第3話:急襲
朝日が上り始め、あたりがうっすらと明るくなり始めた頃、和哉はむくりと起き上がった。一回伸びをすると顔を両手の手のひらで、軽くぺしぺしと叩き眠気を覚ます。
昨日まで沢山寝ていたから早く起きたというわけではない。和哉は武道を始めてから数年間、朝は鍛錬の時間に使っていた。学生の間は夕方も鍛錬をする時間があったのだが、就職してからは、残業することも増えたため、その分学生のときよりも早く起きるようになったのである。
(異世界に行っても生体リズムって変わらないんだな)
割とどうでもいいことを考えながら、部屋の片隅に置いてあった自分の刀をもち、扉を開けた。
和哉は昨夜、自分の刀が部屋の片隅に置いてあったのを見つけていた。最初は、何故これがこんなところにあるんだろうと不思議に思ったが、刀をつかんだ瞬間に、それが特製の刀であるということと、それが自分と一緒に飛ばされたということを思い出した。断片的にしか思い出せないことが腑に落ちなかったが、考えても仕方がないと諦めて就寝したのである。
和哉の部屋は二階の一番奥で階段から最も離れていたため、誰も起こさないように出来るだけ足音を立てないように歩き、静かに階段を下りて外へ出た。
朝の空気はとても澄んでいた。元々都会暮らしだった和哉は、ここまで綺麗な空気を吸ったことはなかった。身体全体に染み渡るような清浄さを感じつつ深呼吸をした。
「朝から少し得した気分だなっ」
早起きは三文の徳と言うが、まさにそのとおりであったためにとても気分がよかった。
「よしっそれじゃあやるとするか」
軽く準備運動をし、筋力トレーニングを行う。黙々とこなしていき、あっという間に目標回数を終えた。続けて横振身などの上体の捌きや身体の向きを変える転換、踏込足などの運歩法を一通り確認していく。
あらゆる武術に通ずるこの動きは、武道を志すものにとっては基本中の基本であり、これを怠るものは強くなれないと師匠に言われていたため、和哉は一度もサボるようなことはなかった。
それから数十分鍛錬を続けていたのだが、なかなか疲れることはなくむしろいつもより好調なことに若干違和感を感じる。
(なんだか、今日はよく身体が動くな?いつもだったら二日間も寝込んでたら、こんなに簡単にこなせるはずはないんだが…)
いくら毎日行って慣れているからとはいえ、予想に反し自由に動く身体に戸惑いつつも、まぁ今日はいい空気吸えたからだろうと、よくわからない理屈をつけて納得することにした。和哉は他人のこととなると責任感が強い男だったが、自分のことに関しては存外適当であった。
本来であればこの後は木刀で素振りを行うのだが、木刀はないため諦めることにした。刀は持ってきているのだが、日本人であるため危険物を朝っぱらから何度も何度も振り回すことに抵抗を感じて、それは却下した。ただ元の世界にいたときも一番最後の居合いの鍛錬には刀を使っていたため、一度だけ振らせてもらおうと考えた。
余談ではあるが、この世界では武器を持つのが普通であるため、他人に迷惑さえかけなければいくら振り回そうともお咎めはないのであるが当然和哉はそんなことは知らなかった。
目を閉じ精神を集中する
呼吸を調整し丹田に気を集める
「……!!」
身体の中心に今まで感じたことのない違和感を感じ眉をしかめる
が、次の瞬間には再び集中し、丹田に集めた気を練り合わせ、体中に巡らせる
腰を落とし右足を前、左足を後ろに下げる
右手で刀の柄を掴み、左手で鞘を掴み、親指を鍔に当てる
空気が張り詰め辺り一体に緊張感が伝わる
呼吸を止めたその瞬間和哉の目が開かれ、刀が振り出される
鞘走りで加速した太刀筋は目に見えないほどの速度で空気を切り裂いた
「ふぅ…今までに感じたことのない手応えだったな」
刀を鞘に納めつつ、集中をといた和哉は初めての感覚に戸惑っていた。空気を切り裂く感覚など、元の世界にいたときには一度たりとも感じたことがなかった。
「いったいどうなってんだろう…」
刀を抜いた自分の手を見て首を傾げながら和哉は部屋へと戻った。
その後部屋に戻ってのんびりと過ごしていると、朝食の時間になりティアが呼んでくれた。昨日初めて会った時と同じように振舞ってくれてはいたが、やはり何かを隠しているような気がした。
朝食の時間は昨夜と同じく、ティア以外の子達はどこかよそよそしかった。興味はあるんだけどどう接していいかわからないと言ったような具合であった。そのため、ささっと食べ終わるとまたどこかへ行ってしまった。
和哉はそんな子供達を見ながらこちらから話しかけるべきだったなぁとちょっと反省し、食器を洗い場へと持って行き、ここを出るための準備をするために部屋へと戻った。
準備と言っても和哉が持ってきたものと言えば元々着ていた服と刀だけである。ちなみに服は死ぬ直前に来ていた工場の作業服だったため、こちらの世界でもあまり目立つことはなさそうだった。
「よしっ、じゃあそろそろ出るか」
刀を持ち部屋をでようとした瞬間、コンコンと控え目のノックが聞こえてきた。
「誰だろう?どうぞー」
「失礼します…」
すると部屋に入ってきたのは何かを持ったティアだった。
「本当に行ってしまわれるのですか?」
「あぁ、これ以上迷惑かけるわけにはいかないからなぁ」
「そうですか…それでしたらこちらを着ていってください」
そう言ってティアが和哉に渡したのは、いかにも魔術師が着そうなフードつきのローブとサングラスだった。
「これは?」
「和哉さんの髪と瞳の色は目立っちゃいますから。騒ぎにならないようにしたほうがいいと思ったんです…」
「黒髪と黒い瞳って目立つの?」
「えぇ、きっと人が見たら噂になってしまうと思います。ですからどうぞ」
ここを出て行く自分の心配までしてくれるティアに、和哉は胸が熱くなった。
「ありがとう、それじゃあ大切に着させてもらうよ」
そういってローブを羽織り、サングラスをつけた。明らかに異様な格好ではあったが、この程度では和哉が嫌がるようなことはなかった。
服を着て、刀を持つとティアと一緒に孤児院の外へと出た。孤児院は周囲を高さ一メートルほどの壁とその上にある五十センチほどの隙間の開いた柵に覆われ、入り口に馬車が通れるくらいの幅の門があるのだが、そこまで一緒に歩いていき和哉はティアへ向き直った。
「それじゃあ、行くよティア」
「はい…、さようならカズヤさん…」
何かを抱えた胸のうちを隠そうとしながらも、隠し切れずに辛そうな表情を出してしまっているティアを見ていると和哉は心が痛んだ。
「そんな顔するなって、きっとまた戻ってくるから」
「……本当ですか?」
「あぁ、俺は嘘をつくのは嫌いだからな。約束は守るさ」
「…わかりました。待ってますから」
ほんの少しだけティアが笑顔になったことを確認すると、和哉はティアの頭を撫でてやった。決してぞんざいに扱うようなことはせず、ただただ優しい手つきだった。
「それじゃあまたな」
そう言って和哉は走り去った。ただ単に勢いに任せて走っていったということもあるのだが、実は会って一日しか経っていない女性に対してあんなことをしたのは初めてで、その行動に対する照れ隠しの意味も極僅かながら含まれていた。
「それじゃあまたな」
ニコッと笑うとそう言ってカズヤさんは走っていってしまった。
「カズヤさん……」
撫でられた頭に手をやり、ティアは少しぼんやりしていた。まだほんのりと手の暖かさが残っており、それがティアの辛さを少しだけ和らげた。
「また、会えるといいな…」
贅沢な望みではない。ただもう一度会えるといいなという普通の願いを呟いた。
「でも私のあんな態度見たんじゃ、きっともう戻ってこないよね…」
俯きながらそう言って孤児院の中に戻ろうとする。
すると遠くから馬車の音が聞こえてくる。最初は小さかった馬の足音がだんだんと近づいてきて、孤児院の直前で少し小さくなった。どうやらここに入ってくるようだった。
「お客様かしら、でもここに馬車で来る人なんて………まさかっ…」
ティアは一番当たって欲しくない予想を思い浮かべたが、次の瞬間視界に入った人物を見て、その予想が的中してしまったことに愕然とした。だがすぐに立ち直って、孤児院の玄関へと向かう。玄関に入る直前に、馬車から降りてきた男に捕まえられてしまったがかまわずに大声で叫んだ。
「みんなっ!早く裏口から逃げてっ!!」
その声を聞いて子供達は何が起きたのかと部屋から飛び出した。
「姉ちゃんっ!!」
「おねえちゃんっ!」
「おねーちゃんっ!」
三人の子供達は、男に捕まえられたティアを見て、狂ったように叫ぶ。
子供達のうち、唯一男である子供はどこからか剣を持ち出して玄関を飛び出し、男に向かっていった。
「姉ちゃんを離せっ!」
「やめてっランド!!私のことはいいから早く二人を連れて逃げてっ」
ティアの言葉を無視し、ランドと呼ばれた少年は男に斬りかかろうとした。しかしティアを捕まえた男の脇には剣で武装した三人の男が立っており、一人ずつランドに向かってくる。ランドは一人目の攻撃を上手く剣でいなすと腹に蹴りを入れる。間髪いれず二人目が剣を振り下ろしてくるが、それを寸前で交わし相手の懐に飛び込んで顔面を殴り飛ばした。
ランドの攻撃の避け方は明らかに素人とは言いがたい動きだった。だが、三人目の動きは他の二人とは別格でランドの動きにあっさりと対応してきた。鍔迫り合いの形となり、なんとかいなそうとするも、力が拮抗しているためかそれを行うことが出来ない。そんな中三人目の男は嘲る様に笑いながら、ランドに話しかけてくる。
「ほぉ、ずいぶん威勢がいいな。流石あの糞爺に鍛えてもらってただけのことはある」
「うるせぇ早くそこをどけっ!」
「はっ口だけは達者だな。だがなぁ俺ばかり気にしていていいのかぁ?」
「なんだ…ぐわっ!」
「ランドッ!!」
三人目の男の会話によって意識をそらされたため、復活してきた二人の動きに気付かず後ろから武器で殴られる形となってしまった。無防備な背中を思いっきり叩かれたため地面に膝を着く。目の前でランドが殴られるのを見たティアの悲痛な叫びが響いた。
「ぐっ…ひ、卑怯だぞ」
「卑怯?バカいってんじゃねーよ。それが普通なんだよ」
後ろから殴るだけじゃ飽き足らず、三人目の男は膝を突いたランドを踏みつけて地面に伏せさせると見下ろすように言葉を吐く。
「もう…もうやめてくださいっ!この子たちにはこれ以上手は出さないでください。お金もあるだけあげますから!お願いしますっ!!」
目から涙をこぼしながら懇願するティアを見ながら、ランドを踏んでいる男はランドから足をどけて下卑た笑い声をあげながら、ティアに近づき人差し指と親指でティアの顎を軽く上げる。
「そうだなぁ、お前が俺の奴隷になるって言うなら許してやってもいいかな」
「……っ!?………わかりました、なります!なんでもしますからもうやめてっ!」
自分一人が犠牲になるだけですむならとティアはそれを受け入れることにした。恐怖のあまり手も足も震えていっそ意識を失ってしまったほうが楽じゃないのかと思うほどだった。
そうやって怯えるティアを身ながら、まるでその反応が予想通りのものだったかのようにその男はニヤリと嫌な笑いをみせた。
「オッケー、交渉成立だな。そんじゃあお前らこの地面にはいつくばってるゴミをさっさと縛って、中に残っている餓鬼も連れて来い」
「えっ……どういうことですか…子供達は許してくれるんじゃないんですかっ!」
(なんで、私が犠牲になればよかったんじゃないの?どうして?)
予想外の行動を行い始めた男に対して困惑する。だが傷ついたティアを更に地面に叩き付けるような答えが返ってきた。
「あーん、何言ってんのお前?俺が許したのは俺に攻撃してきたあのゴミの無礼な態度だけで、別に連れて行かないとは言ってねーよ。あとさぁお前自分の立場わかってんの?お前が最初から捕まってる時点で誰がお前の言うことなんて聞くんだよ」
この男は大きな笑い声を上げつつ心底楽しそうだった。ティアが自分の言った言葉に絶望したところを見て、その笑い声は更にエスカレートしていく。
「酷い……酷すぎる…こんなのって…ないよ。誰か…誰か助けて…助けてよぉ」
子供達を守るために自分を犠牲にしようとした心さえも踏みにじられ、ティアは泣き叫んだ。この世にもういない人とそして、ここにはもう戻ってこないだろうという二人に向けて。
その瞬間ティアをがっしりと掴んでいた手が緩まり、別の誰かがティアを優しく抱き寄せた。
「カズヤ…さん?」
「あぁ、待たせてごめんな」
こちらを向いて、すまなそうに苦笑する和哉を見て、ティアは今度は嬉しさで泣き出しそうだった。
今回主人公戦闘してない…
次回はきちんと戦闘させます
ただ凄く短くなりそうな予感(^^;)