第2話 (闇の羽、光の剣)
一人の少年と、一人の少女。
ふたりは双子――けれど、その中には、さらにもうひとつの“命”が眠っていた。
魔を宿す少年、カゲナ。
光を紡ぐ少女、リア。
そして彼らの内に存在する者たちが、静かに目覚めはじめる。
これは、ただの戦いじゃない。
心と心がぶつかり合う、“内なる世界”での本当の試練。
世界が動き出す前の、最初の“鼓動”が、ここから始まる
ノクシアの瞳が鋭く光を宿し、黒き羽根が大きく広がった。空間は闇に染まり、彼女の周囲には圧倒的な気配が立ち込めていく。
対峙する天使の少年もまた、静かに構えを整え、手にした光の剣を握りしめた。
「へへっ……前と違って、今のノクはね、“守りたい”って思ってるんだから」
そう告げたノクシアの声は、どこか誇らしげだった。その言葉に、天使の眉がわずかに動いた。
「……守りたい?」
「うん。前はさ、ただ戦うのが好きだった。勝ったら嬉しい、負けたら悔しい。それだけ。でも今は違う。ノクは、カゲナのこと、ちゃんと見てる。どれだけ苦しんで、強くなろうとしてるか……ノクはぜーんぶ見てきたんだよ」
黒き魔力が渦を巻き、ノクシアの羽根から滴り落ちた闇は地面に触れ、槍や剣のような影へと変わっていく。それは彼女の想いが形を得たかのように、鋭く、激しく現実を突き刺した。
「だから――今日は本気で戦う。勝って、“守るための強さ”を、ノクの中に刻むの」
天使は無言でうなずき、光の剣を掲げる。その静けさは、彼自身の覚悟の証でもあった。
「……いい覚悟だ。なら、僕も全力で応えるよ」
次の瞬間、疾風がふたりの間を駆け抜けた。影と光、闇と輝きが衝突し、空間が激しく揺れる。
ノクシアの戦いは、かつての彼女とは違っていた。奔放でありながらも、どこか洗練されていて――その羽ばたき一つひとつが、影を操り、攻撃を変幻自在に繰り出す。対する天使もまた一歩も退かず、光の刃で正確に応戦する。
一閃、影の刃が天使の頬をかすめた。
「ふふっ、ほんとは怖いでしょ? ノクが本気出したら、止まらないよ?」
「怖くなんかない。君が誰かのために戦ってる限り、僕は迷わない」
その言葉が、不意にノクシアの胸を突き刺した。
(……この天使、本気だ。でも……怖くない。むしろ……安心する。どうして? 戦ってるのに、なんでこんな気持ちになるの……?)
一瞬の戸惑いが、隙となる。天使の剣が迫る。
「っ……!」
ぎりぎりでかわしたノクシアは、着地と同時に深く息を吐いた。額に汗が滲む。それでも、彼女の唇には笑みが浮かんでいた。
「……ほんと、強いね。でも負けない。だって――ノクは、カゲナの力だから!」
再び闇の中へと舞い上がる。戦いは激しさを増し、光と影が交差する世界に、黒い稲妻が迸った。ノクシアの翼が大きく広がるたび、空間は震え、闇が深くなる。
「ほんと、強いね……でも、ノクは――まだ、負けられないんだ!」
その叫びとともに、ノクシアの身体から無数の影が放たれた。槍となり、剣となり、しなる鞭となって、天使へと襲いかかる。
「その理由を、僕にぶつけてみろ。全部、受け止めてやる」
影が一閃、天使の肩を裂く。血は流れなかったが、確かな痛みはあった。にもかかわらず、彼は微笑んでいた。
「君は変わったな、ノクシア」
「……変わったの、かな?」
ノクシアの動きが、ふと止まる。
「……怖かったんだ。あの子が成長していくのが。ノクがいなくても、ひとりで強くなれるんじゃないかって……それが、すごくさびしかったの」
黒い涙が、彼女の頬を伝った。それは“涙”ではなく、闇の感情が結晶化したもの――心の奥底から零れ出た、想いのかたちだった。
「でも、違った。カゲナは……ノクのこと、ちゃんと必要としてくれてる。ノクもね、それに応えたいって……やっと思えたの」
天使は、静かに剣を下ろした。
「――なら、もう十分だ。君はそのままで、もう強い」
「……ううん。最後までやる。だって、カゲナが“任せた”って思ってくれてるなら、ノクは、絶対に応えなきゃ」
ノクシアは両手を広げた。背後に広がる影の翼が、これまでで最も巨大な魔力のうねりとなって膨れ上がる。
「来て。これが――“今のノク”の全部!」
「受け止めるよ」
ふたりの力が、再び激しくぶつかり合う。光と闇の衝突が世界を揺らし、精神世界は崩壊寸前にまで達する。
だが、その中心にあったのは、静かな“理解”だった。
……
やがて、ノクシアは仰向けに倒れていた。黒い羽根が、静かに地面に落ちていく。
「……ふふ、ちょっとだけ、勝ったかな」
彼女のそばに立つ天使は、傷だらけのまま、やわらかく笑っていた。
……光が弱まり、静寂が訪れた。
天使の少年は、そっとノクシアを見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
「君が、変わっていく姿を見て……僕も、怖かったよ」
彼は空を見上げる。その目に浮かぶのは、かすかな寂しさと温かさ。
「ずっと“戦う理由”が欲しかった。誰かを守りたいって思える日が、来るなんて思わなかった。……でも、君と戦って、それが何かわかった気がする」
視線を戻すと、ノクシアの黒い羽根が小さく揺れていた。
「ありがとう、ノクシア。僕も、君を忘れない」
「君の“心”が勝っていた。だから、僕も気持ちよく負けを認められる」
「じゃあ、またね。今度は、もっと強くなってるから……ノクのこと、ずっと見ててよね?」
──そして、すべてが終わったあと。
ノクシアは、ゆっくりと目を閉じる。
心に残ったのは、痛みではなかった。温かい何かが、確かにそこにあった。
(……戦うだけが、力じゃないんだね)
遠ざかっていく光の中で、彼女は静かに微笑んだ。
(次は……もっと、カゲナのために笑ってたいな)
羽根が消えていく。やがて、静けさだけが残る。
けれどその沈黙すら、今のノクシアには心地よかった。
光がふたりを包み込む。ゆっくりと、精神世界が閉じていく。
その光の中で、ノクシアは微笑んでいた。
──戦いを終えたノクシアが目を開けると、そこは確かにいつもの現実だった。
けれど、周囲を見渡した瞬間、違和感が走る。
ノクシア:「……時間、動いてない?」
木の葉は、風に揺れたまま止まっている。遠くの水面も、一滴も波紋を描かない。
ノクシアはゆっくりと手を伸ばす。
すると――動いていなかった葉が、彼女の指先に触れた瞬間、時間が再び流れ出した。
(……今の、何だったの?)
その瞬間だけ、世界に“誰か”の気配があった――そんな気がした。




