第160話:最強のイグジット(提示された金貨と、49歳の決断)
王都の中心に位置する第801支店。
深夜の店内に、漆黒の外套に身を包んだ初老の男、ギルバートが現れた。彼は大陸の裏社会を牛耳る『黄金の天秤』の顔役だった。
「私が『黄金の天秤』のギルバートだ。……オーナー・ケニー。この800店舗の権利とシステム、我々に譲れ」
ギルバートは外套の懐から、重々しい革袋を取り出し、カウンターに叩きつけるように置いた。ジャラリ、と中から溢れ出したのは、純度の高い大金貨の山だった。
「この国の国家予算の三年分だ。断れば、武力で奪う。賢い経営者なら、この金を受け取って静かに余生を過ごすことだな」
圧倒的な資本力による暴力的な買収提案。
バックルームの隙間から見守っていたソラリスとショウが、絶望に息を呑んだ。
1. 経営者の算盤
ケニーは、山積みになった金貨をじっと見つめた。
そして、ゆっくりと息を吐き出すと……呆れたように肩をすくめた。
「ギルバートさん。あんた、小売りを舐めてるな」
「……何? 命が惜しくないのか」
「そうじゃない。 『安すぎる』 って言ってるんだ」
ギルバートの氷のような目が、初めて驚きに見開かれた。
ケニーはカウンターに両手をつき、冷徹なビジネスマンの顔で相手を射抜いた。
「国家予算の三年分? 寝言は休み休みに言え。俺の作ったインフラは、すでにこの大陸の血流だ。今後10年で生み出す利益と、顧客のデータベースの価値を考えれば、こんなハシタ金じゃ話にならない。……売って欲しけりゃ、この金額の『五倍』だ。それに加えて、現行の全スタッフの雇用維持と、給与水準の保証を魔力契約で結べ。それが条件だ」
2. 成立するディール
「五倍だと……!? 貴様、足元を見るにも程があるぞ!」
「買えないなら帰れ。こっちは明日も品出しで忙しいんだ。武力で来るなら、全店舗の物流を止めて中身のない空箱にしてやる」
ケニーのハッタリのない、底知れない強気な態度。
ギルバートはギリッと奥歯を噛み締めたが、やがてその表情を崩し、不気味に笑った。
「……ククク、ハハハ! 現場上がりの狂信者かと思えば、とんだ強欲商人だ。いいだろう。その条件、飲んでやる。我々にとっても、ここで物流を止められるよりは安い買い物だ」
ギルバートが指を鳴らすと、背後に控えていた部下が、とんでもない量の金貨が収納されたマジックバッグと、絶対の拘束力を持つ『魔導契約書』を提示した。
ケニーは契約書にスタッフの保護条項が完璧に組み込まれていることを確認すると、迷いなく自身のサイン(魔導印)を刻み込んだ。
3. 看板を下ろす日
「ディール成立だ。今日からこの800店舗は、あんたたちのものだ」
ケニーは首から下げていた、全店舗のマスターキーである魔導端末を外し、カウンターにコトッと置いた。
ギルバートは満足げにそれを手に取った。
「賢明な判断だ、元・オーナー。お前は莫大な富を得た。せいぜい長生きして使い切ることだな」
ギルバートたちが去った後の店内。
呆然とするショウと、目を丸くしているソラリスの元へ、ケニーは振り返った。
「オーナー! ほ、本当に売ってしまったんですか!? 僕たちの店を!」
ショウが泣きそうな声で叫ぶ。
「ああ。高く売れる時に売る。商売の基本だろ? それに、お前たちの雇用と給料は契約書で完璧に守った。今まで通り、目の前の客を大切にして働けばいい」
ケニーはショウの肩をポンと叩き、優しく笑った。
「俺はもう、十分にやったよ。これ以上組織が大きくなったら、一人のお客さんの顔も見えなくなっちまうからな。……それに、ちょっと働きすぎた」
4. 第1部・完
ケニーは、バックルームから自分の荷物を詰めた小さな鞄を持って出てきた。
そして、隣に立つソラリスの手を、そっと握る。
「さて、ソラリス。とんでもない大金持ちになっちまったが……どうする? ずっと働きづめだったし、少し長い旅行にでも行こうか」
「ふふっ。そうね、ケニー。あなたが夜中に起きなくていい生活なんて、なんだか不思議な気分だけど……どこへでもついて行くわ」
二人は、煌々と輝く24時間の明かりに背を向け、静かな夜の王都の街へと歩き出した。
異世界で一人の男が立ち上げた小さなコンビニエンスストアは、こうして伝説となり、彼らの手を離れた。
肩の荷を下ろした49歳の男の背中は、今までで一番、軽やかで自由だった。
【第一部・異世界コンビニ無双編 完】




