勇のない者
高校入学、それまでは、実に楽しい人生でした。親の作ったご飯をいただき、親がかつて通った学校へ通う。皆一律に授業を受け、同じ空間で等しく給食を食べる。何も、何も考えずともよい、まこと素晴らしい生活でした。
けれど、高校からは異なります。選択授業に、バラバラの昼食。そして何より進路選択です。この自由さは、かえって私を困らせました。
というのも、私には自分で物事を選択する勇気、いわゆる決断力というものが著しく欠けていたのです──
私には、それこそてんでありませんが、運動能力に学力、とにかく他の能力はかなり高い方だと自負しておりました。故に私の胸の内には、将来的には私の体を最も上手に扱える指導者に、私の行動の一切を委ねたいと、そういう思いはありました。
しかしそんな思いが、一つの職を見据えることはありませんでした。ただ与えられた職務をこなすだけで、自らの思考の入る余地のない。案外そういう職業は、いっぱいいっぱいあったのです。私には選べませんでした。
3年の夏、いよいよ皆が自分の未来を見出だす頃。未だ先の見えない私には、焦りが募るばかりでした。
その夏の、ある日のことです。私は軽い怪我をしてしまった冒険者の父の代わりに、「ゲート」と呼ばれる時空のひずみによって現実とは隔絶された不思議な世界「ダンジョン」というところに、家計のためにやってきました。
ダンジョンには恐ろしい猛獣等がおり、命の危険は伴いますが、そこでしか得られない鉱物や植物が、それを集めるだけで職業（それを冒険者という）たり得るほどの金となるのです。
そこに入ってから2,3時間ほど経った後でしょうか。突然ダンジョンの「外」から、凄まじい音が響いてきました。
耳を塞いでも、脳の奥まで直接届くような轟音。それは明らかな異常でした。なぜなら現実とダンジョンとの間は時空で阻まれているはずですから。外の情報が入ってくるなど、ありえないことなのです。
ありえないこと...しかし明らかに、その音はゲートから飛び出して来ていた！
私の他の、同じく金を稼ぎに来ていた冒険者たちは、
「現実に戻り、様子を見に行くべきだ」
と、ぞろぞろとゲートを通過してゆきました。
それを見ていると、なんだか自分も行かなければならないような気がして、（これもまた、決断力がないといえるのでしょう）私も後に付いて現実に帰りました。
ゲートから出て、真っ先に私の目に飛び込んできたものは、変わり果てた私の国でした。建物と呼べるものはどこにもなく、ただ岩と血と火のみがありました。
...後になって分かったことですが、どうやらこの国には幾十もの隕石が落ちたそうです。国内の異端の魔術師達が、何らかの禁忌に触れたことで起きた災厄だと噂されています...
なんにせよ、当時の私と他の冒険者には知る由のないこと。彼らは数秒の硬直の後、飛び跳ねるように国...があったはずの焼けた大地へと駆け出しました。
「何が起きたか」
「生きている人はいないのか」
彼らは今の自身に出来ることを、めいいっぱい行っていました。
当の私は、呆然とゲートの前で立っているだけでした。もとよりダンジョンに来たのは、父に頼まれたから。ダンジョンから出たのは、出ろと言われているような気がしたからです。
しかし、今の私を指示する者は誰もいません。
誰も、どうすればよいか分かっていないから、それぞれがそれぞれの思いに従い行動しました。ある人は瓦礫をひっくり返し、ある人はダンジョンに戻り、ある人は叫び、ある人は泣き崩れる...
そのバラバラな行動は、私の次の行動の指針を、多方から複数の磁石を近づけられた方位磁針のようにめちゃくちゃに狂わせました。
突きつけられた自由が、私をその場に縛りつけた。その結果、私は立っていることしかできなかったのです...
そうして時間が経つと、馬にのった大勢の者が、激しく砂煙を上げてこちらへ駆けてくるのが遠目に見えました。生き残りの住民か、あるいは他国からの救援かと、我々は期待と安堵に喜びました....
....そのような期待は外れ、やってきたのは悪党達でした。人として守るべき道から外れた、愚かなならず者...しかし、こういう騒ぎに彼らが駆けつける速度は、兵隊よりも速いようです。
あえなく私も冒険者も捕らえられ、彼らのアジトへと連れ去られていきました。
...連れ去る前、悪党達も辺りを探し回りましたが、この亡国には誰一人の生き残りもいなかったそうです...
そうして悪党達に連れてこられた鉱山で私達に課せられたことは、大きな大きな鉱脈を掘ることでした。
「貴様ら冒険者は、肉体労働ならお手のものだろう」
そう言い放った悪党の親玉らしき者の右手には、何かリモコンのようなものが握られていました。
実際それはリモコンでした。悪党が私達の首にはめた首輪のためのもので、そのリモコンのボタンを押すか、あるいは首輪を勝手に外すと、首輪が爆発して死に至るとのこと。
そのどちらも事実であるということは、2つの命の犠牲によって明らかになった。
かくして私の新たな人生、鉱山奴隷としての生活が始まりました。
掘って、運んで、食べて、寝る。言ってしまえばこれが全てです。もちろん食事も睡眠も、人並みのものではありません。そのため、いくつかの冒険者は健康を害して倒れ、しかしその分1人当たりの食事の分け前がちょいと増えることに、皆悲しくも歓喜しました。
皆はこの奴隷としての人生を嘆き、深い絶望のもと日々を送っていました。
...私は、この生活はそれなりに気に入っていました。なぜならこの、今の生活こそ、私の望んでいた「自分の思考の入る余地のない」生活だったからです。
前述した通り、肉体的に優れていた私にとってツルハシを振ることは苦痛ではなく、食事はもとより少食だったので問題ありませんでした。
それに私にはもう帰る家も、共にいる家族もいないのだから。ここでぼうっと生きるのも、それほど悪いことではないように思えたのです。
だから私は、自由なんて求めてはいなかったのです。
...鉱奴としてどれだけ過ごしたか、数えるのも面倒になった頃。激しく騒がしい馬の足音が、洞窟の外から響いてくる。
「─我々は──兵団だ！」
「─奴隷達を解放しろ！」
そして再び馬の足音が鳴り響き、同時に激しい金属音も鳴り始めた。どうにもどこかの兵隊と悪党達が、戦いを始めたらしい。奴隷の冒険者達は、希望に満ちた表情でそれを眺めていた。
ある兵士が放った魔法により奴隷の首輪が外されると、皆は解放の安心に震え、それぞれの言葉で感謝や応援の言葉を叫んだ。戦闘はもう佳境に突入した。
そんな最中において私は、石の壁にもたれて突っ立っているだけでした。応援の言葉が思いつかなかった、というだけではありません。
それどころか私は心の中で、兵隊の敗北さえ望んでいました。もちろん、彼ら兵士達にはなんの恨みも無いのですが...
...私はただ、今の生活が崩れるのが、どうしようもなく怖かったのです...
結果は、兵隊の勝利でした。ほぼ圧勝と言っても良いぐらいに。兵士共は降参した悪党を縛り上げ、馬車へと詰め込んだ。冒険者たちは兵士の元へと駆け寄り感謝を述べて、それとは別の馬車へと乗せられた。
私はまだ、鉱山の冷たい石壁にもたれていた。不安に満ちた荒い息遣いが、坑道の中で寂しく響く。何日も、何ヶ月もかけて、私がら掘り進めた道だ。
間も無くして、兵士の1人が私を見つけた。彼は優しい笑みを湛えて、動かぬ私に歩み寄った。
その時彼にかけられた言葉を、私は五感に覚えています。
「落ち着いて、もう大丈夫」
「君は自由だ」
それは、まるで死刑宣告のように。
あのゲート越しの隕石の音よりも深く、重く、私の頭に響き渡りました───
──
───
「君、いったいどうしたんだい」
「私...ですか？」
知らない路地裏で、知らない老人が、突然私に話しかけてきた。
「君...ここ数日くらい、もうずうっとこの町をほっつき歩いてないかい。どこかで休んでいるようにも見えない。食事もしていないのか、随分やつれているじゃないか」
言われて私は、初めて自分の身体を見た。それは以前の私とは見違えるほど、ひどく痩せ細っていた。
そうだ、私はあの後、あの兵隊の属する国へと連行され、十分な路銀を渡され、それから私は...
私はただ、何もせず町をさまよっていたというのか。
誰かが私に、仕事の方からやって来るのを待って...
「いけないよ、若い者がそんなに細くちゃあ」
「ほい、これ」
私と同じくらいに痩せていた老人は、横に置かれた箱から何かを大事そうに取り出し、私に渡してきた。
「これは...」
「これはって、どう見てもリンゴだろう」
老人は苦笑して私を見つめる。
「んまあ見つけてから何週間か経ってるから、少しカビついて色も変だが...なにも食べんよりマシだろう」
「...ありがとうございます。それでは──」
私はそこまで言い、そのリンゴをよく見る。リンゴを...
そこで、気がついた。これはリンゴではない。意識が曖昧で気づけなかったが、明らかにこれは猛毒の果実、ナシリンゴだ。この者は、この破れたる服を着たみすぼらしい老人は、私を騙して毒殺しようとしたのだ。
「すみません、これは...」
ぞっと、血の気が引いた。こんな危ない人を怒らせたくはない。私は至極穏便な態度で、死の誘いから逃げようとする。
しかし...
「いいんだ、遠慮なんて」
「俺はもう先が短い。そいつの栄養は、先の明るい若者の血肉になるべきさ」
その老人の純粋な笑みが、私に再び気づかせた。
この人は、本当に親切心からこれを渡そうとしているのだ。おそらくは、リンゴとナシリンゴの区別がつけられないのだ。
確かに彼は、ナシリンゴを妙に小綺麗な箱から、貴重な宝物のように出していた。きっと何かめでたい日のために、大事に取っておいたのだ。それを渡すと決意するのに、どんな苦痛を強いられたのかは想像に難くない。
それでもこの人は、それを私に渡すことを選んだのだ。なんと美しい勇気の持ち主だろうか！
しかし現実にこれは毒であり、私としては食べるわけにいかない。老人に向き直り、きまずく応える。
「ありがとうございます。しかし...」
しかし
しかし
その老人の笑顔は、身を削るその親切心は、私に...
食べろと命令しているようだった
...思えば私の人生には、一体何度の転機があったのだろう。幼少から、やがて今に至るまで。高校に入学したあの日...隕石の落ちた日...悪党から救われた日...
しかし私はなにもしなかった
「かふっ」
山から流れ落ちる川水が、自然に上へ登ることがあるだろうか。下へ、下へと、どろどろ流れていくだけだ。
「ああ、とってもおいしいです！」
勇気のない私、流れ者の人生。力を抜いて、身を任せ...ただひたすらに堕ちていく...
水は固まり、底へ着き、そこから淀みがにじみ出た。
気に入っていただけたら、評価、ブックマーク、よろしくお願いします！感想も書いていただけると励みになります！
