第4話:決意
少し戦闘入ります
――タッタッタッ
規則的なリズムを刻み、軽快な音が石畳の道を跳ねる。
「我ながら阿呆だなぁ」
孤児院を出発して数分間走った和哉は、今来た道を逆戻りしている最中だった。
「まさか、お金の稼ぎ方を聞いてないだなんて…」
トホホと自嘲するように呟く。
和哉は異世界から来たため、当然こちらの世界で使えるお金など所持していなかった。またこちらに来てからは、孤児院でお世話になっていたため、お金を使うこともなくすっかり思考の範囲外にあったのだ。
「走って出てきたばかりで戻るのは格好悪いけど、仕方がないよな」
呟きながらも走る速度は衰えることはない。和哉本人にしてみれば、元の世界で走っていた頃と同じ感覚でいるのだが、実際の速度はそのような生易しいものではなく、並みの陸上選手よりも断然早く走っていた。ただそのときの和哉は、自分のあまりにも抜けている行動に辟易していたためそれに気づくことはなかった。
「おっ見えてきた。………あれは馬車か?」
風の如く駆けていき、ようやく孤児院が見えてきたが、そこには出発するときには見えなかったものがあり、眉をひそめる。そして同時に、何か様子がおかしいことに気付く。実際には馬と荷台の陰になってその向こう側が見えないため、何が起こっているか把握できないのだが、和哉は周囲の空気がざわつくのを感じていた。それはまるで何者かが和哉に異変を知らせているかのようだった。
「何か嫌な予感がするな」
そう独り言をはくと今まで以上の速さで駆け抜ける。その姿は今までのような、人間じみたものではなく、明らかに別次元の速さだった。
目前まで近づくと声が聞こえてくる
それは和哉が、この数日間に最も多く耳にした声
明るく振舞いながら、どこか影を見せた少女の声
涙を混じらせ誰かを求める声
「酷い……酷すぎる…こんなのって…ないよ。誰か…誰か助けて…助けてよぉ」
この少女に特別な思いを抱いていたわけではない。
そもそも直接会ってまだ一日しか経ってはいなかったのだから。
ここで無理やり割って入って、今後自分が生きていくために余計なことにはならないのかと懸念もした。
だがこの少女の言葉を耳にしたとき、そんなあまりにもくだらない理屈はどうでもいいと思った。
ただ自分は目の前に泣いている少女を救いたいと思った。
気付いた時には既に馬車を横切り、少女を掴む男の首に手刀を叩き込んでいた。
こちらに気付かせることもなく、一撃で意識を刈り取ると目の前の少女をそっと抱き寄せた。
涙で濡れたその顔がこちらを振り向き、その男が誰であるかを確認し呟く。
「カズヤさん…?」
「あぁ、待たせてごめんな」
苦笑しながらもそう微笑むと、彼女は、ティアは泣きながら笑みをこぼした。
「うぅ…カズヤさんっ、カズヤさんっ!」
「ほらほら、もう大丈夫だから。なっ」
和哉は泣きながら胸にすがり付いてくるティアを優しくなだめる。
その様子を見ながらも孤児院を襲ってきた男達は、音一つ立てずにここまで近づいてきた者に驚いているため何も出来ずにいた。男達には目の前の人物が男だというのは声でわかったのだが、ローブとサングラスでどんな顔かは判別できなかった。
「倒した男は暫く立ち上がらないと思うから、後ろに下がっててくれティア」
「ぐすっ……はい…」
「よしっ、いい子だな」
そう言ってティアの頭を撫でてやり、巻き込まないようにするために和哉の後方に下がらせた。
「さてと、俺はお前らが何をするためにここに来たのかは知らない。ただなぁ……やりすぎだよお前ら」
前半部分は穏やかな口調であったが、後半部分は殺気が篭っており、そのギャップに男達は背中に嫌な汗が流れるのを感じる。和哉は後ろのティアと、地面に倒れている少年に視線を配りながら、言葉を続ける。
「女の子を泣かせて、子供を殴り飛ばして地面に組み敷くのがお前らのやり方なら、これ以上見過ごすわけにはいかない」
「う……うわぁぁあぁあぁ!!」
怒気も含んだ和哉のプレッシャーに耐えられなくなった一人の男が、剣を振りかざして襲い掛かってくる。恐れにより剣の振りも単調かつ雑になっているため、和哉は最小限の動きで、右、左、と剣をかわしていく。そして頭を狙った横薙ぎの一閃をしっかりしゃがんで交わし両手をつくと、その反動を生かして男の胸を蹴り上げる。無防備だった胸に強烈な一撃を食らい、男の身体が浮くとその一瞬の間にサマーソルトを決め、落ちてきた身体にしっかりと身体を入れた鉄山靠を食らわせる。身体の部分部分の力の連結を上手く調整し、最大限に高められた威力の攻撃は男を吹き飛ばし、背後の壁にぶつけさせた。
「空中三コンボってか?」
あまりにも人外なその動きは数秒にして行われ、目にしていた者ですら何が起きていたかわからなかった。倒れた男もピクリとも動かず気絶していた。傍に立っていた男は、和哉に睨まれただけで恐怖のあまり動くことすら出来なくなった。
ランドを倒した男も、その動きに驚愕しまともにやっては勝つことなど不可能と悟った。背中を向けている間に攻撃してやろうとも考えたが、すぐさま自分がやられてしまう未来が想像できた。それほど和哉の存在が驚異的だったといえる。そのためこの状況を打開しようと、手に持った剣を倒れているランドに向けいまだ背中を見せている和哉に叫んだ。
「おい、貴様がすごいのはよくわかったが、こいつがどうなってもいいのかぁ?」
「……ランドッ!?人質をとるなんて卑怯です!!」
ティアの叫び声を聴いた瞬間、自分が有利な立場に立てたと半ば確信していた男は、下卑た笑顔を浮かべていた。汚い手を使うのがこの男の常套手段であったし、それを咎められることはむしろほめ言葉であった。
「おらっ、こいつが大事なら武器を捨てて地面に這い蹲れよ。ひゃっひゃっひゃっ」
これでこの男がいくら強くても関係ない、そう思った彼の考えはこちらを振り向いた眼前の男によって壊されることになる。
「好きにしたらいいんじゃねぇの?剣振ってみればいいさ、ただしお前の剣がその子に届くのならな」
「カズヤさんっ!?」
そう言って和哉は腰に挿してある刀に手をかける。
自分が脅迫してるにも関わらず、ローブの男は欠片も動揺する素振りどころか武器を構えだすことに困惑する。
だが、自分とローブの男との距離は五メートルほど。とても一瞬で詰められるような距離ではない。百歩譲ってたとえ間に合ったとしても、振り下ろす力と重力によって勢いづいた剣を止めることなど出来はしないとそう思った。
(まさかあいつ、俺がこの餓鬼を殺さないとでも思ってるのか?)
それならば合点がいく。ニヤリと笑みを浮かべると剣をこめる手に力をこめる。
ここで冷静な考えが出来る者ならば、人質に手を出してしまったらその後に自分がどうなるかなど分かっていてもおかしくはないのだが、この男も和哉の力を恐れていたため、冷静な判断など出来るはずもなく、剣を振り上げたのだった。
「そうかい、そんじゃあ死なせてから己の馬鹿さ加減に気付くがいいぜっ!」
「ランドォーーー!!」
男の笑い声とティアの悲痛な叫びが響く。誰もが地面に伏した少年が鮮血に染まることを予想していた。
そう和哉ただ一人を除いて。
――ガキンッ
「なん…だと……」
気付いた時には男の刀身は後方へ飛んでしまっていた。そして自分の首筋には見たこともない武器が突きつけられていた。
男が振り上げた剣はランドを血に染めることはなかった。男が剣を振り上げようとした瞬間には、和哉は男に向かって走り始め、数歩で距離を詰めると同時に居合いで男の刀身をきれいに切り落としたのだ。
自らの身に起きたことを信じられず、呆然とする男に向かって和哉は告げる。
「俺は、ここでお前らを刻んでやってもいいんだが、この孤児院を血に染めることは俺の本意じゃない。倒れてるやつも連れてさっさと失せろ」
「てめぇ……名前は」
「ナナシノゴンベエ」
「ふざけてんのかっ!」
「さぁどうだろうな?そもそも俺に何か言える立場にあるのかお前は?」
「……おい引き上げるぞっ!!」
和哉に刀を向けられたまま男は、倒れている二人を拾い、馬車に乗せる。動けなくなっていた男もすぐさま馬車へと乗り込む。
「今度、ここへ来てみろ…次は容赦なく斬るぞ」
「………ちっ!…」
馬車を操る男に向かって殺気の篭った声を放つと、男は舌打ちをして去っていった。
男達が遠ざかっていくのを門を出て確認して戻ってくると、そこには倒れている少年に寄り添うティアがいた。
「大丈夫、ランド?」
「…あぁ…ちょっと痛いけど大丈夫だよ…」
「そう…本当によかった…」
ランドと呼ばれる少年に抱き付き涙を流しながら、その少年が命を失うようなことがなかったことにほっとしたようだった。
すると程無くして家の中に隠れていたのであろう二人の女の子がでてきた。
「おねえちゃん、おにいちゃん!」
「おねーちゃん、おにーちゃん!」
二人はそれぞれティアとランドに抱き付いた。ずっと怖かったのだろうその瞳からは涙が溢れていた。
「もう大丈夫よ…怖いやつらはもういっちゃったから」
「「うん、わかった…」」
二人の背中を撫で優しく諭すティアの姿はまるで母親のようだった。
そうやってお互いに無事だったことを安堵する面々に、和哉はゆっくりと近づいていった。
「よかったな、みんな無事で」
「カズヤさん……本当に…本当にありがとうございました!」
「「二人を助けてくれてありがとう!」」
やわらかく微笑む和哉にティアは向き直ると、真摯に感謝の思いを告げた。二人の女の子も満面の笑みを浮かべてお礼を言ってきた。
「よしてくれよ。俺はただ君に泣いて欲しくなかっただけだよ」
「えっ……」
天然ジゴロな台詞をはく和哉に、ティアは頬を赤らめて動揺してしまった。もちろん和哉本人にそんなつもりはなかったのだが。そんなティアをよそに和哉は自分の疑問を投げかける。
「それにしても……あいつらなんなんだ?こんなところをいきなり襲うなんて普通じゃ考えられないだろう?」
「すいません…外では話しづらいことですのでよろしければ中へどうぞ…」
ティアは和哉に話しかけられ、あわてて一つ深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、和哉を中へ案内した
「それで結局何なんだ?」
部屋に通された和哉は再度ティアに質問した。ちなみに傷ついたランドは、手当てをした後部屋で寝かせており、二人の女の子も泣き疲れたのか部屋に戻った。
暫く言いづらそうに顔を俯かせていたティアだったが、決心したのか顔を上げて話し出した。
「あの人達は人狩りを行っているんです…」
「人狩り?」
「えぇ…孤児院などを襲って子供を攫い奴隷を必要とする商人に売り飛ばすんです…」
「奴隷って…そんなものがあるのか?」
「はい……この聖皇国ではあまり盛んではないですが他の国では貴族が奴隷を買ったりするんです。その貴族に奴隷を売り渡すのが奴隷商人です」
和哉は元の世界にいた頃には考えられないようなことがあることに愕然とした。
「つまり人狩りが連れて来る子供を商人が買って、商人が貴族にその子供達を売ってるのか……胸糞悪い話だ…。それでこの孤児院にも奴らがやってきたってわけか…」
「はい、実は今までにも彼らが来たことがあったんです。でも今まではこの孤児院を管理していた先生が守ってくださったんです」
「先生?」
「先生は昔皇国の騎士団長を勤めていたため、剣の腕前も凄かったんです。それに、騎士団長ならば引退しても国に関わる大きな仕事に就けるはずなのにそれを良しとせず、孤児院を開いた方なんです。私達にもいつも優しくしてくださってとてもすばらしい先生でした…」
先生のことについて語るティアの話を聞きながら、和哉は考えを巡らせていた。
(それほどの人物ならそう簡単に孤児院を捨てたりはしないだろう…ならば…)
「……亡くなられたのか?」
「……っ!?」
虚を突かれたティアは言葉を失う。その反応が和哉の尋ねたことが間違っていないことを証明していた。
涙をこらえるような表情を見せながらティアは、呟く。
「つい先日、亡くなられたんです。そして先生は亡くなられる前に私にこの孤児院の管理を任されたんです。私がこの孤児院で一番年上でもあったし、信用できない人が管理をすると私達子供を利用してお金を儲けようとする人が出てくるかもしれないと心配してくださったんだと思います。幸いお金は園長先生が残してくださったので暫くは大丈夫です。でも…今日みたいなことが起きるんじゃないかとずっと不安だったんです。私は先生のように強くない…」
とうとう堪え切れなくなり涙が溢れてくる。それでも会って数日の自分に、大事なことを話そうとしてくれるティアの態度を見て、和哉は最後の最後まできちんと話を聞こうと思った。
「実際、私は今日何も出来なかった!ただ捕まえられて叫んで泣いただけ…ランドが殴られて踏みつけられているのを黙って見ていることしか出来なかった!!私には……何も護ることなんて出来ないっ!」
拳を握り締め、大粒の涙を零しながらティアは語った。
大切な人が傷つけられて悔しいのになにもできない自分の無力さを呪うように。
和哉は全て言い切ったティアの頬に優しく手を伸ばす
「それは違うよティア。君はみんなを護っているさ」
「えっ……?」
「ティアはこの孤児院にいるみんなの心の支えになっている、つまり心を護ってるんだよ。ティアに抱き付かれたランドも、優しく背中を撫でてもらった二人の女の子もみんなとても安心していたよ。ティアがいないときっとこうはいかないんじゃないかな?」
「でも…私じゃみんなが攫われるのを見ていることしか出来ないです…」
そういって涙を拭ってくれる和哉の言葉に、武の力がないことをこぼす。和哉はティアの言葉に苦笑しつつも、提案をすることにする。
「俺は本来ここを出るつもりだったけど、俺が奴等を追い払ったからいつかまた復讐にくるだろう。だから俺もここにいさせて貰えないか?絶対ティア達には手を出させないよ」
それが一度助けた者の責任だと和哉は告げた。その場だけ助けることは一時凌ぎにしかならず、本当に助けることにはならないということを和哉はよく知っていた。そして一度決めたことは最後まで行うのが和哉のポリシーだったためあの瞬間、ティアを助けると決めた時にはもうこう答えると決めていたのだった。
ティアは予想外の提案に涙がとまってキョトンとしている。
「本当…ですか?ここに…いてくれるんですか…?」
「あぁ今日までよく一人で頑張ったね。大事な先生を失くして辛かっただろう、もう我慢しなくていいんだよ?」
「うぅ…うわぁぁぁん」
そうやって頭を撫でられ、一度泣き止んでいたにもかかわらずティアは溢れる涙を抑えることが出来なかった。
和哉はティアの姿を過去の自分に重ねてみていた。大切な人を失い、だが自分より幼い者を護る為に甘えることの出来なかったティアを。だから自然とあの言葉が出た。自分がどこかで誰かにかけてもらったような言葉を。そうすることで救われることがあると知っていたから。
(香澄……俺お前のことは護ることが出来なかったけど……今度こそはきっと護って見せるから。だから見守っていてくれよな)
心の中で最愛の妹へ決意の言葉を送りながら、和哉はいつまでも優しくティアの頭を撫でていた。