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2 私たちの出会い


 ジョシュア様は貴族だ。

 でも一応、商人なら「親類です」と言いふらしたくなる程度の遠くて薄い繋がりはある。

 私の母方の叔母さんはとても綺麗な人で、身分を超えてとてもよい家に嫁いでいった。その家の本家筋にあたる人の奥様の弟がジョシュア様だ。

 こういう繋がりは、一般的にはただの他人でしかない。


 でもそういうごくごく細い繋がりができたから、私の家は嬉々としてジョシュア様と付き合いを始めた。

 商人はジョシュア様のお名前と伝手をお借りする。

 その代わりに、身の回りの品々を格安でご用意する。

 そんなありがちな付き合いが、十一年前にもう少し踏み込んだものになった。


 十一年前。それは私が初めてジョシュア様にお会いした年だ。

 九歳になったばかりの私は、大人びたい気持ちの中に、ときどき子供のままでいたい気持ちが混じる複雑な年頃の子供だった。

 その頃ジョシュア様は足を負傷して、しばらく療養しなければならなくなった。その時に私の家が療養先として選ばれた。……たぶん選ばれたと言うより、商人としての下心からお父様が熱心に売り込んだ結果だと思う。

 とにかく怪我が癒えるまでの数ヶ月間、ジョシュア様は私の家に滞在していた。


 今も素敵な貴公子様だけれど、当時十九歳だったジョシュア様は本当にきれいなお方だった。

 お客様が来たと聞いて私がこっそり見に行くと、ジョシュア様は明るい窓辺にテーブルを置いて、そこに座っていた。たっぷりと室内に入ってくる明るい光の中で、一つに束ねた長めのプラチナブロンドがキラキラと輝いていた。

 横顔しか見えなかったけれど、すっきりとした鼻筋は完璧な形を作っていて、長い睫毛に縁取られた目は手元を真剣に見ていた。

 ゆったりと座った姿で、手だけが忙しく動いていた。


 このきれいな人は何色の目をしているのだろうかとか、何をしているのだろうかとか、そういう興味に突き動かされた私は、周囲に誰もいないことを確かめてからこっそり部屋に入っていった。

 ドアがゆっくりと開いても、忍び込んだ時に服のリボンがドアに一瞬ひっかかってガタンと音がしても、ジョシュア様は手を止めなかった。

 でも目だけがちらりとこちらに向いて、私は思わず立ち止まる。そんな私を見て、ジョシュア様は笑っていた。

 その笑顔が優しく見えたから思い切って近寄っていくと、ジョシュア様は初めて手を止めて、近くにあった椅子をがたがたと動かして席を作ってくれた。私がそこに座ると、左足が棒を添えた形で固定されていることに気付いた。

 びっくりして足を見ていると、ジョシュア様は少し座り直して私へと体を向けた。


「えっと、君は、この家のお嬢さんかな?」

「は、はい、ジョシュア様!」

「おや、僕のことは聞いているの?」

「もちろんです! お貴族様のお客様ですよね!」


 私が真面目な顔で答えると、ジョシュア様はぷっと吹き出した。

 そのまま笑いながらテーブルの端から飴玉の入った箱を引き寄せて、私の前に置いてくれた。


「名前を聞いてもいいかな?」

「はい、リィナと申します」

「リィナちゃんか。ああ、飴玉をどうぞ。それから興味があるのなら、作業台に触らないならここにいていいよ」

「……見ていて、いいの?」

「このあたりでは、こういうのは作っていないから初めて見るんだろう? 手を出さないのなら、見ていていい。でも絶対に触らないように」

「はい!」


 私が頷くと、ジョシュア様は笑いながら私の頭を撫でた。

 それから、私が入ってくる前までのように手元に目を落として手を動かしていく。

 カラカラとか、カタカタとか音がする。

 それが止まると、長い指で器用に細い糸を引っ張りながら細い針を刺す。カタカタカラリ、それから針をグサリ。

 何をしているのかさっぱりわからなくて、私は思い切り体と首を伸ばした。それでもよくわかないままだった私を手招きをして、ジョシュア様はすぐ横に立つことを許してくれた。

 クッションのような台の上に、たくさんの針が刺さっていた。

 その針に無数の糸が絡んでいて、針を除けても糸が作っている形は崩れない。

 白い糸の形を見ていた私は、大きく瞬きをした。


「これ、もしかしてレースかしら?」

「当たり。針がいっぱい刺してあるから触ってはいけないよ。この糸巻きをこうやって動かして……」


 ジョシュア様が手を動かして針を刺していくと、細い糸は引っ張り合いながら少しずつ形を作っていく。

 私の服にもついているレースに似ているけれど、それよりももっと細かくていろいろな形のあるレースになっていく。

 魔法のようで、うっとりと見ていた私は引き寄せられるように手を伸ばしていた。


「ダメだよ。子供は触ってはいけない」

「あ、ごめんなさい! ……でも私はそんなに小さな子供じゃないわ。もうすぐ大人の女性になる年齢です」

「ああ、そういう年齢か。では、大人に近づいている君もレース編みの練習をしてみる?」

「えっ、いいの?」

「大人の女性の嗜みとしては悪くないと思うよ」

「ステキ! 私もレース編みができるようになったら、ジョシュア様みたいな素敵な大人の女性になれるかしら!」


 うっとりと想像した私が、少し興奮気味に言うと、ジョシュア様は何だか情けない顔をした。


「……えっと、僕は男なんだけど……いや、まあ、普通はレース編みは女性の仕事だけど……」

「えっ、男の人だったの? じゃあ、なぜこんなにすごいレース編みができるの!」

「うん……こういうレースはお金になるからね。まあ、そんなことはいいから、ここに座ってごらん。一緒にしようか」




 その日から、私は毎日ジョシュア様の部屋を訪れて、一番簡単な編み方を教えてもらった。

 糸巻きを使ったレース編みは、根気のいる作業の繰り返しだけれど、一つ一つの手順は単純な繰り返しだ。だから基本的な模様なら子供でも難しい操作ではない。

 でも不思議なくらい、私がやってもジョシュア様のようにきれいにはできなかった。失敗してふてくされていると、ジョシュア様が魔法のように針を刺し直してきれいに整えてくれた。

 尊敬するなという方が無理だ。ジョシュア様は男の人だったけれど、どんな女の人よりも憧れる存在になっていった。

 私がお母様にそういうと、同席していたジョシュア様は変な顔で笑っていた。


 結局、私のレース編みの腕前は、ジョシュア様の骨折が完治するまでの間ではほとんど上達しなかった。でもジョシュア様は妹様の花嫁衣装用のレースを仕上げ、私にも長いレースのリボンをくれた。

 とても嬉しかったから、お礼として私が一生懸命に仕上げたレースをあげた。

 模様が不揃いで、全体が歪んでいて、大人の手のひらにも満たない長さしかない。リボンというより本に挟む栞程度の長さのそれを押し付けられて、ジョシュア様はきっと困っただろう。

 でも子供には優しい人だから、ジョシュア様は表面上はとても嬉しそうに受け取ってくれた。

 それがとても嬉しくて、私は誇らしげにみんなに言って回った。

 ……後から考えると、恥ずかしい。

 お父様も申し訳なく思ったのだろう。私の贈った栞もどきのリボンに合わせて使ってほしいと、新しい剣帯を渡していた。

 騎士としての制服を着て、ピカピカに磨き上げた防具をつけたジョシュア様は、凛々しいお顔を笑みで優しく崩しながら私が贈った不揃いで歪んだリボンを真新しい剣帯に縫い付けていた。


「ほら、剣帯の飾りにちょうどいいよ。可愛らしいお嬢さんからのレースは、いいお守りになりそうだ」

「ずっと使ってくださいね。もう怪我をしないように、私もお祈りしています!」


 再び勤務に戻るジョシュア様を見送った私は、物語のお姫様になった気分だった。

 でも当たり前だけれど、残念な見かけのレースは、お守りとしてのご利益もやっぱり残念なものだった。

 その後も、ジョシュア様は休暇の度に私の家に滞在するようになったけれど、お迎えするたびに怪我の個所を数えなければいけないような状態だった。

 騎士としてのお姿は、一見すると華やかなように見える。でもよく見るとマントは薄汚れて、防具は傷だらけで、ジョシュア様自身も怪我だらけ。端整な顔立ちは変わらないけれど、肌は日焼けしているし、背中まである髪はツヤが足りないし、お迎えするときのジョシュア様はいつもボロボロだ。

 でもそんな姿でも、走って迎えに出る私を見ると優しく笑ってくれた。

 そして、いつも剣帯を見せてくれた。


「ほら、君のくれたお守りのおかげで、こんな軽い怪我ですんだよ」


 そんなことを言ってくれる優しい人。

 あるいは、援助を惜しまない商人を軽くいい気にさせることができる、したたかさのある人。

 でも、本当はどんな人であっても、私はジョシュア様が大好きで、ほとんど上達しないレースのリボンを任務に戻るジョシュア様に押し付け続けた。

 こんな困った子供だった私なのに、心の広いジョシュア様は数多くいらっしゃる妹様の一人に加えてくれているようだった。

 


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