5.二人の聖者③
霧の谷に迫りつつあった五万のルテール軍を分断し、いったん退却させたシン、スオウ、シャギル、ルリ、そしてモモカが谷の人々の歓声の中、谷に戻った。城に入った彼らがビャクグン、イムダル、ベロカ、リュラ、そしてアイサの前で報告をする。戦いの状況を十分に把握していたビャクグンも改めて頷いた。
「この荒れ地自体がルテール軍にとって一つの障壁となっているということがよくわかりますね。取り立てて大きな街道があるわけでもない。水や食料の補給も困難だ。馬の数が足らないから、敵はその動きも緩慢。それに対してこちらは兵力は少ないものの、この荒れ地をよく知っている。馬も存分に使える。モモカ殿、何か?」
ビャクグンは難しい顔をしてビャクグンを見ていたモモカに気づき、話を止めた。
「ビャクグン殿、今回の戦い、少ない兵力で見事に敵軍を退けた。その戦果だけを見れば十分成功だったと言える。だが、我々ミワとしては……そちらのお荷物になってしまった。勇み足だったと言うしかない。どうやら、あなた方の力を甘く見過ぎていたようだ。今後はそちらの指示を尊重する。次はもっと連携の取れた動きができるだろう」
「最初はこんなものでしょう? それより、信頼してもらえてよかったわ」
ルリが答えた。
「そうだ、気にするな。彼らの動かす兵の数は多い。自ずと戦い方というものがある」
スオウも言った。
「そっちが供給してくれた馬はいいものばかりで助かったよ」
シャギルが笑った。
「失礼します。ビャクグン様」
ビャクグンの部下シオンが姿を現し、ビャクグンに何事か囁いた。
すぐに続いてシンの直属トウリがやって来た。
「同じ情報でしょう。私はアイサに隠し事をしないと約束しました。クイヴル王がどう思おうとアイサに伝えます。アイサ、グレンデル殿が少数の信者とサッハを出たそうです」
ビャクグンが言った。
シンは緊張した面持ちでトウリを見た。
「同じ話か?」
「はい。グレンデル師がサッハをお立ちになりました。行く先はハルだそうです」
「ハルか。かつて神の雷に焼かれた、マツラの都だな?」
イムダルが言った。そのイムダルにアイサは聞いた。
「マツラ?」
「ああ。マツラとは今はオスキュラの支配を受けているが、かつては小さいながらもひとつの国だった。その地はオビ公国の北側に位置し、パシパからもそう遠くはない。かつてティノスと父上はパシ教の都パシパを建設するにあたって、マツラに目を付けた。マツラを脅し、マツラにパシパ建設のための資金と労働力を提供するよう求めたのだ。相手がオスキュラでは仕方がない。初めは理不尽極まりない要求に従っていたマツラは、しかし、ついに耐え切れなくなった。マツラの人々は抵抗し、パシパの建設は滞る。すると父上は武力をもってマツラに迫った。マツラの民はそれによく抵抗していたが、ついに神の雷をふるうティノスと父上によって屈服させられたのだ」
「そうだったの」
アイサは小さくため息をついた。
「パシパはその建設が終わると各地から富や人を集め繁栄したが、マツラの人々は依然としてオスキュラの支配下で苦しい生活を強いられた。マツラの人々の間には、オスキュラやパシパに対する恨みが燻っている。今、彼らはティノスが神の雷を失ったことに希望を見出し、それを奪ったアイサを宝と公言するグレンデル殿を支持している」
シンが言った。
「ハルにはオスキュラの命によって多くのパシの寺院が造られてきました。新しい寺院ができると、今まではパシパから名だたる僧が招かれるのが常でしたが、今回、新たに造られた寺院の落成のためにハルの指導者たちが招いたのはティノスの息がかかったパシパの僧侶ではなく、ティノスに破門されたグレンデル師でした」
トウリが続けた。
一同が押し黙る中、ベロカが口を開いた。
「マツラは何ということをしたんだ。ティノスはグレンデルを破門したばかりか、その命まで狙っているというのに。グレンデルを招くなど……神の雷は失われたとはいえ、都のハルだけでなく、下手をするとマツラ全体が再び争いの地となってしまうぞ?」
「そのティノスですが、マツラへ向かったと知らせが入っています」
シオンがビャクグンを見た。
「何だって?」
シャギルが声を上げた。
「何故グレンデルという男はそんな招きに応じたのだ?」
モモカが言った。
「グレンデルはいよいよ正面からティノスに立ち向かう気なのだろう。だが、理想を振り回すだけではあのティノスの前ではひとたまりもない。いくらマツラの指導者たちがグレンデルを守ろうとしても、守りきれるものでもない。それどころか、そもそもマツラに着く前にグレンデルは襲われるかもしれんな」
イムダルが顔を顰めた。
「ティノスに見つかる前に何とかしなくては」
アイサが立ち上がった。
「ですが、グレンデル師の取っている正確な道筋がわかりません」
慌ててトウリが言うと、ビャクグンがシオンを見た。
シオンが頷く。
「グレンデル師の一行は収穫物を売りに行く農夫を装ってサッハを出ました。そのまま街道を行くでしょう」
「わかった。ハルとサッハの間の街道ね?」
「アイサ、もしパシパの炎を封じたお前がグレンデルと一緒にいるところを見つかれば、ティノスにとっては願ってもないことだ。勢いづいたティノスを相手に、お前だけでグレンデルを守るのは難しいぞ?」
スオウが言った。
「マツラまで急げば数日で着く。リュト王子の軍が谷に押し寄せるまでには、まだ時間がある。僕も行こう」
「シン、あなたはクイヴル王として、今、リュトとの戦いに加わっているのよ?」
「アイサ、言ったはずだ。次の戦いまでにはまだ時間がある。それに、僕はクイヴルの象徴としてこの戦いに加わっているが、イムダル殿の将になったわけではないから」
その場がしんとした。
皆の視線が一斉に見つめ合うシンとイムダルに集まる。
イムダルが頷き、答えた。
「その通りだ、シン殿。私があなたに力を貸して欲しいと願い、あなたがそれに応じたのは、これはお互いの利害の問題だ。それ以上でも、それ以下でもない。あなたにはあなたの考えがあるのは当然だ」
「シン、お前、いざとなるとわがままだな」
全員の緊張を破って、シャギルが言った。
「グレンデルの存在は今まで以上に重要になっています。シンに行ってもらった方がいいでしょう」
思案していたビャクグンが同意した。
「安心して行っていらっしゃいよ、こっちにはクイヴルの将でもある私たちがいるわ。イムダル殿には不義理にはならないでしょうよ」
「そういうことだな、ルリ」
スオウは頷いた。
「ありがとう、ルリ、スオウ」
「シン、ティノスがいるとなると、厄介だぞ? 油断はするな」
ほっとした様子を見せるシンにスオウは念を押した。




