第六話
都市の喧騒が遠ざかっていく。
リブルーラの東門から出て、現在アリーシャは都市から東に30分の位置の場所を目指していた。
そこに“初心の洞穴”なるダンジョンがある筈なのだ。
インスタント型であり、まだ誰も踏破していない筈である。
整備された街道で近くまで行ける為、今は石畳で均された道を進んでいく。
初の冒険。いや、ダンジョン探索にささやかな緊張を感じる。
もう何度となく確認した道具覧。
その中身をウィンドウから道具の項目を選び、再び確認していく。
リブルーラを出る前に“コミュニター”の取引機能を利用し、道具屋で買うより安価で幾つかのアイテムを購入していた。
例えばSポーション。Sはスモールの略であり、効果としては最低ランクになるだろう。
他にも解毒薬や保存食。浮遊型ランタン。何気にランタンよりポーションの方が高く、資金は金貨三枚を既に下回っている。
ポーションは全部で5本。解毒薬も同数で、2つずつ腰の道具屋で購入したベルトのスリットに挿し込まれている。
投擲用のスローイングダガーも10本程挿しており、これは一応念の為の武器だ。
ダガーの内2本はリング式であり、見えない程細い糸で括られ回収が可能となっている。
ダガーだって数が嵩めば馬鹿にならない金額になるのだ。
そこまで確認して一息吐く。今回はソロで挑むのだから、準備は万全でなければならない。
パーティーも考えたのだが、運が悪いのかどうやら完全な初心者は現在この辺りにはいないらしいのだ。
最低でも3レベル以上は無いと、他のパーティーに混じるのは厳しいだろう。
パーティーのメリットと言えば、やはり生還率に違いない。
逆にソロのメリットと言えば経験値の量や、ドロップの独り占めだろうか。
その分危険度は言うまでも無く上昇する。欲に目が眩んでそのまま帰らぬ人となる……なんて言うのは冒険者では当たり前のように、日常茶飯事の事だ。
歩きながらも若干の警戒を怠らない。
何も魔物はダンジョンだけの存在ではないのだ。
遥かに遭遇頻度が低いとは言え、ダンジョンの外。
普通に都市の外部では魔物が出現する事がある。
準備万全なのを都合4度目になる回数を確認し終え、のんびりと風景に視線を走らせていると……
「あれは……襲われているのかッ!?」
誰か、恐らくシルエットから女性だと思われる人物が黒い、不定形のスライムのような魔物に追われている。
視界に視認するのと同時、条件反射レベルの速度で力強く地面を蹴っていた。
現在出し得る最高速度を維持しつつ、腰の鞘からブロードソードを抜き放つ。
それを右手に構え、左手にポーション購入時に割安で手に入れたバックラーを構え突撃。
ローブ姿の女性と黒い粘液質のスライム。その間に割り込むように体を滑らせ、そのまま刃を振るって牽制。
本能的なのか、ずるずると幾分不定形の生物が後退した隙に女性に言葉を掛ける。
「私が何とか牽制する! その間にッ――」
言葉を言い切る前に不定形なスライムがぶるぶると振るえ、表面が波打つと同時に数本の触手を鞭のように飛ばしてきた。
風切り音と共に飛来する幾本もの触手ッ!
瞬時に軌道を計算し、ブロードソードを斜めに走らせる。
何か柔らかな物を斬り飛ばす感触。全ての触手を瞬く間に斬り落とす。
既にスライムの標的は完全にアリーシャに釘付けだ。
ナイトのパッシブスキルに、〔敵意増加〕と言うものがある。
あらゆる敵対行動により相手に与える敵意が増加する、と言う効果だ。
知能の低い魔物程効果が高い。そしてスライムは本能で生きるような種族!
効果はまさに抜群と言っていいだろう。
新たに襲い来る触手をいなしつつ、まるで削り取るようにブロードソードを振るう。
物理攻撃は効果が薄いようだが、このまま行けば時間は掛かるがいけると確信した瞬間――――
「……援護する。炎の礫」
ほぼ反射的に声が耳を通り抜けた瞬間動いていた。
「――ッ!」
素早く横っ飛びに移動しつつ触手を避ける。
同時に先ほどまでいた地点を無数の炎の礫が高速で突き進み、そのまま不定形生物の身体に突き刺さる!
ジュワッ! と言う音と、奇妙な臭いを発散させながら表面が見る見るうちに蒸発していく。
クネクネと身体を蠢かせながら、街道から逸れる様に逃げようとする。
面積の低下により内部のコアの位置が容易に視認出来た。
グッと腰に力を込め、爆発的な脚力で地面を蹴り飛ぶッ!
「逃がさんッ!!」
一瞬で距離を詰め、グッと地面を踏み込みそのまま右下からブロードソードを斬り上げる。
スライムが反応するよりもなお早く、その内部の半透明の球体状コアが切断され、一瞬後に溶けて消えてしまう。
完全に姿が消えるのを確認した後鞘に剣を収める。
コミュニターが起動し、視線をやればウィンドウには文字列が表示されていた。
〔ブラックウーンズを撃退しました 14の経験値 を 取得しました〕
〔黒い粘液を取得しました〕
〔スライムの核を取得しました〕
どうやら行はロール出来るらしく、上に移動させれば戦闘記録みたいなのまで記述されている。
そこで女性の存在を思い出し、慌てて振り返るとこちらに歩み寄って来ていたローブの女性。
恐らく先程の“魔法”から、魔法関係職のクラスだと思われる女性。いや、少女に声を掛ける。
「怪我はないか?」
そう訊ねれば、アリーシャより10センチ近く背の低い少女が顔を上げてこくりと頷いた。
ローブに隠された顔。その瞳を見た瞬間、思わず不躾なのを承知で魅入ってしまう。
左右で瞳の色が違う。片方が薄い水色だと言うのに、もう一方が黄金の輝きを示している。
脳裏にふと“黄金瞳”と言う言葉が浮かぶ。
アリーシャの元居た世界で伝わる御伽噺だ。黄金を戴く瞳を持つ者は、時に未来さえ見通す力を持つのだと……
与太話に近い古い話し。そんな言葉を思い出すほど、少女の瞳は何か神秘的な力を宿しているかのようであった。
「……?」
あまりに凝視し過ぎたのか、ちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめる少女。
それにハッと我を取り戻し、慌てて弁解をする。
「すまない。綺麗な瞳だったもので、思わず魅入ってしまったようだ」
そう言ってばつが悪そうに頬を掻く。
アリーシャは別にフェミニストではないが、それでも見た目からして十代それも前半だろう年頃の少女。
その瞳を無遠慮に覗き込むのが失礼であると言うのは、十二分に承知しているつもりである。
多少の非難を覚悟したのだが、少女から返ってきた反応は違ったらしい。
「……初めて、言われた」
「初めて?」
「ひとみ。きれいって……嬉しかった」
「あーうん。そうか、初めてか――」
「うん……」
感情を表に出すのが苦手なのか、たどたどしくも告げられる言葉と内容に、どう声を掛けていいか分からなくなる。
そんな気遣い必要とないばかりに。どうにも先程から無表情であった顔に拙いながらも、しっかりとした笑顔が咲く。
小さなパーツで作られた。綺麗と言うより、可愛らしいと言う表現が似合う少女。
真っ白な肌に、薄い青を讃えた背中まで伸びているらしい、毛先近くからウェーブ掛かった美しい髪。
無表情であったことも手伝い、まるで無機質な人形にすら思えたソレは、その可憐な笑顔により確かな生をアリーシャに伝える。
同時に思う。将来はきっと美人さん間違いなしだと。それもきっと無自覚で男をその気にさせてしまう、性質の悪い天然タイプだ。
こんな歳で1人で居ることも不思議だ。いや、もしかしたら見た目非相応な年齢なのかもしれない。
それでも言動の端々からどうやら、何か不遇な人生を送ってきたのだろうことは窺えた。
さて、どうするべきかと考える。
別にアリーシャは鬼ではないが、善人でもない。
取り敢えず幾つか質問をしてみるかと考え、言葉を脳裏で選び取る。
「君はリブルーラから来たのか?」
「……(こくん)」
「両親は?」
「……(ふるふる)」
「どうして都市の外に?」
その質問には言葉は言わずとも、態度で即座に示していた少女が何か迷うような仕草をする。
時間にしてたっぷり数十秒。ようやく今度は言葉で伝えてきた。
「冒険者になった……東に、初心の洞穴あるって……」
「その途中であの魔物に襲われた、と」
「……(こくこく)」
纏めると。現在はリブルーラに滞在しており、そこで冒険者となった。
ついでに言うと両親は恐らくだが居ない。
アリーシャと同じく東の洞穴に向かっていたのだが、途中で魔物に襲われてしまった……と言う感じだろう。
それならリブルーラに送り届ければいいか? と思案していると、クイッと何か袖を引かれる感覚を味わう。
はて何かと見てみれば、少女がなぜかギュッとアリーシャの軍服の腕裾を握っている。
その顔はどう言う訳か、非常に不安げであった。
その瞳を見て確信してしまう。ああ、きっと何かこの娘は隠し事をしていると……
戦場と外交で鍛え上げた観察眼には自信があった。
はぁっ、と溜息が零れる。何でもかんでも打算のみで行動出来れば、きっとアリーシャはこうしてこの世界に来ることもなかったのだろう。
つまり――――
「私と洞穴に行くか? 幸い私も冒険者にはなりたてだ。君は後衛、私は前衛と相性もいい、どうだろうか」
すると少女がホッとしたように息を吐き、少しだけ嬉しそうに首を上下に振る。
感情が無いと言うより、出し方が分からないそんなように見えた。
「よし。それじゃあ、取り敢えずお互いの自己紹介と、何が出来るかの確認だな」
不思議そうな顔を見せる少女に図書館で調べた通りの手順を踏み、パーティー申請を行う。
なにやらキョトンとした表情の後、戸惑いつつも承諾の返事が返って来る。
そのまま、洞穴に向かいながらもアリーシャは少女と情報交換を進めていった……
「ふっ!!」
アリーシャの鋭い一撃が飛び掛ってきた巨大鼠を一刀両断に切り伏せる。
赤い液体が洞穴の通路に飛び散り、不快な臭いが立ち込めるが無視。
「……炎の礫」
情報交換により、クラスウィザード。魔法使いの一次職だと判明。
アリーシャと同じくレベル2の“エヴリーヌ”が使用出来る、数少ない魔法の一つが発動する。
拳より少し小さな数発の炎の礫。それが高速でアリーシャの横を通り過ぎ、そのままもう1体の鼠に命中、一撃で倒してしまう。
計2体の魔物を葬り去り、周囲から気配を感じないのを確認してから後ろで待機するエヴリーヌに声を掛ける。
「このまま先を進む、エヴリーヌは魔法の消費を抑えつつ、ここぞと言う時に頼んだ。そこの判断はこの先でも必要になるだろうから、自分で考えてみてくれ」
「……んっ、分かった」
こくこくと小動物じみた挙動で頷く姿に、ダンジョンの中の緊張が少しだけ和らぐ。
既にダンジョンに入り込んで30分以上。戦闘回数は4度目になるだろうか。
倒した魔物の数も6体となり、アリーシャもエヴリーヌもレベルが上昇している。
レベルアップ時に。何か、大事なモノを削られる感じがしたことから、それが正気度の最大値減少だと辺りをつけていた。
それにしてもと思う。レベルの恩恵は凄まじいものだと。
たったの一レベルの上昇であったが、明らかな身体能力の差が現れた。
剣を振るう速度は増し、より鋭い一撃を放てるように。
反応速度や動体視力も増し、相手の行動が緩やかに見える。
詳しいステータスは確認してないが、ダンジョンを出た後に確認するべきだろう。
そんな思考をしつつも神経を研ぎ澄まし、何時でも魔物が現れてもいいよう気を張る。
魔物と言っても、アリーシャでも何とか理解できるようなのばかりだ。
先の大型の鼠やヘビ、それに蝙蝠とも剣を交えている。初心と言うからなのかもしれないが、いささか拍子抜けであった。
アリーシャのレベルは確かに低いが、その技量は高位レベルの者に勝るとも劣らない。
まだまだ調整の必要はあるが、その技術、体捌きは格上ですらしっかりと通用するだろう。
身体能力の差を埋めるだけの経験が、その魂にはしっかりと根付いている。
今回はひょんな事から聞くに、13歳らしいエヴリーヌも一緒なのだ。
元より戦場で手を抜く趣味はないが、彼女への危害を減らすためにもアリーシャの集中度合いは常より増している。
と、ほぼ一本道であった洞穴の行き止まりに当たり、下へ続く階段が現れた。
「エヴリーヌ、魔法の使用回数に余裕は?」
魔法には消費精神量とは別に、使用回数が定められていると本には書いてあった。訊ねるとエヴリーヌが空中に視線を彷徨わせる。
コミュニターは他人からも視認出来る実体化と、本人だけしか見れない半実体化の二つあるのだ。
一分ほどステータス操作をしているのか、指を宙に触れたりした後、たどたどしく口を開く。
その顔は何だか怒られるのを覚悟した子供のような、そんな悲壮な空気が滲み出していた。
「……ごめん、なさい。まだ魔法二つしか使えなくて……3戦も持たない――」
目尻には大玉の涙が浮かび、鼻はぴすぴすと鳴っている。
これにはアリーシャが驚いた。何やら微妙に好意的な感情らしいのは察せられていたが、こんな反応が出てくるとは思っておらず、流石にあわててしまう。
エヴリーヌは妹よりずっと年下なのだ、小さな頃を思い出してしまい、居た堪れなくなる。
気づけば考えるより早く、言葉が口を吐いて出ていた。
「気にするな。どうせ今日はあんまり無茶をする予定はなかった、それが少し早まったくらいなんでもない」
「怒って……ない?」
「ああ――怒ってなどいない」
「んっ……」
怒っていないと告げれば、はにかんだ笑みを浮かべる。
思わず妹やベアトリクス皇女にしてやったように、頭に手を乗せて乱暴にぐりぐり撫で擦ってしまう。
思わずやってしまったと手を離そうとするが、エヴリーヌの表情は髪がくしゃくしゃになるのにも構わず、どこかホッとしたものだ。
何か秘密と言うか。複雑な事情がありそうな娘だが、決して悪い娘ではないと確信できた。
どうして出会ったばかりの自分に、どことなく好意的な感情を寄せるのか。
そして自身も、どうしてこうも感情的な行動をとってしまったのか。いささか謎ではあったが、まぁ問題がある訳でもないかと払拭してしまう。
「それでは帰るとしよう。入り口までまた魔物が現れるかもしれないから、私が再び前になろう」
「……(こくり)」
頷くのを確認し、警戒心を最大まで引き上げて元来た道を戻っていく。
途中2度程魔物と遭遇したが問題なく脱出。
どうやら攻略までは消えないらしく、初心の洞穴は脱出後も形を保っている。
これなら後日再挑戦出来るだろう。
ドロップの分配を行い、そのまま共にリブルーラへと引き返す。
だが、アリーシャは気づいていただろうか?
エヴリーヌの身体からは、よく耳を澄ませれば――チック・タック・チクタク・チック・タック――と、何か針を刻むような。
あるいは歯車が回って軋むような。機械的な、無機質な……
そんな音が小さく響いていた事を――――