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大阪オリンピック

作者: オモト ラム

 2096年秋、夏のオークランドオリンピックが終了して間もなく、次回オリンピック会場となるオーサカで、IOC理事会が開催されていた。議題は次回の競技種目である。

 会長のウザイン・ボルト4世が切り出した。

「今回の夏季オリンピックは南半球で行われたため、夏季という名ではあるものの、7月に真冬のニュージーランドという最高の環境の中で、全ての競技を滞りなく実施することが出来ました。しかししかし、4年後は、気温も人情も半端なく熱いオーサカです。聞くところによれば、若者達は年中、ドートンボリという運河に飛び込んで水浴びをしているとのこと。つまりオーサカは100年前のインドのムンバイと同じ状況です。」

 日本の理事が隣の日本人理事に呟く。

「飛び込むのはタイガースが優勝した時だけだろ?」

「ええ。だから滅多にないハズですよ。私も20年は見ていませんから。あんな事を言うから大阪は誤解されるんですよ。」

 調査委員会の委員長であるブフカ6世がウクライナ訛りの英語でメモを読み上げる。

「我々IOCの調査委員会は、24時間全ての時間帯でオーサカでの屋外スポーツは不可能という結論に至りました。よって屋外で行われる競技は全て中止とします。」

 会場内が少し騒めくが、ブフカ委員長は何の躊躇もなくメモを読み続ける。

「では中止となる競技名を読み上げます。陸上競技場で行われる全てのトラック競技、フィールド競技、サッカー、ラグビー、ホッケー、馬術、ロードで行われるマラソン、競歩、トライアスロン、そして水上競技のサーフィン、カヌー、ヨット....。」

「ちょっと待って下さい。」

 一人の利発そうな日本人理事が手を挙げた。もと400mハードル日本記録保持者、ダメスエ5世である。

「今回のオークランド大会で実施していた競技から二十数種目も削減するなんて、断じて許せません。特に陸上競技はオリンピックの花形ですよ。400mハードルのないオリンピックなんて意味がありません。」

 ブフカ委員長は「鳥人」と呼ばれたご先祖様譲りの青い瞳を輝かせて応える。

「400mハードルの有無はさほど重要では無いと思いますが、陸上競技の重要性は充分理解できます。棒高跳びができないなんてご先祖さまに申し訳ない気持ちで一杯ですよ。しかしオリンピックはアスリートファーストです。80年前のトーキョーのようなリスクは負いたくないんです。今日の天気をみてもわかるでしょう。100年前のインドと同じ気温になったこのオーサカで選手たちを走らせることがいかに無謀なことかは、アスリートでなくともわかるでしょう。」

 そこにロシアのブルシェンコ3世副会長が口を挟む。

「会長、陸上競技は夏のオリンピックの花形ですよ。100m決勝なんて冬季五輪のアイススケートフィギュア男子フリーの様なもの。ボルト会長のご先祖様の感動のシーンは陸上競技の宝です。この感動の歴史を消してしまうことだけは何としても避けたいものです。そしてスポンサーからの広告収入も。」

 会長は気を良くしたのか、最後の広告収入の言葉が聞いたのか、ブルシェンコの言葉に強くうなずきながら、相談するかのように問いかける。

「ブルシェンコさん、ありがとう。確かに私の曽祖父コサイン・ボルトの世界記録は30年間破られなかった偉大な記録だ。映像でしか見たことはないが、リオでオリンピック3連覇を達成した時の観衆の熱狂は素晴らしいものだった。できればオリンピックでこのシーンを無くしたくはないことは私もご先祖様も気持ちは一緒だ。しかし、いったいどうすればいいと言うんだね?」

 ブルシェンコが続ける。

「屋外競技はサハリンで実施してはいかがでしょう。オーサカはもはや熱帯です。たとえ日本国内に涼地を求めたとしても、日本の最北、北海道でさえ10年前に亜寒帯から温帯気候に分類変更され、札幌も真夏となれば40度を超える日があります。その点、樺太は今も夏の平均気温は20度を下回り、少なくとも、10年前に亜熱帯気候に分類変更されたオーサカを含む西日本に比べれば、アスリート環境は雲泥の差があります。しかも樺太はオーサカからは空路で2時間です。」

 日本の理事達がヒソヒソ話をしている。

「なぁ、稚内あたりだったら気候は樺太と変わりないだろう。」

「いや、あの辺はインバウンド目当てに世界遺産にしてもらう条件として、漁師とヒグマとアザラシとセイコーマート以外は立ち入り禁止にしてしまったから会場の設置自体が無理だよ。」

「あの副会長、実は極右で、知床半島まで領土拡張を狙っているというウワサがあるぞ。」

「フーチン大統領とも仲がいいって言うじゃないか。危ない、危ない。」

 いつもは冷静なダメスエ理事も、さすがに憤りを隠せず立ち上がった。

「会長、オリンピック開催地は日本の大阪ですよ。ロシアの樺太で実施したらもはやオオサカオリンピックとは言えないですよ。」

 ブルシェンコ副会長が反論する。

「いや、例外があったじゃないですか。2021年のトーキョーオリンピックですよ。トーキョー開催にもかかわらず、マラソンと競歩はサッポロで実施したでしょう。」

ダメスエ理事が反論する。

「札幌は日本国内ですよ。隣国ロシアのサハリンなんて飛躍しすぎてますよ。あなた自国でやりたいだけなんじゃないですか。」

「めっそうもありませんよ。私は祖国と同じくらい日本を愛してます。特に北海道は自然が美しく食べ物も美味しい。ロシアの領土にしてしまいたいくらい北海道が大好きです。しかし残念なことに、北海道は今や温帯気候。昨年の札幌では8月の最高気温が40度を超える日がありましたよね。残念ながら昔のように陸上競技の一部を実施できる涼しい都市ではない。要するに日本国内で真夏に屋外で陸上競技が開催できる土地はないんです。陸上競技をやめるか、サハリン即ち樺太で実施するかいずれかしかないでしょう。その際にはロシア・日本共同開催ということになりますがね。何でしたら、南サハリンを半年だけ期間限定で貸与しましょうか?日本ならいいんですよね?お安くしておきますよ。」

 ブルシェンコ理事の饒舌さに思わず頷く理事も少なくない。

 そこにルーマニアのIOC理事が立ち上がる。

「すべて室内で行えるなら、オオサカでよろしいんじゃないですか。」

 日本の頼もしい味方、ウロフチ・アレクサンドリア4世である。元ハンマー投げの世界記録保持者。父方に日本人の血が流れており、名古屋の大学院を卒業している。文武両道、容姿端麗、しかも独身ときているから、世界中の女性たちから熱視線を浴びている。

 会長が尋ねる。

「すべてって、君はどこまでを考えて言っているんだね。トラック競技やフィールド競技なら競技場を完全屋内競技場にすれば可能だろうが、マラソンや競歩はどうするんだね。それに屋外競技は陸上だけじゃない。ボートやヨットは確実に無理だろう。まあ、君はハンマー投げさえできれば満足なんだろうが。」

 ブルシェンコ副会長も相槌を打つ。

「ではトラック競技は完全屋内競技場を造るという条件で、その他の競技はサハリンで行うという折衷案ではどうですか?オーサカの面目も保てるでしょう。」

 ウロフチ4世は首を振る。

「何をおっしゃってるんですか。私は屋外競技のすべての競技のオーサカでの実施を願っています。そして、暑さを凌げる方法はあるんですよ。」

 ブルシェンコ副会長が疑い深く聞く。

「いったいどんな方法があるんですか?」

 ウロフチ理事が笑みを浮かべて応える。

「マラソン、競歩はすべてオーサカメトロで行えます。御堂筋線は片道24キロあるからマラソンが可能。谷町線は28キロあるから50キロ競歩も可能です。」

 ブフカ委員長が追求する。

「ボートやヨットはどうするんだね。地下鉄を川にするのかね。」

 ウロフチ理事は淡々と続ける。

「ボートは大川で充分でしょう。中之島から天満橋まですべて屋根で覆えば立派な屋内です。」

 ブフカ委員長がまだまだ懐疑的な目で詰問する。

「立派かどうかはわからんが。ヨットはどうするんだね。風邪が吹かない所ではセーリングはできないぞ。」

 ダメスエ理事がウロフチ理事に加担する。

「大丈夫、ロッコーアイランドとポートアイランドの間に屋根を付けますよ。夏のごく一部を除いて六甲おろしが年中吹いていますからね。」

 理事のアサッハラ4世が口を挟む。郷土愛の強い真っ直ぐにしか走れない性格の男だ。

「しかし、あそこは神戸ですよ。明らかに大阪ではない。」

 新任のバックストローク・イーリエ4世が自信たっぷりに口を挟む。

「三ノ宮から東は全部オーサカみたいなものですよ。」

 日本サッカーの重鎮、カガーワ3世理事が声を上げる。

「あまりにも失礼な話だ。武庫川から西は誰もオオサカとは思ってないよ。」

 礼儀を重んじるアサッハラ4世が言い放つ。

「もし六甲の風に吹かれてヨット競技がしたいのなら、神戸まで、手土産持って来なさいよ。仁義を切りなさい。」 

 イーリエ4世が鼻スジの通った美顔を更に上に向けて言う。

「何を威張ってるんだね。尼崎の市民なんか皆さん99%大阪出身と答えますよ。」

 尼崎出身のリッツ・ドーアン2世が反論する。

「いや、西宮市民だって神戸から来ましたと言いますよ。」

 イーリエ4世が笑って言う。

「それは兵庫県内の話だろ。それなら、芦屋や宝塚の人はどうだね?神戸なんて絶対に言わないだろ!。」

 ボールト会長がたまりかねて口を挟む。

「皆さん、話が逸れてますよ。ヒョウゴスラビアの内情など、どうでも良い。ここはIOC、国連ではありません。念を押しますが、大阪だろうが神戸だろうが、その辺りで、全ての競技が屋内でできるんですね。」

 ダメスエ、ウロフチ、アサッハラ、カガワー、ドーアンの各理事が口を揃えて言う。

「できます。」

 会長はやや懐疑的な表情を残したまま、一度大きなため息をついて言う。

「ブルシェンコ副会長、ここは開催地の発言を信じましょう。もし万が一、屋内実施が不可能な競技が出たら、その競技はロシアのサハリン開催ということでいかがですか。」

 ブルシェンコ副会長は不敵な笑みを浮かべて同意する。

「本当に開催できるのか、疑わしい限りですが、会長の決定に100%従いますよ。グリコランナーやくいだおれ太郎やフグ亭が、屋根で覆われる日を楽しみに待ってますよ。」

拍手の中、大阪府知事のオシムラ3世だけは、予想も立たない出費の増加を危惧していた。


 2100年、夏季オリンピック・オーサカ大会の開会式が行われている。

 ジャパン生命、シーエンス、タケシオ製薬品、佐藤忠商事、ウボタ、トリックス、チマノ、ヨントリー、ジャープ、日本パム、一心食品、江崎ブリッコ、タプコン、トクヨ、地元企業の来賓の顔も錚々たるものだ。

 来賓の一人で、オーサカ産業界のドンと言われるパナトニックのコーノトリ・マツシタ6世が感慨深げに隣席の紳士に声をかける。 

「しかし、この時期に夏のオリンピックを開催するとは。知事の政治力は大したものだ。もう少し知事に置いておきますかな。」

 声をかけられたヨントリーのノブ・トリイ8世も穏やかな口調で答える。

「しかし、2兆円の赤字を出しましたからな。我々経済界に頼ってくるんだろうが、流石に厳しい金額だ。お灸をすえる必要もあるかと。」

「ではまあ、今期で辞めてもらいましょ。」

 二人は声高に笑った。

 開会式が開かれている、エキスイ・タイワハウス国立競技場は開閉式の屋根があるにも関わらず、見事に全開。頭上には快晴の青空が広がっている。

 大会関係者の席には各理事の面々が座っている。

「しかし、よく開催に漕ぎ着きましたね。」

「まさか、花見の時期に夏のオリンピックをするとはね。」

「春分の日以降、日本ではサマータイムを実施するから夏だという屁理屈がよく通りましたね。」

「海外のIOC理事たちも、日本の桜が大好きなんですよ。」

「しかも、オーサカは、桜の名所である京都や奈良に近いですからね。当然皆さん京都や奈良に宿泊してますよ。」

「ウロフチ理事が中之島から天満橋まで屋根つけるなんてとんでもない案を出すから、一時はどうなるかと思っていましたが、ロッコーアイランドに屋根をかけ始めてまもなく、大阪市が財政破綻したお陰で、計画が頓挫。ダメスエさんが「日本の夏は3月から理論」を掲げてあっという間に開催時期の変更が決まっちゃいましたからね。」

「何でも噂によれば、時期IOC会長の座を狙っているブルシェンコ3世とJOC会長の座を狙っているダメスエ理事との裏取引が影響しているようですよ。」

「いったいどんな裏取引なんですか?」

「8年後のベルリンオリンピックをひっくり返すらしいですよ。」

「ひっくり返す?」

「ええ、サンクトペテルブルクに変更するようです。」 

「しかし、変更となれば総会の特別決議が必要ですよ。それにドイツ国民の心情は押さえきれないものになるのでは?」

「いや、ドイツ国民の心情なんてブルシェンコ副会長には関係ない。ご先祖さまの威光を利用して、既にフランスのマカロン大統領やイギリスのメリザベス3世、スペインのプェリペ7世とはドイツ包囲網を確立したし、更にアジアでは旧知の中である中国の集金兵も味方につけたから、あとは日本を含む中国周辺国。東南アジアやオセアニアと結びつきの強い日本の票がどうしても欲しかったんですよ。」

「今回の五輪開催でダメスエ理事の評価はウナギ登り、五輪後の会長選で水泳連盟のイタジマ会長を破ってJOC会長の座に着くことはもはや疑いようがない。」

「五輪でメダルも取っていないくせに。」

「いや昔はメダリストじゃなくても会長の座に着けたらしいですよ。」

「まあ、そんなことはどうでもいい。ドイツと仲がいいカガーワ理事やハセベー理事がなんて言うか。」

「いやいや、彼らも大人です。しかもサッカー協会会長の座を狙っている立場。必ず体制側に着きますよ。」

「ちょっと寂しい気もしますね。真のスポーツマンはどこにいるんでしょうね。」

「若者たちはいつの時代も真のスポーツマンだよ。問題はいつの時代も、大義名分を振りかざして、金と名声のために若者たちを翻弄する上の者達だよ。スポーツ界だけじゃない。お役所だって、会社だって、そんな風土が蔓延してるだろ。どこの世界でも若者は真摯に向き合ってるよ。」

2人は思わずため息をついた。

 3月、春分の日、澄み切った青空の下、大阪の街にオリンピックのファンファーレが鳴り響いた。桜も若干散り始めてはいるが、まだまだ桜花の美しさを充分に留めている。気温は20度。屋外でスポーツをするには最適のコンディションだ。

 ブルシェンコ副会長の隣に座っている理事がご満悦のブルシェンコに語りかける。

「副会長、今入った情報ですが、次回の開催都市ドバイが夏季五輪の開催時期を12月にすると通告してきたようです。」

「何だって。12月はさすがに冬だろう。」

「オーサカは3月から夏だと言う理由で3月に開催した。ドバイは年中夏だ。よって年中いつやってもいいだろう、と主張しているようです。」

「何て勝手な。真面目な会長がウンと言うわけがないだろう。」

「いや、それが了解したらしいですよ。」

「どうして。」

「何せ、その次の開催は、会長の母国ジャマイーカのキングストンとキューバのバナナの共同開催。あそこも年中夏なんじゃないですか。」

「会長の最後の花道、しょうがないか。まあ、大会本番には私が会長だがね。」

「次期会長、私も全面的に応援しますよ。」

 ダメスエ理事はニコリと笑った。

 そこに冬季オリンピック運営理事のフナーキ4世とマオ・アザダー3世が観客席を駆け降りてきた。

「大変です。副会長。」

「どうしたんだね、深刻な顔をして。5回転アクセルを飛んだやつが出てきたかね。それともスキージャンプ200m超えかね?」

「次回冬季五輪の開催地、ニュージーランドのクィーンズタウンが開催時期を7月にすると言ってきました。」

「何だって?あそこは南半球だが10月まで雪が残っているって言うから選んでやったのに。」

「どうやらドバイの日程変更の話を聞きつけたようで、夏季大会を12月に開催するなら、冬季大会が7月でもいいだろう、と言っているそうです。」

 ブルシェンコはつぶやいた。

「7月に冬季五輪、12月に夏季五輪。選手たちのコンディション作りは大変だろうが、まあ、私が会長になれるなら、この際、何でもいいだろう。」

 競技場では選手の入場が続いている。

 オーサカの空は、ドロドロとした地上の淀みとは裏腹にどこまでも澄み切っている。


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