第29話:赤字の咆哮(孤独なオーナーと、震える指先)
「働き方改革」を断行して二週間。ケニーの執務室にある魔導集計機が弾き出した報告書は、目を覆いたくなるような惨状だった。
1. 崩壊する収支計算
「……前月比、売上3割減。人件費は1.5倍か」
深夜営業を止めたことで、街道を往来する深夜便の売上がごっそり抜け落ちた。さらに、スタッフに「人間らしい生活」を保障するために導入した各種手当が、利益を食いつぶしている。
この若々しい20代の肉体には不釣り合いな、あの胃を雑巾のように絞られる「資金繰りの恐怖」が、前世の記憶と共に濁流となって押し寄せてきた。かつて前世で、3店舗のコンビニを必死に回していた49歳の自分が感じていた、あの絶望的なまでの動悸が、今、この若く力強い心臓を早鐘のように叩いている。
王家や他国の特権階級へ支払う「店舗設置料」や「上納金」の期日は刻一刻と迫っている。
「奴らは現場がどれだけ救われようが関係ない。ただ『約束の金』を求めてくる」
2. 逃げ場のない孤独と重圧
深夜、灯りを消した執務室で、ケニーは冷え切ったコーヒーを喉に流し込んだ。
20代のしなやかな指先が、止まらない。
明日、王宮の監査官が来れば、この赤字をどう説明する?
「改革を止めて、元の『24時間搾取』に戻せ」と言われたら、俺はスタッフの笑顔を守り切れるのか?
(誰か……誰か代わってくれ。誰か俺を助けてくれ……!)
中身は49歳のベテラン経営者。だが、この若く鋭敏な肉体は、その重圧を前世以上に生々しく、鋭い痛みとして感じ取ってしまう。異世界の夜の静寂の中で、情けなく叫びたくなった。
だが、経営者の代わりはどこにもいない。何千人のスタッフの生活も、信頼してくれているソラリスの未来も、すべてはこの震える指先が握るペン一本にかかっているのだ。
3. ソラリスの静かな、しかし重い献身
「ケニー様……。まだ、灯りがついておりますわね」
扉の隙間から、ソラリスが不安そうに顔を覗かせた。
いつもの冗談を言う余裕さえ、今の彼女にはない。ケニーから発せられる絶望的なまでの「重圧」と、彼が背負っている「責任の重さ」を、彼女は肌で感じ取っていた。
「……ああ。もう少し、資金の繰り回しを考えたら寝るよ」
20代の張りのある声で、精一杯の虚勢を張るケニー。その横顔は、経験に裏打ちされた老成さと、若さゆえの危うさが混ざり合い、ひどく脆く見えた。
ソラリスは彼に抱きつきたい衝動を抑え、ただ静かに、彼の机に温かいスープを置いた。
4. どん底からの「一歩」
ケニーは、数字の羅列で滲む帳簿を閉じ、再びペンを取った。
「……逃げられない。これは俺が始めた、俺の戦いだ」
綺麗事では飯は食えない。売上が落ちたなら、どう「質」で補うか。
泥水を啜るような、一円、一ポイントを積み上げる「真の経営」がここから始まる。
「一歩ずつだ。……まずは明日、王家との交渉を死ぬ気でやる。……それしかない」
窓の外では、営業を終えた店舗の「消えた灯り」が、暗闇の中で微かに、だが確かに「スタッフの休息」という静かな価値を証明していた。




