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2 誰かの呼ぶ声


 向かいのマンションの白い壁沿いに上っていると、誰かの呼ぶ声が聞こえてきた。

 そういえば、意識がなくなる瞬間だったか、声を聞いたような気がしたのだった。


 その時と同じ人の声なのかもしれない。

 耳をすますと、ママ、ママと切なげな声がマンションの最上階の一室から微かに聞こえる。


 聞こえるって言うのは変かな。

 大体僕にはもう肉体がないんだから、音を感じる耳という器官は無いんだ。


 ちょっとその辺の仕組みがどうなってるのかは、僕は科学者じゃないから知らないけど、感覚的には聞こえるというのがもっとも近かった。

 声のする部屋の窓をすり抜けて中に入ってみると、散らかった部屋の中に幼児が二人いた。


 三歳くらいの女の子と、一歳になるかどうかの赤ん坊だった。

 ママ、ママと呼んでいるのは、三歳の女の子で、その子は食卓の椅子に乗ってインターホンのボタンを押しながら呼んでいるのだった。


 そして、もう一人の人影がそこには居た。

 その人は一見しただけで普通じゃないのが分かった。


 その男、多分40代くらいだと思うけど、その身体は後ろが透けて見えるのだ。


 半透明人間。


 ひょっとしたら、と思いながら聞いてみた。


「ええと、どうなってるんですか?」

 あなたも幽霊なんですかと聞きたい所だったけど、それよりもこの子たちの事も気になったので、そんな風に聞いてみる。


「まいったよ。さっさと天国に行きたいところなんだけど、この子たちが気になってしょうがないんだ」

 ということは、この男もやはり霊魂なのだろう。   


「この子たちは? どうなってるんですか」

 いきなり現れて、そう聞く僕のことを、男は特に不審にも思わない様子で素直に答えた。


「親に捨てられたのかな? もう三日間、こんな状態なんだ」

 ってことは、この男は三日間ここに留まったままってことか。


「ママはどこにいるんですかね」


「知らんよ」


「じゃあ、パパは?」


「父親はいないみたいだ」


「この子たちのご飯とかは?」


「買い置きのお菓子とかを食べてたみたいだけど、もう無くなってしまった」


「ひでえな」


「まったく」

 霊魂でもため息はつけるようだ。男は絶望感をそれに込めて深く息を吐いた。

 インターホンに向かって呼んでいた女の子が、椅子から降りて弟の所へ行った。


 弟の方は泣きつかれたのか、ソファに寝転んだまま動かない。痩せこけて顔色も悪い。


 女の子は、その弟の頭をなで始めた。


 ねんねんころりよおころりよ……女の子の悲しい歌声が小さく聞こえた。

 しばらくすると、弟がぐずり始めた。


 お腹へってるんだろうな。力なく泣き始める。

 女の子は立ち上がると、キッチンに向かう。


 どうするのか見ていると、哺乳瓶に水道水をいれ始めた。

 自分も一口飲んだあと、吸い口をはめて弟の口元に持っていく。


 弟はそれを一生懸命吸っている。


「昨日からこんな状態なんだよ。水しか飲んでない」

 半透明の男は、うすぼんやりしたその顔に苦痛の表情を目一杯あらわしてそう言った。


「そんな、このままじゃヤバいじゃないですか、どうかしないと」


「どうにかしてやりたいのは山々なんだよ。だから私もここにいるんだ、でも私たち幽霊にはどうすることもできないって、この三日間で思い知らされたんだ」

 まったく頼りにならない幽霊男だ。


 親を呼んでこれないのなら、警察にでも知らせてやればいいじゃないか。

 それを言うと、


「もちろん、そうしようとしたんだよ。でも、無理だった。私はもう諦める。見てらんない、後は君に任せるよ」

 そう言うと、男の身体が少し浮き上がった。


「ちょっと待ってよ。そんな無責任な」


「だいたい私に責任なんてないよ。天国に行く前に悲しいもの見ちゃったな。じゃあ後はよろしく」

 男の身体がずんずん浮き上がっていく。


 そして頭が天井に消えた。

 待ってくれよと言って男の足をつかもうとしたが、僕の腕は彼の足をつかむことは出来なかった。


 なにもない空間をつかんだだけだった。


 男の胴体が天井に消えて、やがては足先まで天井に吸い込まれて行った。

 子供たちの方に目を戻すと、弟は水を飲んで少し落ち着いたのか泣き止んでいた。


 もう食料は何もないのだろうか。

 そうだ、冷蔵庫は?


 僕はキッチンに行くと、黄色い冷蔵庫をあけようとした。

 が、だめだった。


 取っ手を握ることができないのだ。

 僕が悪戦苦闘をしていると、女の子がやってきた。


 僕の後ろから僕の身体を突き抜けて手を伸ばし、冷蔵庫の扉を開いた。

 女の子と重なりながら、冷蔵庫の中を覗くと、中は見事に空っぽ。

 隅っこに一個だけマーガリンが入っていた。


 女の子はそれを取り出すと、蓋をあけて箱の中に小さな人差し指を突っ込んで周囲に残っている微かな残りを小さな爪でこそぎとった。


 それをしばらく見つめた後、口に入れようとして止めた。

 女の子はそのまま弟の所に戻ると、人差し指を弟の口元に持っていった。


 弟は一生懸命それに吸い付いている。

 そうだ、冷凍庫の方は何か入ってないのかな。


 開けてみたくても手が使えないのではどうしようもない。

 でも、僕はガラス戸を通り抜ける事が出来たのだった。もしかしたら……。


 僕は冷蔵庫に顔を近づけた。

 そして、そのまま顔を冷凍庫の扉に押し付けていく。一瞬目の前が真っ暗になって、その後冷凍庫の中が見え始めた。


 見えるって言うのもちょっと違うか。僕にはもう目という器官がないんだから。

 言ってみれば心の眼で見ているわけだ。だから真っ暗なはずの冷凍庫の中でも見えている、というか分かるわけだ。


 そこには冷凍食品がいくつかまだ残っていた。

 お弁当用の6個入りハンバーグと、餃子があった。


 これだよ、僕は思わず大声をあげたが、僕の声が部屋の空気をふるわせることはない。


 僕には口という器官がないからだ。

 もちろん、子供たちにも聞こえない。

 しかし、何とかして冷凍庫のハンバーグを女の子に教えてやりたい。


 僕は半分無駄と分かってはいたが、力なく座っている女の子の耳元に口を寄せて大声で叫んだ。


 冷凍庫の中にまだ食べ物があるぞ!

 まったく期待していなかったのに、意外なことに女の子はふと顔をあげた。



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