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穢れ球  作者: 林来栖
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 ******


 老婆のお陰で、すっかり体調は良くなった。

 洋輔は、迷った挙句会社に戻り、早退を取り消した。

 都築部長は「助かるが、無理はするな」と真顔で心配してくれた。


 ——部長は、この球とは関係ないな。


 直感的にそう思った。

 思ってから、ふと、早退前の坂崎の『空耳』を思い出した。


 坂崎は確かに、俺が今の業務に向いていないと言った。

『言った』と思ったのは洋輔で、坂崎は否定した。

 もし、坂崎が日頃から思っている事を洋輔が『聴き取って』しまったのだとしたら。


 ——それが、お婆さんが言ってた『神耳』ってことなのか?


 しかし。

 思い返しても坂崎の『言葉』からは嫌な感じはしなかった。

 転職しろ、というのは正直驚いたが、寧ろあれは坂崎が心底洋輔を気遣ってくれているから出た言葉のような気がする。

 とすれば、坂崎も球とは無関係だ。


 ——としたら、誰がこの球を俺にくっつけたんだ?


 考え込んでいた時。


「おやっ? 早退したんじゃなかったのか?」


 背後から周防先輩の声がした。


「あ、先輩。今戻られたんですか?」洋輔は椅子から立ち上がり、しっかりと頭を下げた。


「午前中はご迷惑をお掛けしました。申し訳ありません」


「ああ。——まぁ、人間誰でも好調不調はあるよ」


 でもな、と周防は苦笑する。

 その『笑い』は、愛情というよりは冷笑。

 完全に洋輔を嘲った笑いである。

「霧島、おまえちょっと弱すぎじゃないか?」


 え? と、洋輔は目を見張った。


「仕事が遅いのはまあ、丁寧にやってるって言い方すれば通るけど。教えても何度も間違うし、残業させれば次の日には具合悪いって休むし。挙句に、得意先周りさせれば気持ち悪くなったとか言って、外で休憩はして来るし。——正直、全然使えないよな」


 最後の方は、周防は完全に悪意に満ちた表情になっていた。


「おまえみたいな後輩面倒みるの、俺、本当は嫌なんだよ」


 ——この人、だったんだ。


 洋輔はまじまじと周防を見た。


「——なんだ? 霧島。俺の顔に何かついてるか?」


「——あ? ああ……。いえ。何でも、ありません」


 また自分が相手の『真の声』に気を取られていたことに気が付いて、洋輔は誤魔化す。


「ああそうだ」周防は普段の優し気な笑顔で言った。


「今晩坂崎や他の後輩達と飯食う約束してるんだけど、おまえも来るか?」


 具合が悪くなければ、と、周防はさも気遣っている風に付け足す。


「はい。もう大丈夫なので、ご一緒します」


 洋輔は満面の笑顔で受けた。

 球を、周防に擦り付ける絶好の機会だ。


 ******


 仕事時間は坂崎が得意先から戻るまで少々伸びたが、ほぼ定時で全員上がれた。

 周防が予約していた飲食店は、昼間皆がランチを食べに行く食堂街の店だった。

 昼間とは一変して、店はダイニングバーとなっている。

 六人掛けの個室に、洋輔達は通された。


「ここって、夜は結構張るんじゃないっすか?」


 坂崎の心配に、周防は笑って手をひらひらさせる。


「心配するなって。この店、実は俺の兄貴がやってるんだ」


「ええーっ!? そういうカラクリっ!?」


 他の同期が驚くのに、洋輔も同調する。

 席に着くと、ウェイターが水とお絞り、メニューを持って入って来た。

 周防はメニューを見ずに、早口で何品か注文した。


「多少は割り引いてくれるってさ」


「ご馳走様っす!!」


 後輩全員が立ち上がり、周防に頭を下げた。


「じゃちょっと俺、用足してくるわ」


 上着を置いて席を立つ周防に、「あ、俺も行きます」と、洋輔は手を挙げた。


「食事が来てからじゃ、行きにくいんで」


「はは。そうだよな」


 快活に笑う周防の背を、洋輔は一瞬睨んだ。


 ——トイレの扉を開けたら……。


 ズボンのポケットに入れている球を、ハンカチを出すふりをしてきゅっ、と握る。

 周防が洋輔に背を向け、トイレの扉を開けた。


 ——今っ!!


 洋輔は素早く球を取り出すと、周防の背に押し付けた。

 

「ん? どうした霧島」


 洋輔の手が背中を押したのに、周防が驚いた様子で振り返る。その時にはもう、球は周防の背に溶けいっていた。


「……すみません。また急にふらっとしちゃって」


「大丈夫か?」


 心配している『ふり』の声。

 洋輔は今度こそしっかりと周防の『内心』を聞き取った。


「調子に、乗っちゃったかな? やっぱり失礼した方がいいかも」


 弱々しく言うと、周防は「そうか」と返して来た。


「残念だな。霧島とも色々話したかったんだけど」


「ええ。申し訳ありません」


 洋輔はトイレを済ますと、同僚達に帰宅する旨を告げ、店を後にした。


 ******


 二日後。

 都築部長に退職届を提出した。

 部長は慰留して来たが、洋輔は翻意しなかった。

 その翌日。

 スマホに坂崎から連絡が来た。


『大変だよっ!! 周防先輩が倒れちゃってっ!!』


 得意先から戻った周防は、報告書を部長に上げてそのままばったりと、まさにばったりと倒れたという。

 社員はAEDや救急連絡を速やかに行ったが、病院へ運ばれた時には既に心肺停止だった。


「過労死じゃないかって、医者が言ってたらしいよ」


 通夜の席で、坂崎はしょんぼりと言った。


「急過ぎでしょ。周防先輩、去年結婚したばっかだよ?」


「けど、人の寿命は分からないからね……」


 残念そうな『ふり』で、洋輔は答えた。

 そう。

 老婆の言葉は正しかった。

 周防が死ななければ自分が死んでいた。


 ——俺にはあの『球』を人から剥がすなんて出来ないけどな。


 だが、老婆が言った通り人の真意が聞こえる『神耳』は持っているようだ。

『神耳』を持っていたから、老婆を追えたのかもしれない。

 あの日の帰り道。

 老婆に出会えて、洋輔は命拾いしたと心底思った。


                                   了

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― 新着の感想 ―
[良い点] はっきりした呪いの言葉はなくとも、本音で呪っているというのは現代社会ではどこにでも或る話で、それを拡大させて大事にするのは個人の性質によるでしょう。悪意を流す人もいれば、悪意を増幅して悪意…
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