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不穏な村

 鬱蒼と木々が繁る森の中、そこだけ辺りから切り出され、唯一整備された街道を、私達は進んでいました。私達の次の目的地は、エルゼの母校であるリモニウム魔術学園。皆さんの話によれば、そこは街1つがそのまま学園の敷地である学園都市であり、国全土から魔術師達が集う、王国魔術の中心地だそうです。

「これは……不味いかもな」

 アランが呟きました。補給のため途中立ち寄った村を出た時、雲ひとつ無い晴天であった空は、森に入ってしばらくすると、重苦しい鈍色の雲に覆われ始めました。

「少し、ペースを上げましょう。森を抜ければすぐに村があったはずです」

「そうだな、ひと雨来る前に抜けられると良いが……」

アルフレッドの言葉に、アランが頷き歩くペースを上げると、皆それに合わせるようにしてペースを上げました。道を進む事に、木々の間を抜ける風の音は強まり、やがてガサガサと枝を揺らすようになりました。そして、地面に1つシミが落ちると、やがて急速に広がり始めます。雨脚とともに私達の歩く速度も、上がっていきました。

「はぁ……最悪ね」

エルゼの呟きは、時間とともに増して行く雨音に呑み込まれました。滝のように降りしきる雨は視界を塞ぎ、すぐ近くに居るはずの仲間の姿さえ、曖昧なものになってしまいました。衣服に染み込んだ雨水がずしりと重く、私達の歩みを鈍らせていきました。

「……?皆、あれ!」

 不意に、フレイが雨音に負けないよう叫ぶと、僅かに木々がまばらになっている方を、指差しました。目を細め、その先を注視すると、重なり合う木々に溶け込むように建つ小屋が見えました。

「助かった!」

「ちょっと、待ちなさいよ!」

 真っ先にアランが駆け出し、その後にフレイ、アルフレッドと続きます。エルゼは何か引っ掛かるものがあるように、少しの間動かずにいましたが、すぐに後を追い、その後に私が続きました。小屋に近づいていくと、そこに建てられているのは、その小屋だけではない事が分かりました。木製の背の低い建物が、身を寄せ合うように建ち、この様な日の当たらぬ場所で収穫が見込めるのか、大いに疑問ですが、畑もあります。しかし、この雨もあって、辺りは静まり返り、人の気は一切ありません。

「村か……何処か、泊めてくれる場所を探そう」

 ずんずんと先へ進んで行くアランを、フレイとアルフレッドが追いかけました。

「この森に村があるなんて話……」

 納得出来ない様子のエルゼですが、訝しみながらも村の中へと進んで行きました。

「すみませーん!」

 この村で一番大きな家の扉を、フレイが叩きます。少しの時間の後、老人が扉を少しだけ開けました。酷く血色の悪い土気色の肌に一層皺を作り、こちらを酷く胡散臭い物を見るような目つきで、こちらを見ました。

「なんだねっ……」

「えっと、すみません。この村にどこか泊まれるような場所はありませんか?」

 吐き捨てるような言い方の老人に、フレイが質問しました。

「そんだら、村の端に使ってないうまやがある。そこなら勝手に使ってええ……」

「その……宿とかって……」

「んなモン、この村にはねえ」

 そう言って老人は、私達を追い払うように、乱暴に扉を閉めました。


 その後、何件か家を周り、泊めてくれないか尋ねましたが、全てにべもなく断られてしまいました。

「まあ、雨を防げるだけマシか……」

 溜め息混じりにアランが言いました。厩は雨風で風化して黒ずみ、あちこちに苔が生えてしまっています。強まる雨脚は滝のような有り様で、屋根が壊れてしまうのではないかと思えるほどでした。

 中央ではエルゼが、湿気ってまともに火の点かない枝を、魔法を使ってゆるゆると炙り乾かしています。

「あれっ?あそこ……誰か居ない?」

 フレイが突然声を上げました。しかし、雨に遮られ、伸ばした腕の先ほどの距離さえ怪しい視界では、人の姿など確認できる訳もありません。

「気のせいではないですか?」

 いつの間にか隣にフレイの隣に立っていた、アルフレッドが言いました。

「うーん、そうかも……この雨の中、人なんて居る訳ないよね」

 不意に辺りが明るくなりました。どうやら、エルゼが火を点ける事に成功したようです。その事を確認した皆が、身を寄せ合うように火の周りに集まりました。

「ふぅ、これで一息つけるな」

 アランは地面に腰を下ろすと、雨が染みて重くなった衣服を脱ぎました。それに合わせるように私も、外套を脱ぎ、乾かすように火の傍らに置きました。

「この様子では、ここで夜を明かすことになりそうですね」

「そうね、雨が止んだとしても、もう暗くなり始めてる」

 アルフレッドにエルゼが同意を返しました。辺りの空気はすでに青味がかって来ています。この様子では間もなく雨が止んだとしても、人の目では先を見通せなくなるでしょう。


 雨が止んだのは、辺りが完全に暗くなった後の事でした。木々の隙間から見える夜空は、先程までの豪雨が嘘であったかのように晴れ渡り、星々が瞬いています。月の位置は未だ低く、まだまだ夜は長いでしょう。

「はい、これ。完全に湿気っちゃてるけど」

 夜空を眺めていた私に、フレイが声を掛けてきました。その手には、保存食のビスケットが握られています。

「えっと……ありがとうございます」

 断るのも不自然ですから、受け取るだけ受け取っておきます。

「雨、止んで良かったね。これなら明るく成り次第、出発できそう」

「そうですね。正直、ここに長居はしたくありませんし、助かりました」

「星、見るの好きなの?」

 フレイも空を見上げました。

「いえ……いや、そうなのかもしれません」

「曖昧な言い方だね」

 思い返せば、確かによく夜空を見上げているような気がします。しかし、夜空を眺めるのが好きだとすれば、私などでは無く、それは彼女のはずでしょう。

「曖昧……そう曖昧です。人の内側なんて、案外そういったものでしょう?」

「そっか」

 フレイは柔らかい声で言うと、私の抱き寄せる様に腰に腕を回して来ます。

「やめっ……」

 私は咄嗟に振り払ってしまいました。触れられるだけならともかく、抱き着かれてしまっては、体温が分かってしまいます。

「あっ……その……ごめん、嫌だったよね」

「すこし、驚いてしまって。別に嫌だった訳では……」

「フィリア、あった時からずっと、寂しそうな目をしてる。だから、一人で抱え込まないで、きっと力になるよ。だって僕、勇者だから」

 私はフレイの様子を呆気に取られたように微動だにせず、しかし無感動に眺めていました。私が寂しそうとはどういうことでしょうか、それよりもフレイの在り方に、なにか言葉にできない違和感を感じます。救世主として理想的と言える強い意志と優しさ、しかし何かがおかしい。

 時が止まってしまった様に、2人とも動かずにいました。辺りを静寂が支配し、昼の間溜め込まれた陽の熱が、徐々に引いていくのが感じられます。

「その……お気遣い、ありがとうございます。けれど、私は大丈夫です。それと、寒くなってきましたし、もう戻りましょうか」

 そう言って、踵を返した私の腕は、不意にフレイに掴まれました。

「まって……!」

「どうかしましたか?」

 フレイは顔に驚愕の色を貼り付け、言葉を続けました。

「見間違いじゃ、無かった……」

 フレイは村の周囲の森の中へ、走り出しました。当然、私もそれを追います。腰程の高さの草を踏み分け、四方八方へ伸びる木々の枝を掻き分け進んで行きます。フレイの歩調は速く、ともすれば木々に溶け込んで見失ってしまいそうです。それと、気になる事が1つ、フレイの言う人影を私は見ていません。つまり、フレイの言葉に私が森へ目を向けた時、既に人影は森の奥へ消えていた事になります。それなのに何故、フレイは迷うこと無く、木々を掻き分けて進んでいるのでしょうか。

 一見周囲と何ら違いがわからない場所で、フレイは立ち止まりました。しかし1箇所、地面を覆う草が踏み潰され、その奥の地面は掘り起こされた様子で、土の地面が剥き出しになっていました。

「これ……」

 ぎぎぎ……と油の切れたからくり細工の様に、フレイが振り向きました。その顔からは血の気が引き、蒼白となっています。その理由はフレイの先を見れば、直ぐに分かりました。雨によって土が流され、人間の腕が地面からその姿を覗かせています。

「ふむ……随分と新しいですね」

 私は屈み込むと、地面の腕の指先を摘むようにして、検分し始めました。それは恐らく女性のもの、切り分けられてはおらず、地面の中には体が埋まっていると思われます。腐敗の進んでいないキレイな見た目から、殺されたのは、随分と最近の事だと考えられます。遺体の全体を確認しようと、掘り起こすことも考えましたが、止めました。道具もなしに、遺体を傷付けることなく掘り起こすのは不可能です。それに……

「見つけた!君、雨の中立ってたよね?このままじゃ風邪引いちゃうよ……」

 フレイの伸した手は、眼の前に立っていた女性の身体をすり抜け、空を切りました。

「え……」

「離れてください……その女性、亡霊です」

 何が起こったのかと、女性と自身の手との間を視線を往復させるフレイを引き寄せ、庇うようにして2人の間に、私は立ちます。そして目を細め、用心深く女性を観察していきます。色素の薄い金の髪は腰まで伸ばされ、俯いているのもあって目元は前髪の影となっています。薄く青味がかったドレスは、胴や肩に板金で補強がなされ、腰には剣が携さえられています。恐らく高貴な身分の騎士だったのでしょう。

「リターン・トゥ・デス……」

 女性は私の魔法など意に介さず、何かを訴え掛けるように、ただじっとフレイを見つめていました。とはいえ、魔法が効かないのは想定していましたし、この結果に意外性はありません。しかし、たしかに意外性はありませんが、想定される可能性として最悪の状況ではあります。現世に留まる霊魂にはいくつか種類があります。あのカタコンベの死霊のような天に召されることなく吹き溜まってしまった者、何らかの術によって土地に縛られる者、未練によって縛られ留まり続ける者、そして自身の死に気づかずにいる者です。彼女は4つ目、しかも常人(つねひと)の目に映るほどはっきりとした確固たる形を持っている、幸いにしてこちらに敵意は持っていませんが、その様な亡霊を生み出す何かが在った、その事実が既に碌でもありません。

「浄化、出来ないの?」

「はい……彼女の様な、生前そのままの霊は簡単には……」

「そっか、エンチャント・エクリプスフレア……」

 私の言葉を聞いたフレイは、無造作に霊を切って捨てました。蒼と金の炎が辺りを照らし、霊の全身を食い破るように広がると、光の粉を散らしました。

「えっ……」

「はい、終わり!ん……?どうしたの固まって?」

困惑する私を他所に、フレイは剣を鞘に収めると、不思議そうな表情で私を見ました。その(みどり)の瞳は恐ろしい程に澄んで、狂気にも似た光を湛えています。

「いえ……その、少し意外だなと……」

「意外?何が意外なの?」

 思考をまとめるように一息置くと、私は言葉を続けます。

「その……まさか、一切躊躇わず斬り捨てるとは思いませんでした。私は彼女を救うのだと……」

「何で幽霊を救うの?」

 大きく目を見開き、あっけらかんとした様子でフレイが言いました。

「何故?彼女も元は人ですよ?」

「フィリア、やっぱり変わってるね。幽霊は幽霊、人じゃない、当たり前の事でしょ?他の死にぞこなったモノアンデッド同様、その存在は世界の在り方を歪めちゃう。だから、世界に在っちゃいけないんだよ」

 私は一見、天真爛漫に見えたフレイの内にある狂気に圧され、呆然とその表情を眺めるばかりでした。ある種の歪さ、それは出会った時からうすうす感じていたことですが、その大きさ、そして深さは私の予想など容易く裏切る程だったのです。そして、絶対に正体がバレる訳にはいかなくなりました。もし仮に、フレイの勇者の力が私に振るわれれば、私は容易くその極光に呑まれ消え去ってしまいます。

「そうですか……明日は早くに村を立つことになりそうですし、皆さんの所へもう戻りましょうか」

 絞り出すように私は言いました。口の中が嫌に乾きます。

「何言ってるの?人が殺されて埋められてる。見て見ぬ振りなんて、出来る訳無いでしょ。フィリア、調べてみて何か分かった事ある?」

 フレイの狂気は鳴りを潜め、確固たる意志の炎がその目に宿っていました。

「そうですね……まず殺されたのは随分最近の事、長くて1週間程でしょうか。それと、恐らく奇襲を受ける形になったはずです」

「理由は?」

「遺体が綺麗です。時間が経てば腐敗しますし、自分が殺されるなら当然抵抗します。腕に傷が無いのが、奇襲された事を示しています」

 私の言葉をそこまで聞くと、フレイは遺体に近付きました。そして、視線を遺体に向けると、考え込むように黙り込みました。

「取り敢えず、移動しようか。村で聞き込みをしよう」

 村と森との間に、木々の壁が無くなる所まで近づくと、村のあちらこちらに火の灯りが見えました。それはゆらゆらと上下に揺れ、絶えず移動しています。

「灯り?一体何だろう、また幽霊?」

「いえ、違いますあれは……」

 私達に1番近い位置、木製の柵の傍らはこの位置からでも、良く見えます。灯りの元は松明、松明を掲げた村人です。そして、それはゆっくりとこちらへ近付いて来ていました。

「っ……!隠れて……!」

 私はフレイを押さえ込むようにして身を屈め、背の高い草へ身を隠しました。

「ちょっ!何?」

「あの灯りは松明の火です。こちらに近付いてきてる」

「松明?けど、それなら何でこんな時間にこれだけの数が?さっきまで雨が降ってた訳だし、誰かが行方不明に、ってことも無いだろうし」

「分かりません……」

 その言葉を最後に2人共押し黙り、息を潜めて、じっと近付いてくる火へ視線を向けました。ゆらゆらと揺れるそれは、更にこちらへ近づいて来ます。

「あれっ……!」

 フレイが驚愕の声を漏らしました。それも仕方無いことでしょう。村人の松明を持つ手とは別の手、そこには夥しい血に濡れた斧が握られていたのです。

「聞き込む必要は、無くなりましたね……」

「それ、皮肉?けど、調べなくちゃいけないことは増えた。あの灯りの数、ほとんど村人総出だし、まるで山狩りだよ」

 視線を外すことなくフレイが言いました。

 村人は松明を横に揺らしながら、こちらへとゆっくり近付いてきます。幸い、私達には気が付いていないようですが、下手に動く事も出来ません。

「取り敢えず、皆さんと合流することを考えましょう」

「そうだね。皆、無事だといいけど」

 村人は更に私達に近づき、その距離は13フィート程。その姿が細部まで確認出来ます。土と汗とで汚れたシャツを着て、頭頂部は禿げ上がっていました。しかし、炎がその姿を朱く照らし、その肌色を確認することは出来ません。

「ふっ……!」

 突然、フレイが村人の前の身を躍らせました。そのまま、鋭くみぞおちに拳を突き立てます。村人はうめき声1つ上げることなく、その場に崩れ落ちました。

「良し、フィリア行くよ!」

 私はフレイの思い切りの良さに、呆れと関心とを抱いたまま、その後に続きます。幸いにして、村人は灯りを手にしているため、その居所は丸分かりで彼らを避けて進むことは難しくありません。時々建物の影に身を隠す事もありましたが、すいすいと進んでいくことが出来ます。

 私達が辿り着いた時、厩は火が消え誰も居ませんでした。

「フィリア、皆は?」

 フレイが聞いてきました。人の目では外から中の様子をはっきりと確認することが出来なかったようです。

「誰も居ません」

「分かった」

 私の言葉に軽く返事を返すと、フレイは地面を調べ始めました。一方、私は壁にもたれ掛かり、村の中を動く灯りに目を向けます。少なくとも今のところ、こちらへ近付いて来ているものはありません。

「フィリア此処を見て、足跡の上から別の足跡が重なってる」

 フレイに促され、私は床に視線を落としましました。雨でぬかるんだ地面には、足跡がはっきりと残っています。

「それで足跡の内、上から重なっているのは、こっちから続いているものだけで、逆は1つも無い」

「……つまり、皆さんも事態を察知し動いたと」

「うん、そう言う事」

 フレイは、足跡を辿って歩き出しました。厩の裏へ回り、小ぢんまりとした畑の脇を進んで行くと、農具小屋がありました。しかし、そこで足跡は踏み荒らされ、辿っていく事が不可能となっていました。

「う~ん……たぶん、全部村人のだね。どっちに行ったのか分からなくなったから、近くに隠れたと考えて探し回ったんだ」

「これは地道に探すしか……」そこで私は言葉を止めました。村の各所に見える灯りが、徐々に1ヶ所に集まって行っています。

「あの灯りの動き……もしかして……フレイ、ついて来てください」

 フレイの返事を待たず、私は走り出しました。あの灯りの動き、恐らく私たちの仲間の誰かを見つけた村人が、それを捕らえる為に集まりだしたのだと考えられます。灯りのおかげで、私達から村人の位置は丸見え、そのうえ村人達の意識は、私達から離れている。私は弱々しい月明かりだけが照らす中、迷うことなく最短距離を選んで進んでいきます。

「まって……!」

 不意にフレイが、抑えた声で言いました。

「どうしました?」

「変な臭いがする……」

  その言葉を聞いて、私は立ち止まると辺りの臭いを嗅いでみます。フレイの言う通り、確かに雨上がりのなんとも言えない湿気の臭いに混じって、何かが焦げたような苦い臭いがしました。

「確かに……けれど、まずは合流を優先しましょう。私ならこの暗さでも、先まで見通せます。遅れないでください!」

「うん!」

 言うが早いか、私は駆け出しました。無数の灯りもここまで来ると、大分近い位置となり、その元である村人の姿も確認出来ます。見つからない様、建物で村人の視線を切って進んで行きました。

「フレイ、見えました……」

 私は声を潜めて言いました。周囲に村人は5人、そしてその手に持つ松明の明かりがアランとアルフレッドを照らしていました。アランはアルフレッドの前に立ち、大剣を低く下げるように構えています。しかし、エルゼの姿が見当たりません。

「ヴオァァァァ!!」

 鋤を持った村人が、雄叫びを上げ真っ直ぐに2人へ突進しました。

「ふっ!」

 アランは大剣を振り上げ、鋤を絡め取るようにその先端をずらしました。勢いのまま村人は、前のめりに姿勢を崩します。

「ハァァ!」

 アランは、姿勢を崩した村人の背に肘打ちを食らわせます。無防備に受けた村人は、顔面から地面に崩れ落ちました。

「オオォォォ!」

 それを皮切りに、他の村人たちが一斉に突進しました。流石にこの数を捌くのは、アランといえども容易いことではないでしょう。

「やあァァァ!」

 この瞬間、フレイが飛び出しました。まず最後尾の1人に飛び蹴り、その前の村人も巻き込んで転倒します。さらに、姿勢を落とし深く地面を踏み込んで前に出ると、今度は柄打ち、無防備な脇腹に食らった村人は、しかし怯むことなく突進を続けました。

「ダァァァァア!」

 アランは剣の腹で、先頭の村人の頭を打ち付けました。横薙ぎに頭を打たれた村人は、くるんと回転して倒れ伏しました。しかし、剣を振り抜き無防備な所へ、フレイが止めることが出来なかった村人が迫ります。

「パニッシュ!」

その一撃を阻んだのはアルフレッド、ロザリオを祈る様に握り締めると、放たれた光弾が村人を吹き飛ばしました。

「皆っ!大丈夫?」

「フレイ、無事で何よりだ。アルフレッドの奴が、心配だ心配だとうるさくてな」

 駆け寄るフレイに、息を整えながらアランはそう言って、自身の背後に目線を送りました。

「勇者様!」

 アルフレッドがフレイに駆け寄ります。そして、状態も確認せずに回復魔法を掛けました。柔らかな黄色の光がフレイを包みます。

「アルフレッド……心配してくれるのは嬉しいけど、僕はなんとも無いよ」

「何言ってるんですか!勇者様の身は世界の至宝、万が一の事があってはいけません」

「それは大袈裟だよ」

 熱に浮かされた様なアルフレッドとは対照的に、フレイは落ち着いた様子です。

「ウオァァァァ!!」

「なっ……!」

 私の背後、その闇の中から村人は飛び出すと、私に向けて斧を振るいました。虚を付かれ、それでも私は、身を捩ります。肩口を斧が掠め、脚がもつれてその場に倒れました。

「フィリア!?」

 驚愕の声を上げたフレイでしたが、すぐに自分が何をすべきか把握し、地面を蹴りました。鋭く振り抜かれた剣は斧の柄を両断し、斧頭がクルクルと宙を舞います。

「てりゃぁぁ!」

 さらにフレイは手首を返し一閃、村人の腕に剣が食い込み、血が滴り落ちました。

「ぐ……ウゥぅぅ!」

 しかし、村人は止まることなく、1歩1歩と脚を動かします。剣は更に深くその腕の食い込み、やがてボトリと、腕が落ちました。

「えっ……!?」

 フレイの顔が驚愕に染まりました。村人はその左腕が落ちたにも関わらず、更にフレイに近づき、右腕をその首に伸ばしました。

「くっ……!」

 フレイは上半身をそらしてその手を辛うじて避けると、そのまま股ぐらを蹴り上げました。村人はよろめき数歩後ろに下がると、仰向けに倒れました。しかし、そこで万事解決という訳ではありません。

「なんだ、こいつ等!?何故もう起き上がってる?」

 アランの声が響きました。地面を舐めることになった村人達は、既に起き上がりアランとアルフレッドを囲んでいます。

「ターン・アンデッド!」

 アルフレッドを中心に、目を焼くような強烈な光が広がりました。私の視界は白い闇に飲まれ、何も見えなくなり、その上目の奥がチカチカします。

「効いて無い!?」

 アルフレッドの驚愕の声と、泥濘んだ土を踏み締める水音が聞こえます。恐らく、村人達の動きは止まってすらいない、それに斧が振られた時に体温が感じられました。それが意味することは……

「皆さん、逃げましょう。彼らはアンデッドではありません!」

 未だ視界が白くぼやける目を擦り、私は叫びました。

「フィリア……分かった。皆走るよ!」

「おう!」

「分かりました!」

 アランとフレイが村人をよろめかせ、切り開かれた道を一目散に私達は走り出しました。

「アンデッドじゃないって、ならあれは何なの?」

「そうですね……僕の目には、真新しい死体使ったアンデッドに見えた。けど、ターン・アンデッドは効かず……あれが何か分かるんですか?」

「一応、彼らの正体について、ある程度目処は付いています。唯、不確かな事を言って、皆さんを混乱させたくありません。ですから今は、先程言った通りアンデッドではないとだけ……」

 曖昧な私の言葉に、皆さんは不服な様子でした。

「分かった。じゃあ、正体に確証が持てたら話してね。それとアラン、エルゼはどうしたの?」

「アイツなら、臭いがどうこうとか言って、村を調べてみるって言ったきりだ。今になって思えば、この状況に真っ先に気付いたんだな。だが、アイツの事だから、きっと無事さ」

 アランの言葉に、フレイは小さく相槌を打ちました。

「勇者様!あれ……」

 アルフレッドの指差す先で火の手が上がりました。もうもうと煙が昇り、やがて赤々と村を照らしていきます。

「行ってみよう」

 フレイの言葉に、皆黙って頷きました。

 未だ遠方に見える炎は、時毎その勢いを増していっていました。普通、雨が止んだばかりのこの状況で、火勢が増すことは有り得ません。間違いなく、そこで何かが起こっているはずです。そして、現状においての勢いを増しているのは炎だけではありません。私達の背後、村人達は次々とその人数を増し、濁流のような形相となっていました。

「ウアァァァア!!」

 雄叫びを上げ路地から飛び出してきた村人が、その手に持ったクワを振るいました。それをアランは剣で反らしました。そのまま勢い余ってつんのめる村人の横をすり抜け、私達は走ります。村人達の数が、更に増えました。

「不味い、このままじゃ追いつかれる!」

 アランが叫びました。次から次へと路地から村人達の奇襲を受け、徐々にしかし確実に追い込まれています。火元はあと少し、しかし仮にエルゼが近くに居ても、これでは合流など出来そうもありません。

「皆、こっち!」

 そう言って、フレイが路地に滑り込みました。それに続いてアラン、アルフレッドと続き、最後に私も路地に入ります。そして、全員が路地に入った瞬間、フレイが建物の壁の下部を切り裂きました。壁が中頃から折れ、家屋は潰れるように崩れ落ちて道を塞ぎました。

「ふぅ……これで、ひと先ずは大丈夫のはず」

「そうだな。だが、ここでボヤボヤしてるとすぐに囲まれる。動くぞ」

「皆、こちらへ。先に灯りは見えません、安全なはずです」

 アルフレッドの言葉に従い、路地を抜けて行きます。火元は家屋を2つほど挟んだその先まで近づいていました。念を入れてもう1度周囲の様子を確認し、建物の影から出たその瞬間、私の肩を何者かが掴みました。

「誰ですか……?」

「あたしよ」

 ギギギと油の切れた車輪の様にぎこちない動きで振り向くと、そこにはエルゼが立っていました。

「エルゼ!良かった、無事だったんだね」

「当然じゃない。あたしはを誰だと思ってるの?情けなく捕まるわけ無いでしょ」

 そう言ってエルゼは胸を張りました。

「エルゼ!なにか収穫はありましたか!?」

「ええ、これが見つかった」

 エルゼは小さな小瓶を、アルフレッドに手渡しました。それは人の親指ほどの大きさで、濁った緑色をしており、内容物を外から確認することが出来ません。受け取ったアルフレッドは、しばらくそれを持ち上げ、軽く振りながら眺めていました。

「アルフレッド、そいつを眺めてるのは構わないが、もうここに長居する理由はない離れるぞ」

「おっと、すいません。そうですね、行きましょう」

 アランに促され、私達は移動を始めます。現状、周囲に村人の姿は見えませんが、ここは村の中でも中心部に近く森の中のまでは距離があります。移動している間に村人と遭遇する可能性は高いでしょう。


「もう大丈夫のはずだ……」

 村を抜け木々の影に身を滑り込ませると、周囲を見回してアランが言いました。村の各所で揺れる火はまばらで、彼らは私達を見失ったと見ていいはずです。

「では、調べてみましょうか……」

 アルフレッドが小瓶の蓋のコルクを抜くと、鼻を刺すような強い腐臭が広がりました。

「ゔっ……ゲホッゲホッ……」

「なにこれ……酷い匂い」

「アルフレッド!早く閉めて」

 皆、その臭いに顔を歪めましたが、そんな中、アランはなんとも無いような顔をしていました。いえ、正確に言えば私も平気でしたが、目を不快そうに細めてみせます。

「この臭い……間違いなく毒ですね。それにしても、本当に酷い匂いだ」

 コルク栓を閉め、気を落ち着かせるように深呼吸をすると、吐き捨てるようにアルフレッドが言いました。

「毒?それってどういった物か分かる?」

「すいません、そこまでは僕には……」

「失礼……少し貸してもらいますよ」

 フレイの言葉に言葉を詰まらせたアルフレッドの手から、私は小瓶を抜き取りました。そして、コルクを抜くと鼻に近づけます。この酷い腐臭、恐らく主成分はヒヨスのはずです。

「確定ですね……」

「もしかして、分かるの!?」

 私の小さなつぶやきに、フレイが身を乗り出しました。

「この毒は人の精神を破壊するものです」

「つまり、この村の有り様は正にそれって訳ね」

 私の言葉に、エルゼが返しました。

「私は、彼らはアンデッドでは無いと言いました。彼らは生ける死者では無く、死せる生者、薬で精神を破壊された操り人形です。そして、首謀者は毒草の専門家、恐らく魔女のはずです」

「ねえ、それって治療は出来ないの?」

 フレイがじっと私の目を見つめながら聞いてきました。

「恐らく、それは厳しいでしょう。思い出して下さい、森に埋められた死体、つまり薬を使われたのは1度や2度ではありません。治癒など期待できぬ程に、脳が破壊されているはずです」

 私の言葉に唇を噛み、押し黙っていたフレイですが、やがて口を開きました。

「分かった……僕達でこれ以上の犠牲を無くそう。魔女はどこに居るの?」

「そうですね……いえ……今、分かりました」

  その瞬間、天を突くように燃え上がっていた炎が渦を巻いて千切れ、辺りへ燃え広がっていきました。まるで中央から逃れるように。

「うん、僕にも分かった。と言うかフィリア、全て分かったみたいな態度だったけど、そうじゃなかったんだね」

 フレイは走り出しながら言いました。しかし、私の態度はすべてを見透かしたようなものだったのでしょうか?

「フィリア〜!」

「いけませんね……」

 フレイの言葉に意識を引き戻されました。ほんの少しの思考時間、しかしその一瞬のうちに皆、随分と進んでいっていました。周囲を1度見回すと、私も皆を追いました。

「いたぞぉ!いたぞぉー!」

 叫び声と共に、続々と村人が集まってきます。私達はそれには目もくれず、真っ直ぐ村中に拡がりつつある炎の中心へと進んでいきます。突然、粗末な木の板切れが目の前を舞ったかと思うと、村人が斧を振り下ろして来ました。それにフレイが反応し、斧の一撃をすり抜けるように距離を詰め、喉笛を切り裂きました。噴水のように血が吹き出し、村人が仰向けに崩れ落ちます。私達は決して振り返らず、走り去りました。

「っ……!フレイム・ウォール」

 正面から迫ってきた村人の壁に、エルゼが炎の壁で対抗します。地面から吹き上がる炎に巻かれ、村人はその場で転げ回ることとなりました。目指すべき場所まではあと僅か、のたうちまわる村人達を踏み越えて進んでいきます。

 私達が炎の中心へたどり着くと、そこにいたのは枯れ木の様な老婆でした。油気のない荒れた髪は伸び放題で、その隙間から覗く眼だけがギラギラと生気を漲らせています。

「しぇしぇしぇ……アタシの信者達にやられずここまで来るとは、なかなかどうしてやるようだね。けど、それもここまでさ、安心しなすぐに殺しはしないよ……」

 嘲るような調子のその声は、酷くしわがれていました。

「信者……?はっ、残念だが貴女は神では無い。人の心を捻じ曲げ悦に入る唯の外道が、冗談でも神など名乗れる訳も無いでしょう!」

「随分と威勢のいい小僧だね。けどね、すぐに黙ることになるさ……」

 激情を迸るアルフレッドの言葉に、老婆は何処吹く風といった様子で手を広げました。老婆を中心に風が渦を巻き、肌が粟立つ様な感覚がします。

「残念だが、黙るのは貴方の方だ……サンダリング・サンクチュアリ!」

 アルフレッドは老婆を射貫くように見据え、ロザリオを握り締めました。その瞬間、パチパチと燃える木が爆ぜる音、木々が揺れる音、そして村人達の怒声、先程まで聞こえていた音が消え、ヒュウヒュウと唸る風音だけが聞こえてきます。ドーム状に広がる蒼白い光の壁が、外と内とを完全に分断したようです。

「ほう……存外冷静なようだね、だが!」

 老婆が指を動かすと、地面から太い木の根が無数に伸び、アルフレッドに迫ります。

「はあぁぁ!」

「うらぁ!」

「バーン・アウト!」

 フレイとアランの剣が根を切り飛ばし、エルゼの魔法は根を弾けさせました。バーン・アウトは、術者の目の前を発火させる魔法で、その単純さ故に高い火力を有します。実際、今まさに爆ぜ飛んだその断面は完全に炭化し、一部は灰となってボロボロと崩れていっています。

「やるね……これは、あたしも想定外だった……けれど、けれども、結果は変わらない……!ラース・オブ・ネイチャー」

 老婆が呪文を唱えると、無数の樹木が地面から突き出し、四方八方へ枝葉を伸ばしていきます。成長する樹木は石造りの地面を突き破ることを考えると、異様な速度で成長するそれらの威力は想像できるでしょう。

「ファイアー・ボール!フレイ、行って!」

 エルゼの炎が無数の枝の内、細い物をすべて吹き飛ばしました。枝葉の隙間をすり抜け、自身に迫るものを切り払い、フレイは老婆へ向かっていきます。

「エンチャント・オブ・エクリプスフレア!」

 金の炎を纏った剣が、無数に絡み合い盾となった木の根ごと老婆を切り裂きました。青と金に揺らめく炎が、全ての枝葉に広がると、無数の木々は灰化しサラサラと崩れ落ちていきました。

「終わりましたね」

 アルフレッドが立ち上がると、周囲を覆っていた光は天に昇る様に消え去りました。その外では、焦点の合わない目で虚空を見つめる村人達が、膝から崩れ落ちていました。薬で壊れきった彼らは、その心を魔法で取り繕わなければ、心臓が動いているだけの唯の死体です。

「結局、僕は何も救えなかった……」

 搾り出すように声を出したエルゼの唇から、一筋の血が流れ落ちました。

「いいえ……違います。貴方はこれから犠牲になるはずだった人を救いました」

 ヒヨス 実在するナス科の多年草、強い毒性を持ち、接種すると幻覚症状などを引き起こす。


 サンダリング・サンクチュアリ 外部からの干渉を不可能にする聖なるドームを貼る。それは、信者を守る神の手である。

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