1005A:不正調査は軋轢と共に、確執を添えて。
労働組合の結成は、これを禁じられている。だがしかし、いかなる法も憲法も、労働者が私的に交流し団結することを禁ずることはできないし、していない。
翌朝、まだ昨晩の酒が残る眠りの中。井関は誰かに胸倉を掴まれ、大きく揺さぶられた。
「この野郎、ふざけやがって!」
朦朧とした意識のまま、その誰かに殴られる。まどろみの中にあった井関の意識は、危機感によって完全に覚醒した。
「なんだね、君たちは!」
気が付くと、部屋は完全に包囲されていた。その男たち―――おでこに鉢巻を巻いた、屈強な者たちだ―――によって、だ。
そして彼らの正体は、彼らが身にまとっている制服ですぐに分かった。この小沼機関区に所属する、”機関士”たちだ。
彼らはいまにも殴りかからんばかりの気迫で、いやもうすでに井関達を殴打しながら、怒声をあげる。
「お前ら、ずいぶんといい加減な調査をしているらしいじゃねえか」
井関はなんのことだかわからず、もがきながらトボける事しかできない。
「何のことだ。いい加減にしないと、陸軍を呼んで……」
その井関の顔面に、一人の男が紙を投げつける。
「いい加減にしやがれ! なんだこの電報は!」
それは、井関がつい十時間前に雑用係に頼んだ電報原稿だった。
「事故原因はテロだって? それも線路への細工だあ? 馬鹿言うな!」
あちゃー、と井関が顔を覆う。電報経由で情報が漏れることは想定外だった。
「あー、これは厳正なる調査の結果であって……」
「ウソを付け! なら、なぜ俺たちに事情の一つも聞きに来ないんだ。それで、なぜ適正な調査などと言えるんだ」
「しかしながら、現場の状況からしてねえ……」
井関はなんとか切り抜けようとするが、しかし彼ら労働者はそんな”東京の官僚サマ”の腹のうちなど完全にお見通しのようだ。彼らは井関に二の句を継がせない。
「俺たちは事故の再調査を要求する。さもなくばストライキだ!」
男は有無を言わさずそう宣言した。慌てて小林が声を荒げる。
「君たち! 国家公務員のストライキは重罪だぞ」
「知ったことか! この職員局風情が!」
男は小林にも掴みかかった。
「職員局はいつもそうだ。現場のことなんか知りもしねえで、イイカゲン言いやがる」
「現場は東京の言うことに従う。それが近代国家だ」
「なんだとお……!」
男が小林の首を絞めようと身体を大きくしたところに、小さな体がそれに割って入った。
「やめてください!」
その声は水野のものだった。彼はこぶしをわなわなと震わせながら、いまにも泣き出しそうだった。
「もし職員局に責任があるとするならば、それは我々運転局にもあるということになります。彼だけを責めるのはやめてください」
そう言って小林は深々と頭を下げる。すると、男は急に気まずい顔になった。
「なんだい、あんた運転局の人間かい」
「はい。運転局の車務課です」
「そりゃあアンタさんには悪いことをしたね」
そこからは、話が妙に早かった。
「わかった。ここはアンタさんの顔を立てるから、アンタさんはアンタさんで、こっちの顔を立ててくれよ」
「わかりました。では、こちらも再調査を行いましょう」
「お、おい、水野……」
笹井は慌てるが、だが、水野は聞く耳をもたない。
「ただし、ご期待に沿えるかどうかは……」
「かまわんさ。運転局の兄ちゃんが一生懸命やってくれたってだけで、こっちは十分だから……」
男たちはそれっきり、何も言わずに去ってしまった。
数分後、返信の電報が届いた。どうやら数日以内に本庁から樺太まで連絡掛がやってくるらしい。なぜわざわざ現地まで連絡掛を寄越すのかはわからないが、これもきっと総裁の気まぐれだろうと井関は思うのである。
「それにしても」
と井関は雪がちらつき始めた空につぶやいた。
「これは荒れるぞ……」
それは、あまりにも嫌な予感だった。
樺太の冬は、マイナス20度ほどにまで下がる。当然、東京の人間が生きていける環境ではない。