6.ティノスの僧院⑭
「アイサ様、どちらへ?」
広間を出るアイサをスウェインが追った。
「ちょっと、ね。スウェイン、一人でいいわ」
アイサはポシェットからベールを取り出した。
瞬く間にアイサの姿が消える。
「ア、アイサ様」
(これがカムシンが言っていたベールなのね)
「不思議な力……」
一人残されたスウェインは目を丸くした。
アイサが向かった先はティノスの僧院だった。
アイサに破壊され、ナハシュに焼かれたとはいえ、さすがにティノスの僧院は頑丈にできていて、タウのいた場所はアイサたちがそこを通り抜けたままになっていた。
タウたちがアイサの気配を察して近づく。
アイサはベールを取った。
『どうやら、島に帰してあげられそうよ』
アイサはタウの前でほっと一息ついた。
『懐かしい島の月を呼んだ子よ。しばしお休み』
タウたちがゆったりと身を横たえる。アイサはその一頭に身を預けた。アイサの周りをもう二頭が囲む。彼らの間でアイサは眠りに落ちた。
イムダルとグードとの会見を済ませたシンもティノスの僧院にいた。頑丈な石造りの僧院は一大きく焼けて破壊されてはいたが、大部分は残っていた。
僧院の後片付けを任されたイムダルの兵が、がれきをどけ、敵味方関係なく遺体を収容し、傷を負った者の手当てに当たっている。大陸でも一、二を争うほどの豪華さを誇る僧院を歩きながら、シンは僧院の奥、ティノスの居室へたどり着いた。
眠り込んでいたアイサは、ふと馴染みのある感じに触れられたような気がして目を覚まし、タウたちから離れ、僧院の奥へ向かった。
アイサが足を止めたのはティノスの居室の前、いつかアイサが忍び込んだ部屋だった。
「お待ちください」
中へ入ろうとするアイサを、その場にいた兵士が止めた。
「今は……しばらくお待ちくださいますよう」
「何故?」
「申し訳ありません。もう少しで片付きますから」
「片付く?」
そこへ部屋の奥から僧侶の遺体がいくつか運び出され、その後からシンが姿を現した。
「シン?」
「ティノスの側近が自殺したんだ」
「ああ、それで」
アイサは黙って遺体が運ばれるのを見送った。
「毒を使ったんだな。この奥はティノスの書斎になっている。ティノスの書斎からは、ずいぶん薬が出てきたよ。ティノスは病んでいたようだね」
「あの火にかかわれば、病を得るわ」
「この奥の、ティノスの書斎は意外と質素だったよ」
アイサはシンに続いて豪華な部屋の奥にあるティノスの書斎に入った。
そこにはパシ教の古い教典の他に、芸術、歴史、文学、医学、各地の紀行文、法律や式典にかかわる本が集められていた。
そのおびただしい本の中から、古の名前はゲヘナ、そしてティノスにパシパの炎とも力の火とも呼ばれた兵器について研究された報告書がいくつも出てきた。
「この世界にどんな夢を思い描いたのかしら?」
アイサは数え切れないほど開かれたと思われる教典に目をやり、それからティノスの机の上にあった報告書を開いた。
『……人々の犠牲によってあの火は生まれ、守られる。これからも多くの命が必要とされるだろう』
報告書はこう結ばれていた。
「ティノスは……何よりもあの火に魅入られてしまったんだね」
アイサの後ろから報告書をのぞき込んだシンが言った。
「もし、僕が巡り会ったのが、君ではなくてあの火だったら……僕があの火に魅入られていたかも知れない」
まんざら冗談でもなさそうに言うシンの瞳を、アイサは覗き込んだ。
「それでは、私はシンを滅ぼしに来ていたかも知れないわね」
「僕はね……あの力に魅入られた自分を止めてもらえたら、きっと君に感謝すると思うよ」
アイサの胸のつかえが溶けた。
(ここにいるのは誰だろう?)
アイサは今まで何度も自分に問うた問いを、また思い出した。
変わらずに吹く優しい風でありながら、時として自分の呼吸を奪う。
「シン、ありがとう。やっぱりシンが好きだわ」
「うん。お帰り、アイサ」
シンはアイサを抱きしめた。
そこへイムダルが顔を出した。
「おお、失礼した。しかし……ここは仰々しくはあるが……たいしたものだな。全て見て回るには時間がかかりそうだ」
イムダルは嬉しそうだ。
「あ、そうだわ」
シンの腕の中でアイサはイムダルに顔を向けた。
「イムダル、頼みがあるの。あの地下にタウがいるんだけど、故郷へ帰してやってくれないかしら?」
「何だと?」
「何だって?」
イムダルとシンが同時に叫んだ。
「地下にタウだと? 私が飼ってはだめか?」
イムダルの懇願に、アイサは断固として首を振った。
「故郷に帰してあげるって約束したから。お願いね」
イムダルは肩を落とした。
「仕方がないな」
残念そうではあるが請け負ってくれたイムダルを見て、アイサの表情が和らいだ。イムダルも微笑んだが、その表情が曇る。
「それにしても……シン殿、リュラが言っていた。早々にここを立つと」
「クイヴルが気がかりですので」
シンは答えた。
「そうだな。オスキュラもまだまだこれからだが、クイヴルのために私にできることがあれば力になりたい」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらのほうだ。アイサ、元気でな。シン殿、アイサをよろしく」
「ありがとう、イムダル」
答えるアイサを、イムダルはじっと見つめた。
これが最後の別れになるかも知れないと感じていたからかも知れない。
翌日、シンとアイサの一行はクイヴルへと旅立った。




