1003A:鉄道マンが、鉄道に詳しいわけがないじゃないか
「陸軍としては、鉄道院の方針に反対である」
毎朝新聞の朝刊一面に大大と載ったそれは、国民の間で慣用句化されるまでに至った。
樺太鉄道局 豊真線 奥鈴谷駅
列車は奥鈴谷という駅に着いた。列車を降りてすぐ、井関は目の前の光景のひどさに息を呑む。
「こりゃひどいね」
奥鈴谷駅には、事故で脱線したであろうぐちゃぐちゃになった車両が止まっていた。
その近くには責任者であろう陸軍人がいて、その彼は親切にいろいろと説明してくれる。
「事故はここから300メートル奥で発生しました。列車は右カーブを曲がり切れずにそのまま左へ脱線。運転席がある左側を下にして転覆です」
日野勝、と名乗ったその陸軍人は、国鉄”特急組”である彼らに対しとても友好的だった。これは陸軍と鉄道院が対立している昨今の状況を考えれば、かなり珍しいことだ。
井関は驚きながらも質問を続けた。
「この車両はひどく損傷している……。ここまで移動させるのは大変だったでしょう」
「ええ。ですが、ここは交通の要衝。いつまでも線路を塞がせておくわけにはいかないので、手早く撤去し、ここへ保存しました」
「犠牲者が出ているんですって?」
「ええ。小沼機関区に所属する立花機関士という少年が、お亡くなりになっています。おそらく、彼が運転を行っていたものと思います」
「なるほど……。これからも、なにか質問があれば問い合わせても大丈夫ですか?」
「ええ、もちろん」
日野は陸軍人にしてはいやに人当たりがよく、物腰が低かった。同じことを他の陸軍人に言ったら、今頃軍刀を振り回して口から火を噴いているところだ。
さて、井関たちは”事故調査”をはじめることにした。まずは、この脱線車両を調べる。
「これは、なんていう機関車だ?」
「そこに書いてあるだろう」
かろうじて残っていた機関車識別用のプレートを、井関はトントンと指さした。
「ええと、EF16? どういう機関車だい」
小林の言葉に、井関は思わず呆れてしまった。
「君ねえ、それでも本当に鉄道マンかい?」
「しかたがないだろう。僕は職員局の人間だ。普段は鉄道とは関り合いが無いんだ」
小林は憮然とした表情でそう言う。井関はとうとうため息をついた。
「これは山道を越えるために改造された電気機関車だ。電気機関車というのは……」
井関がそこから説明をはじめようとするので、笹井は慌ててそれを遮った。
「小林だってそれぐらいわかるさ。それで、山道を越える機関車とはどういうことだい?」
「この奥鈴谷駅を通過する豊真線は、とても急な坂道が連続する路線なんだ。それで、坂道を下る際に強力なブレーキが必要になった」
「なるほど。だから特殊ブレーキを追加装備した車両なんだな?」
「その通り。いやあ改造には苦労したよ。なんせ、もともとは東京で走っていた車輛だからね」
「へえ、じゃあ今の俺たちと一緒で、あまりの寒さにびっくらこいてるんじゃないのか?」
「さあどうだろうね。東京とはいえ、豪雪地帯の新潟県とを結ぶ列車に充当されていた機関車だ。寒さと雪は慣れっこじゃないかな」
そう言いながら、井関は車輛の下へ潜っていった。
「おおい、何をしているんだ」
「いや、もしこれが本当に事故なのだとしたら、どこかにブレーキが故障した痕跡があるはずだと思ってね」
井関はボロボロになった車輛の下から這い出して、顔を真っ黒にしながら答えた。
「ブレーキの故障は無いみたいだね」
「先輩。車輪の故障もありません」
水野は水野で何かを探していたらしく、それを井関に伝えた。
「車輪の故障、とはなんだい?」
「下り坂でブレーキをかけすぎると、稀に車輪がブレーキに耐え切れずに壊れてしまうことがあるんだ」
「なるほど、それが無かったわけだな」
「つまり、この列車はなんの故障もしていなかった。しかし、列車は脱線した」
井関は勝ち誇ったような顔になった。
「これはすなわち、テロ以外にはありえんだろう」
「お、そうだな」
「よし! 終わり!」
井関はノートに「結果:テロ!」と書きなぐった。
EF16形電気機関車(鉄道院)
上越線・奥羽本線といった急坂を擁する路線は、既存の機関車ではその攻略が難しかった。そこで、既存の機関車に特殊ブレーキなどを装備させたのが、このEF16形電気機関車である。
諸元
主電動機:MT42
定格出力:325kw(一時間)220kw(連続)
定格電流:470A(一時間)320A(連続)
定格回転:800rpm(一時間)910rpm(連続)
定格出力:1900kw(1500V)1650kw(1350V)
軸配置:1CC1
制動装置:回生ブレーキ(ノッチ)・自動空気ブレーキ(自弁)・直通ブレーキ(単弁)
運転整備重量:106t
軸重(動輪上):15t
暖房設備:無し
重連総括:場合により