婚約破棄? 言っておきますが、私は忠告しましたからね?
【注意】
この物語は前作「婚約破棄? 構いませんが、二言はございませんわね?」の前日譚で、男爵令嬢のリリー視点となります。
前作ありきの設定がありますので、前作を先に読まれることをおすすめします。
また、前作主人公のアンジェリーナは名前以外出てきませんので、あらかじめご了承ください。
前作URL:http://ncode.syosetu.com/n3430di/
ここはグローステス学園。レイフィールド国の貴族の子息や子女が通う学園だ。
私、リリーはリンドバーグ男爵家の一人娘として、これでも一応(文字通りなのが辛い)貴族なので仕方なくその学園の生徒として寮生活を送っている。
私の故郷・リンドバーグ領は元々資源の乏しい土地で、当然領民からの税収もあまり入ってこない。
我が家だって貴族だなんて意地を張らず、領民の皆さんと助け合いながらつつましくもそれなりに幸せに生きてきた。
そんな私もとうとう学園に入学する年齢になってしまい……問題になったのは、学園での学費や生活費をどう工面するか。
国中の貴族が集まる場所だなんて、お金を湯水のように使うような家から来られたお坊ちゃまやお嬢様が大勢いらっしゃるってことでしょう?
そんな方々と生活水準を合わせるためには、一体どれだけのお金を準備していけばいいのか……。
貧乏男爵家育ちには想像も付かない。
正直、そんな所へ通っている暇があるなら内職でもした方がよほど家のためになると言いたいところなのだが、この国の貴族は全員グローステス学園に通わなくてはならないと定められていて、どんな理由があろうとも入学しないわけにはいかないのだ。
幸い我が家は貴族にしては領民の皆さんに愛されていることもあり、税収の中に『リリーお嬢様積立金』なる項目があっても、皆文句も言わず税を収めてくれた。
ほんとウチの領民の皆さん、いい人ばっかりで頭が下がる。
私が学園の寮へ入るために出立する日には領民総出で見送ってくれて、小さな男の子が駆け寄ってきたと思えば「リリーさま、これあげる!」と銅貨の詰まった袋を手渡された時には、さすがの私も泣いた。ええ、色んな意味で。
さて、私の貧乏な前置きはここまでにしておくとして。
グローステス学園には、『月の女王』と呼ばれるお方がいらっしゃるのをご存知だろうか?
そのお方こそ、アンジェリーナ・アディントン公爵令嬢様。
幼少期よりあの『白金の貴公子』こと第一王子・クリフォード様と婚約し、マナーは完璧、成績は常にトップクラス。
何よりその気品溢れる美貌!
艶やかな銀の髪は月の雫を集めたような輝きを放ち、澄み渡る湖面のような蒼の瞳は見つめられたら全てを見通されそうなほど凪いでいらっしゃる。
私のような男爵位があるだけのハリボテ貴族が仮にも同じ令嬢などと名乗っているのがおこがましくなるくらい、まさに才色兼備なご令嬢なのだ。
──まさか、そんな御方と私が関わりをもつことになるなんて、入学した頃の私には想像も出来なかった。
***
きっかけはそう、学園の中庭を歩いていたとき、第一王子クリフォード殿下にお声を掛けて頂いたことだった。
「おい、そこの女性徒」
私といえば、まさかその相手が自分だとは思わず、あれは『白金の貴公子』様だ、どなたに話しかけているのかな、などと呑気に考えていた。
「おい、聞いているのか!?」
「え?」
若干苛立った声とともに後ろから腕を掴まれ、反射的に振り返るとそこには、第一王子殿下と側近の男子生徒三人が立っていた。
……え、ひょっとして今の、私に対してだったの!?
とっさに頭の中に浮かんだのは『不敬罪』の文字で、私は生存本能が示すままにジャンピング土下座を決めた。
「いやああああ!! すみませんわざとじゃないんです殺さないでくださいいいいい!!」
「……は?」
王子殿下は困惑していらっしゃるご様子。これは勢いで押せば許して頂けるかもしれない!
「まさか私のような貧乏男爵家の者にお声を掛けてくださっているとは夢にも思わず、つまり王子殿下を無視したとかそういうことでは決してなくてですね……!!」
「いいから、顔を上げてくれ。周りに何事だと思われるだろう」
「ふ、不敬罪には問われませんか?」
「問わないから、ちょっとこっちに来い」
「それはこの場では問わないというだけで、指定の場所で思う存分処刑されたり……」
「これ以上口答えするなら、お望み通りにしてやってもいいんだぞ?」
「いやあああやっぱり殺されるんだあああ!!」
「ああもう、面倒くさい。ジェラルド」
「はっ」
王子殿下の背後に控えていた側近の一人が私に近付いたと思った瞬間、暴れる私は首の後ろに何か強い衝撃が走ったと認識して間もなく、気を失ってしまった。
***
「おい、起きろ」
「……んん?」
誰かの声で目を覚ました私だったが、まだ頭がぼうっとしてロクに思考が出来ない状態だった。
そんな私をよそに、さらに何人かが話し合う声が聴こえてくる。
「なんだ? 起きたかと思ったが反応がないぞ」
「目覚めが良くないタイプなのかもしれませんね」
「ふむ。こういう時は、あれだね」
「ルーカス。あれって何だ?」
「簡単だよ、ジェラルド。彼女が気絶する前に散々気にしていたことといえば……」
そして私にとっての呪いの言葉が耳元で響いたとき、目覚めの倦怠感など即座に吹っ飛んだ。
「──ねえ、リリー・リンドバーグ。起きないと不敬罪だよ?」
「はいいいいいっ! 今すぐ起きます! すぐ起きます!!」
いつの間にか横になっていた体をガバッと起こす。
どうやら、私は保健室のベッドに寝かされていたらしい。
キョロキョロと周りを見回すと、部屋の中には側近の三人だけで、殿下本人はいらっしゃらないことに気付いた。
すると、ベッドの側近くに立っている側近の一人──たった今私を脅迫してきた侯爵子息、ルーカス・ルイモンド様がイイ笑顔を向けてきた。
「やあ、お嬢さん。お目覚めはいかがかな?」
「ええ、おかげ様で恐ろしいほどスッキリとした目覚めでした。……それより疑問が山ほどあるんですけども」
「なんだ、不敬罪には乗ってこないの? つまんないなあ」
「だって『起きないと』ってことは、起きたらセーフってことですよね。それに王子殿下もお近くにはいらっしゃらないようですし」
これはもちろん屁理屈だ。
殿下がこの場にいらっしゃらなくとも、たとえ私が潔白でも、側近の誰かがそのように報告すれば私は黒になってしまうことだろう。
故に、今は彼らの機嫌を損ねないことが重要。
「へえ、結構冷静なんだね。そういうの嫌いじゃないよ」
「不敬罪でなければ何でもいいです」
「つれないねえ。ま、頭の回転が鈍くないってのは、君にとっても幸運だと思うけどね」
「それはどういう……」
「ルーカス。もうすぐ殿下がお戻りになられますよ。その辺にした方がよろしいのでは?」
「はいはい、ウォルターは口うるさいんだから。というわけで、詳しくは殿下からお話があると思うよ」
側近の一人、この国唯一の宗教であるヘイデン教の大司教の子息、ウォルター・ウォルフレール様が窘めるように言うと、ルーカス様は口を閉ざしてしまった。
せっかく情報が聞けるチャンスだったのに、と残念に思っていると、部屋のドアが開かれて殿下が中に入られた。
「──待たせたな。彼女は?」
「彼女なら起きましたよ? 状況の説明を求めているようですので、お相手願えますか」
「お前な、そこは側近なら気を利かせて、すでに説明は終わっているところじゃないのか?」
「僕は確かに殿下の側近ですが、都合の悪いことから逃げようとする方に仕えたくはありませんので」
「ぐっ……」
殿下はそれ以上ルーカス様に反論出来ないご様子で、苦虫を噛み潰したような顔で私の方を向かれた。
……どうやら私は、殿下が説明すら嫌がるような面倒事に巻き込まれているようだ。
「お前、名はなんと言ったか?」
「リリー・リンドバーグと申します」
「では、リリー。明日からある重要な任務を頼みたい。お前にしか出来ないことだ」
「……私に出来ることであれば、何なりと」
「そうか、引き受けてくれるか!」
嘘です。絶対やりたくないです。
嫌な予感しかしないが、不敬罪はもっと嫌なので大人しく頭を垂れる。
すると殿下の横から、ウォルター様が遠慮気味に殿下へ耳打ちした。
「あの、殿下。肝心の任務の中身を彼女にお話して差し上げませんと」
「それもそうだな。任務というのは、明日から俺の周辺をうろついて媚を売る女を演じてほしいのだ」
「……………………それは、ちょっと」
「なに!? 引き受けると言ったではないか!」
いやそれ絶対無理でしょ!
せめて身分が釣り合うご令嬢を選べばいいのに、何で私なの!?
婚約者の『月の女王』様がいらっしゃるのに、一体何を考えているのかこの王子は。
令嬢の中の令嬢であるアンジェリーナ様には信奉者がごまんといるのだ。無論私もその一人。
そのアンジェリーナ様を悲しませるばかりか、『月の女王』信奉者にいじめられること必至のこんな任務、受けては到底無事では済まないだろう。
何とか不敬罪にならないように、断固拒否しなければ……!
「恐れながら、殿下。確かに私は出来ることであればと申し上げましたが、たかが男爵令嬢の私に相応な役目とは思えません!」
「いや、身分は低ければ低いほど都合が良いのだ。俺にとってはな」
「……仰る意味が分かりかねます」
「俺の目的は、お前を側に侍らせることによってアンジェに嫉妬させることだから。相手の身分が低ければ、その分だけアンジェは悔しがってくれるのではないかと思ってな。お前を選んだのは、身分が低い令嬢の中で一番見目が良かったからだ」
「それは、お褒め頂けて光栄ですが……それより、お二人は相思相愛ではないのですか?」
殿下の仰った目的は、意外なものだった。
少なくとも噂では、殿下とアンジェリーナ様のご関係は仲睦まじいとまでは言わないものの、穏やかなものであると聞いているからだ。
「俺はもちろんアンジェを愛しているが、アンジェの方は昔からよく分からなくてな。嫌われてはいないと思うが、果たして俺が想うほど好いてくれているのか……」
「はあ。それで、別の女が現れればアンジェリーナ様からの愛を確かめられるかも、というわけですか」
「ああ。最終的には婚約破棄を宣言しようかと思っている。もちろん、後で撤回する前提だが。名付けて『アンジェを嫉妬させて振り向かせよう大作戦☆』だ」
「そ、それはやりすぎでは……?」
殿下の言い分に、私は正直ドン引きだった。
ついでにセンスのなさすぎる作戦名にも。
後で撤回する、などというのはあくまで殿下側の勝手な予定にすぎない。
アンジェリーナ様がそんなに殿下のことを愛していなかったり、あるいは意地になったりして、婚約破棄を受けてしまったらどうするのか。
私は思ったことをそのまま殿下にお伝えしたが、殿下はどうも楽観しているようで、真剣に取り合ってはもらえなかった。
「とにかく、よろしく頼む」
殿下はそう仰って、部屋を出て行かれてしまった。
これは、任務を引き受けたと見なされているのは間違いない……。
せめて精一杯の抵抗を図ろうと、私は残った側近の中で一番発言権がありそうなルーカス様に向き直った。
「……私はちゃんと忠告しましたからね。失敗しても責任取れませんからね」
「大丈夫、たぶん悪いようにはならないと思うよ」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「僕の勘」
ルーカス様のあまりの答えに私は脱力した。
駄目だ、根拠がなさすぎる。
「まあ、僕も相手によるかなとは思ったけどね。本気で殿下を狙ってくるような女なら排除したけど、君みたいな子なら僕らも安心だよ」
「俺も余計な手を汚さずに済むし、良かった良かった!」
「神は貴女をいつでも見守っておられますよ。何か困ったことがありましたら、相談してくださいね」
爽やかにエグい台詞を吐いたのは、騎士団長子息であり自身も騎士として修行中の、ジェラルド・ジェストーナ様。
……悪気はなさそうなのがまた質が悪そうだ。
思えば、私を気絶させたのもこの人だし。
しかし、排除とか手を汚すとか、怖すぎる単語をさらりと口に出す二人に比べて、ウォルター様の清らかオーラの眩しさよ。
もしや唯一の良心なのか。
殿下の側近に対する評価を心の中で勝手に考えていると、ルーカス様が驚きの提案をしてきた。
「ああ、そうだ。任務が始まったら君にもしばらく迷惑掛けるしさ、やる気を出してもらうためにも成功報酬を付けたいと思うんだけど、どうかな?」
「──成功報酬!?」
「お、食い付きがいいねえ。任務が上手くいったら、僕のポケットマネーからいくらか検討するよ?」
「検討などと曖昧なお約束では困ります! わざわざそんな申し出をしてくださるということは、我が領の財政状況についても調べてらっしゃるんでしょう?」
「これは失礼。やっぱり君、頭の回転は悪くないね。その調子で頑張って」
面白そうに笑うルーカス様に、どうやら試されていたと知った私は背筋が寒くなった。
私がそのまま頷いていたら、報酬の件はどうなっていたことやら。
「じゃあ、成功報酬は君の在学中の学費と生活費全額ってことでどう?」
「……! い、いえ、それではリスクに見合いません。任務中は時給も付けてくださるくらいでないと!」
一瞬、かなり魅力的な条件でコロッと頷きそうになったが、今が交渉のしどきと判断した私は、敢えて図々しいくらいに強気に出た。
理由は、任務が失敗した際の保険だ。
今後のことを考えれば、最悪、『月の女王』信奉者に追い詰められて退学させられる可能性だってないとは言い切れないし、そうでなくても学園生活を円満に暮らせるとは到底思えない。
その時になって報酬がゼロ、だなんて割に合わなすぎる。
それに比べて、時給をコツコツもらえるならば、結果がどうなろうと多少の金額にはなるだろう。
頭の中で打算的な思考を瞬時に繰り広げた私に対し、返ってきた答えは予想の斜め上だった。
「え、『時給』って何?」
「……まさか、時給を知らないんですか!?」
「知らないねえ。……君達、知ってる?」
「俺は知らないな! 食べ物の名前か?」
「申し訳ありませんが、私も存じ上げません。文脈から、お金に関する単語ということは分かるのですが……」
まるで初めて聞いた単語だとでもいうように、不思議そうな顔で首を傾げるお坊ちゃんズ。
これだから生粋のお坊ちゃまは!! という言葉を飲み込んだ私を誰か褒めてほしい。
しかし、一応考えることはしているウォルター様はいいとして、ジェラルド様は脳筋なの? アホの子なの?
「時給というのは、労働の対価を一時間ごとに決まった金額で支払うという契約を結ぶことです。例えば、侯爵家の庭師が朝から夕方まで八時間働いたとして、時給が金貨一枚ならばその日の労働の対価は金貨八枚、というわけです。……ご理解頂けましたか?」
ちなみに、我がリンドバーグ家の庭師の給金ですら、さすがに時給換算ではない。
いわんや侯爵家をや。
仮に時給制だったとしても、金貨一枚なんて貧乏男爵家にはとても支払えない。
銀貨や銅貨より金貨の方がお坊ちゃん達には馴染みがあるだろうという配慮から出た単位なだけで、あくまでも、もののたとえである。
……そのはずだったのだが。
「ふむ、なるほどね。僕は構わないよ。庭師が金貨一枚なら、君は金貨五枚くらい?」
「きっ……!?」
「き?」
「き、気前がよろしいのですね! さすが侯爵家の方は違いますね、あはははは!」
貴様、金貨五枚というのがどれほど価値を持った金額か知っているのか!! という言葉ももちろん飲み込んで、乾いた笑いで誤魔化した。
リンドバーグ領では、金貨一枚で庶民の一家が三ヶ月は暮らしていける。
我が男爵家でさえ、金貨は貴重だ。貧乏なのだから当たり前だが。
それをこのお坊ちゃまは、わずか一時間の労働の対価にその五倍の金貨をやすやすとくれてやろうと言うのだ。
こんな好条件を逃す手はない!
「分かりました。この任務、お引き受けいたしましょう! ……あ、後でちゃんと書面に残してくださいね。あと時給のお支払いはその日ごとにお願いいたします」
「はは。君ってなかなか強かだよね」
「口約束のままにしておいて、後で反故にされても困りますので」
「その必死さが逆に哀愁を誘うよねえ……。ま、いいよ。後で届けさせよう」
「……アリガトウゴザイマス」
哀れな乞食を見るような目を向けてくるルーカス様に、私は湧き上がってくる色々な感情を無視してひとまずお礼を述べた。
すると空気を読まないジェラルド様が、どこかの誰かとは対照的なキラキラとした目をして私の手を握ってきた。
「よし、つまりリリーは俺達の仲間になるわけだな!」
「どちらかと言うと、労働者と雇用者と、雇用者の友人の関係なんですが……」
「カタいこと言うなって。俺達はこれから一つの目標に向かって努力するんだから、これを仲間と言って何が悪い!」
何やら熱血なことを言い始めたジェラルド様に、私とルーカス様はどこか冷めた視線を送った。
初めて意見が一致かもしれない私達の反応を見て、この場の良心・ウォルター様が苦笑いでジェラルド様をフォローする。
「ジェラルドの言うことにも一理ありますよ。仕事と思うより、仲間の方が楽しそうで学生生活としては有意義だと思います」
「おっ、良いこと言うじゃないか、ウォルター! ルーカスもそう思うだろ?」
「……はあ。僕は面白ければ何でもいいけど」
「なら多数決で、今日からリリーは俺達の仲間で決まりってことで。よろしくな!」
「……。よろしくお願いします」
そしてこの日から、私の受難の日々は始まったのだった。
まずは前作をお読みくださった皆様、ありがとうございます。
前作を書き上げた際、リリーがとても動かしやすかったので、リリー視点の前日譚を書いてみました。
不敬罪に怯える割には金に関してシビアだったり、書き進めるにつれて面白い子になってくれました。
さて、本作でリリーはアンジェリーナ信奉者にいじめられることを危惧していましたが、すでに前作をお読みの方はお分かりの通り、アンジェリーナ本人のおかげでその未来は何とか回避されることとなったのでした。
前作ではあまりキャラが出来ていなかった王子の側近三人組に関しても、少しはキャラの書き分けが出来たのではないかと思います。
ちなみに王子の口調が前作と若干異なりますが、仕様です。前作はアンジェリーナ向けの素で、今作は対外向けという設定になっています。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございました!