3.合流③
アイサが一行を案内したのは一軒の大きな宿屋の前だった。いわれのありそうな宿屋には客がひっきりなしに出入りしている。
「ここですか?」
もっとひっそりとした場所を想像していたキアラとフリントは顔を見合わせた。
「お客様、馬はこちらに」
勢いよく宿屋から出てきた若い宿の下働きが一行を宿屋の脇の通路の先にある馬小屋へ連れて行く。
「ここから中へ入れる」
アイサは慣れた様子で宿屋の横木戸から彼らを中庭に案内した。
白髪交じりの小柄な男が顔を出す。
「いらっしゃいませ。わたくしがこの『鶯亭』の主でございます。御用は何なりとお申し付けください」
パシパの高僧ニッサから客のことを頼まれていた主は、多くのことを聞かずに一行を離れに案内し、そのまま母屋へ戻っていった。
入れ替わるようにして、ラドゥスが駆けて来た。
「お待ちしておりました、キアラ様、皆様」
「大きくはあるが、全く普通の宿屋ですね。町のほぼ中央にあって、人目も避けられない。客の出入りは多いし、往来も激しい。キアラ様、これでは、よほど気を付けないと、たちまちティノス側に感づかれますな」
素早く建物や庭を見て、フリントが言った。
「ああ、ラドゥス、アイサ様がパシパにいらっしゃることは、誰にも知られていないだろうな?」
「そ、それは……」
ラドゥスは口ごもった。
「パシパのあちこちで悪魔が再びこのパシパに潜んでいるって噂されているわ」
アイサが言うと、キアラはラドゥスに厳しい目を向けた。
「も、申し訳ありません。ですが、この鶯亭にいらっしゃるということは知られておりません。と、とにかく、キアラ様、細かいお話は中でいたしましょう」
ラドゥスは小走りに一行を案内して離れの扉を開いた。
アイサたちが滞在する離れは賓客を泊めるために造られたもので、広い南国風の庭園の中に、風通しの良いテラスを持った白い石造りの建物だった。掃除が行き届き、家具も居心地よくしつらえられている。
そこで一行は旅装を解き、その後、キアラ、フリント、そしてグードはラドゥスに案内されて離れの応接の間に入った。部屋に置かれた家具の細工や絵画、彫刻にはめ込まれた貴金属がパシパの富を物語る。例年ならば、国内外の貴族や裕福な商人が火祭り見物に宿とする離れだったが、今、そこで三人を待っていたのは、バリ、ザイン、ベレロポーン、カムシン、それとロリンだった。
「お前たちがアイサ様をお守りしているのだな?」
キアラがバリ、ザイン、ベレロポーンを見た。
「はい」
年長のベレロポーンが答える。
「シン様がお選びになったのだ。間違いはなかろう。よろしく頼む。そして……」
キアラがロリンに目を向けた。
「ロリン殿とお見受けいたしますが」
「はい。ススルニュアのロリンです。しかし、キアラ様が本当にこちらにいらっしゃるとは」
「それはな……」
キアラが手短にいきさつを話そうと思ったところで、アイサが部屋に入って来た。
アイサはズボンにブラウス、それに上着を着て、使い込んだマントを羽織っている。パシパの町でよく見かける服装で、先ほどよりはだいぶましだ。
「先ほどはわざわざお迎えに来ていただいてありがとうございます」
少しほっとしたキアラに、アイサは言った。
「キアラがこっちに来ると聞いて驚いたわ」
「ツルバミ殿からお聞きでしょう?」
「ええ、でも、あなたがクイヴルを置いてパシパに来るなんて」
「いけませんか? 今思えば、旅の途中で良かった。いいタイミングで間に合いました」
「でも、クイヴルの重鎮がクイヴルをさておいてパシパに来るなんて。何か画策していると思われるわ。イムダルは面白くないでしょう」
「クイヴルでのいっさいの地位をお返しするという趣旨のお手紙をツルバミ殿に託しております。いざというときにはそれをイムダル王子にと」
「おっ?」
カムシンが声を上げる。フリントは静かに見守っていた。
「キアラ、私はパシの信徒やここに住む人たちを守りたいのよ? そんな私に合流するなんて」
「これだけの都、いくらあなたでもおひとりではどうにもできますまい」
「キアラ」
「迎えにいらしていただいたのですから、私のことをお認めになったのだと思いましたが? それとも、迎えは私の気持ちを量るためですか? この通り、本気ですよ?」
「それは、迎えに出てあなたに会った時にわかったわ」
「ならば、話は早い」
「キアラ……正直に言うわ。ありがとう、来てくれて」
「どういたしまして。しかし、何もご自分でお迎えにいらっしゃらなくてもよろしかったでしょうに」
キアラの視線がラドゥスに向く。
「は、はい、そう申し上げたのですが……」
ラドゥスは心底困った顔をしてアイサを見た。
「ここではみんなが忙しいのよ。暇なのは私ぐらいなんだから、そのくらいしなくちゃ」
「お暇なのですか、アイサ様?」
キアラは油断なくアイサを見た。
「ええ、今のところは」
アイサは頷いた。
「しかし、信徒や住民を守るおつもりだと。あなたはここで何をしようというのです?」
「私にいったい何ができるのか……まだ、見えてこない」
「何を暢気なことを。ティノスはいつまでも自分に反対する者たちを野放しにしておきません。それに、イムダル王子は既にルテールに迫っているのですよ?」
キアラの語調が厳しくなる。
「おい、そう矢継ぎ早にがみがみ言うなよ」
様子を見守っていたカムシンが言った。
「ああ、お前がナッドのよこしたススルニュア部隊の隊長だな? お前も暇なのか?」
キアラの厳しい視線が、今度はカムシンに向いた。
「俺には有能な副官がいる」
カムシンはあっさりとしたものだ。
「ほう、結構なご身分だな」
キアラが冷たく微笑む。
「二人ともそんなことは後にして。それより、キアラ、この方がグード殿ね?」
「そうです。ルテールを出て、クイヴルに向かっていたところを助けていただきました」
「ご挨拶が遅れました。アイサと申します。このたびはお世話になりました」
輝く銀の髪とエメラルド色の瞳。
その瞳がまっすぐにグードを見つめる。
「自分の身のためにしたころです。礼を言われるようなことではありません。アイサ殿、私は、オスキュラに従った国の統治者の家族があの火の前で信仰を誓うというあの儀式が苦手だったのでお目にかかるのは初めてですが、あなたが、皆の言っている、あの……」
グードは言葉を濁した。
「悪魔ですか?」
アイサは微笑んだ。
「馬鹿馬鹿しい」
キアラがすかさず言う。
「グード殿、ティノスが憎む悪魔が恐ろしいですか?」
アイサは聞いた。
そこには何の構えもない。
グードは自然に言葉が続いた。
「私たちは、あの火のために急速に力を持ちましたが、もともとあの火はパシ教とは何の関係もないのです。あの火を失って、私たちはやっと本来のパシの教えに帰ることができる。ですから、あなたがパシ教の敵であるはずがない」
「あなたは大主教と考えが違うと?」
「はい」
「でも、パシの信徒は多い。彼らを束ねる者は絶大な力を持つでしょう。大国の政治に関与するほどに」
グードを試すようなアイサに、グードは答えた。
「たとえ、パシ教のためであっても、国主を巻き込めば、国主に巻き込まれることになりましょう。国の命運とは、時に傾くものです。そして、それは往々にして武力という形で吹き出す。そのたびにパシの信徒がかり出されるなら、何のための教えでしょうか? しかし、現実は、パシ教とて多くの人間の集まりです。人が集まれば、力が生まれ、力のあるところには、さらなる力を求めて、陰謀が渦巻きます」
「グード殿はそれを厭われるのですね?」
「はい」
グードが答えたところで、クルドゥリのセキオウが入って来た。




