3 聞こえた?
え? 聞こえたのか?
自分でも不思議だったけど、声にならない僕の声が女の子にちょっとだけ届いたみたいだった。
「だれ?」
女の子のか弱い声が部屋の空気を微かにふるわせる。
「冷凍庫! 冷蔵庫の二階だよ!」
その子の耳元に、力一杯、僕は声をはりあげた。
しばらくキョロキョロと周囲を見ていた女の子が立ち上がった。
ふらつきながらインターホンの所の椅子に上がり、ボタンを押してママ? ママ? と叫んだ。
無言のインターホンに向かって叫ぶ女の子が痛々しくて見ていられない。
違うんだ。冷凍庫だよ、冷凍庫!
一瞬女の子の叫び声が止んだ隙に僕が耳元で念じると、その子はふと首を傾げた。
きょろきょろと周囲を見回した後、乗っていた椅子を降りて、それをキッチンまで引きずっていく。
冷蔵庫の前に置いた椅子に乗って、女の子が背を伸ばす。
なかなか手が届かなかったが、何度か背伸びを繰り返すうちに指先が取っ手に引っかかって、やっと冷凍庫の扉が開いた。
その拍子に中にあった冷凍食品のハンバーグが滑り落ちてきた。
よし、いいぞ。僕はワールドカップで日本が点数を入れたとき以上の強さで叫んだ。
わ、ダメだ。そのまま食べたらダメだよ。レンジでちん!ちん!
僕の叫びを理解したのか、女の子は再び椅子をずらして、電子レンジの中に冷凍ハンバーグを入れた。
親のするのを見ていたのか、レンジのボタンは正しく押せたみたいだ。
袋のまま入れられた冷凍食品は、レンジの中でパンパンに膨らんできた。
やがてチンという、なんとも爽やかな音がした。
物音に目が覚めたのか、弟が再び泣き出した。
女の子は、ハンバーグを電子レンジから取り出すと、弟の方に走った。
袋を破いて、プラスティックのトレーを引き出す。
まだ熱いぞ、ふーふーして。
今度は僕の言葉は聞こえなかったようだ。
あちっ、と言う女の子の手から茶色い肉の塊が絨毯の上に落ちた。
恐る恐るそれを拾うと、口元に持っていってふうふうし始めた。
ところで、弟の方はハンバーグ食べれるのかな?
一歳くらいって普通、ミルクだけ?
いや、離乳食はもう食べてるころだよな。
僕がそんな心配をしているうちに、女の子はハンバーグを半分にして弟の口元に持っていった。
痩せこけた弟の口がハンバーグを噛み始める。弟の目に涙が滲んでいた。
後の半分を女の子も頬張った。
そして女の子は声をあげて泣き始める。
少しほっとしたのかもしれない。今までは泣く余裕もなかったんだろうな。
「だれ?」
女の子の声が部屋の中に響いた。
冷凍ハンバーグをいくつか食べて落ち着いた所だった。
「僕は幽霊だよ。このマンションの前の家で死んで、天国に行く途中」
女の子はキョロキョロしながらも、僕の声が聞こえたようだった。姿は見えないけど声は聞こえるのだろう。
「ママは?」
僕に聞かれても困るんだけど、女の子にしてみれば、今頼れるのは僕だけだからしかたがないかもしれない。
「ママはいつからいないの?」
僕の方から聞いてみた。
「日曜日におでかけして、帰ってこないの」
女の子がポツンと言った。
今日は金曜日だ。なんてことだ、この子たちのママはもう五日も二人をほっぽり出したままってことか。
何か、事故でも起きたんだろうか。
とにかく、警察に知らせないと。
僕はとにかく交番に行くことにした。
女の子に一言、助けを呼んで来ると言い残してマンションの窓から飛び出る。
薄暗い街灯に照らされたアスファルトを見下ろしながら、ここから一番近い交番に向かって風船みたいに進んだ。
見上げると、意味もなく黄色い秋の満月が綺麗だった。