5 祭りの日はあなたと一緒に
「ねえ、リィナちゃん。花嫁衣装を見に行かない?」
ジョシュア様は手に持った内覧会の招待状をひらひら動かしながら、私を誘う。
これはいつものこと。六年前から続く、いつもの口実作りだ。
今年で二十歳になってしまった私は、針を止めて顔を上げた。
膝の上には、明後日から始まるお祭り用のドレスがある。レース編みも刺繍もあまり得意ではないけれど、自分のドレスに仕上げのレースを縫い付けるくらいはできる。
今つけているのは、昨日ジョシュア様からもらったレースだ。
騎士を引退したジョシュア様は、今はお父様の隊商のお仕事を手伝ってくれている。その関係でしばらく南に行っていて、ずっとお会いしていなかった。
ドレス用のレースを作ると言ってくれていたけれど、もしかしたら間に合わないかもしれないと思ったから別のレースをドレスにつけていた。
でも昨日、ジョシュア様はまるで貴族の令嬢様が身に付けるようなレースを持ってきてくれた。
ジョシュア様から選んでもらった淡いクリーム色の布地を引き立てる、細やかな模様が浮かび上がったレースだ。あんまりきれいだから、感激したお母様がみんなに見せびらかしに行ってしまって、その日は戻ってこなかった。
今日の昼になってやっとお母様が返してくれて、急いで付け替え作業を始めている。
多分、今日中に仕上がるはずの祭り用のドレスから目を離し、私は首を傾げながらジョシュア様を見上げた。
「もしかして、明後日にある招待会? 花嫁衣装ばかりを集めているって話の?」
「そう、それだよ。大通りに面した一流店であるから、行き帰りに祭りの出し物も見ることができると思うよ」
「そうなのね。もちろんいいわよ。今度はどなたの婚礼ドレス用のレースの参考にするの? ジョシュア様のご親戚に、結婚の予定があるお嬢様っていらっしゃったかしら?」
私がジョシュア様の親戚のみなさんの顔を思い出していると、座ったままの私の横に立っていたジョシュア様は変な顔をした。言葉にも詰まったようで、私に問いかけてきたのはしばらく間が空いた後だった。
「……リィナちゃん。もしかして、結婚したい相手ができたの?」
「え? 残念ながら、全くそんな人はいないままよ」
「そうか、だったらいいんだ。僕は君にあげようと思っているから」
ジョシュア様は急にほっとした顔をした。
まさか、結婚の予定がない私にくれるつもりなのだろうかと、私はまた首を傾げたけれど、すぐに思い当たった。
もしかしたら、製作にとても時間がかかるような大きくて凝った物を考えていて、それで急ぐ必要がないことを確かめたかったのかもしれない。
昨日もらったレースもそうだけれど、ジョシュア様が作るレースは本当にきれいだ。
お店に出したら、きっとものすごい金額がつくだろう。
そんなことを考えながら、またドレスの手直しを始めようと針を持つと、ジョシュア様はふわりと微笑んで私の頭を撫でた。
「ジョシュア様?」
「昨日戻ってきたばかりだから、今日と明日は忙しくてリィナちゃんとゆっくりすごせないけれど、明後日は大丈夫だと思う。明後日を楽しみにしているよ」
「え? あ、ありがとうございます。わ、私も楽しみです」
珍しいことを言われてしまって、私は少し動揺した。
頬が熱くなったから、きっと赤くなっている。それをごまかすために瞬きをしながら針を持っていない手でパタパタと顔を扇いでいると、ジョシュア様が少し身を屈めてきた。
「では、明後日に」
短く切り揃えている前髪が、唐突にかきあげられた。
指先が額に触れた。びっくりして顔を上げると、すぐ近くにジョシュア様の甘く整ったお顔があった。
それと同時にジョシュア様がいつも使っている香りを強く感じて、私の体は強張った。
それを見てとったのか、ジョシュア様はまた微笑んで私の額にキスをした。
柔らかい唇はすぐに離れた。
でもほんの少しだけ癖のあるプラチナブロンドはまだ頬に当たっていて、思わず息を止めてしまう。
その髪も離れ、ジョシュア様の香りも離れた。
もう一度頭を撫でて、ジョシュア様は大股で部屋を出て行く。
今年になって騎士を引退して、今はお父様の隊商のお仕事をしてくれているけれど、ジョシュア様の歩き方は以前と同じままだ。
豪快でしっかりした足音が聞こえなくなるまで、私は動くことができなかった。
祭りの日。ジョシュア様に見立ててもらったドレスを着て、私はジョシュア様と街を歩く。
隣を歩くジョシュア様は、今日は一段ときらびやかでお美しい。
騎士を引退しても、腰に剣を帯びているのは変わらない。
でも、貴族階級の紋章飾りのついた礼装姿を見ていると、普段は気安く接してくれるこの方が本当は貴族の一員なのだと思い知らされる。
私はただの庶民の娘で、それなりの財産はあるけれど平凡な容姿の行き遅れ。
ただの妹分。
なのに、ジョシュア様を盗み見るたびに胸が高鳴ってしまう。
だってジョシュア様は、私のドレスと同じ、クリーム色の衣装なのだ。
貴族と庶民の服という違いはあるけれど、まるで祭りの間は私と一緒にいると宣言しているように思えて、あり得ないとわかっているのに胸が高鳴ってしまう。兄妹のつもりに決まっているのに、愚かな私。
でも、私の歩調に合わせてくれるジョシュア様が、いつもより楽しそうに見えてしまう。
表情もとてもくつろいでいて、すれ違う恋人たちとか夫婦たちとかがお互いを見るときと同じ顔に見えてドキドキしてしまう。
勝手に夢を見ているからそんな錯覚をしてしまうのだ、と自分を戒めようとして……ふと思い当たった。
「……あ、そうか。そうなんだ」
「ん? どうかしたの? リィナちゃん」
「何でもないわ、ジョシュア様。あ、ねえ、向こうの通りって何があってるか知ってる?」
「向こうはサイム通りか。ええっと、案内図はどこだったかな」
ジョシュア様は足を止め、折り畳んで持っていた案内図を取り出し、大きく広げて見てくれる。
そんなジョシュア様を見上げながら、私はこっそり手を握りしめた。
向こうに見えるサイム通りはにぎやかだったけれど、本当はそんなに興味はなかった。でもそちらに気を向ければ胸の苦しさが紛れる気がして、ジョシュア様が広げた案内図を覗き込む。
私はさっき、気づいてしまった。
ジョシュア様がくつろいでいて、いつもより楽しそうにしているのは、私を家族と同等に思ってくれているからに違いない。
ジョシュア様はお兄様が二人、お姉様が一人いらっしゃる。弟様も一人いて、妹様は四人いると聞いている。
十代半ばからご実家を離れて働いていたけれど、たくさんいるご兄弟のことは本当に大切にしていて、特に妹様たちのことはいつも気にかけていた。
その妹様たちが全員嫁いでしまった今、私は最後の妹だ。
お揃いの衣装も、家族でやってきたことなのだろう。
家族と同等に扱ってもらえるのは嬉しい。でも、苦しい。
私は……今もずっとジョシュア様が好き。
妹の代わりは私だけだ。それの何が不満と言える? 庶民の娘にしては、十分すぎるはず。
何度も何度も、私は自分の心に言い聞かせた。