10.奇妙な海賊④
シンとアイサがベールで姿を消して様子を見守る中、降伏の旗を揚げたゴッサマー号が海賊たちを迎えた。
「いろいろな人がいるわね」
アイサが囁いた。
「ああ、ススルニュア、クイヴル、恐らく沿岸の小国も。昨日降りた港で見た者たちもいるみたいだ」
シンもそっと頷く。
乗り込んできた海賊がゴッサマー号の船員を甲板に集め、武器を取り上げていく。ゴッサマー号の船員たちは不本意ながらもおとなしく従っていた。ビャクグン、スオウ、ルリ、シャギルはバラバラになってそんな彼らの間に紛れていた。
「鍛えられてる」
「規律も守られている感じね」
シンとアイサが囁き合っているうちに、間もなく他の船からも次々に海賊が乗り込み、ついに二人の部下を従えた海賊の頭目が姿を現した。
年は四十の半ばといったところだろうか。
堂々とした男だった。日に焼けて褐色の肌をしているが、体型から、南方の出身ではなく、クイヴルか、北のグランあたりの出かと思われる。
その青い瞳がミルに向けられた。
「お前がこの船の船長か? 随分あっさりと降伏したではないか? そちらにもかなり分があったと思うがな?」
「クイヴルの……サッハのアクセントだ……」
シンが呟いた。
海賊の頭目が油断なくミルに近づく。
ミルは落ち着いて答えた。
「乗組員の安全を考えてのことだ。この辺の海賊は、荷さえ渡せば、船員に手を出さないと聞いている」
「たいした臆病者だな」
頭目の後ろから挑発するように一人が言った。
「ススルニュア人?」
「そうだね」
尋ねたアイサにシンが答えた。
小柄で、赤褐色の髪に金色の目。
その金色の目が抜け目なく光っている。
年齢は頭目と同じくらいだが、その雰囲気は随分違う。
(敏捷な獣のようだ)
アイサは思った。
シンは黙って頭目と二人の部下を見ている。
「そうとも言えんぞ、グリフィス。被害を最小限にするために荷を渡すことのできる船長はなかなかいない。約束しよう。黙って我々の欲しいものを渡してくれれば、全員の命を保証する」
頭目はこう言うと、ミルの返答を待った。
「では、好きなように持っていくがいい」
ミルが答える。
「では、遠慮なく。我々は積み荷とこの船をいただきたい。代わりに我々の船を一つやろう。それで港まで戻れ」
「何だと?」
ミルを始め、ゴッサマー号の船員たちは唖然とした。船員たちの間にざわめきが広がる。そんな彼らに向かって頭目はきっぱりと言った。
「この船に興味がある。今まで思いがけないスピードで、我々から逃げた船がいくつかあった。この船のようにな。そのスピードは俺たちにとって何よりの魅力だ」
海賊たちから大きな歓声が上がった。
「大変なことになったわね」
「ああ、ビャクたちはどうする気だろう」
シンとアイサが顔を見合わせ、海賊たちの歓声が収まったところで、今まで黙っていたもう一人が船長のミルやゴッサマー号の船員たちを見渡して言った。
「嫌なら、お前たちを片っ端から海に放り込むしかない。お前たちがどんな考えで降伏したかは知らないが、こうなってしまえば勝負を覆すことはできまい」
「こっちもススルニュア人だね」
シンが言った。
頭目より一回り若く、長い茶色の髪に黒い瞳をしている。
厳しい表情を浮かべてはいるが、アイサにはどこか優しげな人に思えた。
(海賊って、野蛮で乱暴者の集まりだと思っていたのに……)
その頭目だけではない。
海賊たちのまっすぐな瞳に首をかしげながら、アイサはその若い海賊についている男に目をやって眉をしかめた。
この男はどこの国の者かアイサにはわからなかった。
褐色の髪に茶色の瞳。
彼は、一見、大人しそうな、影の薄い人物に見えた。
「そんな、冗談ではないぞ? 船を持っていくなど……」
ミルが頭目に抗議を始めた。その目が、ちらりと船員たちに紛れて事の次第を眺めていたビャクグンをかすめる。だが、すぐにミルは海賊たちに拘束され、ざわめく船員たちを海賊たちが取り囲んだ。
「船の代わりに金を用意しよう」
拘束されながらも、ミルは何とか交渉の糸口を探ろうとする。だが、頭目はあっさりと首を振った。
「諦めるんだな」
頭目が背を向けたときだった。
「ちょっと待って」
軽やかな声がして、思わず、頭目は声のする方を向いた。
いや、向いたはずだった。
しかし、その姿は頭目の目には映らない。慌てて見回し……かすかにその影を捕らえたような気がした。
黒い髪……だが、そこまでだった。
ある者は息を飲み、また、ある者からはあっと声が上がった。目の前で海賊の頭目の首にナイフが突きつけられたのだ。よりにもよって素晴らしく美しい女によって。
「この船、持って行かれると困るの」
頭目の首にナイフを突きつけながら、ビャクグンが嫣然と微笑む。
皆の視線が頭目とビャクグンに集中している一方で、金色の目で睨む赤い髪の男をシャギルが、もう一人をスオウが押さえた。
「騙したな」
「どうなっているんだ?」
「ナッドが遅れを取るなんて」
思いがけない状況に海賊たちが動揺を見せる。が、ビャクグンは容赦なくたたみかけた。
「そんなこと、どうでもいいわ。さあ、今すぐこの船から手を引くか、この人たちの命を失うか、どちらか選んでもらいましょうか」
「もっとも、俺はここでやり合う方がずっと好みに合うんだが。数の上ではそっちが勝るだろうが、腕の方まではわからないぜ?」
シャギルが笑った。
(こんなに早く俺たちの乗船を許したんだ。おかしいと思った……だが、だから十分警戒はしていたんだが。これはどういうことだ)
海賊の頭目は自分を押さえつけている手がどんなに力を入れてもピクリともしないことに驚いた。
(こいつは余裕の笑みさえ浮かべている)
見れば、押さえられた自分の二人の副官もキツネにつままれたような顔をしている。
その時だった。
「おい、こいつ、離せ」
海賊の一人が思わず声を上げた。
ミルの側にいたハビロが、自分を捕まえようとした男の手にうなり声をあげてかみついたのだ。
ふりほどこうとしても離さないオオカミの子に、近くにいた海賊たちが剣を振り上げる。
「ハビロ」
どこからともなく娘の声がした。
「アイサ、だめだ」
ハビロに向かって走り出そうとしたアイサをシンが慌てて押さえる。
一瞬、二人が被っていたベールが乱れ、銀の髪の娘、そして同じ年くらいの若者の姿が海賊の頭目の目に飛び込み……消えた。
ルリがミルを拘束していた海賊の男を倒し、瞬時にミル船長とハビロを奪い返す。
一瞬現れ、そして消えた二人の姿を見た者は我が目を疑い、仲間と顔を見合わせる。頭目は自分の首にナイフを突きつけるビャクグンを睨み付けた。
「あれはシン様だ。なぜシン様がこの船にいる?」
「ナッド、シン様っていうのは……」
穏やかな副官が頭目を見た。
「お前が探していた、あのクイヴルのか? だが、現れたかと思えば、一瞬にして消えた。いったい、どうなっているんだ?」
赤い髪に金の瞳、獣のような副官も叫ぶ。
「お前たちは何者だ?」
海賊の頭目からは尋常ではない殺気が伝わった。
「私たち、話をする必要がありそうね?」
ビャクグンが静かに言った。
「そのようだな」
頭目は低い声で答え、それから声を上げた。
「皆、引け、船で待て」
頭目の声はよく響いた。
戦いに慣れているだけではない。その声は、どこか人を引きつけるものを持っている。
それでも、海賊たちは頭目を置いて船に戻ることに躊躇しているようだ。
「話がつくまで私が捕虜となりましょう」
船長のミルが進み出た。
「悪いわね、ミル」
「当然のことです」
ビャクグンに頷いたミルが、再び海賊たちに拘束される。
「船に戻ってくれ」
頭目はきっぱりと命じた。
戸惑いはしたものの、頭目に対する信頼は厚いらしい。
海賊たちはミルを連れ、事情がわからないまま船に戻り始めた。
「結構やるじゃない」
ルリが言った。




