第9話:魔物
「やっぱりこの状態だと速いな」
強化の魔法を身に纏い、和哉は平原を疾走していた。
目まぐるしく変わる景色を横目に、なお速度は落とさず目的地の森へと駆けて行く。
ギルドを出た後、ギルドの傍にある厩舎で馬を借りて森へ行くこともできたのだが、強化の魔法の練習とおそらく自分で走ったほうが速いという考えから、和哉は自分の足で行くことに決めた。
肌に触れる風は昨日までの雨のためか、ひんやりとしており走ることで熱を帯びる身体を冷ましてくれる。
「久しぶりに運動出来て気持ちいいな。やっぱり俺は家に篭ってるのは性に合わんよ」
誰に言うわけでもなく、独り言をいい和哉はなおも走り続けた。
「ここか、思ったより早く着いたな」
和哉の考えどおり、自分で走った方が遥かに速く、馬で三十分の距離をたった数分で走破してしまった。
森の外から中を見ると、木々が生い茂っているが、日が差し込まないほどの森ではなく、木々の隙間から日光が漏れているため、適度に明るい森だった。
仮にこの森が鬱蒼としており、日が差し込まないほど暗い森だったならば、とてもじゃないが初心者に勧めるような場所ではなくなる。
初心者は言うまでもなく場数を踏んでいないため、敵の動きをほぼ視覚任せで認識している。そのため相手が見える場所であれば、なんとか動くことが出来る程度には大丈夫なのだが、暗い場所や遮蔽物の多い場所などは、難度が飛躍的に上がる。
たとえ相手が弱い魔物だといっても、死角から攻撃されれば、視覚に頼って行動する初心者はそれだけでパニックになるだろう。そして一度平常心を失ってしまえば、後は立て直すことも出来ずにやられていくのである。
そのような点も踏まえて、この森は絶好の腕試しの場所といえるようだった。
「それじゃあ確認しておくかな」
和哉は腰につけたウエストバッグから、徐に今回の依頼に関しての詳細が書かれた紙を取り出した。
今回の依頼は初心者向けの魔物討伐であり、討伐対象はゴブリンとプチウルフであった。
(えっと、ゴブリンは十五匹、プチウルフも十五匹倒せばいいんだな。それ以上倒した場合には十匹毎に報奨金が二十パーセント増えるのか)
持ち出した紙を流し読んでいく。その紙にはそれぞれの魔物の基本的な特徴や、生態などが書かれていた。
(ゴブリンは、体長九十センチメートルほどの緑色をした生物であり、手には木で作られた棍棒を持ち、主に三匹一組で行動しているっと。三匹って聞くと結構厄介な気がするんだが……まぁこれは戦ってみないとわからないだろうな。一応フォーメーションを組んでくる形と、三匹同時攻撃を仕掛けてくるパターンを想定しておくか。それでプチウルフのほうは体長六十センチメートルほどで、牙を剝き出して噛み付いてくるのか。普通に狼みたいだな…プチって言うくらいだからちょっと小さいけど。直線的な動きをとってくるだろうな)
頭の中にその内容を叩き込んでいき、自分なりの解釈を取る。いくら巷で弱いといわれていようとも、和哉にとって魔物と戦うのはこの世界で初めての体験であり、ある程度の行動の予測を立てておこうと考えておくのはごくごく自然なことであり、何かが起こってから考え始めるのでは、遅すぎるということは元の世界で身に染みて理解していた。
ある程度の推測を立てた後、森の中へ進んでいくことにした。
地面は昨日までの雨によって、若干ぬかるんでいる所もあるが、気にするほどでもなかった。どこからか鳥の鳴き声が聞こえたり、がさがさっと物音が立てられたりしている。
周囲の気配に気を配りつつ、暫く進んでいく。するとこちらに接近しているものの気配を感じ和哉は刀に手をかけた。
その動作の直後、間髪いれずにガサガサッという音と共に、和哉の正面から三匹のゴブリンが姿を現した。
事前に読んでおいた資料通りの大きさであり、顔は酷く醜く歪んでいた。手には自分の顔と同じくらいの太さの棍棒を持っており、ギシシシと空気が歯の間から漏れるような笑い方をしている。
ある意味予想通りのフォーメーションを組んでいたゴブリンの姿を見て、これなら確かに最弱と思われていても仕方ないかなと苦笑した。
ゴブリン達は和哉の姿を見ると三匹同時に走り出してきた。
動きは直線的なものであり、さらに走り出したといっても、どたどたと鈍重さを醸し出しながら向かってくるため、対処するのは簡単だった。一匹目を居合いで斬り飛ばし、その残骸を受けて近づいてくるのが更に遅くなった
残りの二匹にこちらから近づき、袈裟斬りとその斬り返しであっという間に三匹を倒した。
「ふうっ……っと!」
魔物との初戦闘は斯くもあっさりと終わり、軽く一息ついたところに側面から近づいてくる気配に気付いた。するとすぐさま左手に鞘を持ち、鞘で飛び掛ってきた物体を弾き飛ばした。キャンッと犬のような鳴き声が聞こえたかと思うと弾き飛ばした方向には、今回のもう一つの討伐対象であるプチウルフがなおも牙を向けていた。
「少しばかり危なかったな…」
少しだけ油断をしていた自分自身を戒めるかのように、両手で頬をパンと叩くとプチウルフに身体を向ける。ガルルルとこちらを威嚇するが、距離をつめることはせずに、こちらの隙をうかがっているようだった。
(さっきまでは一度も見かけなかったのに、戦闘を行った直後に出てきた……ということはやっぱりあの臭いに敏感なのか?)
鞘を腰に戻し、両手で刀を持って牽制しつつ、思考を続ける。あの臭いとはゴブリンの死体が放つ臭いである。和哉は血液と体液が混ざった臭いは、魔物を寄せ付けるのではないかと考えていた。実際に人間である自分が嗅いでも、強烈な臭いを放っていたためそれは間違っていないはずだと確信した。
(つまり、倒した魔物の近くにはなるべく居続けないほうがいいってことだな)
そこまで考慮すると、一度この場から遠ざかるために刀を鞘へと納め、相手に背を向けることなく走り出す。プチウルフは当然獲物である和哉を追いかけてきた。ある程度先程の場所から離れたところで、一気に切り返しプチウルフへ近づく。突然距離をつめた和哉に飛び掛ってくるプチウルフだったが、和哉の居合いによって首を斬り飛ばされ絶命した。
「なんとかなったな」
さっと刀を振って血を払うと、鞘に刀を戻す。
一連のやり取りの間、騒がしかったのが嘘であるかのように森は静寂を保っている。
和哉は自分の手を開き、ぐっと握り締めて顔を上げる。
「一応奴ら相手なら大丈夫みたいだな。よしっこの調子で予定数を上げてみんなのところへ戻るとするか!」
語調を上げて、みんなの待つ孤児院へと早く帰るために、和哉は討伐を続けはじめた。
暫くの間討伐を続けたため、昼を少しまわった頃にはノルマ以上の成果を上げていた。最初の内は刀を使っていたものの、少しでも操作を出来るようにと途中からは魔法も使うようにしていた。
孤児院から出られなかった一週間の間に、魔法をこつこつ練習していた成果が出たのか、ある程度威力の制御なども行えるようになった。そして無詠唱にすることによって、自分のイメージ通りの魔法が使えるようにもなっていた。和哉本人にもよくわかっていないのだが、通常の詠唱は威力の強弱の設定がしやすいが、元が下級の魔法なため単純な現象(例えば火の魔法ならば、火球が一つ飛んでいくといったもの)しか起こせないのだが、無詠唱は威力が下がる分複雑な現象(こちらは火球の数をイメージするとある程度の数までならその通りに出せる)を起こせるようになっていた。
きっかけは孤児院の中で結界の魔法の練習をしていたときに、コップを覆う結界の形を考えながら無意識に発動してしまったことなのだが、それを見てやはりティアは目を丸くし、残りの三人は目を輝かすといった見慣れた光景が出来てしまっていた。
ともあれ今回の実践において、使用が確認できたことは和哉にとって御の字だった。この世界で生きていくためには、自分の力をしっかりと理解し、出来ることとできないことを見定めないといけないと考えていたからだ。
(そろそろ帰るとするかな…)
和哉も帰途に着こうと考え始めていた矢先に、また魔物の気配を感じた。
(ちっ面倒だな、さっさと終わらせるとしよう)
頭の中で舌打ちをし、刀に手をかけると目の前にゴブリンが一匹姿を現した。
(一匹だと?…ということは他にもう二匹いるはず………)
今までと違うゴブリンの現れ方に違和感を覚える。だがそんな思考はすぐ捨て置き、正面でこちらを見て身構えている一匹へ牽制をしつつ、周囲への警戒を怠ることを忘れず行う。ゴブリンとのにらみ合いが続き、痺れを切らしたのか正面のゴブリンが突進してきた。
「そこだっ!!」
その瞬間に和哉は自らの背後に向き直って刀を振りかざし、ギャギャッという奇声が聞こえたかと思うと突進してきたゴブリンに目もくれず、サイドステップで突進を交わして、がら空きの背面に手を翳す。
(炎よ!)
頭の中に三つの火球をイメージする。無詠唱により複雑化された火の魔法は、イメージ通りに火球を顕現し、ゴブリンを焼き尽くした。
一瞬にして、襲ってきた三匹のゴブリンを退治することは出来たが、和哉はそんなことを考えずに、今起きていたことを冷静に思い出していた。
(あいつらの動き……決して良くはなかったが、全くの初心者があれに対応できるのか?事前に情報を知っていたとしても、ある程度戦闘を行っていなければ、手傷を負ってもおかしくないと思うんだが…)
ゴブリンは集団で行動しているにもかかわらず、この世界では初心者向けの最も弱い魔物と認識されている。実際に和哉も、先程の三匹に会うまではその通りだと思っていた。だがあの連携を見る限り、その評価との差に違和感があった。一匹が囮となり獲物の注意を引き付けておくことで、残りの二匹が背後から獲物に近づき攻撃する。単純で誰にでも思いつくような策だが、とても合理的で有効な策である。和哉はこれが最低ランクの魔物に簡単に出来るとは思えなかった。
(今まであんな動きをしていたやつはいなかったが、たまたま強い一隊と当たっただけなのか?)
どこか腑に落ちない感覚を持ちつつも、早くこの場から去ってしまおうと考えた。
だが次の瞬間、向けられた殺気に気付き咄嗟に振り返った。
――バキバキッ
――ミシミシッ
今まで出てきていたゴブリンやプチウルフなどの気配とは、比にならないオーラを発しながら、自らの進行を妨げる木をいとも簡単になぎ払っているようだった。
そしてなおも一直線にこちらへと近づく足音に、既に鞘に収めていた刀に手を当て、身構える。
得体の知れない感覚に、自然と冷や汗が流れる。衝突は避けられないと呼吸を落ち着かせ接触を待つ。
だが予想外の存在に口から言葉が出るのはとめられなかった。
――グォオオオオオオオオオオオオオオオン
「なんだ……こいつ…」
獣の嘶きが聞こえたその刹那、和哉の眼前へと姿を現したものは、毛にまるで鋼のような光沢を携えた巨大な黒き狼だった。
次回も戦闘が続きます