1006A:極寒のなかではあるが、叱られてしまっては仕方がない。
「しかし、水野君。あれはよくやったね」
小林は打って変わってニコニコ笑顔だった。
「我々職員局は伝統的に現場と仲が悪い。だが、君たち運転局は逆に現場、特に運転従事者と仲が良い。それを逆手に取るとは、すごいじゃないか」
「本当だね。いつからそんな胸算用を覚えたんだい? あの乗り込んできた連中は、君が運転局の人間だと明かしたその瞬間からなにも言えなくなってしまったじゃないか」
井関も水野を手放しでたたえた。とうの水野は照れくさいのか、黙りこくったままだ。
「適当に譲歩したのも素晴らしい。これであとは、再調査しましたというカタチを取ればいいだけだからね」
あの小林が興奮気味に話すのは少々気色が悪かったが、井関も完全に同意見だった。
「しかし笹井。もしかしてこうなることを見越しての今回の人選だったのかい? いやはや、さすがは我ら東京高校組の中で一番に出世した男だけあるね」
「そうだった。今、たしかお前は総裁連絡室の配属だったか?」
二人がこんどは笹井を褒めだすと、しかし彼は不服そうに苦笑いをした。
「あんなの、秘書ですら手に負えなくなった老いぼれジイさんの御用聞きダヨ……。たしかに階級はちょっとばかし上だが、誇れたもんじゃない」
「いーやそんなことはないぞ。鉄道院上層部どころか、内務省のエリート、それから陸海空軍トップとのパイプが一手に集まるのが連絡室だ。こんなに有用なコネが有れば、鉄道院ど
ころか内務省のエリートだって狙える」
「そう言えば、君は陸軍が絡む大型案件を片づけたと聞いたぞ? 陸軍の支援があれば、議員となって入閣も夢じゃないな」
ウキウキ気分の二人に何を言っても無駄だと思ったのか、笹井はだまって支度を終えた。
「さ、とにかく再調査するんだろう? もう一度現場にでも行って、調査をしたというアリバイを作ろう」
そう言って部屋を出たはいいモノの、井関達はそこで思いがけない事実を知ることになった。
「オイオイ、寒いぞ」
「そりゃ、雪が降っているからな」
なにを当たり前のことを。そんな風に言う井関を、三人は信じられないものでも見るような目でみつめた。
「君は平気なのか?」
「いや、地元より少し寒いから、用心しなきゃとは思っている」
「そういえば、君は八甲田の出身だったな……。君で少し用心、ということは、”南国生まれ”の我々は死ぬんじゃないか?」
小林がおどけるように言うと、そんな彼の頭上から外套が降ってきた。
「職員局の人間はどうでもいいが、運転局の人間に何かがあればコトだからな」
見ると、上の階には先ほどの男がいた。彼は追加でコートを人数分投げつけると、心底不服そうにつぶやいて消えた。
「コートだ。それも、国鉄制式のやつではない」
「これは軍用コートじゃないか? 陸軍が樺太戦で使っていたものと同じだ」
「少なくとも国鉄のものよりは上等だろう。ありがたく頂戴しよう」
井関は、彼がこれを投げ渡した意味など特に考えることも無く、このコートに袖を通した。
「暖かいな」
「そりゃあ、軍用だからな」
「しかし、なぜ軍用なんだろうか。運転局は、寒地用の被服をきちんと配備しているだろう?」
「ええ。なので、ちょっと不思議ですね」
「まあいいさ。ともかく、再調査だ」