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ベッドの上:「マサキが悪いんだから」

「さて、と……」

 食事を終えて宿に戻り、手を洗ったところで玲蘭レイラが声を発した。

「マサキさぁ……」

 少し声が低い気がして、思わず身構える。

「……なに」

「とりあえずそこ。座んなさい」

 ベッドを指さして玲蘭が命じる。断るすべはない。言われたとおりに腰を下ろした。古いホテルだけど、ベッドは意外とスプリングが効いていて座り心地がいい。


 座った真咲の正面、圧をかけるように玲蘭が立ちはだかった。

「あたしのこと、ごまかそうとしたじゃん?」

「え?」

 ああ、彼氏云々のことをまだ怒っているらしい。そんなに根に持たれるようなことをしてしまったのだろうか。

「そういうわけじゃ……」

「あのね。あたしたちがやっているのは、2人旅なの。だからあたしたちはね、お互いに、お互いのこと信頼しながら北を目指すの。お互いにごまかし合って過ごしてたらね、すぐに破綻はたんするわ」

 なるほど、言っていることはまったく間違っていない。

「うん」

「うんじゃない。少しは頭使いなさいよ」

 相変わらずダメ出しが厳しい。

 しかし、そういう理論であれば、絶対的に自分が悪いのだろう。そう思ったから素直に謝罪することにした。

「ごめん、悪かったわ」

「許さない」

 即答されたから、少しへこんでしまった。


「……そもそも、あんな大それた嘘をつき続けた人だったんだわ、マサキって」

 自身の胸の前で、玲蘭が傲然ごうぜんと腕を組み直す。経歴詐称のことを言われるとぐうの音も出ない。これに関しては今後も、ちくちくと責められ続けるのだろう。

「嘘もごまかしも、平気なんでしょ」

「……そんなことない」

 慌てて否定した言葉は、狭いホテルの部屋に虚しく響いた。

 結局、あれが明るみに出た時点で信頼というものは底をついているのだ。この状況下では、何をどうやって言いつくろっても無駄なのかもしれない。


「お仕置きがいるわね」

「へ?」

 不穏な言葉の意味を理解する前に、膝にドサッと重みがかかった。真咲の膝の上に玲蘭が座ってきたのだ。

 柔らかくて温かい感触。太ももが少し圧迫されるけれど、重すぎるということは決してない。我慢できるほどの重みだ。

 玲蘭は真咲の肩に腕を回すようにして密着してきた。豊満な胸を押しつけられたからドキッとした。


「……い……っ!」

 それと同時に痛みに襲われた。勝手に声が出た。

 すぐに理解する。玲蘭が耳に噛みついてきたのだ。

「あ、……あの、痛……いっ」

 無視されるかと思ったけれど、意外にも玲蘭は解放してくれた。食いつかれた耳たぶがヒリヒリと痛んでいる。

「痛くなきゃお仕置きにならないでしょ?」

 耳元に唇を寄せるようにして、こそこそとささやかれた。その吐息がくすぐったくて、つい身をよじってしまう。

 しかし、甘い気分に浸ることは許されなかった。

「噛みちぎったりしないから我慢なさい」

 どうやら、お仕置きが終わったわけではなかったらしい。玲蘭は再び、真咲の耳たぶをガブリと噛む。


「う……」

 再びの痛みに思わず声が漏れる。感触が尖っていて妙に痛い。

 察するに、前歯で噛みつかれているのではなく、犬歯を立てるように噛まれているようだ。噛みちぎらないとは言われたけれど、メチャクチャに痛い。意識とは無関係に、涙が出そうになった。

 耳がじっとりと濡れるような感覚もある。おそらく玲蘭は、噛みついた状態のまま耳たぶの先を軽く舌でなぞっているに違いない。

 体が密着しているせいか、少し体が熱いように感じた。もしかすると、自分の身体が、顔が、火照ほてっているだけなのかもしれない。

 少し体重をかけられているから、真咲はベッドに手をついて玲蘭を支えているような体勢になる。ずぅんとした重みがかかって、腕が少し疲れてきた。


「ん……」

 燃えるような激痛と重みに耐えていたら、少し息が漏れてしまった。少しだけ、噛みつく力が弱まった。

「息、荒くしちゃって。やらしー」

 息が荒くなっている自覚はなかったけれど。そう言われてしまうのなら、きっとそうなのだろう。頭がフワフワしてきた。思考がにぶる。


 この旅行を始めてからというもの、隙あらばいじめられてしまう。日中は、天使みたいに見えるひとときもあったのに。邪気のない、可愛らしいお嬢様だと思って接していると、急に悪魔みたいな態度が飛び出す。

 玲蘭のスイッチが入る瞬間を真咲はうまく見極められない。ふとしたことがかんに障るようだ。しばらく一緒に過ごせば、そのあたりのさじ加減を把握できるようになるだろうか。……いや、無理な気がする。

 とにかく、今は耐えるしかないのだろう。


 何分くらいそうされていたのか、まったく分からない。自分の頭の中の、時間の流れを把握する部分というものが、麻痺してしまったのかもしれない。

 しばらくしてから玲蘭は歯を立てるのをやめて、耳元に唇を寄せたまま囁いた。

「痛かったの?」

 同情するような声だった。黙って頷いたら、ぺろりと耳たぶを舐めてきた。

「かわいそうなマサキ」

 どういうつもりなのかはよく分からないけれど、彼女はまた急に態度を軟化させた。このお嬢様の気性はコロコロ変わる。

「でも仕方ないの。マサキが悪いんだから」

 今日一日でさまざまなダメ出しをされたから、今しがたされた行為についても玲蘭の主張が正しいのだろう。それでいて、謝ればまた怒られる。どうにも、手詰まりを感じる。


 ぼーっとする頭で、この場のいざこざを収める方法を考えた。だけど、うまく思考できなかった。とりあえず自分の手をベッドから離し、ゼロ距離にいる玲蘭の腰に回す。そのまま、強く抱きついた。

 なにか、お嬢様をなだめる言葉を思いつけないかとあがいたけれど、うまい言葉が見つからない。だから、無言でとにかく強く抱きついた。


 玲蘭とはかつてパーティーの場で多少の会話を交わしたことがあるとはいえ、実質昨日や今日が初対面に近い。そういう相手と、交流初日からキスをし、ハグをし、ひざまずかされて口に指を突っ込まれ、あげくの果てには耳まで噛まれて。

 こんな関係性は不健全だと思う。


 そこまで考えて、急に記憶が蘇った。

「コーヒー、さぁ」

 玲蘭にぎゅうっと抱きついたまま、ごく小さな声で言う。

「私が好きなの、レーラは覚えててくれたのよね」

「……唐突ね。急に何」

 その声色は柔らかかった。


 そうだ。玲蘭と初めて出逢ったあのパーティーのとき、真咲は玲蘭の前でコーヒーを飲んでいたはずだ。パーティーだからといって、社長のサポートを担う秘書がお酒なんて飲むべきではない。当然の判断だ。


『コーヒー、好きなんだ?』

 そうだ。あのとき玲蘭にそう尋ねられた。だから確か、『はい』と答えて微笑んだように思う。

 玲蘭が真咲の一番好きな飲み物をピンポイントで選んだのは偶然ではなく、真咲の好みをちゃんと覚えていてくれたからに違いない。


「あのね。濃いブラックコーヒーを飲むときのマサキの眉間には、ほんのわずかにシワが寄るの」

 ベッドの上で抱きしめたままの玲蘭が、真咲の耳元に唇を寄せるようにしてつぶやいた。妙な指摘を受けたものの、そういう自覚は全く無い。

「自分をいじめるみたいにブラックを飲む人だと思った」

 玲蘭がしゃべるたびに、耳元に吐息がかかってくすぐったい。


「だからね。マサキは絶対にマゾだと思った」

「まぞ……」

 急に、変なことを言われてしまった。玲蘭から投げられた言葉を、脳がうまく処理してくれない。

「まぞ、って……」

「ドMってこと」


 いわれのない誹謗中傷だと思う。だから言い返した。

「ブラックコーヒーを飲む女はマゾってこと?」

「はい論理破綻。誰もそんなこと言ってないじゃん? あたしは、マサキがマゾだって直感的に気付いたってだけ」

「えぇ……」

 それにしても2人は、ぎゅっときつく抱き合ったまま、なんてあけすけな会話をしているのだろう。あまりのことに、目眩めまいがしてきた。

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