。
一体私は何だったの?誰か教えてよ・・・
どれ程の時間、泣き笑っただろう。もう涙が出てこなくなった。声もかすれている。
涙を流すたびに、何かが失われて行く。何を失ったのかは分からない。
残ったのはアリア。ただのアリア。誰も必要としていない私自身だけ。
私は・・・・・・人のために費やした私じゃない、ただのアリア。
誰も必要としていないのなら・・・・・・・・・私が・・・私を必要としてもありよね?
前世も今世も押さえつけられた人生を投げ捨て、一度も楽しいと感じたことのない人生を切ってもいいよね?
私は捨てられたのだから、誰も何も言わないよね?
だったら生き抜いてやる!
生き抜いて自分がやりたいことをして、楽しんでやるわ!!誰も必要としていないのなら、私が楽しむために私を必要とするわ!捨てたのだから、誰も何も文句を言わせない!!
二晩中泣いて笑って空っぽになって、新たな目標が出来た。