名前に潜むヘンタイ
2022年 母の戸籍謄本にヘンタイを見つけた時のお話
それは母の名前に潜んでいたのだった。
ギリ戦前生まれの母は漢字名も使っているが戸籍登録は平仮名だった。だから戸籍謄本を見た時に母の名前が平仮名で書かれていても驚くことはなかったが、それはその中にひっそりと潜んでいたのだった。
ん? 何だこの文字。
あるいは誤字であったならばまだ分かりやすかった。またまたぁ~役所の人ってば酔っぱらってたんじゃあないの? こんな字書いちゃってぇ~。だがその字はちゃんとしたフォントで印字されているのだ。いやいや、プリントミスなんじゃあないの? 印字の時に紙がズレたとか。やだなぁ~大事なトコなんだからプリンターくらい最新のものを入れてよね。
しかし両隣のフォントにズレはない。これはまさか……こういう字なのか。
ちなみに必要があって「改正原戸籍」(簡単に言えば古い戸籍)というものも手に入れたが、そこには先ほどの文字の場所に手書きでこんな文字が書いてあった。
いやいやいや、既にさっきの字と違うだろう。これを同じ文字というのはさすがに無理がないか?
確かにどちらも読めなくはない。ましてや私は正解が「さ」であることを知っているのだ。だがこれを「を」と読んでしまう者がいても驚きはしない。これは……旧字なのだろうか。
以前「母の名には古い文字が含まれている」と聞いた覚えはある。だがそれは「え」→「ゑ」といったなじみのある文字だとばかり思っていたのだったが、いやなんだろうこの字。調べてみると「変体仮名」というものらしかった。
【変体仮名】
明治33年に48字(1音1字)に字体統一される前の平仮名。昭和23年1月1日以前は、主に女性の名にも用いられている。
なるほど日本の文字は元々「やまとことば」を「漢字」で当て字したものなので、同じ「a」の音でも「阿」「亜」「愛」「悪」と、無数の「a」があったわけだ。当然そこから派生した仮名文字も、それぞれの漢字由来(これを母字という)の「a」があって、それを現在の「安」を母字とした「あ」に統一したのが明治33年ということだ。
例えば「よろしく」を「夜露死苦」なんて書くのは完全に遊びだが、「葉路子求」なら正式に通じた時代があったのかもと思うとなかなかに面白い。
よくお店の看板で「そば」とか「うなぎ」とか、よく分からない文字で書いてあるのを見かけるが、あれはみんな変体仮名だったのだ。
他にも色々とあって調べてみると面白い。
母の名前に使われた字は「左」を母字とした変体仮名なのだが、母字が同じであっても戸籍謄本に書かれた「さ」と改正原戸籍に書かれた「さ」のように崩し方の度合いが違うものがあって、まるで生命進化の過程を見るようだ。
その一方で「そ」のように、今でも2種類残っている仮名もあるのが面白い。あれ? 1音1字じゃなかったのか?
変体仮名の世界は奥深い。ついついのぞき込んでしまいそうだ。
***
さてここで唐突だが、そんな個性的な変体仮名をいくつか紹介しよう。はたしてこの仮名がなんなのか、読めるだろうか。
*
問1
うん、分かりやすい。素直なことはいいことだ。母字が「毛」で、読みは「も」だ。
それが正解なのだが、同じく「毛」を母字とする変体仮名にはこんなものもあったのだった。
さすがにこれを「も」と読むのには無理があるのだが、なんとなくこっちのほうが「も」っぽくって好きなのだった。「も」っぽいというより「毛」っぽいと言った方がわかりやすいだろうか。
なんかこう、うじゃうじゃっとした感じ。ちょっとだらしないと言うか「お前、ストレートパーマかけろよ」と言いたくなる感じ。
しかしなんだ、見方を変えれば海外ブランドのロゴマークにありそうで、そう考えれば気品に満ち溢れているように思えなくも……いやないな。
では次、これはどうだ。
*
問2
いやお前、分かりやすいけれども、お前はどこからどう見ても漢字だろう。むしろなぜ堂々と仮名を名乗れるのか不思議にさえ思う。全然漢字のままだから。自分が思った以上に変われてないから。
気合入れて化粧したつもりが「すっぴんですか?」と言われてしまうくらい変われてないから。
もう一回言っとこうか。
変われてないから。
変体仮名には明らかに仮名になりきれなかった変態中のサナギみたいなやつが複数存在するのだが、こいつはそもそも仮名になろうと思っているのかすら怪しく思える。ここまで漢字だとかえってすがすがしくさえある。
いや、そんな純情そうに見えるヤツがじつは詐欺師だったりするのだが、まさか「季」と思わせて実は違ったりするのだろうか。
果たしてこれの母字は「季」、読みは「き」だった。
そのままかい。少しでも引っ掛けかと考えた私が馬鹿みたいじゃあないか、どんだけ素直なんだ。思ったよりも変体仮名には素直なやつは多いらしい。
とすればこれはなんと読むのだろう。
*
問3
いやいやいやいや、お前も漢字かい。いったいこれを「しる」以外にどう読めというのだろう。
ん? ちょっと待てよ。これの母字が「汁」だとして、読みは「し」なのだろうか。と、思えば正解はなんと「け」だった。
なんだと、これのどこをどうしたら「け」と読めるというのだ。いや、仮名として見たら確かに「け」だけれども。
ヒントはこの変体仮名の母字にあった。誰もが「汁」だと思ってしまうであろうこの文字の母字はなんと「計」だった。
なんだと、やるな、この擬態文字め。
しかし恐ろしいことが発覚する。「け」があれば「げ」もあるはずで、調べてみるとやはりというかなんというか、こんな文字があったのだった。
いやなんか字面が汚いな!
げ! こぼしちゃったよ、と言われれば「げ」と読むのも間違いない気もするが、やはり「じる」と読んでしまう私がいる。この文字にはそう読みたくなる魔力が間違いなくある。
*
問4
るみちゃーん、ほらお買い物行くから支度しようね。
そんな声が聞こえてきそうな「るみ」、一文字なのに「るみ」。便利なことこの上ない。
こいつの母字は「美」、読みは「み」だ。
同じく「美」を母字とした変体仮名にこんなものがあった。
まみ?
うん、るみちゃんと姉妹なんですね、きっと。
でも世の中には、血が繋がらなくても似てる子というのはいるものだ。
*
問5
これは分かりやすい。
あれ? 騙されてるのかな? しかしこれはどこからどう見たって母字が「子」で読みは「ね」だろう。
ところが正解は違った。なんと「ち」だったのだ。
おいおいおいおい、なぜこれが「ち」になるというのだ、母字はなんだ、と思ってみればそれは「千」だった。くっ、騙された。紛らわしい。こんなに似ていては病院で赤ちゃん取り違え事件が続出してしまうではないか。托卵か? この托卵文字め。
と、いうことはだ、本家の「子」はどうなっているのだろうか。
同じじゃないか! 並べてみようか。
本家の子と分家の子。いくら見た目が似ていようが、そこには計り知れない隔たりがあるに違いない。
しかも「子」の方は「こ」とも「ね」とも読むらしい。そしてさらに「る」に擬態していやがる……。なかなか複雑な家庭環境のようだ。
どうも私が見る限りでは、変体仮名は「あ」「る」「ぬ」などに擬態していることが多い。丸まりたいんだな、猫か。
*
問6
うむ、これを「秀」と見るか「香」と見るかで意見が分かれそうだが、読みで考えた場合「しゅう」と「か」なら圧倒的に「か」の方が仮名っぽい。
果たしてこれの母字は「香」で、読みは「か」だった。
この「香」という字を人物名にしたとき、「かおり」とも「かおる」とも読めるのだが、この仮名を使う場合は間違いなく「かおる」だろう。だってフリガナが付いているじゃあないか。親切にも「かおる」だって言ってんのに、あえて「かおり」と読む意味が分からない。
まあ、正解は「か」なんだけれども。
*
問7
うん、これは……「はめ」?
1文字なのは分かっているものの、なんとなく2文字に見えてしまう。そして2文字に見えてしまったものは2文字で読んでしまう。そんな2段階の罠が隠されている変体仮名だ。
敢えて1文字で読むならやっぱり「は」だろうか。
しかしこれの母字は「満」で読みは「ま」だった。なんだと。
そんな2文字に見えてしまう変体仮名は調べてみるとたくさんあって、どれも奇妙で人によって読み方が変わりそうだが、いやそれにしても字面が面白い。
うん、これを「はめ」と読むのはちょっと強引だったかもしれないな。ではこれならどうだ。
*
問8
まてまてまてぃ! お前を「はめ」と呼ばずしてなんと読むというのだ。いくらなんでもここまで「はめ」だと、もう母字がどうとかいう問題ではない気がする。
これの正解は「は」だった。いやいやいや、「め」はどこ行った。お前がどれだけ「は」だと言い張ろうが「はめ」以外の何者でもないわ! だがこれの母字が「婆」で、現在使われている「は」の母字が「波」、「め」の母字が「女」だと言われれば唸るしかないのだがちょっと待て、「ば」ではなく「は」だと? では「ば」と「ぱ」は一体どうなっているのだ。
期待を裏切らないな!
恐るべし変体仮名、こうも完璧な2文字があるということは、もしかして3文字もあったりするのだろうか。
*
問9
あったよ3文字。
いったいどういう意味かは分からないが「かつる」以外にどう読めというのだ。
これの正解は母字が「駕」で読みは「か」だった。そしてやはり「が」は「かづる」になっていた。
どうも変体仮名は濁音・半濁音の文字の方が、字面のインパクトが強くて面白い傾向にあるようだ。
さてここまで色々な変体仮名を紹介してきたが、果たしてどれだけ読めただろうか。
最後に、変体仮名を見ていて、これはこう読んで欲しい、と思わずにはいられなかった文字を紹介して終わりにしよう。
*
問10
なんだろうこれ。これも母字が何だか分からない。分からないが無理やり読めばやはり「さ」だろうか。
しかしこれの正解は、母字が「多」で、読みが「た」だった。
なんだと、いくらなんでも崩しすぎだろう。どう崩したらこうなるのかすら分からない。だが、この変体仮名からは、なんともいえない気品を感じてしまうのは私だけだろうか。きっと非行に走ったわけではなく、基本を抑えながらも、敢えて崩したに違いない。なんてかっこいいんだ。
だが待って欲しい。この変体仮名をよく見ていると、あるモノに見えてこないだろうか。ほらほら、見えてきた見えてきた。
分かるかな、この感じ。
個人的にはこの文字は「水木しげる」と読んでもらいたい。誰がなんと言おうとも。
***
さてこのへんでお開きにしよう。
変体仮名は見ているだけで興味深いものがあるから、気になった方は調べてみるといい。
たかだか100年前に使われていた文字が読めなくなっていると言うのもどうかと思うが、それよりも何よりも、パソコンでフォントが出ないのがとってもメンドクサイ。我ながらよく編集した。楽しんでくれれば嬉しく思う。
ではまた、いずれかの機会に。
※こんな使い方がアリなのかは全く分かりません。
***
※本文に使用した変体仮名は下記のHPを元に手書きしました。
国立国語研究所 学術情報交換用変体仮名
https://cid.ninjal.ac.jp/kana/list/
Koin Koin変体仮名
http://www10.plala.or.jp/koin/koinhentaigana.html#ki
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