5.二人の聖者②
サッハから駆けつけた自分の部隊とミワ族、ヤチ族から集められた兵でそれぞれ混成部隊を編成してスオウ、シャギル、ルリが霧の谷を出た。五千の軍を率いたシンも一緒だ。
さらにモモカもミワ族の長として直属の部隊を率いて加わっている。
アイサも当然シンと共に戦うつもりだった。だが、ビャクグンもイムダルも、そして当のシンもこれには同意しなかった。
「どうして? 足手まといにはならない自信はあるわ」
アイサは手持ちの薬品や武器の最終点検をしていたルリに訴えた。
「これはあなた向きじゃないわ。まあ、見てらっしゃい。じきにイムダル殿を楽にしてあげるから」
そう言うと、ルリまでさっさと谷を出た。
スオウ、ルリ、シャギル、シン、そしてモモカがそれぞれ霧の谷を出ると、谷の緊張が一挙に高まった。
谷に残ったビャクグンも城を出ることが多い。
バラホアの人たちはこれから出るであろう負傷者のために、必要な薬づくりに専念している。
それを手伝おうとユタやユタの部下たちが行き来していた。
(戦いが始まることに一番覚悟ができていないのは私かもしれない。今でも何とかこの戦いを避けられないものかと、そればかり考えてしまう。戦いが始まることを恐れている。それを皆に見透かされている。こんなことでは当てにもされまい)
アイサは忙しく働く人々を所在なく眺め、やがて息苦しいような思いで霧の谷を出て、しばらく荒れ地を馬で駆け回った。
「アイサ」
谷に戻ったアイサに声がをかける者がいた。
ナツメだ。
ナツメは仲間たちと谷から出て行くところだった。
「アイサ、カゲート様がお探しだよ。いったい、どこへ行っていたんだ?」
「南の岩山を巡っていたんだけど……叔父上は何か緊急な用でもあるのかしら?」
アイサはバラホアの白い服を着たナツメを見た。
「そんな様子でもなかったが」
ナツメは首をひねった。
「ナツメも忙しそうね」
アイサは小さくため息をついた。
ナツメは静かな決意を秘めた目をアイサに向けた。
「いいや、俺はいつもと同じだよ。これから忙しくなるかもしれないが、俺たちのすることは決まっている。薬の材料を調達しながら、村の人の治療に当たる」
アイサはいつもと変わらないナツメが羨ましかった。
「アイサ、どうかしたのか?」
「別に」
「そうか。ああ、カゲート様は谷の館だよ」
「ありがとう」
アイサはナツメに頷くと、バラホアの民が仮住まいをしている霧の谷の館に向かった。
アルゴスが捕らえられた後も、バラホアの人たちの多くが霧の谷に残った。これからの戦いで自分たちがここで必要になることは明らかだったからだ。
バラホアの人たちが暮らす館とその一角は、もう一つの小さなバラホアの村のようだった。
近づけば薬草の香りが、そこここから香る。
人々は一心に働いていた。
アイサに気づいた人がそっと顔を上げて微笑み、それからまた仕事を続ける。
人々の仕事を覗き込んでいたカゲートが馬を引いてやって来るアイサに気づいた。
「アイサ」
「ナツメに聞きました。私に何か御用ですか?」
アイサは生真面目に叔父のカゲートを見上げた。
「アイサ、私たちがこの世にいる時間は短く、ままならないことが多い。自分の興味のままに生きてきた私のような者でも失ったものの大きさに後で気づき、呆然とします。アエルを失って、そのことを知りました。だから、可能な時に大切な人とささやかな時を過ごしたいのですよ」
カゲートはそっとアイサを見返した。
「あなたは今、心許なそうに見える」
「みんなが戦いのために一生懸命になればなるほど、私は自分が何をしたらいいのかわからなくなります。この戦いはもう避けられないのだと思いながらも、どこかで戦うことを躊躇ってしまう……相手も同じ人間だと思うからです。それでも一方では、戦いに出ている仲間の無事を祈らずにはいられない。戦う相手が傷つき、死に至ることになっても、大切な人には無事に帰ってきて欲しい」
頼りない表情を浮かべるアイサにカゲートは手をさしのべた。
「戦い一色になった人々の空気はあなたには毒です。しばらくここで過ごしたらどうですか?」
「いいの? みんなが命を賭けて戦っているというのに?」
「アイサ、命を賭ける時はそれぞれが違います。あなたが躊躇うのであれば、今はあなたにとってその時ではないのでしょう」
「シンの側にいて戦いたいと思う気持ちに偽りはないはずなのに」
「あちらでお茶でも飲みましょうか? アイサには聞きたいことがたくさんあります」
カゲートは優しく言った。




