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第7話(ノクシアがいない夜、未来の扉)

焦げた大地に、風が吹き抜けた。

 雷鳴の余韻はもう遠く、残っているのは草木の焦げた匂いと、血のように濃い魔力の残り香だけだった。


 地表にはまだ熱がこもり、踏みしめるたびにじわりと靴底が焼けるように熱を帯びる。裂けた土の隙間からは細い煙が立ちのぼり、鼻を突く焦げ臭と混ざり合って胸の奥をむかつかせるように満たしていた。時おり、ぱち、と小さな火種がはぜる音がして、耳に不気味な残響を残す。


 その中心に、ひとりの少年が横たわっていた。

 カゲナ――。

 彼の胸は浅く上下し、かろうじて生きていることを示している。


 リアはその手を握ったまま、動けなかった。

 震える指先に伝わる体温だけが、兄がまだここにいる証のように思えた。


 ミレイナとクレアナは目を合わせた。

 だが、剣を抜くことも魔力を放つこともない。

 戦うべき相手がもういないことは分かっていた。

 それでも、二人の警戒心は解けなかった。

 この静けさは、ただ戦いが終わっただけのものではない――そう直感していたからだ。


 空に浮かぶライゼンもまた、雷を纏わず、ただ瞑目している。

 白銀の毛並みを風に揺らしながら、彼女は何もせず見守っていた。

 それは無関心ではなく、試すように、そして受け止めるように黙って立っているのだった。


 大地にはまだ熱が残り、焦げ跡からは煙が細く立ちのぼっている。

 その微かな音さえ、すぐに消え入りそうなほど辺りは静まり返っていた。


(……静かすぎる)


 リアは息を呑む。

 胸の奥に、説明のつかない違和感が広がっていく。

 耳を澄ませば、聞こえるはずの“あの声”がない。

 兄の中にいるはずの存在――いつもなら暴れてでも顔を出す、悪魔の気配が、影のかけらすら残していない。


(ノク……どうして、何も……)


 名を呼ぼうとした唇は震えただけで声にならなかった。

 だが、その沈黙はリアにとってかえって重く、恐ろしいものに思えた。


 ただ、兄の体温だけを確かめるように、リアは強く手を握りしめ、目を伏せた。





ライゼンの先導で、一同はその場を後にした。

 さっきまで敵のように見えていた魔獣たちも、牙を収めて静かに従っている。彼らは戦う相手ではなく――雷の神獣ライゼンと絆を結んだ“仲間”だったのだ。


 やがて一同は家の結界をくぐり、地下1階の共用スペースへと戻った。


 広間の奥には布団が一組だけ敷かれていた。厚く重ねられた掛け布の上に、カゲナは静かに横たわっている。すぐそばの棚には薬瓶や布が整然と並び、横の小さな机には水晶の器が置かれて淡い光を放っていた。戦いの直後とは思えないほど、整えられた静かな空間だった。



 クレアナの癒しの術がかけられ、焦げ跡や裂傷はじわじわと閉じていった。淡い光がカゲナの体を包み、やがて消えると、傷跡は薄い痕跡だけを残して消えた。


「……妙に静かです」

 クレアナが小さくつぶやく。

 彼女の視線はカゲナの胸に注がれていた。そこから感じられるはずの気配――悪魔の残滓も、魔力のうねりも――何ひとつ残っていなかった。


 リアはそれに気づかぬまま、兄の手を強く握り続けていた。


 時間は、重たくゆっくりと過ぎていった。魔光石の灯りは時折かすかに明滅し、壁に映る影が長く伸びたり縮んだりする。どこからか滴る水音がひとつ、またひとつと響くたび、待つ者の心を余計に沈めた。


 リアの瞳は涙で滲み、こらえきれずに頬を伝いそうになる。兄の手を握る力だけが、今の彼女を支えていた。――もし、この体温まで失われてしまったら。そう考えると、指先に込める力は自然と強くなった。


 ミレイナは椅子に腰かけ、腕を組んでいた。一見冷静を装っているが、その眉間には深い皺が刻まれている。彼女はじっと弟の寝顔を見つめ、ほんの少しでも息が乱れると立ち上がりそうになるほど神経を尖らせていた。


 クレアナは術を維持しながら、時折目を伏せた。計算では危機は脱した――それでも胸の奥にしつこい不安が残る。彼女は無意識に胸の前で指を組み、祈るように呼吸を整えていた。


 どれほどの時が過ぎたのか。

 魔光石がひときわ明るく揺らいだ瞬間、カゲナは、重たく沈んでいたまぶたをゆっくりと持ち上げた。


 視界に映ったのは、木の梁と、その間に吊るされた魔光石の淡い光。光は揺らめくようにぼやけて見え、しばらくどこにいるのかさえ分からなかった。


「……ここは……」

 かすれた声が、無意識に漏れる。


「家よ。もう無茶はやめなさい」

 返ってきたのは、冷ややかに突き放すような声だった。



 横を見ると、椅子に腰かけたミレイナが腕を組み、こちらを見下ろしていた。

 その表情は厳しいものだったが、瞳の奥にかすかな安堵の色が揺れていた。


 カゲナは身を起こそうとした。だが力が入らず、思うように動けない。

 試しに空間操作を発動させようとしたが、応答はなかった。

 胸の奥に呼びかけ、“心牙”を思い描いても――そこはただ、深い沈黙を返すだけだった。


「……なんか、静かだな」

 理由も分からぬまま、そんな言葉が口をついて出た。


「当たり前よ。自分がどれだけ無茶したか、分かってる?」

 ミレイナは吐き捨てるように言いながらも、ほんの少しだけ、声の調子が和らいでいた。

食事と会話



しばらくして、共用スペースの大きな机に食事が並んだ。

 煮込み肉の香り、焼き魚の匂い、香草の蒸気が部屋いっぱいに広がる。


「わっ、この魚……骨が多い!」

 リアが小声で文句を言いながら、器用に箸を動かす。


「文句を言う前に、ちゃんと味わいなさい」

 ミレイナは淡々と魚を口に運び、無駄な所作ひとつ見せない。


「鉄分も多いですし、消化にもいいですよ」

 クレアナは真面目に説明を続ける。その堅さにリアがむくれ顔をし、場が少し和らいだ。


「……クレアナ、食事中でも先生みたい」

「知識は力です。軽んじてはいけません」

「はぁい……」

 そんなやりとりに、微かな笑い声が混じる。


 その中で、カゲナだけは食欲がわかず、静かにスープをすすっていた。

 耳に届く声は心地よく響くのに、胸の奥にはぽっかりと穴が空いたような感覚が残っていた。


(……ノク。いつもなら絶対――肉だけ山盛りにして、魚なんか見向きもしないで……)


 思い出す。

 皿の肉を一気に掻き集めて、リアに「ずるい!」と怒鳴られ、口いっぱいに詰め込んでは「ノクの勝ちだ!」と笑う声。挙げ句の果てにスープをこぼし、クレアナに眉をひそめられて、しょんぼり肩を落とす――そんな騒ぎが、当たり前のように繰り返されてきた。


(……どうして、何も言わないんだよ……)


 呼びかけても返事はない。

 賑やかな食卓の中で、彼だけがひとり、静かな空洞を抱えていた。


クレアナからの告げ

食後、しばし和やかな時間が流れた。

 だが、やがてクレアナが箸を静かに置き、表情を引き締めた。


「――そろそろ、大切な話をしておきましょう」


 その声に、場の空気がすっと張りつめる。


「お二人には、数日後“島の学校”に行っていただきます」


 カゲナは手を止め、リアはぱっと目を輝かせた。


「学校? 絶対面白いに決まってる!」


 クレアナは頷き、言葉を続ける。


「ただし――入学の前に、いくつか段階があります。まず、能力や強さを測るための検査を受けてもらいます。その結果で、基礎クラスや指導者が決まります」


 一呼吸置いてから、声をさらに深めた。


「“島の学校”は、ただの学び舎ではありません。島全体が学びの場として造られています。街には知識を競う塔が立ち、森には魔獣と共に生きる術を学ぶ試練の小道があり、海では航海術と精霊との契約を、山では剣技と魔法の極致を試されます。そこでは、生きることそのものが授業であり、島のあらゆるものが師となるのです」


 リアは目を丸くして身を乗り出した。

「街も森も海も山も……ぜんぶが学校!? ――すごい、絶対楽しいに決まってる!」


 クレアナは小さく頷き、さらに付け加えた。

「それだけではありません。この家も特別に“学校”と繋がっています。結界を通じて、島の内部と直接つながる仕組みになっているのです。移動に不自由はありません。むしろ――選ばれた者しか、その道を通ることはできない」


 カゲナは思わず眉をひそめた。

「……つまり、僕たちはもう……」


「はい。すでに“学ぶ者”として迎え入れられている、ということです」

 クレアナの声には、淡々としながらも確かな重みがあった。


 リアは「ふーん」と小首をかしげながらも笑みを浮かべ、カゲナは逆に顔をしかめる。胸の奥に重たいものがのしかかり、言葉は出てこなかった。


「それに加えて、今回は特例です。“未来を見る魔王”に一度会ってもらいます」


「未来……を見る?」

 カゲナが思わず問い返す。


「はい。進むべき道を見定め、その力にふさわしい居場所を決めるためです。その者は、数多の世界を見通し、未来を示す存在。――その言葉ひとつで、人生の流れが大きく変わることもあるでしょう」


 リアは椅子から身を乗り出し、胸を弾ませた。

「未来が見えるなんて……! すごい、絶対に会ってみたい!」


 その隣で、カゲナは渋い顔のまま黙り込む。胸の奥でざわめきが広がり、目を逸らした。未来を見せられることが、自分の自由を縛るように思えたからだ。


「僕は……別に……」

 小さくこぼした声は、リアの無邪気な笑顔にかき消される。

 ――結局、何も言い返すことはできなかった。


 クレアナは二人を見渡し、落ち着いた声で締めくくった。


「――具体的な日程を伝えておきます。明日は能力検査と、“未来を見る魔王”との対面です。明後日は、学校生活に必要な物を買い揃える日。そして三日後――正式な入学式が行われます。そこからが、あなたたちの新しい生活の始まりです」


 クレアナは少し間を置き、さらに一つ大切なことを告げた。


「――そして、検査を受ける前に。お母様とお父様が帰ってこられます」


「……え?」

 リアが息を呑み、カゲナも思わず顔を上げる。


 母は長らく魔王の秘書として遠征に同行しており、父は魔王として任務に就いていた。

 その二人がそろって戻る――それは、ただの家族の再会ではなく、大きな変化の前触れを意味していた。



家族の話の余韻


 食卓に静寂が落ちた。

 リアは箸を握ったまま瞬きを繰り返し、期待に輝く瞳と、不安に揺れる影が交互に浮かんでいた。心の奥からは「やっと会える」という喜びがあふれてくるのに、その一方で「どんな顔をすればいいのか」「どんな言葉をかけてもらえるのか」――わからない未来に胸が締めつけられていた。


「やっと……会えるんだね……」

 小さくこぼれたその声は、喜びと震えを同時に孕んでいた。


 カゲナは胸の奥がざわつくのを感じた。

 再会を心から喜びたいはずなのに、頷くことができない。

 父が“魔王”であるという事実が、のしかかるように頭上に落ちてくる。

(魔王の子……僕は、そう呼ばれるのか……)

 その言葉が胸の内で何度も反響し、呼吸を重くする。

 期待よりも責任、喜びよりも重圧――その対比が心を締めつけて離さなかった。


 ミレイナは腕を組んだまま視線を伏せていた。

「……再会は、喜びだけで済まないわよ」

 その声には冷たさと、どこか覚悟を帯びた響きがあった。


 リアは不安げに姉を見上げた。胸の中で喜びと恐れがせめぎ合い、けれど言葉にはできず、唇をきゅっと結ぶしかなかった。



夜の静けさ


 その夜。

 皆が眠りについたあとも、カゲナは目を閉じても眠れず、ひとり布団を抜け出した。


 外に出ると、冷気が肌を刺した。昼間の熱はすっかり失われ、岩山に囲まれた野原を夜風が吹き抜ける。鼻をかすめるのは、まだ消えきらない焼け焦げた大地の匂い。草木の根元から漂う煙のような残り香が、静けさの中に不気味に混じりこんでいた。


 戦場に立つと、地面に黒い痕が広がり、そこから影がゆらめいていた。月明かりに照らされたその影は、生き物のように揺れ、時折形を変えてはカゲナの足元にまで伸びてくる。


「……」


 ただ呼吸をするだけで、胸の奥に重たい沈黙が残る。

 いつもなら心をかき乱す何か――ノクシアの声や気配があるはずなのに、今は妙に、静かすぎた。


 カゲナは拳を握りしめ、影に向かって小さく呟いた。

「……僕は、もう止まらない。どんなことがあっても……進む」


 その背後から、かすかな足音が近づいた。

 振り返ると、月光に照らされてミレイナが立っていた。


 彼女は影を見つめ、目を細める。風が吹き抜け、黒い髪が揺れる。

「……まだ消えていない」


 その声は低く、夜気に溶けていきながらも鋭い刃のように響いた。影がゆらめき、まるでその言葉に応じるかのように形を歪める。


 カゲナは息を呑み、姉の横顔を見つめた。

 言葉は交わさなかった。

 だが、その沈黙の中に確かに感じる――影は終わっていない、と。


 遠くで雷がごろりと鳴り、夜の風が冷たく吹き抜けた。


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