7.北の港フィメル①
一行が向かっているフィメル港は、南のルシィラ港に次ぐファニ第二の港だ。
フィメルは豊かな海産物が水揚げされる漁港として有名だが、ファニ領で加工された刀剣類も各地へ運んでいる。ファニ領には腕の良い鍛冶職人がいて、その品物はどこでも人気が高かったし、北部で織られる毛織物も評判が良かった。
「シンが思うほど、ファニは辺境でもないのさ。これから発展するところだよ」
シャギルは言った。
「量は少ないながら、この港には宝石も入るのよ。もともと刀剣造りが盛んなんだから、宝石の加工の技術が定着すれば、いい商品になるわ」
ルリが頷く。
「毛織物にもう少し工夫を凝らすのと同時に、絹や香料に目を向けてもいい」
シャギルが続けた。
「それにグランとの国交が樹立されて海路がもっと使われるようになれば、フィメル港は賑わうわ。ファニにも多くの富が転がり込むのにね。ラダティス公は興味がなかったようだけど」
ルリの言葉にシンが驚きの表情を浮かべる。それを面白そうに見ながら、シャギルは声を落とした。
「フィメル港に荷揚げされる品物はほとんどが南のススルニュアやロラン公国あたりから来るんだが、海路の多くを押さえて商売しているのが、実は俺たち、クルドゥリなのさ」
「これから乗るのも船籍はクイヴルだけど、実際はクルドゥリの船よ」
ルリが微笑む。
「船ってあの海に浮かんで風で進む乗り物よね?」
アイサは疑わしげにルリを見た。
「心配いらないわ、アイサ。私達の船は良くできているのよ」
ルリは保証した。
「だけど、どうしてそんな豊かなクルドゥリ国が、今までずっと誰にも気づかれずにこれたんだ?」
「俺たちクルドゥリの民はどこにでもいるが、いろいろな陰に隠れている」
戸惑うシンにシャギルは片目をつぶって見せた。
港が近づくにつれて、街道には人が増えてきた。
「わかっていると思うが、顔を出すなよ? 外を覗くのも無しだ」
シャギルはシンとアイサに念を押した。
二人が頷く。
「ほら、姿を消して。兵隊が来たわ」
近づいて来た兵が馬車の中を覗き、それから中にいるルリとシャギルを見ると、御者台にいるスオウに聞いた。
「フィメル港からどこに行くんだ?」
「はい、この港で仲間と落ち合って、ススルニュアにでも行こうと思っています。そいつがススルニュアの出なもので」
スオウはシャギルに目を向け、丁寧に答えた。
シャギルが頷く。
「旅芸人か」
四人乗りの馬車の中には異国風の若い男女とその傍らに置かれたバイオリンが見える。兵たちは興味なさそうに頷き合って去って行った。
ベールで姿を消していた二人はほっと息を吐いた。
「安心できないわ。まだ、あちこちに監視の目がある。姿は消しておくのよ」
馬車の窓から外を見ながらルリが言った。
「それにしても、そのベールは便利だな。海の国セジュか……」
シャギルは港から海の方向を見やった。
潮の香りがしている。
まだ風は冷たい。
彼らは港の繁華街に入っていった。
賑やかだ。
荷を運ぶ者、客を呼ぶ商人、品物を覗き込む客……ひっきりなしにいろいろな声や物音が聞こえてくる。
あちこちに目立つ兵以外にも、目立たぬようにシンとアイサを探す者たちがいるはずだ。
「ちょっと一回りしてくるか」
シャギルは馬車から飛び出した。
「シャギルったら……あいつが戻るのを待っていたらいつになるか……こっちもどこか店に入って暖まりましょうよ」
港町に姿を消すその背に向かってルリが言った。
「そうだな。バクの店にでも行くか」
御者台からスオウが答える。
「バクの店って?」
アイサが聞いた。
「すぐ近くにあるの。他に客がいなければ、店の奥の部屋が借りられるはずよ。そうすれば、あなたたちも安心して何か食べられるわ」
ルリは自信ありげに答えた。
「シャギルは?」
シンが聞くと、スオウが笑った。
「ああ、あいつなら大丈夫だ。すぐにこっちの居場所を見つけるさ」
バクの店は昼を過ぎて忙しさが一段落していた。
希望通り、奥の部屋を使わせてもらえることになり、彼らはシャギルのバイオリンを持って店に入った。
シャギルはバイオリンだけは置き去りにさせないのだ。
「おや、バイオリンを弾く人がいるのかい? 後で一曲お願いできるかね?」
シャギルのバイオリンに目を止めた店の女将に、スオウは愛想良く答えた。
「いいとも。仲間の一人が弾くんだが、今ちょっと用事をすませに行っている。でも、もうそろそろ戻って来るだろう」
「ああ、そう……」
女将の目はスオウに吸い寄せられていた。
「それで、その人は一人で行ったのかい? どこまで行ったんです?」
奥の部屋に案内しながら、女将は少女のように目を輝かせてスオウに聞いた。
「知り合いに挨拶しに繁華街へ行ったのだが」
スオウは答えた。
「それは……変な奴らに引っかからなければいいけどねえ」
女将はここで心配そうな顔をした。
「前に来たときは、そんな物騒な港には思えなかったけど?」
ルリが小首を傾げ、不思議そうに聞く。
「それがね、クイヴルの各地で起こる暴動を抑えるとかで、ファニから多くの人たちが集められてこの港から出て行くんだが……それをまとめている奴らが……たちが悪くてね」
女将は声を潜めた。
「ファニの人が連れて行かれてるだって?」
「シン、静かに」
アイサはシンの腕を引っ張った。
女将は怪訝な顔をしてその辺を見回したが、ルリが素知らぬふりで聞いた。
「まとめている奴らって王都サッハから来た兵でしょ? たちが悪いんですか?」
「おや、知らないのかい? ファニ領の男たちを送り出しているのはサッハの兵だけじゃない。オスキュラの兵もいるのさ。サッハの兵には亡くなったラダティス様の次男シン様を探すって仕事もあるし……」
「こんなところまで探しているの?」
ルリは驚いた顔をした。
「そうさ。今の領主エモン様のお言いつけだそうだよ。なんでもシン様はエモン様に逆らってファニを奪おうとしたっていうじゃないか。オスキュラの方でも早く捕らえるようにとエモン様をせっついているそうだ」
女将は顔をしかめた。
「シン様はまだ逃げていらっしゃるのか……だが、何故すぐに捕まらなかったんだろうな? お一人ではそんなに遠くに行けるはずがないだろうに」
スオウがのんびりと言う。
女将は頷きながら、港を見回る兵からさんざん聞かされていることを繰り返した。
「シン様はまだ十九歳になられたばかり。黒髪で、瞳の色は灰色だか黒だかで……同じような年の娘と一緒だそうだよ。その娘は銀色の髪に緑色の目をしているらしい」
「あら、そんな子は珍しいから、目につくと思うけど?」
ルリが言った。
「ああ、それにシン様だが、兵も何も持っていないのに、どうやったら都でも評判のエモン様からファニを奪えるんだろうな?」
スオウも相槌を打つ。
「それは、私らにはわからないことなんだろうさ」
女将は災難よけのまじないを口の中で唱えた。
ハビロがルリの抱えていた荷物の中から顔を出し、しきりに姿を消した二人の方に来ようとしている。
「おや、子犬かい? かわいいねえ。いいよ、何か食べ物をみつけてやろう」
女将は丸々としたハビロに気が付くと、明るい声で言った。
「そりゃあ、ありがたい。俺たちにも適当に見繕ってもらえるかな? 連れも来るし、みんな腹ぺこなんだ」
スオウもそれ以上逃亡中のラダティスの次男については興味がない様子で笑った。
「いい魚が入ってるよ。あぶってやろうか? 蜂蜜の入ったパイもある」
女将が上機嫌で答える。
「わあ」
ルリが嬉しそうな顔をした。
「よろしく頼むよ。みんな多めにな」
スオウは言った。
「はいよ」
女将はスオウに答えると、いそいそと台所に消えた。
「エモンもつらいところだわね。非力なシンがファニを奪うですって」
「何とでも言えるさ。辻褄なんて、力の前ではどうでもいいんだろう」
皮肉な調子のルリに、スオウは淡々と答えた。
「さあ、お待たせしました。たっぷり食べておくれ」
間もなく女将が美味しそうな料理を奥の間に運んできた。
「これはうまそうだ」
「シャギルも早く来ればいいのにね」
スオウとルリが目を輝かせる。
「新鮮な魚もいいが、こうやって軽く塩と旨味につけておいてから焼いた魚も人気があるよ。これは……」
「おーい、いるかい?」
表の方からは店に寄った馴染みらしい客の大きな声が聞こえてきた。それから、港を巡回している兵たちも寄ったらしく、とたんに店内は騒々しくなった。
「おやおや。ちょっと、すみませんね」
女将は慌ててそちらに向かい、スオウ、ルリ、ハビロ、そしてベールを取ったシンとアイサは安心して出された料理に取りかかった。
見回りの兵ががやがやと店を出たと思ったら、また店が賑やかになった。
「ああ、その通り、バイオリンの名手っていうのは俺のことだよ」
どっと明るい笑い声が湧く。
「どうやら戻ってきたようだな」
スオウが言ったところで、勢いよくシャギルが料理の並ぶ奥の間に入って来た。
「こっちが忙しく寒い街を走り回っていたっていうのに、ぬくぬくとうまいものを食べているなんてなあ。冷たい奴らだ」
文句もそこそこにシャギルはテーブルの上の料理に手をつけ始めた。
「それで町の様子はどうだった?」
スオウが器用に魚の身をはがしながら聞いた。
「港にはファニだけじゃない。サッハやオスキュラの兵までうようよしている。当然と言えば当然だが、オスキュラの兵はどこでも威張っていて感じが悪いな。それでシンはここでもすっかり有名人だ。早くここを去るに限るけど、これじゃあ、どこに行っても気が抜けないだろう。船に乗りさえすれば安心かと思ったが、甘かったようだ。この先の港にもお尋ね者を探す兵がいる、とさ。だが、とにかくミルには急いでここを出航してもらいたいな」
「ビャクは?」
スオウは手を止めた。
「ミルのところだ。夜には会えるだろう」
シャギルは忙しく手と口を動かしながら答えた。
「場所は?」
ルリが聞いた。
「こっちに顔を出すってさ」
「こっちも宿を取らないとな」
スオウが言った。
「この様子じゃ、どこも一杯ね。仲間の世話になる?」
ルリが言うと、すでに幾皿か、からにしたシャギルが立ち上がった。
「いいや。ルリ、これから俺のバイオリンがものをいうのさ。ま、ちょっと待ってな」
シャギルは奥の間を出ると、女将のところへ行った。
シャギルの様子を見に、スオウとルリもテーブルを離れて奥の間の前に立つ。きれいな金髪に人なつこい青い瞳、すんなりとした姿のシャギルはどこにいても見栄えがした。
女将から水をもらい、客たちと世間話をしていたシャギルがバイオリンを構えた。
ここは港だ。
様々な国のメロディーが雑じり合うところだ。ここには海と向かい合っている場所の持つ潔さと悲しみ、そしてそれを越える高揚感がある。
客と交わした軽い言葉とは裏腹に、シャギルはその土地に染みついた思いを丁寧に拾い、曲にのせる。
明るい異国の舟歌から、祭りで踊られる舞曲、そして帰らぬ恋人を待ちながら歌われる子守唄……手拍子、笑い、涙……店はシャギルの舞台となった。
何事かと覗く客も含めて、いつの間にか店は人でごった返している。
客や女将と言葉を交わして、意気揚々と戻ってきたシャギルにスオウはひとこと言った。
「芸達者だな」
「それで戦果は?」
ルリが容赦なく聞く。
「これだからなあ。女将が知り合いの宿を紹介してくれるそうだ。ハビロも歓迎だってさ」
シャギルは胸を張った。




