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クモをつつくような話 2019~2020 その2

作者: 山崎 あきら

 この作品はノンフィクションであり、実在のクモの観察結果に基づいていますが、多数の見間違いや思い込みが含まれていると思われます。鵜呑みにしないでお楽しみください。

 7月18日。

 いままで指に乗ってくれていたジョロウグモたちに避けられるようになってしまった。だいたい円網の端まで逃げたり、腰を振ったりされてしまう。一度もツンツンしたことのないジョロウグモは指に乗ってくれるから作者の指はブラックリストに載せられてしまったということなのかもしれない。クモにとっては迷惑なだけの存在なのだからしょうがないのだが、ジョロウグモはかなり高い学習能力を持っている可能性があると言ってもいいだろう。

 そして今日見てみたら、体長15ミリほどのナガコガネグモが円網の前後にバリアーを張っていた。この子は成体のジョロウグモのように開けた場所にいるからそのせいかもしれない。腹側に低木が生えている所にいる10ミリの子と8ミリの子のバリアーは背中側だけだし。

 5ミリの子は相変わらずバリアーなしだが、成長したらバリアーを張るようになるのかもしれない。観察を続けようと思う。


 7月20日。

 ナガコガネグモの15ミリちゃんのバリアーは円網の側面にも張られていた。「ナガコガネグモ、2日会わざれば刮目して見よ」である。〔「男子」に「3日」だ!〕

 この子のもう一方の側には鉄製の柵がある。したがってバリアーを張るのは防御力を高めるためなのだろうが、想定している敵はいったい何者なんだろう? 水平方向から飛んでくる敵でバリアーが効果を発揮するものというと昆虫しか思いつかないのだが、円網にかかる昆虫も減ってしまうだろうに。それとも、人間がクモの糸を嫌がるように昆虫にとっても鬱陶しいものなんだろうか? わからん。

 今日はクサグモのシート網にアリを落とし込んでみた。この子は棚網にアリが落ちてきたのに気が付くと、素早くトンネルから飛び出して自分の体長の半分ほどもあるアリに駆け寄った。鎌のような大顎を開いて威嚇するアリに対して第一脚2本を振り上げて対峙したクサグモは、同じ間合いを維持したままアリの周囲を円を描くように移動しながら素早く飛びかかっては離れるということを繰り返した。おそらくこのネコのような動作で牙を打ち込んで毒液を注入したのだろう。アリの動きは徐々に鈍くなっていく。

 やがて動きを止めたアリに近寄ったクサグモはアリをトンネルの入り口まで引きずって行った。水平に張られた高密度の棚網と、指でツンツンした場合と針金を使った場合の反応の違いから予想されたとおり、クサグモは歩いて棚網に入り込んで来た獲物を狩るタイプだったようだ。

 買い物を終えてから見てもそこにいて、アリを咥えているようだったし、その周囲には食べかすらしい物も散らばっていたから、そこで食べるのだろう。より安全なはずのトンネルの中で食べて食べかすだけを外に出すことを予想していたのだがハズレだった。家の中はきれいにしておきたいということなのかもしれない。

※実はクサグモの棚網の上にも多数の糸(不規則網。あるいは迷網)が張ってあって、その糸に衝突した獲物も棚網に落下するというシステムになっているのらしい。


 円網を水平に張り、指よりも針金に反応しやすいコシロカネグモはどうだろうか? この子の円網には隙間が多いからアリなどは踏み外して落ちてしまいそうだし、コガネグモモドキを追い払った行動から見ると歩くタイプの獲物を狩るとは考えにくい。そういうわけで、円網に気付かずに下から上昇してくる飛行性昆虫を捕らえるつもりでいるんじゃないかと思う。水平円網の下側で待機しているのも、素早く獲物に駆け寄るためだと考えるとつじつまが合うだろう。円網の下側からツンツンしてみる必要があるかもしれない。ああっと、もしかすると、シロカネグモの仲間の円網には昆虫が飛び上がりたくなるような魔法がかけてあるのかもしれないな。

 買い物帰りに見たヤマトゴミグモは、体の向きを変えた後、第一脚の先を円網の糸に引っかけて琴の弦を弾くような動作をしていた。何かなと思って見ていると、この子は円網の端の方まで駆けていって体長1ミリもない翅を持つ昆虫を咥えてホームポジションに戻ってきた。ゴミグモでも見られるこのつま弾き行動は円網を振動させることによって獲物がかかっている位置やその大きさを感知するためのものだと考えて間違いあるまい。イルカやコウモリが音波を発信してその反射波で獲物の位置を探るエコーロケーションと同じだ。振動を伝えるのが海水や空気ではなく、円網の糸だというだけの違いである。

 しかし、こんな小さな獲物まで狩るのに、枯れ草の茎に反応しなかったのはなぜなんだろう? 作者の指は抱え込んだし……。あり得る可能性としてはジョロウグモよりも強く硬い牙を持っているので大型の獲物にも対応できるということだろうか。しかし、それでは1ミリ足らずの獲物に反応するというのはどういうわけだということになる。単なる気まぐれだろうか? 気まぐれというのは知性を持ったものが自分の判断に従って行動する時に起こることのような気がするのだが……。ああっと、作者はクモに好かれているという可能性もあるかなあ。〔あなたは人間よ。人間なのよ!〕


 7月21日。

 昨日は食事中だったので遠慮したのだが、ヤマトゴミグモの円網に指を置いてみたら、やっぱりもしょもしょしてくれた。嫁に行ってしまったゴミグモ婦人もよくもしょもしょしてくれたから、ゴミグモの仲間はヒトの指をもしょもしょするのが好きな子が多いということに……いやいや、ガードを固めてしまうゴミグモも多いのだよなあ……。読者の皆さんもゴミグモの仲間を見かけたら、そっと円網に指を置いてみて欲しい。その結果、もしょもしょされるようなら、ゴミグモの仲間はヒトの指が好きということで、ガードを固められるようなら、好きなのは作者の指だけということになるだろう。ああっと、つかんだりしなければ大丈夫だとは思うが、咬まれる可能性がまったくないとは言えないから、その点に関しては自己責任でよろしく。〔危険です。よい子も悪い子も真似してはいけません〕

 さて、今のところ作者の自宅からスーパーまでの数百メートルの範囲にはナガコガネグモが6匹いるのを確認している。そのうちバリアーを張っていない子は5ミリちゃんと7ミリちゃんの2匹だけである。8ミリちゃんと10ミリちゃんのバリアーは背面側だけ。15ミリちゃんは以前書いた通り3面バリアーだ。そして残った9ミリちゃんは15ミリちゃんの円網と背中合わせに円網を張っている。こうすると背中側にはすでにバリアーがあるので腹側だけにバリアーを張ればいいということになる。要領がいいというか、やり方が汚いというか……これも知性の証明になるんだろうかなあ……。

 そして、このバリアーが来年以降も見られるようなら新しい種が生まれつつあるということになるのかもしれない……と思ったら大間違いだった。馬場友希著『クモの奇妙な世界』(2019年発行)によるとコガネグモ科のクモはバリアーを張ることもあるらしいのだ。作者はクモに関する予備知識が決定的に不足しているのだなあ。

※予備知識が不足しているということは、その分、汚れなき眼でクモを見ることができるということでもある。作者はクモの神様に愛されているのだろう。


 今日は体長4ミリほどの丸っこいお尻のクモも見つけた。円網は垂直タイプで、お尻が怒り肩というか、頭胸部側の上面が横に張り出しているからオニグモの仲間のようだ。薄いグレーのお尻には頭胸部と同じくらいの濃さのグレーの縦帯がある。この縦帯は4段重ねにしたお供え餅のように後方に向かって3回くびれながら細くなっていく。新海栄一著『日本のクモ』に載っているクモでその姿に一番近いのはキザハシオニグモである。「きざはし」というのは「階段」とか「段々」のことだそうだ。なるほど。

 だがしかし、ここで重大な問題が発生する。『日本のクモ』によると、キザハシオニグモは「草間の地上20~50センチの所に水平の正常円網を張る」「オニグモ類で正常円網を水平に張るクモは非常に珍しく、日本では本種のみ」ということなのである。お尻が怒り肩のオニグモというとツノオニグモとマルコブオニグモも候補にあがるのだが、お尻の形と模様が違う。謎のクモである。

※後に垂直円網を張るとされているクモが水平に近い角度で張っていたり、逆に水平円網のはずのクモがほとんど垂直に張っていたりという事例をいくつかも観察することになる。クモは環境に対して柔軟な対応ができるのである。これはおそらく、昆虫の翅のような高効率の移動手段を持っていないことと無関係ではないだろう。

 キザハシオニグモで言えば「草原のススキの間、河原・沼や池周辺のヨシの間などに特に多い」そうだから、水場の近くではシロカネグモの仲間のような水平円網、それ以外では垂直円網を張るという可能性もあるのではないかと思う。

 というわけで、どうやら「水平円網」というのは「できれば水平に張りたい円網」という意味らしい。したがって、水平から垂直に近い角度までが「水平円網」になる。「垂直円網」はというと、円網を張るクモはその下側で待機することを好むらしいので、垂直に近い角度から水平近くまでという意味になるのだろう。クモ学用語辞典が欲しいな。


 7月22日。

 今日は雨。そこであえて0.3ミリの針金を持ち出すことにした。

 まずは体長10ミリクラスのジョロウグモたちの円網をツンツンしてみる。するとジョロウグモAは針金に飛びついて抱え込んだのだが、ジョロウグモBは腰を振るだけだった。針金だということを憶えられてしまったのかもしれない。

「作者はツンツンしすぎた。もう針金も効かない」〔ナウシカか!〕

 続いてナガコガネグモ。15ミリちゃんは針金の方を向いてくれたが、それだけ。9ミリちゃんには円網を揺らして威嚇されてしまった。このゴミグモよりも気難しいクモはいったいどうしたら誘い出せるんだろう? わからん。

 ヤマトゴミグモは今日も飛びついて来て放そうとしなかった。これは予想通りだ。

 そして本命のクサグモ。クサグモAの乾いている棚網をツンツンすると、この子は針金に飛びついて抱え込んだ。問題はクサグモBで、この子の水滴がびっしり付いた棚網をツンツンしてもまったく反応がなかった。これは水滴の付いた棚網は振動し難いので獲物がいるのに気が付かなかったということだろう。まあ、棚網にトンネルを付けるくらいだからクサグモは濡れるのが嫌なのだという可能性もないとは言えないが。そしてクサグモの場合、棚網が濡れている間は狩りをしないということも考えられる。クモは数週間なら水だけで生きられるというから、雨がやむまで待つくらいはたいしたことではないのだろう。

 それにしても針金の威力には驚かされる。なるほど「蜘蛛には針金がよく似合う」と言われるわけだ。〔「富士」に「月見草」だ!〕


 7月23日。

 今日はコシロカネグモのシロちゃんの円網を下からツンしてみようと思ったのだが、いつもの場所にシロちゃんの姿がなかった。シロちゃんも嫁に行ってしまったんだろうかなあ。たった1週間の差だというのに。

 代わって目に付いたのが、お尻がきれいなライムグリーンのサツマノミダマシ4匹だ。1週間前にはこの子たちの円網は0.8メートル以下の高さに張られていたのだが、ゴミグモの成体がいなくなったせいか、ゴミグモが円網を張っていた高さ(1.5メートル前後)に進出していた。ゴミグモ婦人の生け垣ではこれくらいの高さが一番狩りの効率がいいのかもしれない。まあ、その辺りのちゃんとした検証は本職の研究者にお任せしておけばいいんだろうが。

 クサグモの棚網の上に張られている迷網部の中にはチリイソウロウグモがいたのだが、この子はゆ~らゆ~らと脚を振りながら歩いていた。こういう歩き方はシロカネイソウロウグモでも観察されているから他のクモの網に居候するのに必要なテクニックなのかもしれない。そこでいつものように1歩踏み外させてもらうならば、こういう歩き方をすると、網の主に糸が風を受けて揺れているような錯覚を起こさせることができるのではないだろうか? つまり、この子たちは風に擬態しているのだという仮説である。これが正しいとしたら忍者のようなクモだということになるなあ。


 7月24日。

 今日は針金もカメラも持たずに家を出てしまったので、体長6ミリほどのサツマノミダマシの円網に指を置いてみたのだが、6ミリちゃんは振り向いただけだった。調子に乗って指を近づけていって、脚に触れても反応しない。脚2本に触れるとさすがに1本は持ち上げるのだが、それ以上のことはしない。これではネタにならないので手を引くと、指に張り付いていた円網が大きく跳ねた。そこで初めて6ミリちゃんは逃げ出したのだった。しかもジョロウグモの幼体のように円網の中に踏みとどまって腰を振ったりせずに、円網を灌木に固定している糸を伝って灌木の葉の下に潜り込んだのだった。……うむ、じっちゃんの名にかけて謎はすべて解けた。〔金田一少年かよ〕

 6ミリちゃんはゴミグモがゴミに紛れ込むように、その緑色のお尻で木の葉の振りをしていたのだろう。だから脚に触れられてもじっとしていたのだ。円網が跳ねた時に一目散に木の葉の下に潜り込んだのも木の葉に紛れるためなのだろう。まあ、ひたすらゴミになりきってしまうゴミグモのようになるのにはまだまだ修行が足りないようだが。

 念のために隣の4ミリちゃんでも同じ実験をしたのだが、まったく同じ反応だった。「馬には乗ってみよ。蜘蛛の巣には触れてみよ」ということわざの通りである。〔ことわざをねつ造するんじゃない!〕

 ナガコガネグモの15ミリちゃんは腹側と側面のバリアーを外していた。体長の割にお尻が細いようだし、バリアーの効果が大きすぎて獲物が少ないということなのかもしれない。クモの糸はタンパク質でできているらしいから、食べてしまえば少しは腹の足しにもなるのだろう。

 買い物の帰りには自宅近くのツゲの木に体長2ミリほどで脚の先だけが黒いオレンジ色のクモが数匹いるのを見つけた。いずれも向こう側が透けて見えるほど低密度のシート網の上に多数の糸(不規則網)を張っていて、そのうちの1匹は不規則網の中央辺りにあるツゲの枯れ葉の下に潜り込んでいた。

 新海栄一著『日本のクモ』で調べてみると、この子たちはヒメグモで、枯れ葉は住居として取り付けられているらしい。住居を造る行動はトタテグモ科、ジグモ科、タナグモ科、フクログモ科などでも見られるから珍しいことではないし、オレンジ色の目立つ姿だから隠れたくもなるんだろう。むしろ他のヒメグモたちが枯れ葉を付けていないことの方が不自然なくらいだが、ツゲは常緑樹なので枯れ葉がなかなか落ちてこないということなのかもしれない。あるいは、ヒメグモの成体の体長は雌で3.5ミリから5ミリということなので長さ十数ミリのツゲの葉はちょうどいいサイズで、それを使いたいがために葉が落ちてくるまでは目立ってもしょうがないということだったりするのかもしれない。

 ヒメグモが好む枯れ葉の種類やサイズなどを調べるのも面白いと思うんだが、そういう研究はされていないんだろうかなあ。それとも、一般的な読者の眼には触れない専門誌に論文が掲載されている、とか? 

 なお、ウィキペディアには「枯れ葉ではなく、複数の小枝やゴミなどをまとめてある場合もある。死んだセミの腹部をぶら下げていた例もある。いずれにせよ、内側に隙間を作ってあり、クモはその中にいる」「産卵もその中で行い、卵囊をそこに隠し、生まれた幼虫もしばらくここに隠れる」「雌親は子の(この?)幼生に食物を与える行動を取る」「母親は約3週間にわたって餌を供給する」というようなことまで書かれていた。なんとまあ、ここまで細やかな子育てをするクモがいるとは思わなかったよ。やっぱりクモは「節足動物界の霊長類」なのだなあ。

 さて、ここで大事なお知らせ。馬場祐希著『クモの奇妙な世界』(2019年発行)という本で「ジョロウグモの系統的な位置は最初はコガネグモ科に位置づけられていましたが、その後、アシナガグモ科に移されました。ところが、しばらくするとジョロウグモ科という科が新たに設けられましたが、最近の新たな系統分析の結果を受けて、再びコガネグモ科に戻ってしまいました」という記述を見つけた。しかも最近ではジョロウグモ科を復活させようという動きまであるのらしい。人間に例えるならば、ジョロウグモはもともとコガネグモ家の娘で、結婚してアシナガグモ家に入った後、離婚してジョロウグモ家を興したもののうまくいかず、再び実家のコガネグモ家に戻って密かにジョロウグモ家の再興を謀っている、というところだろう。

 この本は2019年11月27日に第3版が発行されているのだが、2019年12月23日更新のウィキペディアでは「ジョロウグモ科のジョロウグモ」とされているので当面はウィキペディア式の分類を採用させていただくことにする。しばらくの間はこまめにチェックする必要がありそうだな。やれやれ……。

 天動説は地動説に駆逐され、ニュートン力学の欠点を補うために一般相対性理論が生み出され、今では宇宙の誕生から原子や素粒子などの性質までも説明する理論の候補として超ひも理論が提案されている。科学というものはそうして前進し続けていくものなのだということはわかっているつもりなのだが、迷惑な話ではある。科学とは無縁の話だけを書いていれば済む話ではあるのだが……。


 7月26日。

 雨がやんだのでヒメグモたちの様子を見てきた。少し詳しく観察すると、この子たちはくすんだオレンジ色の体長2ミリほどの個体と鮮やかなオレンジ色の1ミリほどの個体とがペアを組んでいるらしいのがわかった。おそらく2ミリの方が雌で、小さい方が雄だろう。そして1個体だけ2匹の雄が同居している雌もいた。つまり三角関係である。これは……ドロドロした展開の予感がするなあ。楽しみだ。〔クモの不幸を願うんじゃない!〕

 そして今日は、体長10ミリクラスのジョロウグモのバリアーの方をツンツンしてみた。その結果、5匹中4匹で腰を振る行動が見られた。この行動は威嚇だと考えて間違いないようだ。ただし、ハエトリグモでは威嚇する場合も求愛の場合も第一脚を振り上げるそうだから、同じ行動でも幼体と成体では意味が違っているという可能性もあるだろう。ああっと、そういえば昔、成体のジョロウグモの雌に脚を振り上げられた経験が……。〔クモの雌が、しかも人間に向かって求愛するわけはないだろうが! それは威嚇だ〕

 スーパーへ行く途中で気が付いたのだが、ナガコガネグモの15ミリちゃんの隣にいた9ミリちゃんがいなくなっていた。隣の家の壁を利用して家を建てるような真似はクモの世界でも許されることではなかったんだろう。

 そして今日はまたまたおかしなクモを見つけてしまった。体長3ミリほどで丸いお尻は白地に黒のまだら。直径20センチほどの垂直円網にはゴミが2つ付けられている。この子はコガネグモ科のマルゴミグモだと思うのだが、新海栄一著『日本のクモ』には「水平または斜めに正常円網を張る場合が多い」と書かれている。しかし、その円網の角度はどう見ても垂直円網なのだが、脇が電柱なので水平には張りにくかっただけなのか、あるいは成体になってから円網を水平にするタイプなのかもしれない。この図鑑は主に成体のクモについて書かれているので幼体の姿形や性質についての情報が少ないのだ。少数のクモを幼体のうちから観察し続けるというやり方は一般的ではないのかもしれないが。

 おかしなことついでに書いてしまうと、先日カニグモ科のワカバグモらしいきれいなライムグリーンのクモが草の葉の裏側に潜んでいるのを見つけたのだが、その葉に糸が何本か張られていた。どうも葉を丸めるのに使っているようだったのだが、これも『日本のクモ」には書かれていない。アシダカグモ科のツユグモならもっとくすんだ色合いになると思うのだが……単なる見落としだろうか? どんなクモであれ、糸を造る能力は持っているはずだから、糸を使って葉の形を修正するくらいのことはしても不思議はないだろう。しかし、作者の周りにいるのはやっかいなクモばかりだなあ。


 7月27日。

 目が覚めてしまったので午前3時に外へ出てみたら、玄関先の街灯付近に濃いグレーのオニグモの仲間が10匹くらいいた(体長は3ミリから6ミリくらいの範囲)。さっそくツンツンしてみようと思ったのだが、比較的大型の子たちの円網は2メートル近い高さの場所に張られていて手が届かない。そこで0.3ミリ径の針金の長さ50センチバージョンを作った……のだが、これでツンツンしても振り向きもせずに逃げられてしまうのだった。これは針金が長くなった分固有振動数が低下した、つまり、振動のしかたが「ビビビビ」から「ビヨンビヨン」になってしまったせいではないかと作者は考えた。そこで針金を短く持って足元近くの高さにいた3ミリほどの子の円網をツンツンしてみると、ビンゴ! 昼間でも円網で待機しているクモたちよりも時間はかかったが誘い出すことに成功した。この子たちは午前6時頃にはほとんどが姿を消してしまったから、どうも夜行性の慎重なタイプが多いということらしい。

 さてさて、なぜビヨンビヨン振動では逃げられてしまうのだろう? ここからは例によって踏み外しになるのだが、円網にビヨンビヨン振動を伝えるような獲物は捕食するのには大きすぎて危険だと判断しているのではないだろうか? 例えば、蚊は羽が小さいので一秒間に500回以上も羽ばたいているらしいのだが、大型のガになるとわっさわっさという羽ばたきになる。つまりビヨンビヨン振動を起こすような大型昆虫は危険だから手を出さないということなんだろう。

 そこで思い出した。2年前まで隣にあった中華系食堂には体長10センチほどのアブラコウモリの群が住みついていたのだ(コウモリがいる食堂というのは衛生的な面でどうかと思うが)。この捕食者による淘汰圧によって逃げることを優先するタイプのクモたちが生き残ってきたということではあるまいか? この辺りは建物が多くて風の通りもよくないようだから、バルーニングし損なって遠くに行けなかったということもあるかもしれない。これこそまさに「今そこにある進化」だな。

 ナガコガネグモたちは15ミリちゃん以外は全員バリアーを外していた。しかも10ミリの子はI字形ではなく、楕円形で大面積の隠れ帯を付けていた。隠れ帯には獲物を誘引する効果があるというから、脱皮した直後のようなより多くの獲物を食べたい状況だったのかもしれない。そこで体長10ミリから12ミリの3匹を選んで円網をツンツンしてみると、10ミリちゃんは駆け寄ってきて第一脚でチョンチョンとタッチしただけでホームポジションに戻ってしまった。残り2匹はまったく無視である。

 作者はいままで人間の感覚で、チョンチョンでは何もわからないだろうと思っていた。空腹ではない時に獲物が円網にかかってしまったナガコガネグモは「しょうがないわね。食べられるものなら食べとこうかしら」という程度の消極的な動機で脚を出してみて「やっぱりいらない。やーめた」ということなのだろうと思っていたのだ。しかし、指にしろ針金にしろチョンチョンしかしてもらえない上に満腹というわけでもなさそうだとなると、別の可能性を考えなくてはならない。そこで再検討した結果、このチョンチョン行動は意外に生き残る上で有効なのかもしれないという結論に至ったのだった。

 ナガコガネグモのチョンチョン行動をジョロウグモのもしょもしょ行動と比較してみよう。誘い出すことに成功したジョロウグモたちは納得いくまで作者の人差し指を触肢でもしょもしょしていた。しかし、このもしょもしょ行動をしている最中に親指でプチッとされたら一巻の終わりである(もちろん、無益な殺生をするつもりはないが)。

 ところが、ナガコガネグモのように素早く判断してホームポジションに戻られてしまうとプチッとするのがきわめて難しくなるのだ。ナガコガネグモはおそらく視力が弱いだろうから、獲物の大きさを判断するためにあらかじめ一定の幅に広げておいた第一脚で触れることによって獲物の大きさを測っているのではないだろうか? 獲物の大きさがナガコガネグモ自身が設定している基準以下の大きさなら襲うし、基準以上ならホームポジションに戻る。さらにそいつが円網に居座るようなら威嚇するなり逃げるなりすることにしていると考えると、針金も指ももしょもしょしてくれないことを説明しやすいだろう。

 クモは有能な捕食者であると同時に、自分よりも強い捕食者には狩られる立場でもある。ナガコガネグモの判断の速さは生き残る上で大きな武器になるはずだ。クモの世界は焼き肉定食なのだから。〔弱肉強食だ!〕

 前回は姿が見えなかったコシロカネグモもいたので予定通り水平円網を下からツンツンしてみた。これがビンゴ! 抱え込んで放そうとしなかった。やはりコシロカネグモは下から上昇してくる獲物を狙っているということだろう。ああっと、いままで見てきたコシロカネグモの水平円網はすべて下の地面との間に広い空間があったぞ。これも上昇してくる獲物狙いだということを示唆していたのかもしれない。

 クサグモの不規則網部の中にいたチリイソウロウグモも面白い反応を見せてくれた。この子はツンツンされても知らん顔をしていたのだが、さらにツンツンするとゆーっくり数歩逃げたのだ。これはおそらく、速く動くと網の主に獲物がかかったと判断されてしまうということなんだろうと思う。さらにツンツンすると、なんと棚網の上に仰向けに落ちた! 他のクモだとお尻からしおり糸を引いて自由落下よりは遅いスピードで降りていくものなのだが、こいつはしおり糸すら使わないのだ、こいつは! そしてそのまま死んだふりである。クサグモは棚網の振動で獲物の侵入を感知するのだろうから、落ちてきたゴミに擬態すれば襲われないということなのかもしれない。そういうことであるならば見事な擬態である。命がけで居候するのにはそんなテクニックも必要だということなんだろう。

 余談だが、無様に落下してまでゴミの振りをするチリイソウロウグモを見て、何年も前にネパールで見た深い渓谷に架けられた吊り橋の上から跳ぶ、高度差100メートルはありそうなバンジージャンプのことを思い出した。もしもあのロープが外れたら、これがほんとの「バンジー窮す」だな、と。〔不謹慎だな〕

 ここには長さ20ミリくらいのマツの葉のようにしか見えないヒメグモ科のオナガグモもいた。『日本のクモ』によると、この子はクモを捕食するクモらしい。「腹部が異常に長く、体と脚を真っ直ぐに伸ばしていると松葉のように見える」「樹間、枝葉間、草間に3~4本の糸を引いただけの条網を張る。糸には粘着性が無く、その糸を伝わって来るクモを捕らえる」のだそうだ。待ち伏せ型のハンターらしく見事な擬態である。しかし、目覚めた者である作者の心眼はそこにあるわずかな不自然さをも見抜いてしまったのだ。〔偉そうに……〕

 まあ、実際はそういう形の葉で薄い緑色というのはおかしいと感じただけのようだ。マツの葉ならもっと濃い緑色か、完全に枯れているのなら茶色になっているはずだから。そこで念のためにツンツンしてみたら脚を1本出したのでクモだと確認できたのである。つまり馬脚ならぬ蜘蛛脚を現したということだ。「未熟者め! 修行が足りぬわ」と言わせてもらおう。〔お前だってこの間落車しただろうが〕

 ええと、クモの場合、完全に見破られたと判断すると地面まで降りてしまうということがよくある。そこまでしないと捕食者の視界から逃れることができないのだろう。しかし、体長1ミリ以下のヨツデゴミグモの幼体は指でツンツンしても20センチくらい下でぶら下がるだけなのである。人間の眼で見ると、その程度では意味がないような感じがするのだが、1ミリ以下の体長ならそれを捕食する側もそれなりに小型のはずだから20センチでも視界から消え去ることができるのだろう。何しろ体長の数百倍の距離を一気に移動してしまうのだから。地面まで降りてしまうと体長の一千倍以上の高さにある円網にもどるのも大変なのだろうし。

 オニグモの仲間はよほど飢えていない限りは暗くなってから円網を張り、明るくなる前にねぐらへ帰ってしまうらしい。昼間でも円網で待機しているジョロウグモやナガコガネグモはハチに擬態しているようだし、サツマノミダマシはおそらく木の葉に擬態している。クサグモやトタテグモなどは住居を造ってそこに隠れているし、ゴミグモはただひたすらゴミになりきっている。このようにクモはそれぞれの種で最適な生存戦略を持っているのだ。……ただ、放っておくといつまでももしょもしょを続けそうだったゴミグモ婦人やヤマトゴミグモの戦略はどういうものなのか見当も付かない。もしかして、ただの変わり者だったんだろうかなあ。


 7月28日。

 ナガコガネグモの15ミリちゃんが体長10ミリほどの甲虫らしいものを食べていた。そこで思いついたのだが、ナガコガネグモはこういう比較的大型の獲物を狙い、ジョロウグモはより小型の獲物を狙っているのではあるまいか? その根拠はバリアーだ。ナガコガネグモはバリアーを張らない場合もあるし、昆虫をおびき寄せる効果があるとされている隠れ帯を円網に付けている。それに対してジョロウグモは常にバリアーを張っているし、隠れ帯も付けないのだ。バリアーがあっても小型の羽虫ならそれをすり抜けて円網に達することができるだろうが、大型の昆虫はバリアーに気が付けば回避するのかもしれないし、バリアーの糸に引っかかりながら接近してくるようなら、その振動によってジョロウグモは獲物の大きさの見当が付くのではないかと思う。ナガコガネグモの素早いチョンチョンも、大型の獲物に何度も触れるのは危険度が高いからできるだけ避けたいのだという解釈もできるだろう。なお、仮説を提唱すると、同時にその仮説を検証する義務も生じるのかもしれないのだが、作者はそういうめんどくさいことは嫌いである。ちゃんとした実験やデータ取りは本職の研究者にお任せする。あしからず。

 さてさて、今日は雨のせいか、午後5時頃だというのに体長6ミリほどのイエオニグモが円網のホームポジションに着いていた。チャンスである。

 さっそく0.3ミリ径の針金でツンツンしてみたのだが、反応がない。そこでいったんブレークして、よりクモに近い所をツンツンすると、今度は振り向いて第一脚を振り上げ、ネコのように飛びかかっては離れるという動作を何回かした。それから針金の先端近くをウロウロしていると思ったら、針金の先端のループがピンぼけしたように見えている。捕帯でぐるぐる巻きにされつつあるのだ。これはもうレフェリーストップでゴングを鳴らすしかない。針金のTKO負けである。

「いやあ、異種格闘技戦の醍醐味ですね」〔…………〕

 冗談はともかく、針金には牙を打ち込むところなどないはずだ。その手順をすっ飛ばしてぐるぐる巻きにするというのはどういうわけなんだろうか。獲物が抵抗する様子がないので次の手順に移行した? それとも空腹のあまり正常な判断ができなくなっていた? わからんな。ああっと、念のために言っておくと「クモに判断能力などあるものか」などというクレームは受け付けないからそのつもりで。クモには知性がないということを証明できるのなら別だがね。

 そして、クモに近い所をツンツンした時に襲ってきたのもどうしてなのかわからない。わずか数歩余計に歩くのを嫌ったのか? 円網の範囲内なのに? 

 こういう場合においてクモが何を判断の基準にしているのかについての研究をしている人はいないんだろうかなあ。「それなら自分で観察すればいい」と言われてしまいそうなのだが、暗い中でクモの円網をツンツンしていると通報されてしまいそうな気がするのだ。ああっと、もしかしてジョロウグモの幼体やゴミグモ婦人がもしょもしょしていたのは獲物にしてもいいものかどうか迷っていたんだろうか? それとも、ただ単に興味を持ったというだけ? この辺りはもっとデータを集めないと仮説も立てられないだろうな。

 念のために体長10ミリクラスのジョロウグモたちが作者の指に対して取った行動を記載しておこう。ジョロウグモの円網に指を近づけていった場合、逃げる子と逃げない子がいる(おそらくバリアーの振動によって指が円網に触れる前に危険を察知できるのだろう)。円網に触れても逃げない子の中には指の方を向く子と知らん顔をしている子がいる。そしてゆっくりと指をクモに近づけていって第一脚に触れた時にも逃げる子と逃げない子がいる。その後にも、すぐにもしょもしょし始める子や迷惑そうな様子で片方の第一脚を持ち上げる子に分かれる。こうして並べてみると、もしょもしょ行動というのは、それ(作者の指)が危険なものではなさそうだと判断して、興味があるから触肢で触れてみているような感じもする。それが事実ならもしょもしょ行動は「遊び」と呼ばれるものだということになるのかもしれない。クモの脳は体重の割に大きいようだから「遊び」行動をしても不思議はない、と思うのだが……。


 7月30日、午前0時。

 踏み台を持ち出して、玄関先の蛍光灯付近にいるオニグモの仲間3匹の円網を20センチバージョンの針金でツンツンしてみた。その結果、2匹には逃げられ、残りの1匹は短時間のヘッドバンギングをした後、しばらくしてから近寄って来て、チョンチョンと2回触れてからホームポジションに戻ってしまった。ということは、この子たちの場合、円網に何かがかかってもすぐには手を出さず、手を出す場合にも一度は威嚇して、それでも獲物が逃げないようなら食えるかどうか確認することにしているのかもしれない。これほど時間をかけたのでは獲物に逃げられてしまうこともあるだろうと思ってしまうのだが、狩られる立場でもあるということを強く意識して、安全第一の慎重な行動を心がけているのかもしれない。小型動物なのだから当たり前と言えば当たり前ではあるのだが。

 そういうわけで、28日のイエオニグモの行動はあまりにも空腹だったので見境なく捕帯でぐるぐる巻きにしてしまったということになる……のかもしれないのだが、では最初のツンツンに反応しなかったのはどういうことなんだ? 様子を見ていたということなのか? クサグモの棚網を針金でツンツンした場合とか、コシロカネグモの円網を下からツンツンした場合の一気に飛びついてくる反応とは大変な違いである。この辺り、多数のデータを集めれば、それぞれのクモにそれぞれ違う行動パターンがあるのが見えてくる可能性があるかもしれない。まあ、現状で言えることは、作者の自宅周辺にいるオニグモの仲間は臆病と言えるほどに慎重なタイプの子が多いということくらいだろう。腹ぺこなら別なのかもしれないが。ああっと、もしかしてナガコガネグモたちの場合も、威嚇されても針金をそのままにしておけば誘い出すことができたんだろうかなあ。


 7月31日。

 体長12ミリほどのオニグモの仲間の円網を針金でツンツンしたら、やっぱり捕帯でぐるぐる巻きにされてしまった。オニグモの仲間も牙(正式には「鋏角」)を持っているはずなんだが……小型の獲物や抵抗が弱い場合には牙を使うまでもないと判断して一気にぐるぐる巻きにしてしまうというような話なんだろうか? 

 そして、昨夜はかなりの雨だったせいか、12ミリクラスのナガコガネグモの幼体2匹が円網を張り直していた。ところが、この子たちはできかけの円網をゆらんゆらんと揺らしながら横糸(円弧状の糸)を張っていくのだ。この行動にはどんな意味があるんだろう? もしかして縦糸しか張っていない状態で獲物がかかっても困るので、獲物に向かって「近寄らないで」というメッセージを発信しているということなんだろうか? つまり、この行動は飲食店の店先に掲げられる「準備中」の看板のようなものなのかもしれない。

 そして、この間まで15ミリだった子は20ミリほどにまで成長していた。一時期の半分ほどの本数だが、側面側のバリアーも復活している。見ていると、この20ミリちゃんの円網をすり抜けるようにカメムシが1匹飛んで行ったのに対して20ミリちゃんが振り向いたので、食欲がないわけでもないのかなと判断して20センチの針金でツンツンしてみたのだが……やっぱり一歩踏み出して何回かつま弾き行動をした後でホームポジションに戻ってしまった。どうにも難しい。オニグモの仲間には嫌われてしまった50センチバージョンなら大型の獲物と間違えてくれるんだろうかなあ……。


 8月1日。

 ナガコガネグモの20ミリちゃんは姿が見えなかったので10ミリから12ミリの子たち3匹の円網を50センチの針金でツンツンしてみた。その結果は、捕帯でぐるぐる巻きにしてくれた子が1匹、しばらくの間円網を揺らしてから近寄ってきて、チョンチョンと触った後、納得した様子でホームポジションに戻った子が1匹、無視が1匹だった。その他にぐるぐる巻きにした体長10ミリほどの獲物を食べていた子が1匹。やはりナガコガネグモは捕食者を警戒しながらの大物狙いと考えて間違いないようだ。確率は低いにしても、ぐるぐる巻きにされる所までたどり着けたのは喜ばしい。長生きはするもんじゃなあ。


 8月3日。

 梅雨が明けたので、ロードバイクに乗って十王ダム周辺にいるジョロウグモたちを見に行った。ここの川沿いにはなぜかジョロウグモが多く、場所によっては1.5メートル四方に4匹くらいいたりする(その他に雄らしい小型の個体もいる)。しかも作者の自宅周辺よりもやや成長が早い。この時期に体長20ミリに達する子までいるのだ。ジョロウグモの成体が現れるのは9月以降で雌の体長は最大30ミリとされているようだから、まだまだ成長するということだ。

 で、例によって円網をツンツンしていったわけだが、20ミリの子は円網の端まで逃げて腰を振った。しかもブルンと1回だけ。「おお、予想通りだな」と思ったのだが、もう少し小さい子はかなり長時間ブルブルと振り続けたのだった。そして作者の指を抱え込んだ子が1匹。これはやはり、獲物が少なくて空腹の子が「食べられるかしら、これ?」と迷いながらタッチしているとしか思えない。とにかく、脚を振り上げられるようになるまではツンツンし続けようかと思う。ちなみに作者はクモに咬まれた経験は一度もない。クモが人間を咬むのは危険を感じたので身を守るために仕方なくという場合が多いんじゃないかなあ。


 8月4日。

 本日のトピックス、その1。体長10ミリ以上のジョロウグモは背中側のバリアーの中心辺りにゴミを取り付けている場合が多いのに気が付いた。ざっと90パーセント以上の確率で食べかすや自身の脱皮殻を取り付けているようだ。腹側のバリアーにも付けている子もわずかながら見られる。ジョロウグモたちはホームポジションで獲物を食べるから、食べ終えてからバリアーまで運んだとしか思えない。そして、こういうバリアーのゴミはナガコガネグモでは見られないから、ジョロウグモはそれだけ防御を優先しているということなんだろう。

 トピックス、その2。体長15ミリほどのジョロウグモに針金の上を歩かれてしまった。逃げるとか腰を振るとか無視するとかはさんざんやられてきた作者だが、猫またぎならぬクモまたぎをされたのは初めてである。もともと食べられるものではないのだからしょうがないとは言えるのだが……。

 トピックス、その3。体長4ミリほどのヒメグモが2匹、不規則網の中のカエデの枯れ葉の下に隠れているのを見つけた。2ミリの子はまだツゲの枯れ葉の下にいる。実は、何日か前に2ミリクラスの子たちの不規則網に枯れ葉を置いてあげたのだが、すべて使わずに捨てられてしまった。どうやら自分で選んだ物以外は使わないらしい。大きなお世話だったということだな。


 8月5日、午前3時。

 自宅近くにいるオニグモの仲間を撮影した。その画像を拡大することで、この子たちのお尻には幅広でギザギザの縦帯があるのがわかった。また、頭胸部はくすんだ赤で先端だけが黒い。というわけで、この子たちはズグロオニグモらしい。新海栄一著『日本のクモ』には「平地~山地に広く生息。人家の周囲、橋の欄干や橋げた、街路灯、駅の構内、公園の電話ボックス、看板などの照明器具の付いた人工物に垂直または斜めに正常円網を張る。網の一端の人工物の隅や隙間に袋状住居を作り、昼間はその中に潜む」と書かれている。自宅付近にいる子たちは壁とほとんど平行に円網を張っていたり、蛍光灯の傘の上にいたりだが、昼間は姿を見せないところをみると間違いなさそうだ。

 で、面白いことに、針金を一度もしょもしょして「これは食べられない」とばかりに放り出したズグロオニグモにもう一度ちょっかいを出しても無視されてしまうのだ。さらに脚までツンツンすると、いかにも迷惑げに逃げて行く。食べられない物であることを記憶しているということらしい。何日かしてからもう一度ツンツンしてみて記憶が残っているかどうかを試してみようと思う。


 8月6日。

 30キロ先のコンビニ周辺で面白い発見をした。ここにはナガコガネグモの幼体が6匹いるのだが、バリアーを張っている子は1匹もいないのだ。これはつまり、ナガコガネグモにはバリアーを張る個体群と張らない個体群がいる可能性があるということである。作者は去年、バリアーを張っているナガコガネグモを見た記憶がないのだが、それもたまたま作者の行動範囲内にバリアーを張る子がいなかっただけと考えるとつじつまが合うだろう。

 クモには昆虫のような翅がないから長距離を移動するチャンスは卵囊を出た直後のバルーニングだけになる。バルーニングする時の風向きや風速によってはある地域にバリアーを張る子だけ、あるいは張らない子だけが集中してしまうこともあり得るはずだ。「翅を持たない昆虫は隔離されることによって新たな種が生まれやすい」と言われているらしいのだが、それと似たような現象が起こっていると考えてもいいだろう。ジョロウグモがバリアーにゴミを取り付けているのも作者の生息域特有の変異でしかないのかもしれない。この辺りはぜひ全国規模での調査をしていただきたいところだ。作者の移動手段は基本的にロードバイクなので、行動範囲はせいぜい半径50キロ程度でしかない。それより遠い場所にいるクモを観察するのは難しいし、する気にもなれないのである。

 今日はサイクリングの途中で体長20ミリほどのコガネグモにも出会った。電柱と民家の塀の間に張られた直径80センチはあろうかという円網に付けられた隠れ帯はXの字の下半分の先端部分しか残っていなかったから、もう積極的に獲物を狩る必要もないほど成熟した子なのかもしれない。その証拠にこの子はとにかくお尻が大きい。その幅は18ミリくらいはあったと思う。つまり丸く膨らんだお尻の方が本体で、グレーの頭胸部はおまけという印象である。

 そのお尻はあらゆる光を吸い込んでしまいそうな黒地に頭胸部側から白い横帯が1本とネオンイエローの帯が2本。何というか、隠れる気がまったくなさそうな「さあ、私を見なさい!」とでも言いたげな姿だった。体重が200キロを超えるような巨漢力士がど派手な化粧まわしをして土俵に上がったところを想像してもらえばわかりやすいだろう。〔クモであっても女性に対して使っていい比喩ではないぞ〕

 ええと、このコガネ関もコガネグモ科らしく円網を揺らして威嚇する……のだが、これがもう、ほとんど揺れないのだ。ヒトが腕立て伏せをするように体を上下させているので「ああ、威嚇しているんだな」とわかる程度のゆうらりゆうらりという揺らし方なのである。より細めの体型のナガコガネグモたちがゆらんゆらんと揺らすのと比べるのすら気の毒になりそうな揺らし方だった。そこでまた、あえて踏み外してみようと思うわけだが、コガネグモは太って円網を揺らすのが苦手になってしまいやすいので、それを補うために目立つ体色になっているのではあるまいか? 接近してきた捕食者に対して円網を揺らして威嚇してもナガコガネグモほどの効果は得られないので、接近する前に気が付いて避けてもらうようにしているような気がするのだ。ただ、そうすると獲物も近寄らなくなるという問題が生じるはずだとも思うのだが、そこら辺は……何か魔法でも使っているんだろうかなあ……。

※後に『生物史から、自然の摂理を読み解く』というサイトで「複眼は極めて粗いものしか見えていない」「複眼を(複眼は?)ヒトの視力に(ヒトの眼に?)例えると視力にして0.01~0.02と2桁も悪い」という記述を見つけた。獲物の昆虫はよく目立つコガネグモや隠れ帯を回避しようとしてその外側に展開されている円網にかかってしまうのかもしれない。


 いい機会なので円網の裏側にまわってコガネ関の腹側も見せてもらった。まん丸く太った腹部には2本の黄色い縦帯があって、その間の後ろ寄りにはくすんだ赤色の丸い器官があった。とりあえず観察はそこまでにする。作者は年寄りなので2日前の疲れがまだ抜けていないのだが、今日のノルマは100キロ以上なのだ。

 その後、ここから帰宅すれば100キロというところまで走って、コンビニ休憩してから引き返した。もちろん、途中でコガネ関に胸を貸してもらうつもりだ。

 コガネ関の円網は芝生の急斜面の上に張られているので、そこを登ろうとしたら驚いたショウリョウバッタが芝生から飛び出した。そして、その前方にはコガネ関の円網があったのだった。

 コガネ関は円網に引っかかったバッタに一気の寄りを見せた。あまりにも素早い動きなので牙を打ち込んだかどうかまでは確認できなかったのだが、上手を取って相手の動きを封じたコガネ関は右の第四脚を使ってバッタに捕帯を巻きつけていく。体長70ミリほどのバッタがミイラのように包まれてしまうまで1分もかからなかったと思う。

「ただいまの決まり手はぐるぐる巻き、ぐるぐる巻きです」というところである。〔…………〕

 位置が悪いので円網の反対側に回り込むと、コガネ関のお尻にある赤い丸から白い帯が引き出されていた。

※『日本のクモ』によると、この帯状になった多数の糸は捕帯(ほたい)と呼ばれるもので、数十から数百本にもなるのだそうだ。

 

 そこまではよかったのだが、コガネ関はぐるぐる巻きにしたバッタをそこに置いたままホームポジションに戻ってしまった。そもそも食欲がないのか、獲物が完全に動けなくなるまで待つつもりなのか、はたまた育ちがいいのでヒトが見ているところでは食事をしないのかもしれない。しかし、それでは作者が困るのである。気温が30度を超える炎天下でコガネ関がその気になるまで待っていたのでは熱中症になってしまいかねない。そこで作者は捕帯でぐるぐる巻きにされているバッタを軽くツンツンしてみた。これは「遠慮なく食べてください。見てませんから」というメッセージである。それが通じたのか、コガネ関はゆっくりとバッタに近寄ると円網の中心まで持ち帰った。ホームポジションに落ち着いたコガネ関は白い棒のようになったバッタを調べるようにゆっくり回し始めた。そしてその動きを止めた時に牙を打ち込んだのはどうやらバッタの胸部の羽の付け根辺りらしかった。〔見てるじゃねーか!〕

 ええと、基本的に昆虫の外骨格はいくらでも硬くできるわけだが、羽や脚の関節部分だけは柔らかくないと羽ばたいたり歩いたりできない。したがって、ほとんどの飛行性昆虫で翅の付け根は共通の弱点になっているのだ。それに胸部には羽ばたくための筋肉が詰まっているから食べるにしても効率がいいのだろう。先日見たカマキリに餌を与える動画でも「翅の付け根から囓るようだ」と説明されていたから翅の付け根は昆虫の弱点として、カマキリでもクモでも広く知られているのかもしれない。

 ああっと、ジョロウグモの幼体がよくやるもしょもしょ行動は作者の指にもあるはずの翅の付け根を探していたということなのかもしれない。気の毒なことをしたかなあ。ただ……個人的にはゴミグモ婦人のもしょもしょには別の意味があったのだと思いたい。


 8月9日、午前1時。

 5日にツンツンしたズグロオニグモの円網をまたツンツンしてみたところ、見事に無視された。そこでさらに脚までツンツンすると、いかにも迷惑そうに円網の端まで歩いて行ってしまった。ズグロオニグモの学習能力は、少なくとも1回でトイレを憶えられる子猫レベル以上だとは言えそうだ。


 8月10日。

 新海栄一著『日本のクモ』では「水平円網」とされているコシロカネグモが円網をほとんど垂直に張っているのを見てしまった。これはどうにも……見てはいけないものを見てしまったという感じだ。キザハシオニグモやマルゴミグモの時もだが、作者はどうしてこうも普通でないものを見つけてしまうのだろう。〔類は友を呼ぶのさ〕

 ……もう少し詳しく観察してみよう。ここには2匹のコシロカネグモがいるのだが、藪がコの字形にへこんでいる、というか、左右と奥が藪なので水平円網を2つ並べられるほどの広さがない。それで仕方なく片方が遠慮したような感じだ。

 そこで少し先のコンクリート張りの用水路もチェックしてみた。この用水路の上には見える範囲でコシロカネグモの円網が続いている。コシロカネグモは本来こういう水場に近い環境を好むクモなのだろう。詳しく見ていくと、広いスペースがある場所では円網を水平に張るのだが、すぐ近くに他のクモがいる場合にはお隣さんの水平円網に被さるように斜めに円網を張ったりしている。つまり、水平に張るのが基本なのだが、無理な時には斜めで妥協するのらしい。

『日本のクモ』で調べてみると、コシロカネグモを含むアシナガグモ科のクモ33種のうち、「水田」「河原」「沼」「湖」「渓流」「小川」「水辺」「河口」といった水の存在を連想させるような場所に円網を張るとされているのが27種になる。そしてアシナガグモ科のクモは「水平円網」とされていることが多い。要するにアシナガグモ科のクモは水面と平行に円網を張るのが基本らしい。それができなければ角度を立てるということなんだろう。それならコシロカネグモがほとんど垂直の円網を張っていてもおかしくはない。つまり、この図鑑の「水平円網」とは「水平から垂直近くまでの円網」という意味なのだな。

 こういう読む側が誤解する方向に誘導するというトリックはミステリーで使えそうだな。ターゲットをだますために本を出版するという大がかりなトリックはコストに見合うだけのメリットが得られるかどうかは疑問だが、それだけに盲点になるはずだ。まあ、最後は読書家の刑事がそれに気付いて一件落着だろうが。〔いるのか、そんな刑事?〕

 観察を終えて帰ろうとしたら、水田の脇の用水路に白い花が咲いているのに気が付いた。近寄ってみると、その用水路にもナガコガネグモとナカムラオニグモが円網を張っている。しかも、コンクリート張りの用水路周辺には木も生えていないせいか、円網を水平から30度くらいまで大きく傾けている。この2種はいずれもコガネグモ科のクモで、コガネグモ科ではほとんどの種で「垂直円網を張る」とされている。これも「水平近くまでは垂直円網」と考えた方がいいのかもしれない。

 同じように水平円網とされていながら円網を垂直に張っていたマルゴミグモの場合は、1メートルくらい移動すれば水平に張れそうな木が植えられていたのだが、クモの視力では1メートル先は見えないのかもしれない。

 ついでに水平円網を張るとされているキザハシオニグモが円網を垂直に張っていた場所も再検討してみよう。そこはツツジの植え込みの中にやや高い灌木が2本植えられていた。これが林の中のように3本以上の木が生えている場所なら問題なく水平円網にできたのだろうが、2本では幅がごく狭いものになってしまうということなのだろう。こういう場合、昆虫のように翅があれば、もっといい場所を求めて飛んで行くのだろうが、クモには翅がない。歩いて行ける範囲内に適切な環境があるという保証もないから結局「水平でなくてもいいわ」ということになるのだろう。少なくとも作者の見た範囲では「垂直円網以外ダメ、ゼッタイ」とか「水平にあらずんば円網にあらず」とかいう考え方をするクモはいないようだ。

 何度も言うようだが、クモは翅を持っていないので快適な場所を求めて移動する能力が低い。他へ行くくらいなら円網を垂直近くまで立てるか、水平近くまで寝かせてしまった方が手間がかからない、ということなんじゃないかと思う。昆虫が脳の大きさを犠牲にして翅を獲得したように、クモは翅の代わりに環境の悪さを乗り越えるための知性を獲得したのだろう。

 水田脇の用水路に咲いていた白い花はキンポウゲ科・キンポウゲ属のバイカモ(梅花藻)かと思ったのだが、花びらが3枚しかないのでトチカガミ科のオオカナダモだったらしい。ちなみに南アメリカ原産だ。それなのにどうして名前に「カナダ」が入っているのかはわからない。角野康郎著『日本の水草』(2014年発行)によると「湖沼やため池、河川、水路などに生育する常緑の多年生沈水植物。ときに異常繁茂して被害をもたらす」「日本で野生化しているのは雄株のみ」「日本では切れ藻による栄養繁殖で分布を広げている」などと書かれている。  

 それに対して、バイカモは花びらが5枚だし、ウィキペディアによると「冷涼で流れのある清流中に生育し、初夏から初秋にかけてウメの花のような白い花を水中につける」「生育適温は15度Cで25度Cを超えると生育できなくなる」のだそうだ。午前6時でも水温が26度Cに達する上に土手には除草剤が撒かれているような用水路に咲いていてはいけない花だったのだなあ。

※『日本の水草』ではバイカモは日本固有種とされているのだが、作者はバイカモとしか思えない水草をチベット高原で見たことがある(朝鮮半島にも分布するというヒメバイカモの方かもしれない)。確か『ヒマラヤ植物大図鑑』という本に掲載されていたと思うので、気になる方はそちらも参照してください。1冊の本に書かれていることを鵜呑みにすると赤っ恥をかくことにもなりかねないから。


 8月11日。

 サイクリングの途中で体長20ミリほどのナガコガネグモを見つけた。そしてその子に寄り添うように二回りくらい小さい赤褐色のクモ。こちらはナガコガネグモの雄らしい。というわけで、ここは非常警報を鳴らすことにしよう。

「パターン赤! 蜘蛛です。しかし、これは……」

「カップルね」

「司令、カメラは初号機も弐号機も自宅の保管庫です。準備が間に合いません」

「スマートフォンを使いたまえ」

「しかし、スマホでは画質が……」

「問題は無い。後で補正すれば済むことだ。使いたまえ」

「わかりました。スマホ、起動!」

「スマホ、起動します。……起動率100パーセント。続いてカメラアプリ立ち上げ」

「頼むわよ、スマホ君」〔楽しいか?〕

 そういうわけで、このカップルをとりあえずスマホで撮影しておいた。峠道を走る時には200グラムのコンパクトカメラですら持ち歩きたくないのだ。

 それはいいとして、妙な点がいくつかある。第一に、このナガコガネグモは円網を張っていなかった。ほぼ水平に張り渡した1本の糸の中央にいたのだ。そして、この子が脚を伸ばしてもギリギリ届かないくらいくらいの位置にいた雄は作者が撮影のために近寄って行くと糸を伝って草の葉の下へ逃げ込んだのだが、その時もこの子は動かなかった。糸に触れても威嚇しない。調子に乗って脚に触れると、そっと脚を乗せ返してくる。威嚇もしないし、逃げもしない。こんなのはナガコガネグモじゃない! しかも、作者が指を引くと、すぐに雄が駆け寄って来てその子に寄り添うのだ。もう、片時も離れたくないという風情である。さすがに頭にきた。

「お前らなんか、とっとと幸せになっちまえ!」

 心の中で毒づいた作者は、さっさとラブラブカップルの撮影を済ませてロードバイクにまたがったのだった。

 さて、このナガコガネグモの行動の意味について考えてみよう。まずは「水平方向に張り渡した糸」について。これはもう「お婿さん募集中でーす」というサインであろう。もちろんフェロモンも放出しているだろうが、フェロモンの場合はある程度拡散するはずだから「ヤッホー。アタシはこの辺りにいるわよー」という呼びかけにしかならない。「この辺り」の範囲にいる他のクモの円網に踏み込んでしまって「あら、いらっしゃい。……あなた、かわいいわね。食べちゃいたいくらいよ」と食べられてしまったら、この世では結ばれないということになってしまう。それを防ぐためには円網を張らずに1本の糸にするのがいい。つまりこれは「アタシはここよ」というピンポイントのサインで、フェロモンを頼りにさまよっていた雄がこの糸にたどり着くことができれば、その糸の上に目指すオトナの雌がいるということになるのだろう、と思う。

※こういう糸の上でのデートというのは、これ以降観察できていない。雌がたまたま円網を張り替えようとしている時に雄が現れたというような特殊なケースだったのかもしれない。大ハズレである。

 

 今日はちょっと腹具合が悪かったので、十王ダムのトイレの個室を利用させてもらった。すると、その壁には多数のイエユウレイグモの子どもたち! 体長2ミリほどの子グモたちだったが、指でツンツンするとちゃんと腰を回すのだ。まあ、かわいらしいこと。この子たちは6月に見たユウレイグモのカップルの子どもたちだろうと思う。幸せになれたんだねえ。よかったよかった。

 しかし、個室を出てふと上を見ると、そこには多数のイエユウレイグモ! まさか、このトイレは本当に狙われていたのか? いやいや、イエユウレイグモにとってはトイレを利用する人間の方が侵略者だろう。ああっと、そういうお話が作れるかな。

 公園のトイレにひとりの中年男が入って来て小便器の前に立つわけだ。男が下を向いている間にその頭上に無数のイエユウレイグモが集結して「俺たちのトイレから出て行けー!」と叫びながら一斉に男に襲いかかる。慌てた男はトイレの床をびしょびしょにしてしまうのだった。つまり、「トイレはきれいに使いましょう」というテーマのお話である。〔……楽しいか?〕


 8月12日。

 水田の脇の用水路に枠糸を共有している円網が3つ並んでいるのを見つけた。林沿いの用水路ではほとんどの円網が間隔を開けて張られていたのだが、100メートルも離れていない場所だというのに円網が密集している場所とスカスカの場所があるのだ。

 クモにとっての用水路というのは人間ならば深い谷のようなものだろうから、すでに対岸に届いている糸を使えば楽ができる……のはわかるのだが、他のクモが渡した枠糸を使って円網を張るというのは許されることなのだろうか? と思って見ていたら、ナカムラオニグモがより小型のアシナガグモの仲間(ヤサガタアシナガグモだと思う)を追い立てていた。他の円網では同じくらいの大きさのヤサガタアシナガグモが少し距離を置いて対峙していて、1匹がじりじりと前進すると、もう1匹は後ずさりしていた。

 他のクモに追い立てられるような余計なトラブルを抱え込んでまで楽をしたいんだろうかなあと思いながら観察を続けていると、追いかけていた方は相手が円網の外に出ると、それ以上は追わないのだった。つまり、円網の中にいるクモに対しては縄張りを主張するが、円網を支えている係留糸に乗っているのは許容するのらしい。用水路の場合で言えば、両側のコンクリート壁を繋いでいる枠糸の円網にかかっている部分以外は誰でも好きなように使っていいということになっているようだ。それでは使われないわけがない。おそらく、それくらいの妥協はした方がいいということを本能的に知っているのだろう。すべてのクモがそうだとは言わないが。

 また、そういう性質を持っていた方が種の存続という面で有利だったということなのかもしれない。必要以上の争いは避ける。これが「クモ3億年の知恵」である。〔格言をねつ造するんじゃない!〕

 ええと馬場友希著『クモの奇妙な世界』(2019年発行)によると、クモの雌同士をわざと狭い場所に閉じ込めて争わせる「クモ相撲」とか「クモ合戦」と呼ばれる遊びは日本各地で行われてきたのだそうだ。また、神奈川県や千葉県ではネコハエトリの雄同士を争わせる「ホンチ相撲」というものも行われているらしい(ホンチとはネコハエトリの雄のことだそうだ)。クモ相撲の主流はコガネグモの雌らしいのだが、地域によってはジグモ(石川県南部や千葉県富津市)、カバキコマチグモ、ヤマトコマチグモ、チブサトゲグモ(沖縄県)でも行われているらしい。そして南アフリカや東南アジアでも同じような遊びが見られるのだという。ウシ同士を闘わせる闘牛や闘犬や闘鶏というのもあるから、人間というのはよくよく闘うことや闘わせることが好きなのだなあ。

 

 8月13日。

 ロードバイクに取り付けているサドルバッグの下にコンパクトカメラ用のバッグを取り付けた。軽量化と取材・記録能力の妥協点である。背中のポケットに入れていると腰痛が出やすいということもある。

 で、さっそくカメラバッグのテストに出たわけだが、水田の脇の用水路では30度を超える気温だというのにナガコガネグモやヤサガタアシナガグモが円網の中心で待機していたのだった。水平円網を張るヤサガタアシナガグモは第四脚を円網に引っかけてぶら下がっている。これは垂直の姿勢になることによって太陽光を受ける面積を少しでも減らそうということらしい。しかし、作者が撮影のために近寄って行くと、視力の弱い眼でも見えたのか、それとも振動を感じたのか、水平の姿勢に戻ってしまうのだった。あまりの暑さにクモんの表情を浮かべながら。〔クモに表情筋はないぞ〕

 そして「せめてクモってくれればいいのに」という作者の思いが天に通じすぎたのか、しばらくして猛烈なにわか雨が降ってきたのだった。〔ただのゲリラ豪雨だ!〕


 8月14日。

 近所のヒメグモたちは4ミリクラスまで大きくなっていた。もう立派なオトナである。それに合わせて枯れ葉も比較的大きなカエデの葉に替えられていた。ただ、雄のヒメグモの姿がない。交接を済ませて立ち去ったということなんだろうかなあ。

 しばらく前から姿が見えなくなっていたヤマトゴミグモがいた場所の近くには体長1ミリくらいの子グモが3匹現れた。レンズの内部が結露してしまって苦労したのだが、何とか撮影できた画像を拡大してみると、白または銀色の楕円形のお尻に頭胸部と脚は黒らしい。円網の直径は7センチほどで細い隠れ帯を付けていたからゴミグモの仲間の幼体なのは間違いあるまい。しかし、その隠れ帯は長さがバラバラで、しかも放射状だった。1匹は2時と8時の方向に1本ずつ。もう1匹は4時と10時と11時の方向に合計3本。最後の欲張りな子は1時と3時、4時の方向には平行に2本、7時と8時と10時と11時の方向と合計8本の隠れ帯を付けていた。よく言えば個性的というか、むちゃくちゃな子である。新海栄一著『日本のクモ』によると、ギンナガゴミグモとクマダギンナガゴミグモが渦巻き状、放射状、直線状に隠れ帯や白い糸くず、ゴミなどを付けるらしいのだが、頭胸部を上に向けるということになっている。しかし、この3匹の子グモたちの頭胸部の向きはそれぞれ1時、10時、10時だったのだ。クモ学の世界では「10時から2時までは上向き」ということなのかもしれない。

※後日、9時30分の子も現れたのだが、これも上向きの範囲内なんだろうか?)

 

 改めて『日本のクモ』を開いてみると、ヤマトゴミグモの雌成体の体長は5ミリから6ミリということなので、あのヤマトゴミグモの子どもたちという可能性もあるかもしれない。

 ミナミちゃんが幸せになれたのならそれはいいとして、ゴミグモ婦人もミナミちゃんも作者の指をもしょもしょするのが好きだったのだよなあ。もしかして作者の指はゴミグモの仲間に好かれるような匂いがするんだろうか? それならそれで喜ばしいことではあるのだが。〔あなたは人間よ。人間なのよ!〕

 まあ、クモの雌が求愛行動をするというのも考えにくいし、すべてのゴミグモにもしょもしょされたわけでもないからどういう意味だったのかわからない。またも新たな謎が生まれてしまったのである。とりあえず他のゴミグモの仲間に指を近づけてみようかな、と思ってマルゴミグモのマルちゃんの所に行ってみたのだが、マルちゃんのいた所には1本の古びた糸しか残っていなかった。マルちゃんも嫁に行ってしまったらしい。マルちゃんも雌成体として十分な体長だったから不思議はないのだが……みんな作者を置き去りにしてオトナになっていってしまうのだなあ。〔年寄りが何を言うか!〕

 まあ、いいさ。マルゴミグモがあれ1匹だけとは思えない。いつかは第二、第三のマルちゃんが現れるはずだ。その時こそ円網に指を置いてみることにしよう。



     クモをつつくような話2019~2020 その3に続く

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