2.旅支度①
エアの城のあるゼフィロウの大都市シェルのポートは物々しい雰囲気だった。
いくら大巫女が重要人物だからといっても、警備の者の態度が硬い。
「やれ、エアのやつ、嫌がらせじゃな。大人げないことを。その上、ラビスミーナが指揮を執っているとなれば、この冷たい歓迎はますます当然のことか」
ポートの警備に当たるのはラビスミーナの部下だ。
アイサの脳裏に先ほどのラビスミーナの表情が浮かぶ。
自然とアイサの表情が引き締まった。
「アイサ、久しぶりの里帰りであろう? のんびり構えよう」
ガルバヌムが屈託なく笑ったところで、この上なく冷たい表情を浮かべたラビスミーナがやってきた。
「大巫女様、申し上げたいことは山ほどあるが、まずは車の方へ。アイサ、よく帰って来たな。顔色が良くないようだ。お前も早く乗れ」
「姉様は?」
「私はオルクで行く。さっき乗っていたやつだ。海中でもドーム内でも使える。その上、エアカーよりよほどスピードが出る。現在この国で最速だぞ? まだ試作品だがな。ヴァンが作ったのだが」
「ヴァンはどこ?」
「もうオルクに乗るのは嫌だと言って、エアカーで先に城に向かった。自分の作った物に乗れないとは……困ったやつだ」
ラビスミーナは溜息をついた。
「ええと……」
それは姉様の後ろに乗るのが恐ろしいからだろうとは、アイサには言えなかった。
ラビスミーナは相変わらずだ。
ゼフィロウの治安を預かり、しかもオルクを乗り回すとなれば、当然とはいえ治安部の制服を着ている。
すらりと背が高いが、決して男性っぽい訳ではない。それどころか、ドレスを着れば誰もが振り向く。だが、本人はその動きやすい制服がお気に入りのようだ。
いずれにしてもラビスミーナは美しかった。
どんな格好をしていても様になる。
そのラビスミーナは言葉を濁したアイサをちらりと見ると、さっとオルクに跨った。
大巫女とアイサはエアカーに乗り、警備車両に先導されて滞りなく城に向かった。
城の門をくぐり、広大な森を抜けると正門が見える。
その先にある城の正面入り口には、ゼフィロウ領主エアとその執事が立っていた。
アイサとエアの目が合い……一瞬エアの瞳が揺れる。だが、エアはすぐにその涼やかな目を大巫女に向けた。
「はるばるお越しいただいて恐縮している、と申し上げるべきであろうな、ガルバヌム殿。まずは、こちらにいらっしゃった御用向きを確認しなくてはなるまい。どうぞ、こちらへ」
「そなたとラビスミーナは似ておるのう」
ガルバヌムは面白そうに笑った。
アイサとともにガルバヌムが通されたのは、ゼフィロウ城の中でも最も凝った客間だった。
古典的な城の外観に合わせて、その部屋は古い家具や調度品が備えられ、部屋全体が一つの美術品のようだ。
だが、そこには優雅で繊細な美術品とは似ても似つかぬ物騒な雰囲気を醸し出すラビスミーナが苦虫をかみつぶしたような顔で二人を待ち構えていた。
その隣には飄々としたヴァンがいる。
執事がガルバヌムのために椅子を引いた。
一同が無言で席に着く。
「先ほどセジュ王より連絡を受けた。ゲヘナを封じるため、このアイサを地上に送ることが正式に決まったそうですな?」
エアはガルバヌムに目をやって事務的に切り出した。
「まさしくその通りじゃ」
ガルバヌムが頷く。
すかさず美術品の椅子を蹴飛ばす勢いでラビスミーナが立ち上がった。
「事情は聞いている。だが、アイサがたった一人で地上に行って、何ができるというのだ? アイサがつまらない夢に苦しめられているからといって、そんなことが理由になるか。どうしてもというのなら、私が行く。その忌々しい火を封じ込め、くだらないことを考えている奴らをまとめて始末してくれるわ。そいつらにはもう二度とアイサの夢に出ることなど許さん。さあ、とっとと指輪を渡せ」
その気迫はすさまじかったが、ガルバヌムはやんわりとその気迫を受け止めた。
「ラビスミーナ、なるほどお前ならそれもできるかもしれん。だが、わしは言ったはずじゃ。占いにはアイサ一人でと出ており、レンでもそのように承認されている」
「そんなこと知ったことか。レンの言うことを聞いていたら、ゲヘナを封じ込める前にアイサの命が失われてしまう」
再びラビスミーナがたたみかける。
「ラビス、少し落ち着けよ」
思わぬところから声が上がり、ラビスミーナは恐ろしい形相で隣のヴァンを振り返った。ヴァンが思わずのけぞる。
「ヴァン、いったいおまえはどっちの味方なんだ?」
「もちろん、アイサのことは心配しているさ」
ヴァンは真剣な表情を浮かべた。
「ガルバヌム殿、私が地上人の妻をここに迎えるにあたって、あなたがどれほど骨を折ってくれたかはよく分かっているつもりだ。だが、今度はその代償として私から娘を奪おうというのか?」
気持ちを押し殺すようにしてエアが言った。
ガルバヌムは自分を見つめるエアに静かに答えた。
「往生際が悪いぞ、エア。時が来たのじゃ。アイサが呼ばれているとは思わんか? 何より、決めるのはアイサじゃ」
「はい。私はもう決めました」
エアが久しぶりに目にした娘アイサは、失った妻アエルによく似ていた。その心根までも……いったんこうと決めたら、その気持ちが揺るがないだろうということも、エアにはよくわかっていた。それでもエアは言わずにはいられなかった。
「アイサ、もうここに帰ってこられないかもしれないんだよ」
「わかってる」
「何もわかっていないぞ? あの争い好きで野蛮な者どもの中で、どうする気だ?」
妻アエルはその地上からやってきたはずだ。だが、また大切なものを失うかもしれないという恐れに、エアは苛立ち、思わず声を荒げた。
「ゲヘナの在処を探して、見つけて、封じ込めて、逃げます」
「間違いなく死ぬな」
乱暴に腰を掛けたラビスミーナが腕を組み、吐き捨てるように言った。
「まず、地上に着いたところから危ない。安心できない者たちだ。しかも、仮にシールドで身を守り、なんとかゲヘナに近づいて、その炎を封じ込めたとしても……その後どうする? 敵は、はいそうですかと、お前を逃がしてはくれないぞ? どうやって逃げる気だ?」
睨む姉を宥めるようにアイサは答えた。
「その場に行ってみなければ、わからないわ」
「そういった臨機応変の戦闘は私の得意とするところだ。だから私に行かせろ、と言っている」
「まったく、それが許されないんでしょ。でも、姉様だったらどうする?」
「これから、いくらでも手を考える」
「姉様、そのお話を聞かせて下さい」
「アイサ……」
ラビスミーナが眉を寄せる。
聞いていたエアは苦い顔をし、ガルバヌムは会心の笑みを浮かべた。
「ごらん、ゼフィロウは他のどの核とも趣を異にしておる。ここの庭一つとってみてもそうじゃ。野趣に富み、自由奔放で一見野放図に見えるが、至る所にセジュの最新技術が使われておる。お前たちはそういうことに労を惜しまない。好奇心も人一倍じゃ。きっと、これから何度となく命の危険をくぐるアイサに、どこの誰よりも力を貸せるだろう。レンのできることと言えば、少々の路銀と最先端の指輪を与えるぐらいのものだ。まあ、その技術も、もとはといえば、ここゼフィロウの……お前が開発に力を入れていたものだが」
ガルバヌムは意味ありげにエアを見た。
「もう少し時間があれば、その最先端の指輪の技術をもっと有効なものにしてみせるのに……」
ヴァンの呟きはラビスミーナの声にかき消された。
「欲の皮の厚い奴らだと聞いている。剣を振るって容赦なく人を殺すとも」
「でも、お母様は違った。勇気はあるけれど、優しい心の持ち主だったはずよ」
「それは分かっている。問題はそういう人に会える確率がどれほどあるかだ。当てにできん。第一、お前が金目の物を持っていると分かった時点で危険だ。欲張りを引きつけるだけではないか」
「いよいよ話が具体的になってきたようじゃな? 必要な工夫を凝らすがよい。時は迫っておる」
「おばば様」
ラビスミーナがガルバヌムに食いついた。
「アイサが行くことは決定事項なのだな?」
エアはガルバヌムに聞いた。
「そうじゃ。お前たちがどんなに駄々をこねてもな」
ガルバヌムはきっぱりと答え、アイサはエアとラビスミーナに微笑んだ。
「父上、ラビス姉様、ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、帰ったら地上の話もお聞かせできるでしょう。それを楽しみにしていてください」
「アイサ……ラビス、どうやらそうするしかないようだ」
妻の面影を色濃く残す娘を見つめていたエアはゼフィロウ領主の顔に戻り、立ち上がった。
「ヴァン、ラビス、後を頼む。おばば様、今すぐにレンへご同行願おう」
「そうじゃな、エア。わしらはこれからレンへ行って、報告かたがた、もう一度アイサのために、セジュ王とレンから保証を取り付けておこう」
ガルバヌムは頷き、エアとともに部屋を出た。




