4 行き遅れの娘と騎士様
初めてジョシュア様とドレスを見に行った日。
私は町中の女の人に嫉妬された。
十五歳になって、お祭りの日に着るドレスをジョシュア様に選んでもらった翌日は、早とちりした人たちからお祝いの手紙が何通も届いてしまって、一家揃って苦笑していた。
でも、今は違う。
一緒にドレスを見に行っても、誰も噂を撒き散らしたりしない。
いつもいつも一緒にドレスを見て、十六歳の時も十七歳の時もお祭り用のドレスを選んでもらって、それでも全く婚約なんてしていなければ、街の人たちは「ああ、あの二人は違うらしいよ」と笑って納得してくれるようになった。
私と一緒に来たのに、店員さんに熱心に聞くことが三十代のお姉様用の服飾についてだったり、出産した妹様へのお祝いは何がいいかとかだったり、婚礼衣装に相応しいレースの模様についてだったり、そんなことばかりなのだ。
ジョシュア様はそんな調子で、私に対しては子供扱い。お祭りの日にいらっしゃっても、私の家族と一緒にいるのは最初だけで、夜が更けていくときれいな女の人と仲良くなってどこかへ消えていく。
そんなだから、私が十八歳になってお祭りの日に一緒に歩いても、全く噂にならなかった。
いつも笑顔を向けられて、と私に嫉妬を向けてくる女の人はいても、敵視されることはない。せいぜい、あんなお兄様が欲しいと羨ましがられるくらいだ。
花嫁衣装を飾る内覧会に行っても、おめでとうございますとか言ってきたり、お式はいつですかとか聞いてくるのは他の街からやってきた店員さんだけだ。
そんな誤解は、翌日には消える。
私はジョシュア様の付き添い。ドレスやレースを見たいジョシュア様の表面的な口実。
その見返りに、帰る前に通りを歩いて、私の買い物を付き合ってもらって、流行の甘いお菓子を食べたりする。
私が十四歳の時に出来上がった商談は、あの日からずっと続いている。
十九歳の時、私に初めて縁談が来た。
いつになっても恋人を連れてくる気配のない私のために、焦れた叔父様が探してきた話だった。
年頃が近く、家の格も同じくらいの商人の子で、商売の範囲がぎりぎり重ならない。そんな理想的な人だった。一度会ってみればと言われたけれど、結局顔を合わせる前にこの話は消滅した。
私が美人ではないからとか、ジョシュア様との噂を聞きつけたとか、そういうのではない。結婚したら一緒に外国に行って欲しいと言われ、その条件が私の家とは合わなかったためだった。
私は一人娘だ。だからお母様は、嫁入りではなく婿入りして欲しいといつも言っている。
お父様は商売の後継が欲しいようで、向こうには恋人とまではいかなくても結婚してもいいという幼馴染がいたらしい。叔父様には申し訳ないけれど、まとまらなくてよかったと思う。
その話をジョシュア様にしたら、なんだかとても困ったような顔をした。
「その、リィナちゃんは結婚したいと思う相手がいるのかな?」
「残念ながら全くいないわ。いたらとっくに結婚して、奥様と呼ばれて赤ちゃんを抱いているわよ」
「あ、うん、そうだよな。いや、もしかしたら、僕がいつも誘うから男どもが萎縮しているのかな、とかちょっと思ってしまって」
「あら、私の心配をしてくれているの?」
私がにっこり笑って見せると、ジョシュア様はまた困ったような顔をして目をそらしてしまった。
破談になった責任を取れと言われるとでも思ったのなら、大変失礼な勘違いだ。
私だっていつかは結婚したいと思っているし、商売的に必要な縁談なら受けてもいいと思っているけれど、ジョシュア様に結婚してほしいなんて言わない。
でも、一応私のことを心配してくれているようだ。
きっと妹様たちから「お兄様が威圧するから男の人たちが逃げてしまったわ!」なんて言われてきたのだろう。
兄弟がいる友人たちの愚痴を思い出して、私は堪えきれずに笑ってしまったけれど、なんとか真面目な表情を作ってジョシュア様に言った。
「私が結婚していないのも、結婚できないのも、ジョシュア様の責任ではありませんから」
「いや、なんというか……一応責任はあると思っているし……」
珍しく口ごもったジョシュア様は、背中までかかるプラチナブロンドをやや乱暴にかき乱して唸っていた。
それからしばらく何か口の中でつぶやいていたけれど、ふうっと息を吐いて私に向き直った。
「リィナちゃんは、もう聞いているかな?」
「何のこと?」
「だから、その……僕が来年で騎士を引退することとか、まあそういう話だよ」
「ああ、それは聞いているわ」
華やかだけど、激務で名高い街道警備騎士の仕事は、若いうちしか務まらないと言われている。
ジョシュア様も来年は三十歳になる。だから来年で現役騎士から引退すると決めたようだ、とお父様から聞いていた。
「ジョシュア様って、本当は騎士のお仕事はそんなに好きではないんでしょう? それに、三十歳になったらもうおじさんだから、激務は無理なんですって?」
「おじさんって……まあ、リィナちゃんにとってはおじさんか。僕はまだ若いつもりなんだけどね」
「大丈夫よ。ジョシュア様はまだ十分にお若いから。それより、今度は何を作るの?」
なぜかがっくりきているジョシュア様が可哀想になって、私は話題を変えてみた。
でも、興味があったのは本当だ。
たくさんいた妹様たちは全員お嫁に行って、最近のお休みの間に手掛けているのは、赤ちゃん用の帽子のリボンとか一番上のお兄様のお嬢様用のリボンとかばかりになっている。
手がかかる大作からは遠ざかっているけれど、たまには凝ったものを作ってもらいたい。せっかくの達人の技術が鈍ってしまったら大変だ。
ジョシュア様はまだ複雑そうな顔をしていたけれど、少し無理をしたような笑顔を作って新しい話題に乗ってくれた。
「姪っ子のハンカチ用のレースは作るつもりだけど、そうだな、久しぶりにリィナちゃんに何か作ってあげようか。襟飾りなんてどう? 好きな模様があったら教えてよ」
「えっと……」
レースの好みを聞かれたけれど、これはいつもの延長。
そう分かっていても動揺しそうになる心に何度も違うと言い聞かせ、私は悩むふりをした。
「そうね、普段着用の襟飾りもいいけれど、どうせなら来年用のお祭り用のドレスに使えるようなレースがほしいかも」
「……来年用の? つい最近、今年の祭りが終わったばかりなのに?」
「ええ、そうよ。来年は私も二十歳になっちゃうけど、たぶん結婚していないから未婚の娘用の飾りにして欲しいのよ」
「来年用か。……うん、そうだね。無駄になってもいいから、君のために作ろうか。もし来年も君が結婚していなかったら、祭りの日は一緒に回ろう」
「ステキ。行き遅れって言われると思うと気が滅入りそうだったけど、ジョシュア様が一緒にいてくれるなら気にならないわね」
私が半ば本気でわくわくして言うと、ジョシュア様はなぜかまた目をそらしてプラチナブロンドをかきあげていた。
今日のジョシュア様はなんだかおかしい。
お父様もジョシュア様も何もおっしゃらないけれど、本当は、通常より早い騎士の引退を決意するような体調の悪化などがあるのだろうか。
少し心配して見上げると、こちらに目を戻したジョシュア様は優しく微笑んで私の頭を撫でてくれた。
結局、何となくそのまま聞きそびれてしまったけれど。
来年に騎士を引退してしまった後は、ジョシュア様はどうするんだろう。どこで何をしていくことになるのだろう。
騎士と商人という繋がりがなくなってしまった時、私はジョシュア様の妹であり続けることは許されるのだろうか。
いつまでも結婚できないことよりも、次々と母親になっていく友人たちに置いていかれることよりも、ジョシュア様のことを考えると胸がチクチクと痛む。
だから先のことは……あまり考えたくはなかった。