植松被告死刑に思うこと
以前、重度障害者の生きる意味について書いたことがあった。大炎上!
殆どが、私を罵倒する意見。
………なんで?と私は問いたい。
皆、偽善者ぶっているが、確実に己の中にU被告は居る。
本当は何が正しいか分かってるくせに「風潮」とか「事なかれ」という概念で風見鶏になる。それを「大人、正しい」とする世の中。
Uが異常じゃない!皆が異常で数少ない正常を「異端」としてはじいてるだけである。
彼は施設で闇を見たのだろう。
あなた方は、何故、施設に足を運んだ事すらないのに、理想論をさも正論のように述べることが出来るのですか?
遺族にも物申す。
何故、氏名も公表せず、遺影もない追悼式なのですか?彼等が人間として扱われてない証拠ではないですか。
葬儀を隠すレベルは笑えます。
だいたいが『許されることではないが~』
って言ってる奴も一度考えるべきです。本当に許されないことなのだろうか?って。
私は支持はしないが被告に共感できる。
一歩間違えれば自分が○されるかも知れないという恐怖と環境。そして意思疎通のできない人たちの世話。『ありがとう』の言葉さえ貰えず、暴れる患者達。
福祉は愛だなんて偽善者は、一度1週間U被告と同じ仕事をしてみれば良い。
そこは、地獄の底だから。
命には価値があるんだよ。生きてるだけで素晴らしいんだよ。とマスコミは盛んに言い囃します。
でもそんなお為ごかしはお腹一杯なの。
闇雲に意味がある、価値があると思い込むのは己を偽る誤魔化し、自己欺瞞ではないのでは?
価値ある命が、いとも容易く失われていくこの現実は何なのか?
生きてるだけで素晴らしいなら、この苦しみは、焦燥感は、絶望感は何なのか?
飢えに苦しむ子供達が世界中に居る中で、まだまだ食べることが出来る食品が山のように廃棄されていく日本は何なのか?
こんな想いを抱えた青年が、介護で地獄を見て精神を病んだ。そう言うことではないのか?
彼は言ってるではないか。『安楽死の段階を踏まなければ社会は成り立たない』と。
そして、彼は死刑判決に!
「お前こそが要らない!」と言うこの「言説」は、実は被告自身が言っていたこと。
個人による生の選別か、国家による生の選別かの違いに過ぎない。命が大切だと言うのであれば被告の命も大切だから。
被告を抹殺や排除、死刑にしただけでは終わらない。
私の中にも、あなた方の中にもU被告は存在する。
この公判は、被告だけが裁かれるのではなく、遺族も私も、社会の全員が
「裁かれる」べきなのです。