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病床のバイオリン弾き

作者: 遠名しとう

私はバイオリン弾きだ。

バイオリン弾きといってもプロのような輝く人種の者ではなく、好きで始めて、その名を世に轟かすこともなく趣味で終えた、ただの老いたバイオリン弾きだ。


「今日も美穂ちゃんは来てないんですか?」


と看護師が慣れた口調で話す。

美穂というのは私の孫で、歳は今年で15歳。誰に似たのかとてもぶっきらぼうな子だ。


「あぁ、最近は来てないな。具合でも悪いのか?」


とぽつり。楓の方に目をやる。

この子は美穂の妹の楓といって歳は12歳。姉と違ってよく病室に来てくれる、母親に似た優しい子だ。


大空病院。それがこの病院の名前だった。空港が近くにあるからそう名付けられたと勝手に思っているが、変なところが空港に似ていて、よく人が飛び立つ。昨日も2、3人かな。近くでいえば隣のトメさんが飛び立った。


「久しぶりに弾きますか?」


看護師さんは黒いケースを指差し、私にそう聞く。ここに入院してからというもの、私は寂しくなった空間を音で埋めるようにして誤魔化すバイオリン弾きになっていた。勧められる度に私は骨張った指で音を奏でる。

大好きな曲。マスネのタイス瞑想曲。

孫の楓が目を閉じたまま、


「綺麗。」


と一言。その度私は幸せを感じる。この空間が何より大切だと感じる。

しかしまだ物寂しい気分の私は演奏を止めた。


「美穂は今日も来ないのか?」


「来るって言ってたけど、お姉ちゃんのことだから、また学校帰りどこかで道草でも食って帰るんじゃない?」


「そうか、暇なら来ればいいのにな。」


そう少しの不満を混じらせ、私はふん、と鼻から強く息を吹いた。私が入院してからというもの、美穂が来たことは片手で数える程しかなかった。3年間でそれだけだ。


今日もいつものように楓と2人トランプをしたり、談笑したりしていると、いつの間にか夕暮れ、真っ赤に焦げた夕陽が2人を照らした。あまりの眩しさに目を細めて首を横へ回す。まっすぐ伸びた影が廊下に這ったその時だった。夕陽が照らしたのは2人ではなく3人だったのだ。伸びた影は1人の女の子を指して、私はハッと目を見開いた。


「美穂……。」


と声を零し、久しぶりの再開に思わず泣き出しそうになるのを何とかこらえて、私は鼻の穴を大きく膨らませた。


「まだ弾いてるの?それ。」


美穂は病室の椅子に置かれた黒いケースを指差した。久しぶりの再会の一言目がそれなのは悲しいな‎……。と心の中でボヤきながらも


「久しぶりだな美穂。もちろんだ、美穂も弾くか?」

と笑って聞いた。

「いや、いい。」と言われそうだったから、美穂が言葉を発する間も与えずに私は


「まずな〜?音階があるんだ。ドの音はここをこうして〜」


と説明を始めた。

美穂は最初のうちは戸惑った表情を浮かべ、私の口を閉ざそうとする素振りを見せたが、妹の楓が目線でそれを妨げた。そうしてその内美穂は懲りて大人しく話を聞いてくれるようになった。


楽しい。

すごく楽しい。

幸せだ。

孫にバイオリンを教える。

まさかこんな日が来るなんて、死んでもいい。

見ないうちにこんなに立派になって……。顔もどこか母親に似てきたなぁ。なんて頭の中を埋めながら、朝露の乗った三つ葉を愛でるように私はもう一度


「美穂、バイオリン弾かないか?」


と問いた。答えはわかっていた。でもどうしても聞きたかった。美穂の声で空気を震わせて、私の耳の中を反響させて欲しかった。

つまり、伝えて欲しかった。


「いや、いい。」


さっぱりとした声色で美穂は伝えてくれた。

分かっていた。分かっていたけど、胸がきゅっと萎んで寂しくなった。

悟られないように「そうか。」と笑おうとしたその時、美穂は口を籠らせた。


「でも……」

「ん?」

「おじいちゃんが教えてくれるなら別に良いけど。」


本当に母親にそっくりだ。こんなところまで似るなんてなぁ。

涙ぐんだ私は、巣へと帰るカラスの声に被せて


「早く治そう。」


と小声でそう誓った。

今日見た夢を小説にしました。

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