和解と振り返り
暴力描写、ボーイズラブにとれる部分があります。ご注意ください。
「これにて、式典を終了する。―礼」
「…」
終始何もなく式典は終了した。これで晴れてリンも王族騎士の一人だ。俺は式典を終えて通るであろう道でリンを待っていた。
しばらくするとⅫ騎士団の一団が帰ってきて、特にセドルは俺をキッと睨んで通り過ぎて行った。余程以前コケにしたことを根に持っているようだ。…もしくは、リンの誉れに嫉妬しているか。
…さらにしばらくして、リン達が帰ってきた。
「リフィア!待っててくれたの…!?」
「もちろんだ、だいいち、さきにかえるりゆうがない」
リンは俺に気づくと笑顔で駆け寄ってきた。リンにまとわりついたじゃらじゃらがうざったい。
「あ、ごめん…なんか色々つけろって言われたから……」
「一応名誉ある勲章の数々なんだけど?あ!良いこと考えた。とる前にセドルの前もう一回通ろうぜ」
「良いよ…早く外したいし……」
「リン、ロウに構うな。外して良い」
リンは外すと肩を回した。普段飾りっ気がないせいかたまにきっちりとした格好をさせるとこうなる。リンはもともとゆったりとした服が好きだからな。
「もう会いに行ってもいいのかな…?」
「どうなんですか、ロウさん」
「…ああ!シエラ様ね。良いんじゃねえの?」
「心配だ、俺も行こう」
「お前は行かなくていーの。…ギア様はいないが、お前が会いに来てくれたら多分すごく喜ぶと思うぜ。最近シエラ様が外に出てこなくてこっちも心配してたからさ。お前がもしシエラ様の面倒をみたいならすぐにでも担当を回してやるよ」
「そうしてくれたら嬉しい…」
「おっけー!じゃあまた。任務で会おうぜ」
「うん…!」
「リン、明日は俺と任務だ、楽しみにしている」
ゼノがまたリンに近づこうとするので、もはや慣れたもの。俺とロウで引き離す。
…そうだ、忘れたい約束だったから忘れていたが次のリンとゼノの任務は二人きりで行わせるという約束をしていたのだった。…どうするか。
「じゃあリフィア、行こう…!」
自分のことではないのにこんなにも喜べるこいつはやっぱりおかしい。でも、悪い気はしない。
「…ああ」
「「…」」
俺達はシエラの部屋の前に来ていた。もとは俺たちの部屋でもあったのに、ここまで来るのにずいぶん時間がかかった。
「…シエラ、僕だよ。リン。覚えてる…?」
扉を三回ノックし、呼びかける。しばらくして、か細い声が帰ってきた。
「……リン様…?」
「そう、僕だよ!僕、王族騎士になれたんだ。これでまたシエラと一緒に居られるよ!」
「…本当に……!」
扉が開いた、そこには、以前よりやつれているシエラがいた。本当に…長かった。長い間、離れていようともずっと三人は別々の場所で頑張っていたんだ。
「あれ…リン様のほかに…もう一人おられますか?」
「あっ!そう!シエラはきっと驚くだろうけど…」
「シエラ…」
…分からないだろうか、もう兄は必要ないだろうか、そんなためらいが声色に浮かぶ。しかし、シエラはそんな俺の心配もよそに、いとも簡単にそんな濃霧のようなためらいを払った。
「…もしかして、お兄様……?」
「……わかるのか、おれが…」
「―ああ、やっぱり…!お兄様、よくぞご無事で!!声は少し変わられましたが、その口調ですぐにわかりましたわ」
「あ…ああ、まあ。ぶじでは、ないのだが……手に触れてもいいか?」
俺はシエラの手にそっと触れた。シエラは目が見えないから触るときはなるべくこうして気遣ってやらないといけない。
「お兄様…しばらく会わないうちに肌質まで……」
「それがな…まことにふしぎなことにうまれかわってしまったんだ。だからおれのもとのからだはたしかにあのひにしんでいるんだ」
「…」
やはりすごく驚いている様子だ。まあ確かに、リンの適応能力が高いせいで全く不思議に思っていなかったが凄いことだよな。これって。
「…でも、中身はお兄様のまま……ですよね」
「ああ、まあな…」
「ならば私はそれで十分です。どんな姿になっても、お兄様はお兄様です」
「シエラ…!」
「会いに来てくれただけで…私は……」
「だいじょうぶだ、これからはいつでもおまえのそばにいてやれるからな」
「はい…」
「昔みたいに僕は使用人として雇ってもらうわけじゃないから常にシエラの部屋にいることはできないけど、ロウのおかげで専属騎士にはなれそうだから、困ったことがあったらいつでも連絡してね。ギアと一緒に、すぐ駆けつける」
「有難うございます、リン様…」
良かった、本当。本当に、良くここまでこれた。
これでまた、夢を目指せるんだ。争いのない世界へ、三人で。
「『夢のあと』へ行く…」
「うん!」
「……」
「おはよっ」
「…リン……」
目を覚ますと、リンはへら、と笑う。大きな目標が達成されたせいか、やけに上機嫌だ。
「太朗も起きて、ご飯だよ」
≪ワンッ≫
太朗を連れて、リンはキッチンへ行った。俺も自分を律して起き上がる。
「今日は猫まんまっていう…なんか思いついたんだ。ああ、でもうちには太朗しかいないから犬まんまかな?」
茶碗には焼き魚がほぐれたものとピクルスが掛けられていた。ピクルスは甘酸っぱくて美味しい。焼き魚の味も互いに引き立てあっていて美味しい。
「うまい…」
「良かった!」
「……そういえば、おまえきょうゼノとにんむだろ」
「うん、突然どうしたの?」
「おれはついていけない」
「―え!?」
「とつぜんですまなかった、どうしてもいいだしづらくてな」
「え、な、何で…」
「だからきょうはおまえをゼノからまもることができない」
「……」
一瞬にしてリンの顔が曇った。心が痛い、本当に申し訳ない。もう少し軽い内容に抑えられれば良かったのだがあの時は緊急事態故に思考能力が低下していた…。
「……分かった」
「すまん…」
明らかに肩を落としているが俺はもう見送るしかない。
だが安心しろ。前回の失敗に懲りて、尾行はさせてもらう。ロウであれだったんだ、ゼノはやる。…約束を破ることに後ろめたさはあるがリンにその旨を伝えているわけではないしゼノはもちろん知らない、だから二人とも二人っきりという前提ではあるから良いだろう。俺は付いてきているのではない、ただ単に行き先が同じというだけだ。という謎の言い訳で自分を納得させる。…昔だったら考えられない悩みだな、これは。俺はリンの母親ではない、リンが誰と道を交えようと違えようとどうでもよかった。しかしリンの人間関係が俺たちの目標までゆるがせる可能性があるのならば、気に掛けなければならない。
「…行ってきます」
「ああ」
俺はリンが出て数秒後、部屋を出た。
「リンっ!今日は一人で来たのか?」
「うん…」
「俺は久々にお前と二人になれて嬉しいよ…一緒に頑張ろうな」
白々しい、お前絶対分かっていただろ。
そう言うと開始早々ゼノはリンの腰に手を回した。リンは苦笑いで応対している。そういう態度だから絡まれるんだ!拒否しろ!突き飛ばせ!!
「ゼ、ゼノ…早く任務行こうよ……」
ゼノはそう言うリンの顎を腰に回していない方の手で引上げ、リンの喉にキスをした。
「「!?!?」」
俺は思わず思春期女子のような反応をしてしまった。悪い意味で。が、当のリンはもっと困惑している。しかし嬉しいや恥ずかしいと言う方ではないだろう。石化している。
余韻を十分すぎるほどもったキスのあと、ゼノが牙をむいた。流石のリンも何かを感じたのかあわてて身を引こうとした。しかし腰に手が回されているのでその行為からは逃れきれなかった。
「―ぁ」
がり、と音がしそうなほど思いっきりゼノはリンの喉に噛みついた。あいつ、王宮内でまじか?ゼノは噛みついたリンの反応を楽しんでいるのかなかなか離そうとしない。もうすでに出ていきたい、もうロウでもいいから誰か来てくれ!
やっとリンがゼノを手で押し反抗の意思を示しだすがそんなことではゼノはなかなか解放しようとしない。むしろその反応を待っていたかのように段々腰に回していた手を下へと移動させる。
「おい」
「……先ほどから視線を感じると思っていたが…何だ、お前か」
ロウが来た。最近色々あったせいかあまり嬉しくないが誰も居ないよりましだ。ゼノが気を取られたすきにリンはゼノの束縛から抜け出した。
「痛かった……」
「リン、大丈夫か」
「まだ血が薬臭い、お前がリンを薬漬けにしたせいでな」
「…んなこと今は関係ねぇだろ、手前はリンを傷つけてんじゃねえよ!」
「診察だ、とやかく言われる筋合いはない」
「そんな診察があるかよ…!」
「お前こそ、リンを騙して薬を飲ませていたくせに」
「だから…騙してねえっつの!」
何てカオスな状況なんだ。俺は頭を抱える。俺もタロウもいない今あれを止められる人物はいない。本当に、あいつらいつもどうやって過ごしていたんだ?毎日こんな感じだったのか?
「に、任務…行こうよ……」
リンが喉を押さえて声を振り絞った。ゼノとロウもとりあえずは収まる。
「そうだな、行こうか」
「お前ら二人で行くのか?リフィアちゃんは何処に行ったんだ」
「……リフィアは、今日は……」
「…大丈夫なのかよ」
「ふん。さすがにそこまで節操無しではない、任務中に手は出さない」
「おいロウ!どこに居ったんだ、任務へ行くんじゃないのか!?」
「ほら、七光りがお待ちかねだ」
「……今行きますよ」
「安心しろ、リン。ロウは去った」
ロウを牽制するかのように、見せつけるかのように次はリンを強引に引き寄せ露になった手首に噛みつく。またリンは顔を苦痛に歪ませたがゼノはお構いなしだ。
「…」
ロウは口を開いたが、ぼうっとしていたらセドルが来てしまうと思ったのか飲み込んで身をひるがえし去って行った。
「ふん、忙しい身で最初から絡んでくるなという話だ。なあリン」
「…く、くすぐったい……」
「薬に毒されていようとお前の血は美味い。お前の血にたとえ毒が入っていようと俺はそれを喜んで何杯でも飲みほそう」
吸血鬼か。バンパイアか。ノスフェラトゥか。ドラキュラ伯爵か。
ゼノは噛んだ後も執拗にリンの傷口をなめ続けている。あいつやばいぞ、人間をやめたのか!?今夜も眠れないのか!?ロザリオだ、ニンニクだ、シルバーだ、木の杭だ。皆、丸太は持ったか!?
「ゼノ…任務行かなきゃ……」
リンが再度任務を呼び掛けた。ゼノは名残惜しそうに身を引き、と思われたが最後にリンの手のひらにキスをした……。
「さぁ、任務へ行こう」
ゼノは上機嫌でリンの手を下から取って、手を引いて歩きだす。…何か、ここまででえらく疲れてしまった。許可しなきゃよかった。一緒にいるより疲れているかもしれない。…なぜ俺が疲れる必要があるんだ。なんかむかついてきた。
「今日の任務は海だ。お前が好きだと思ってこの依頼を選んだんだ」
「海…!鮪、鰤、鯖…」
リンは目を輝かせた。ゼノは得意げな表情を浮かべている。俺は心配でたまらない。海…海へ行くのか。あいつらまさか沖の方まで行かないだろうな…生前は人並には泳げていたと自負しているがこの一歳の体でもその実力が発揮されるかどうか…沖まで行ってしまったら……任務中には手を出さないと言っていたがゼノの言うことなど信用ならん、出ていくべきか。でも、そうなってしまえば本当に約束を破ってしまう…そうなった時あのゼノがどうなるかわからない。ゼノはキレると見境がなくなる面がある、さらに馬鹿力だ。…怖すぎる、なるべくそうなってほしくはないものだが―
「水着を買おう、リンは持っていないだろ?」
「?」
…ああ、水着を買いに行くところからか。ひとまず安心だ。問題を先延ばしにしている感は否めないが、時間さえあれば良い考えの一つ、浮かぶかもしれない。
「似合う…良い、似合っているぞ、リン…!」
ゼノが特別に用意させた試着室で二人きりカーテンの向こうで試着をしあっているようだ。俺はこっそり隙間から中を覗く。
リンは水泳用の黒い長袖パーカーを一枚で羽織り、青の海パンを着せられていた。ゼノも同じような格好をしていた。ゼノの方は見事に決まっていて、同じ服を着ていながらゼノはさながら雑誌のモデルのようだ。あいつ顔は良いからな、美形というやつだ。リンの方は…まあ、年相応という感じだ。
「お前の脚が見たかったんだ、この俺を許してくれ…だが、安心しろ。お前の肌を直射日光のもとにむざむざ晒しやしない」
「…短パンなんて……この年になって恥ずかしい…」
リンは余程恥ずかしいのか膝を抱え続けて耳まで真っ赤にして涙目になっている。こんな屈辱初めてだとでもいうかのようだ。公衆の面前で縛られていたときは別に恥ずかしがる様子もなかったのに…短パンは駄目なのか。
「リン…」
ゼノはそんなリンに足音もなく忍び寄る。リンは自分の現状に夢中で気づいていない。
「日焼け止め塗ってやるよ……」
そう言うとリンの海パンの隙間に手を―
「おい!」
「なっ―」
俺の声にゼノは反射的に手をひっこめた。リンが顔を上げる。
「リフィア…?何で……?今日来れないんじゃ…」
「すみません、きょういちにちずっとびこうさせてもらっていました。やくそくをやぶるなどほんとうはしたくはなかったです、でも、げんかいです!それいじょうリンにてをだすようなら―」
「…雌豚、約束は履行されなかった。覚悟はできているんだろうな」
「……っ」
ゼノは今まで見たこともないような表情で俺に近寄ろうとする。が、その前にリンが立ちふさがった。
「ゼノ、リフィアに手を出すな…!」
ゼノのただならぬ雰囲気にリンも気を引き締めたのかいつもより硬い表情で応対する。
…最初からこうしてもらえばよかった。俺はリンのことを、本当の意味で信頼しきれていなかったのだな。と思っていた時―
ぽろ、と。ゼノの紅の瞳から滴が流れた。あまりに突然の出来事すぎて俺もリンも、一瞬状況を理解できなかった。まさか…涙、なのか?ゼノが……?
それを皮切りにゼノの瞳からはとめどなく涙があふれ出た。ゼノはそれを止めようともせず、ただその自分の生理現象に身を任せている。
「ゼ、ゼノ…?」
この状況に耐えられなくなったのかリンが声をかけた。だがそれでもゼノは反応を返さない。リンはさらに慌てだした。まあ確かに、流石の俺でもなんか自分が悪かった気がし始めてきた。
「ゼノ…あの、涙を……」
リンはその手をどうすべきか、空中をばたついている。拭くべきなのか、ハンカチを渡すべきなのか、どうすればいいのか分からないと言った様子だ。
「……」
リンはなすすべを無くし完全に口をぽかんとあけて固まってしまった。先ほどからゼノは全く反応を示さない。時間経過によってかろうじて涙は止まったのだが依然ゼノも固まったままだ。
「……寂しいよ…リン…」
ゼノは珍しく俺の前にも拘わらず感情的に声を絞り出した…。その声は、泣いている時特有のしゃくりあげるような声だった。
「!?」
リンは目を白黒させている。まさかそんな反応をされるとは、という反応だ。俺もそうだ。
「…ごめん…リフィアちゃんは……リンの部下だから……言わないようにしてた、してたんだけど……やっぱり、もう、限界で…」
「……」
リフィアちゃん?
「つい最近までは…リンと二人で居られることが当たり前だったじゃん……?でも、突然リフィアって言う雌豚が加わってさ…リンと二人で居られなくなって…俺、凄く…みっともないだろうけどさ、凄く…寂しかった」
「……雌豚」
リン、そこもだけどそこじゃあないんだ。
「ごめん…つい、憎たらしくなって……だって、俺よりもそいつとは過ごした年月は少ないわけだろ…?それなのに、リンはそいつのことばっか構って、そいつのことばっか……守って…確かに、俺は守ってもらう必要はないけど…でも…でも、やっぱり…悲しいよ……」
…確かに、こいつにとって俺は突然どこかから現れた見知らぬ他人、しかも年端もない1歳児。そんな奴が仮にもⅫ騎士団のリンとつい三か月前にあったばかりでこんなにも守るべき主人から守られている、そんな部下なんて常識からはかなり外れている。
「……」
「ゼノ…」
ゼノの独白を聞いて、リンはかなり申し訳ないと言ったオーラを振りまいている。もう全身から悲壮感が漂う二人組を前に、俺も黙ることしかできない。
「……リフィアは、大切な、人だから……」
「…うん、わかってる…分かってたのに……俺、なんか気を使わせて……馬鹿みたいだな」
「い、いや。そんなことない…僕も、確かに最近のゼノをちょっと避けてた…何か、ゼノ怖くて……噛みつかれるのも、ちょっと、痛い…し……?」
「ごめん…本当、ごめん……俺、そう言う形でしか愛を表現できなくて……俺の愛を、形にしないと気が済まなくて…その傷を見るたびに、いつでも俺を思ってほしくて……」
「……」
ゼノは、自分の爪を噛んだ、血が出るほど。激しく、自分を律するように。
「だ、駄目……!」
リンが慌てて制止する。が、もうゼノの手は深爪になっていて、爪と肉の間からは血がにじんでいた。普段からよくストレス発散で爪を噛む癖のあるやつだから、もう限界に近かったのだろう。
「ゼノ、血が……」
「……して」
「?」
「俺の、足の甲。…今すぐ」
「…?」
「舌を当てるだけでいいから…駄目…?」
「……足の甲に舌を当てればいいの?…うん……」
リンがそう言うと一転嬉々とした表情でゼノは自分の足を差し出した。リンはそれを両膝をつけて、杯を承るように丁重にゼノの足に手をついて、その甲に舌で触れた。
ゼノはまさに恍惚、といった表情でその様子をリンの頭上から見ていた。一瞬リンが足蹴にされるのではないかと身構えたがそう言うことでもないらしい。
「……これでいいの…?」
「うん…有難う、リン……」
「ご褒美―」
ゼノは頭を上げたばかりのリンの頭を掴み前髪をかき上げて額に稚拙にキスをした。ゼノにしては優しいキスに思わず俺も戸惑った。
なんだ、どうかしたのかこいつ。ガラッと態度が変わったこいつに俺は半ば置いてきぼりを食らっているが、リンも同じのようだ。呆けている。
「こんな俺でも…任務、一緒にやってもいいかな……?」
「う、うん!」
リンは食い気味に返事をした。リンにそういう態度をされてしまったら俺ももう断る理由がない。
「手…繋いで良い…?」
「全然…!繋ご…!」
「リンの手、暖かい……」
「そう?暑い…?」
「ううん。繋いでいたい…」
「そっか、じゃあ良かった……リフィアも行こうよ、折角来たんだから一緒に任務しよ!」
「あ、ああ…」
リンの手を取ろうとする。
「リフィアちゃんにも、意地の悪いこと一杯してごめん…」
「…は、はぁ」
ゼノは繋いでいたリンの手を放して俺の正面に立ち頭を深く下げた。俺は戸惑ってしまう。
「仲直りの証に、手、繋いで良いかな…」
ゼノが逆に手を差し出してきた。
「でも、じゃあどうやってつなげば…」
「リフィアちゃんを俺とリンの間に挟めばいいんじゃないか?良いだろ?リン」
「うん…!」
そうして俺はゼノとリンの二人に両側から手を繋がれることになった。何だこの状況。
「こうしていると、俺たち兄妹のようだな」
「こんなみぶんのはなれたきょうだいがいたらたまりませんよ…」
「僕とゼノのどっちが兄さん…?」
「リン、そこじゃない」
「俺だろう、断然。リンは俺より小さいからな」
「そっか…じゃあゼノの言うことなんでも聞かなきゃね」
「おい…!」
「リン、そう簡単に誰にでも何でも、なんていうんじゃない。誤解を受けてしまうだろ?」
「…そうなの?…そっか……ごめん…」
「でも嬉しいよ、有難う」
「……うん!」
…何だ、この違和感。謎の寒気は。ゼノが優しくて、鳥肌が立つ。何故だ、手放しに喜べない。リンはすっかり安心しているのか警戒を解除している。いやそれはいつもの事か。
「今日の任務は沖合の巨大軟体動物。別名『海の悪魔』と呼ばれているらしい」
「悪魔…」
「おきあい……」
「?リフィア、どうしたの…?」
「およげるかわかりません」
「浮き輪を使えば良いんじゃない?」
「駄目だ、リン。『海の悪魔』は強大なんだ。リフィアちゃんみたいな小さい子供なんて俺たちが戦っている間にすぐに押し流されてしまう」
「そっか……」
「…わたしはここでおふたりのかえりをまっています。おふたりとも、ぶじにかえってきてください」
「でも…あっ!僕がリフィアをおんぶしようか?」
「たたかいにくいでしょう、それじゃあ…わたしのことはかまわずぞんぶんにたたかってきてください」
「うん…リフィアも気を付けてね、お土産楽しみにしてて」
「ああ」
別に俺は泳げないわけではないのだが、『海の悪魔』とやらは危険だと言われたからな。
「じゃあ行ってくるね」
「ああ」
「リフィアちゃん、良い子で待っているんだぞ」
「…はい」
二人を見送った、あいつらはウォーミングアップを少々、した後。奴らはいとも簡単に水面を駆けた。…ついて行かなくてよかった。多分あの状態のリンに担がれていたら振り落とされていただろう。
…ゼノは人が変わっていい奴になっているみたいだ。…まあ今のところは大丈夫だろう。
俺はどっかりと座り込んだ。傍にリンがいないことなど、しばらくぶりだな。…あの日以来か。本当によく、ここまで来てくれたものだ。リンには本当に感謝している。シエラと再び会うことが出来て、まあ少々俺の姿は変わってしまったが、目的の大きさに比べれば誤差の範囲だ。
…とにかく、今は一人、待つのみだ。……独り。
そういえば、あの日以来かもしれない、独りが怖くなったのは―
「ギア様!シエラ様の位置が分かりました、送信いたします!」
「…シエラ……!第三の塔だと、ここからじゃ…くそっ……!!」
小春日和、俺たちは戦場にいた。敵は、俺たち以外の全員。
絶望的な状況だ、シエラは数時間前から消息不明。その影響でシエラの捜索に全精力を尽くさねばならない状況が本来の目的の進捗を滞らせ、部隊内にもぴりぴりとした空気が漂っていた。
「遠すぎる………シエラ…!」
直に俺の居場所もばれる。そうなればシエラを助けるチャンスも永遠に断たれる。シエラを戦場に置いて行くことなど…しかし、助けにも行けない。拠点からは数キロ離れた場所だ。この銃砲飛び交う戦場内を動くことは難しい、そんな数キロ先に今すぐたどり着くことのできる人物など…。
「僕が行く」
「…リン」
声に振り向く。そこには先程の乱戦を見事に看破しここへ俺を運んだ張本人の姿があった。しかし、その黄金の瞳は片方をふさがれ、先ほど治療したばかりで変えたばかりの包帯には新しい血がにじんでいた。
「お前は休んでいろ」
「やだ!」
「…俺を苛立たせるな!おい、誰かそいつを治療室まで連れていけ」
「信じろ!」
「―」
「僕を信じろ!ギア!!『夢のあと』へ行く!そのために、今シエラを助けられるのは、僕しか居ない!」
確かにそうだ。そんなの分かっている。だが。
「……そんな状態で、何ができる」
「―ギアの期待に応えられる」
「…その言葉、本当だろうな」
「…」
リンは無言で、しかし、明確に承諾を示した。
「リン、命令だ。…シエラを助けろ」
「…了解!」
そう言うとリンは駆け出して行った、すぐに、窓には岩場を伝い、宙を転々とするリンの姿が見えた。銃撃はやまないが、そのすべてをはじき返し、避け続けているようだ。
リン曰く、銃は人が撃つのだから人間の反応速度より早く動けば当たらないという。…本当、化け物じみている。あいつは。
リンの姿が見えなくなった。きっとあいつはシエラを助けられる。
「リンがシエラを連れてくる、それまでに打開策を練る。まず―」
何か、胸の方で異物感を感じた。…何だ、何か、胸が、熱い。
リンの忠誠心に感動したのか?そんなわけがない。じゃあ…。
「…ふ、せめて最後まで言わせてくれるものだとおもっていだがな…」
「……ここにあなたの味方は一人もいませんよ。ギア様」
…知っている。そして、俺が詰んでいることも。シエラを見失った時から、既に―
「ごほっ」
胸には、無機質な金属板が直角に見える。それは紅に照り照りとしていた。
背後から、刺されたのだ。
「…リン、シエラだけは、守れよ……」
無感情に剣は抜かれた。苦痛で悲鳴が漏れそうになるのを、何とかこらえる。
「………」
寒い、寒くなって、目がかすんでくる。
…ふふ、ロケットペンダントなど、一つも俺の命を守ってくれやしないじゃないか。やはり、あいつらは俗本の読みすぎなのだ。震える手で開いたペンダントには、微笑むシエラと、阿保みたいに笑っているリンと、苦笑する俺がいた。
やはり、人を守れるのは、人だけだ。
ペンダントは暖かかった。握ると、血がついて、見えなくなってしまった。
「…寒……」
…お前の夢は立派だ、シエラ。これからも、何を言われようと、曲げるんじゃない。あと、俺がいなくなっても悲しまないでくれ。馬鹿な兄が、己の業に滅ぼされただけだ。
…リン、お前は、何もない。お前には…。馬鹿な奴だ。俺なんかに騙されて。お前は……。
「…あいつはむかしからばかだった」
水平線を見つめて、ぼそ、とつぶやく。あの日の正しい選択肢は今も分からない。もし俺が判断を正しくできていたなら、今よりも良い状況があったかもしれない。例えば、リンに守ってもらいながら、俺がシエラの元へ行くとか。本当、俺の墓穴のほとんどは他人を信じきれないという所から来ている。直さなければならないかな、そろそろ。もう俺も王族ではないのだから。
「―」
「…さむ……」
目を覚ますと、暗い部屋の中にいた。たまに吹く風も肌寒い。そこに、俺は寝かされていたようだ。…頭が痛い、ここに来るまでの記憶はない、俺は気絶させられていたのか?
「…だれかいないのか、リン?…ゼノさん?」
返答はない。ゼノがリンを独りにするわけないしリンがこの場にいるなら返事をしてくれるだろうから、二人共いないのだろう。ということは、まったく知らない場所に俺は独りでいるということだ。
床に手をついて立ち上がろうとした。しかし、そこで違和感に気づく。
「…こおり?」
床には、霜のような感触がある。手を当てていると、じんわり溶ける感じがした。
「……ここは、まさか―」
部屋の末端を目指してとりあえず歩く、が何か大きな障害物にぶつかる。何も見えないため大きく衝突し、それらはがらがらと音を立てて崩れる。その一個を手探りで探し、触感だけで物を認識する。…シエラになった気分だ。
多分、これはビニール、つまり、包装された物だ。床に落としてみると、カンッという音がする。叩いてみても、なかなかに硬い。頬に当ててみると、冷たさに震えた。
「…冷凍庫」
冗談じゃない、リンが肌寒くなってきたからと言って暖かい服を着せてはくれているが、肉体年齢一歳児がこんなところに放置されて、数時間と持つか…。
取り敢えずコートを上まで閉めて身を包み、肺がやられてしまわないようになるべくコートの中で呼吸をする。
リンが渡しておいてくれた携帯を探す、これでゼノに連絡を…と思ったが、つけた瞬間驚いた。電池の残量はほとんど残っていなかった。くそ、携帯の充電位常に満タンにしておけ…!
必要最低限の文字数で状況を書き、送信する。送信完了の文字が出て、しばらくして携帯は電池を切らして画面を暗くした。…これであいつらが気付いてくれるだろうか。
後はただ、自分の命を少しでも長くするために尽力するのみだ。
「お兄様?」
「……」
心配そうなシエラの声に起こされる。…そうか、今俺たちは東洋の土地開発のため、船に乗って東洋に向かっているのだった。
「ぼうっとしておられるなんて…お兄様にしては珍しいです。…もしかして、お疲れですか?」
「…いや、何でもない。夢を見ていたんだ」
「夢…?」
「まあ、内容は忘れてしまったがな。それよりも、どうしたんだ?体調が悪くなったのか?」
「…お兄様、東洋についた後…お時間はありますか?」
「ああ、どうした?」
「良かった…!東洋にはかつての自然が多く残っているそうで…一緒に近くの森を散策しませんか?王国にはないような動植物が見られるそうです」
そう言えば、シエラは昔からそう言うのが大好きだった。俺は仮にも王子であるから正確に言えば暇ではないが…シエラを一人には出来ない、まあ別に大事な用ではない。ただ出席すればいいだけのものだ。
「それは楽しみだな、一緒に行こう」
「はい!」
シエラははにかんだ。最近は俺も忙しく、こんな顔を見るのも珍しくなってしまった。…まだ、まだ時間も材料も足りない。…だが、『夢のあと』にさえ行けば、『夢のあと』は争いがなく、誰もが幸せになれるらしい。争いのない世界、虫も殺せないシエラにふさわしい。
…今の世界はシエラにはふさわしくない。
「そんな恰好では駄目だ、もう少し外を歩いても大丈夫な服で行こう」
「はい、では。お昼ご飯を持っていきましょう。気持ちのいい風が吹いています、きっと風景はとっても綺麗なのでしょう…外で食べると美味しいと前アリアさんから聞きました…!」
アリアとはシエラの専属騎士のことだ。Ⅻ騎士団の磨羯宮を担う女だ。
「成程、いい考えだ。じゃあ弁当は俺が作って持っていくからシエラはシートなどの準備を整えてくれ」
「はい!」
「…ゼノ、居るか?」
「―どうかされましたか?」
俺の専属騎士、金牛宮のゼノ=クラウン=タウロスを呼び出す。王族である俺達には16歳を迎えるとき必ず一人、騎士の中でもトップクラスであるⅫ騎士団の誰かを専属騎士にすることが出来る。その中でもこいつは基本的に愛でしか動かないため金や権力で動く人間よりは信用できる。態度も、勤勉ではないが怠慢でもない。
「俺の代わりに会議に出席して全て言われた言葉をそのまま記録を取り俺に渡してくれ。出来るな?」
「御意」
ちなみにこれくらいのことはステータスだ。これくらいできなければⅫ騎士団ではないというほどの。…まあ、例外もいるが。
ゼノが任務遂行のために動いたのを確認し、俺は自室へ戻る。
「…これくらいでいいか」
俺の目の前には平凡なお弁当が出来上がっていた。確かに、これも専属騎士に頼めばよいと言われるが、そうしない…というよりそうできない理由は専属騎士のシステムにある。
専属騎士はその名の通りその王族専用でありまた王族騎士として仕えられるのはただ一人しかいない。そのシステムのせいで王族騎士がついていないからと王族として認められない者もいるほどだ。王族たるものⅫ騎士団を専属騎士にしなければいけない。それは暗黙の了解となっており、それを巡って王族間で暗殺事件が起きることも珍しくない。…俺が専属騎士でさえ信用しきることが出来ないのはまさにそこに理由がある。専属騎士は、仕えられるのは一人。だが、依頼という制度がある。Ⅻ騎士団は王国直轄の騎士集団としてまとめられる前は有象無象の傭兵であった。その中から選別されたのが今の12人の猛者というだけ。故に過去の慣習が抜けないのか今でもその枠組みは残しており、王宮に集められた依頼を日々報酬付きで請け負っている。まあ、王宮としても紹介料との差し引きで給料を払わなくても良くなったし、王国直轄の騎士集団が解決したとなれば王宮の評判は良くなる。無理に禁止する必要はなかったのだろう。
依頼は誰でも出すことが出来る。つまり、専属騎士を持っていない他の王族にも依頼を出す権利がある。専属騎士に、主人の暗殺を命じることもできる。
そして、Ⅻ騎士団はそれを行うことが出来る。元傭兵、そんな連中ばかりだ。
だから、王国直轄精鋭部隊と名乗っているが、他方では王国飼いの狂人集団とも呼ばれている。だが、能力は確かなので俺としてはあまり気にしていない。むしろそうであるから頼めることもあるのであって―
…まあ結局、専属騎士がいると言えども全てを任せっきりには出来ないということだ。
王宮内では下属有れど家族なし。本当にその通りで王族のほとんどは異母兄弟なのだが、なのはずだが。…また、同じ母を持つ兄弟同士でさえもが日々誰を蹴落とせるか虎視眈々としている。
「俺は、あいつ等とは違う。シエラは…俺が守る」
母がシエラを産み落とした時、シエラはただただ美しかった。俺は、その時、心の底から泣いた。ただ人を蹴落とし、恨み憎しという人生しか待っていないと思っていた俺にシエラは教えてくれた。人はこんなにも綺麗であったのだと。
シエラの夢は、使用人が話していたらしい『夢のあと』と呼ばれる場所へ行くこと。そこには争いはなく暮らす人々はみな幸せだという。ずっと幻想だと言われてきた場所は、実在した場所であるという根拠はない。だが、火のない所に煙は立たない。絶対見つける、その場所にたどり着く、二人で。…だが、今の俺には出来ない。まだ力が足りない。…いざ一人でやるとなると、自分の無力さに気づかされた。そうして今も何もできないままずるずると王国暮らしを続けている。
どうにかしなければいけない、その焦りだけが募っていく。
「…今悩んでいても仕方がないか。今は、シエラが楽しめるようにピクニックに集中しよう」
弁当に、水筒をもって。…念のため銃も携帯して、俺は部屋を出た。
「わあ…素晴らしい鳥のさえずり…清流……。やはり黄金の国の異名は本当でしたのね…出来ることならば、東洋の皆さんにもお会いしてみたかったです…」
「…そうだな」
ここがシエラの普通とは違う所だ。どんな人々にも平等に接することが出来る。東洋人は俺達の国では『オリエント』と呼ばれていて公的に差別対象として認められている。それは、東洋人が『イーストショック』の戦犯であることに起因している。
今では東洋らしさが見えるだけで蔑みの対象となっているほどだ。その当人たちは、大分昔に内紛で一人残らず滅んでしまった、と言われている。再三の会談要請にも応じず、世界転覆を企て自滅してほろんだ国。俺たちはその国が滅んだ後の土地を再利用するためにこの国を訪れているわけだが…。
「あれ、お兄様。空気が変わりませんでしたか」
「?…いや。俺は何も感じていないが」
「どういえばいいんでしょうか、あの…先ほどまでは快晴、という感じだったのが…今は、初夏のような……」
「…?」
俺は辺りを見回す、すると、茂みの奥に謎の空間を見つけた。
「…どうやら、森の奥への抜け道がありそうだ」
「良いですね!そこで食べませんか?」
「そうだな、少しここは暑すぎる」
シエラの車いすを引いて森の奥へと進む。一度茂みを越えれば、そこにはけもの道が広がっていた。
先ほどまでは声ほど出せど姿も見せなかった動物たちが、視界の端に映るようになってきた。こんなに動物がいたのか、というほど数多くの種類の動物が見えるようになってきた。
「わあ…いろいろな音が聞こえます……」
「王国には見られない景色だな……今の時代にこんな場所が、探せばあるものだな…」
しばらくして、開けた場所が見つかった。ここで食べるか、と思いさらに進むと奥に何か建物があるのに気づいた。
「ん…?なんだあれ……」
「ここ…不思議な感じがします…でも、凄く落ち着く空間ですね……」
「…」
確かに、森の奥に入ってからは不思議と気持ちが落ち着いている。爽やかで、心地良い。
「小さい建物がある、少し調べてみる…」
「はい…お兄様、気を付けてください…」
小さい建物には扉がついていて、中には封筒が置いてあった。表には…輪……?だが、人が書いた文字であることはわかる。白く、黄ばんだ様子のない綺麗な紙で。東洋滅亡から今までの時間の経過を感じさせない最近替えられたものに思える…誰かいるのか?
「何しているの?」
「「!?」」
突然の声に俺もシエラも振り向く、シエラですら気づかなかった。全く気配を感じなかったのだ。
そこには、黒い髪をこれでもかと伸ばしぼさぼさになってしまっているが、不思議と清潔感のある、死人のような白い肌の俺と同年代くらいの男がいた。身にまとっているのも白い布一枚で、夏と言えど寒そうだ。
「……」
「東洋人…か?」
「東洋人…?よく分からないけど、ここに住んでいるんだ。久しぶりに人を見たなぁ、初めましてだよね、よろしく。楽しんでいってね」
男はへら、と笑った。敵意はなさそうだが…目が見えず、思考を感じ取りづらい。不気味なことに変わりはない。しかし、東洋人に生き残りがいたのか。…しかし、視察の限りでは人が生きるための施設などは全てもう機能していないようだったが、こいつ、どうやって生きてきたんだ?
「二人は兄妹なのかな?仲良しで、良いね…」
シエラを俺の背に隠す、何が目的なんだ、こいつ…。東洋人にとって俺達王国民は憎むべき相手であろう、いつ武器を向けられてもおかしくない。
「…ごめん、もしかして、お邪魔だったかな…」
「お兄様、多分その人は悪い人ではありません…」
「……まあ、そんな気はしているが……油断はできない」
「ごめんね…久しぶりに人と話したから……消えるね、お邪魔しちゃうし…」
「待ってください、一緒にご飯食べませんか?」
「シエラ…!」
「……」
男は振り返った。シエラは続けた。
「もうお昼なので、お腹空いてませんか?私たちも今から食べるところなんです」
「良いの…!?」
男は本当にうれしそうに反応する。……シエラが誘ったのだ、しょうがない…今回だけだ。
「二人はご飯を食べに来たの?」
「ああ」
「だって…大丈夫だから皆もおいで」
「皆?お前以外に誰も居ないんじゃなかったのか?」
「居ないよ、人は―」
そう言い終えるか否か、茂みからいろいろな動物が飛び出してきた。先ほどまで姿を見せなかった動物たちか…?こんなに居たのか。
「……それで、あの、君…危ない物を持ってるよね。命を…奪う物。銃…だよね」
「…!」
「鹿山さんが見つけたんだ…昔、仲間がやられたことがあったから、すぐわかったって……あの、今だけ僕が預かってもいいかな?動物たちが怖がっているんだ…」
「…信用できない、これは俺の身を守るためのものだ。お前に預けたら、何をするか分かったものではない」
「…ここには君を傷つける者なんていないよ」
「近づくなっ!」
銃を奪おうと近づいてきた男に向かって俺は銃を構える。男は立ち止った。
「…お兄様?」
「奪おうとするなら、俺はお前を敵とみなす」
「…」
そう言うと男は口を堅く結んでこちらに向き直った。だが、次の瞬間奴は逆に腕をだらんとさせて無防備な状態になった。
「!?」
「僕は敵じゃない」
「…」
予想外の反応に思わず固まる。何だ、何なんだ、こいつは。
「お兄様!銃を渡してください…動物たちが、おびえています……」
シエラは膝の上の兎を撫でながら言った。
「……これは俺達の身を守るためのものだ。もしこれを渡して、俺達の身が危険になったらどうするつもりだ」
「大丈夫」
「……」
「ここは安全だよ」
…何だろう、不思議と落ち着く。その声を聴いていると、不思議とこの身を任せられる。
俺は、自然に銃を男に渡してしまった。
男はにこ、と笑うとその銃を手に取り、駆け付けてきた猿たちに渡した。猿たちは何処から持ってきたのか蔦を手に取り銃を何重にも梱包しだした。
「おい、取り出せるのか…?」
「…うん。すぐに取り出せるよね…?」
男がそう聞くと猿は分かりやすく去って行った。おい。
「……」
男は予想外だったらしくしばらくぽかんと口を開け固まっていた。
「…お兄様、大丈夫でしたか…?」
「……シエラ、この男、馬鹿だ」
「あれ……?」
「―まあ!とりあえず、ご飯食べましょう!」
「…はあ。そうだな…」
「すごい…君が作ったの?」
「久々に、だがな。俺が作ったんだ…口に合うといいが」
「お兄様、これは何ですか?」
「それはお前の好きな卵焼きだ。ちゃんと甘めに作ってある」
「嬉しいです!」
「…」
「…東洋人、お前も食っていいぞ」
「えっ、いやっ、そんな!!気にしないで!」
「シエラが一緒に食べたいと言っていただろう。それに…見るに堪えん」
東洋人はさっきから目を輝かせながら膝に手を当てて弁当箱を見つめていた。こちらが嫌がらせをしているみたいじゃないか。
「いやぁ、良いねえ、兄妹って…楽しそうだな、と思って……」
「あの…お名前は何と言うのですか?」
「…僕?……あれ、なんだったっけな……」
「おいおい、大丈夫か…?」
「うーん…?……まあ、好きに呼んでよ」
「…そんなんでいいのか」
「お兄様、では、名前を決めて差し上げたらどうでしょう」
「あっ、それいいね!」
「は?」
「お願いしますお兄様!」
「うるさい!お前にお兄様と呼ばれる筋合いはない!…ギアだ、ギア=ドールだ」
「そうでした!自己紹介がまだでした…私はシエラ=ドールと申します。よろしくお願いします」
「ドール!不思議な名前だね」
「名前がない奴に言われたくないな…」
「…本当だ!名前が無かったら変だ!早く決めてよ、ギア」
「だからなんで俺なんだ!」
「お兄様、私からもお願いします」
「……」
シエラに頼まれたらしょうがない。それにしても、名前…何か……
「…リン」
「リン?」
「あそこに置いてあった紙…何か、輪…って書いてあったぞ」
輪は東洋語でリンと言ったか、昔東洋語の勉強をしていたのでそれだけは読むことが出来た。あとに書いてあった文字は知らないが…。
「リン!呼びやすくていいね!」
「では、これからはリン様とお呼びしますね」
「いやいや、リンでいいよ」
「…シエラ、そろそろ時間だ。戻らなければ」
「あ……銃返そうか?」
「……このぐるぐる巻きか?」
「が、頑張ればとれるよ!」
先程から後ろ手でもちゃもちゃやっていたのには気づいていたが進展は目で見てわかる。全く状況が改善されていない。ちょっと全体的にぼさぼさしたくらいだ。
「…まあ、疑った俺が悪かったしな。構わない、戻ってから何とかする」
…何とかなるといいが……。
「あの、本当に返してほしい?」
「ああ」
そう言い切ると、パンっと音を立てて、突然蔦がはじけ飛んだ。後には奪われた銃がそのままの姿で現れた。
「はい。さっきはごめんね」
「……どうやったんだ、これ…」
「ギアが願って、本気でどうにかしたいって思ったからだよ」
「…は?」
「僕は『何でも願いを、叶えられる』。僕は願いを叶えただけ」
その時のリンは、何か、ぞくっと、背筋に走るものがあった。俺のすべてを見通すような、瞳は見えずとも、見られていると。見透かされていると、自覚させられた。
「…出口まで送るよ、行きはよいよい帰りは怖い…ってね」
「……」
俺はシエラの車いすを引き連れて、リンの後に続く。…こいつ、ただの馬鹿じゃないようだ。
「ぎゃっ」
リンは飛び出た木の枝に勢い良くぶつかったようだ。悶絶して立ち止った横の茂みから出てきた鹿に激突されていた。…やっぱり馬鹿か?
「わっ、ほら。出口が見えてきたよ」
「…一人で来れた気がするな」
「そ、そんなことないよ、皆君たちを見張ってたんだから!」
「何?」
「ギアたちには分かんなかっただろうけど、結構怖い子たちたくさんいたんだからね!」
「……信用できんな」
「ええー!」
「―お兄様っ!」
シエラの声に反応し、素早くその場から離脱する。チュンッと鉄片が頬をかすめた。
「ちっ…」
そう言って物陰から出てきたのは、王国軍の兵士たちだった。…成程、このタイミングで来るか。何とタイミングの悪い奴等だ。
「わっ!人に会うなんて珍しかったのに今日で四人も人に会えた…!」
リンは人ごとのようにそうつぶやいている。あんなに銃に敏感だったのに、いざ自分が狙われているときはどうでもいいのか!?
「シエラ、森の中に戻れ!!」
シエラを森の中に隠れさせる。俺も木の陰に隠れ銃弾を込める。
「リン、お前ももう帰れ!」
「うーん、でも君たちを見送るって決めちゃったから、見えなくなるまで見送るよ」
「逆に何でそんなに落ち着いていられるんだ…くそっ!」
弾を込めた銃口を敵に向ける。くそ、やけに手馴れてやがる。しかも、散弾銃だ。どうやら、今度は結構本気のようだ。大方、行方不明などとして片付ける気なのだろう。…そうはいくか!
「…あれ」
「あ!?どうした!」
リンは突然ゆらりと立ち上がると、今まさに銃撃戦が行われているさなかに飛び出していった。銃撃の中を歩いているにもかかわらず、リンに被弾した様子はない。相手も、この奇妙な光景には流石に面食らってしまったようだ。
「おい」
リンは話した。その瞬間、ずし、と空気が重くなるのを感じた。呼吸していられない、それほどの、重圧。
「君…その子をどうしたの」
リンが指した先には、子供だろうか、数匹の猪が血を流して絶命していた。傷の具合から、射殺されたのだろう。
「…あぁ!?手前に関係あんのか―」
「答えろ、聞いているんだ。殺したのか、その子たちを、何のために」
リンにさえぎられて、口をもごもごさせている男の横の男が答えた。
「練習だよ!動くもので射撃の練習してたんだよ!」
「ちょっと茂みを撃ってやったらぞろぞろと出てきやがった…へへ」
「必要だったのか」
「あ?」
「その子たちを、殺す必要が、あったのか」
「うるせえなあ、遊んでたら死んじまったんだよ!良いか餓鬼、俺たちはこの仕事が終わったらたんまり報酬貰っていいもん食いに行くんだよ!だから早く死ねや!!」
男が構えた銃口を、リンが膝で蹴飛ばした。銃は天を舞った。
「いってぇ!何すんだ手前!?」
「…もう一度確認する、お前たちは生きるために必要でもないのに、あの子達を殺したんだな?」
男たちは息をのんだようだ。俺でさえ、先ほどから一言も発せずにいる。怒り。ただその感情のみ。絶対的な恐怖が俺たちをむしばむ。許されたい、解放されたい。祈りたい。楽になりたい。
「…痛みを共感しよう、二度とこんなことが起きないように」
リンが手を上にあげ、奴らに向けて振り下ろすと、奴らは突然気が狂ったように激しく身をよじりだした。
「痛い!死ぬっ!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
「ひっ、血が、血がっ血が出てるっ!止まらない!!誰か助けて!!」
「君たちが猪を助けるまでに掛けた時間の分、そうしていてもらうよ」
「助けるまでって…そいつら、猪を助けていたのか……?」
転げまわってもはやこちらの声も届いてない様子の男たちの代わりに反応する。リンは冷たく言い放った。
「…助けてないから、一生苦しむだろうね。死ぬわけでもないのに死ぬほどの苦痛を味わいながら生きていくんだ」
「一層のこと、死んでしまいたいくらい」
「…」
「当たり前だよ、こんなの。命を奪ったんだ。奪われる覚悟だって出来ていたはずだ。それが今だっただけ。その子たちはその覚悟が出来ていた。だから了解もなしに命を奪われても受け入れただろ?まあ、恨みはするけどね。僕みたいに」
「…聞こえてないか」
男たちは苦痛に顔をゆがませ、体をくねらせ続け、やがて泡を吹いて動かなくなった。…死んだのか?確かに、精神的な苦痛で死ぬこともあるらしいが…。
「―ギアとは此処でお別れだよね、これからも元気でね。また会いに来てくれたら嬉しいなぁ」
「お兄様!大丈夫でしたか!?」
森の奥からシエラが出てくる、俺はその声で我に返った。
「シエラも元気でね。またいつでも会いに来てね」
「…リン様は此処に残られるおつもりですか?」
「そうだねぇ、行く当てもないし…どこかへ行きたいわけでもないし…」
リンはそう言って、撃たれた猪の子どもたちの所へ行くと膝を折り曲げて座りこみ、両手を合わせた。その後死んだ男たちの所にも行き、見開いた眼を手で直して同じく両手を合わせた。
「…これから墓とか作ったりするのか?」
「ううん、彼らは死んでしまったけど、その命が次の世代を生かしていく。彼らの命は誰かの命につながるから、僕はしない」
「つまり…放置するのか」
「そう言うことになるかな?」
東洋にはそういう文化があるのだろう。…変わった文化だ。俺たちの国では主に生き物が死んだとあらば土葬をする。土に埋めて、復活のため体を残しておく。
「その手を合わせるのはなぜなんだ?」
「お礼を言っているんだよ。その尊い命をくださってありがとうございますって。まあ、人それぞれだけどね」
「……」
「もしよかったら、船まで行こうかなぁ。僕初めて見るんだ。見てみたいなあ」
「…来ればいいだろ」
「?」
「いや、来い。お前を俺の部下にする」
「…部下?部下って何だい?」
「お前の力が必要だから、俺達と一緒に来てくれないか。ということだ」
「…」
「お兄様、今度からは毎日リン様に会えるということですか?」
「ああ。…リン、お前にとっても悪い話じゃないだろ?外の世界に興味があるのなら、来ればいいじゃないか。行く当てがあれば、行ってもいいのだろう?もうここにはお前以外の人間はいないようだ、引き留める奴もいないだろう」
「……」
うーん、と。顎に手を当て唸っている。しばらくすると首を縦に振り、承諾を現した。
「良いよ」
「…軽いな」
「そう?…皆、仲良く元気で暮らすんだよ?」
森を振り返ると、そこには数種類の動物たちが、見送りをするかのように待機してこちらを見ていた。
「君達もギアとシエラを見送りに来てくれたんだね、有難う……君たちのことは、大丈夫だから」
リンがそう呼びかけると動物たちはリンにすり寄って名残惜しむように鳴いた。リンはそんな動物たちを撫でてやっていた。やがて落ち着いた動物たちは静かに森の奥へ帰って行った。
「じゃあ、改めてよろしくお願いします。部下って言うのは、何すればいいのかな?」
「俺たちの場合は、主に家事だな。出来るか?」
「うん、家事ね。よく見てたから多分大丈夫」
「なら良い」
リンは見込み通り都合のいい人材だった。金にも、権力にも、色にも寄らず。さらに強く、残酷さを許容し、忠実。何よりシエラも懐いていた。
それで家事もうまかった。リンの存在は、俺たちの夢を手の届く範囲まで引き寄せてくれた。
まあ、馬鹿で呑気なのも予想以上だったが。
「…リン」
早く助けに来い、お前はお前の命尽きるまで俺を守ると言っただろう。約束を破棄するつもりか…?
その時、バンッと大きな音が室内に響いた。…たく、やっと着いたのか。
「―リフィア!!」
「…おそすぎるぞ、リン……またせすぎだ……」
「リフィア…?リフィアっ!!」
「……」
「おや、目が覚めたかい?良かったね、あんた」
「…ここは、いむしつですか?」
「そうだよ、ガキのくせに察しがいいじゃないか。話が早くていい。もう手足は問題なく動かせるかい?」
「……そのようです」
「発見が早くてよかったね。それに、あんたの主人の対応もあってたし。それにしても冷凍コンテナの中にいたなんてねえ、冒険したいのはわかるけどあんまり危険な場所に入ったら駄目だよ」
「…」
そう言えば、誰があそこに俺を連れて行ったんだ?誘拐かと思っていたが、連絡も来ていないのなら…。俺を狙っていたのか?なぜ?
「ま、大事ないなら良かったさね。外で主人がずっと待ってるから早く行ってやんな」
「あ…はい」
「リフィア…!」
廊下へ出ると涙目のリンに迎えられた。そう言えば、すっかりこいつも涙もろくなったな。…というより、人間味が増したといった方がいいか。
初めて会った時は、一種の畏怖のようなものも抱いていた。まあそれがリンを部下にする後押しになったのも間違いではないのだが。…まあ、今のリンの方が親しみは持てて傍にいる分には良い。
「たく、ずいぶんおそかったじゃないか」
「ごめんね…本当に見つからなくて、もう、駄目かと思っちゃった…!見つかってよかったぁ…」
「おまえがあきらめてどうするんだ。なんとしてもみつけだせ」
「うん…そうだった。あはは…」
「…それにしても、ほんとうになぜおれはコンテナなんかに……」
「誘拐されたんじゃないの?」
「なんのために…それに、みのしろきんをようきゅうしてきたわけでもないのだろう?」
「うん…でも、じゃあなんで何だろう」
「さあな。まあ、これでおれたちはたがいにひとりになってはいけないことが分かったな」
「…そうだね、あはは…僕たち、一人じゃ何もできないんだ」
「…なにうれしそうにいっているんだ。それに、おれはなにもできないわけじゃない、ただこのすがたじゃちからがよわいだけだ」
「そうだね。僕がリフィアを守らないとね!」
「おれはおまえにしじをだしてやらないとな」
俺達は互いの顔を見ずに、笑った。自然と手を繋いでいた。
「約束だ、お前は俺の命令を聞く。どんな時でも、どんなことでも」
「うん。いいよ」
「…やけにあっさりだな。大丈夫なのか?」
「大丈夫!」
「俺に嘘をつかない、俺の命令が最優先、俺が俺を守るな、と命令しているとき以外は基本的に俺を守れ」
「うん、うん、うん!」
「……信用できん」
「駄目?」
「…まあ、これからの行動次第だな」
「分かった!精一杯頑張る!」
「ノーリターンで命令を聞かせるのは気が引けるな。何か願いはあるか?」
「願い?うーん…」
「お前、願いもないのか…」
「そうだねぇ……特には思いつかない……」
滅茶苦茶困った顔をしている。そこまで思い悩むか普通。
「いや、無理に考え出さなくていい。…そうだな、じゃあ、俺が生きている間は、ずっとお前を傍においてやる。王族騎士でもないのに、王族にここまで言わせるのは光栄なことなんだからな。ただし、これは命令の報酬だからお前が俺を裏切ることがあれば俺はお前をためらいなく切り捨てる」
「……」
リンは沈黙の後。凄く嬉しそうに笑った。
「うん…。じゃあ、ギアのお願い守ってたら、ずっとギアは傍にいてくれるんだね?」
「まあな。…良いか?お前の働き次第だ、また、お前がやっているつもりでも俺がその結果に満足しなかった場合も約束が破られたと解釈するからな」
「了解!」
…リンは、本当は寂しかったのかも知れない。人の居なくなった東洋に、一人であんな森の奥にひっそりと暮らしていたのだから。なんて、シエラの他に利益以外で相手の心情を量ったのも初めてだ。
繋いだ手は暖かかった。俺はぎゅっと握りしめた。リンも負けじと握り返してきた。
鹿山さんは哺乳綱偶蹄目シカ科シカ属に分類される偶蹄類の亜種です。オスです。今年で10歳を迎えます。子供がたくさんいます。リンに激突してきた鹿です。お茶目です。