6.ウィウィップの里⑧(挿絵あり)
出発の朝が来た。
アイサは広場に集まった里の人たちの中にユイの姿を見つけた。ユイはクルドゥリの人たちの荷を積んだ馬のそばで出発の準備を手伝っているようだ。ユイが近づくアイサに気が付いた。
「ユイ、今までありがとう。短い間だったけど楽しかったわ。元気でいてね」
「アイサ様」
ユイは思いつめた顔でアイサを見つめた。
「昨夜長老からうかがいました。アイサ様は海の国からいらしたのだと。不思議な縁で海の国の人と結ばれたアエル様の娘なのだと……でも……だからといって、どうしてアイサ様がゲヘナのところへ行かなくてはならないんですか? あの炎も、あの炎に群がる人たちも危険です。私、アイサ様にもしものことがあったらと思うと……ゲヘナなんてどうでもいいくらいです。どうして……」
早口に囁くユイの声が、小さくなって消えた。
「ユイ……」
「わかっているんです……誰かが何とかしなくてはならない……でも……」
ユイが俯く。
(私は母のために、そして自分の心を救うためにここに来た。私の夢の中でゲヘナの炎に苦しむ人たちは、私の知らない人たちだった……でも、今は違う。私はユイや、この里の人たち、クロシュで会った人たちがあの炎のせいで苦しむことは耐えられない)
「ユイ、任せておいて。私はどうしてもゲヘナのところへ行く。そのために来たのだから」
ユイはそっと顔を上げ、微笑むアイサの瞳を覗き込んだ。
「アイサ様……やはり、アイサ様はアエル様の娘なのですね……ああ、でも、どうか、どうか御無事で」
「ユイ」
「アイサ、もう出発するって。スダルたちが送ってくれるそうだよ」
シンの声が届いた。
「今行く。さよなら、優しいユイ。ありがとう、ここでのこと忘れないわ」
アイサは心を込めて言った。
シン、アイサ、ビャクグン、シャギル、ルリは、里の人たちに見送られ、ウィウィップの里を出た。スオウはフィメル港まで行く馬車を調達するため、一足先に里を出ている。荷を付けた二頭の馬を引いて一行について行くのは、シンとアイサをウィウィップの里に案内した三人だ。
ウィウィップの道は馬一頭がやっと通れるほどの幅しかない。森の中を自由に動き回る彼らにとってはそれで十分だったし、迷わないよう彼ら独特の目印があるので、慣れれば以前森に棲んでいた人々が使っていた古い道よりもよほど快適だ。
一行が森の出口までやって来ると、スオウが目立たない馬車を用意して待っていた。
馬から降ろされた荷物が馬車に積み込まれ、シンとアイサが乗り込む。スオウが馬車の御者台に納まると、スダルが言った。
「どうかお気をつけて。すべてうまくいきますように」
「ああ」
スオウが短く答える。
「助けてくれて本当にありがとう」
アイサが馬車の窓から身を乗り出して言った。
「スダル、里での暮らしは楽しかったよ」
シンも顔を出す。
「クルドゥリの皆さん、どうか御無事で。シン、アイサ、また会いたいなあ。それに、これ、これ。これを連れて行って」
こう言ってウィウィップの若い男が袋から取り出して差し出したのは、あの小さなオオカミの子だった。
「なかなか辛抱強い。いいオオカミになりますよ」
スダルが請け合った。
「また定員が増えるのかい?」
ルリに続いて馬車に乗ろうとしたシャギルが口を挟む。
「危険な目に遭わせてしまうわ」
アイサは思案顔だ。
「だからこそです」
白髪の男がシンとアイサを見つめた。
「ウィウィップの人たちの気持ちだ。有り難くもらっていこう」
御者台からスオウが言った。
くりっとした目がアイサを見つめる。
シンが頭をなでた。
「仲間が増えるのね。嬉しいわ」
ルリが笑った。
「あれ? ビャクグン殿は一緒じゃないのか?」
シンはあたりを見回した。
「ついさっき別の道へ行ったわよ」
アイサが言い、スオウが答えた。
「いつものことだ。気にするな」
「ビャクはいちいちどこへ行くってことを言わないのさ。大方、港に先回りして仕事の二つ、三つ片付ける気だろう」
シャギルが肩をすくめる。
「仕事って?」
シンは疑わしそうにシャギルを見た。
「俺に聞くなよ」
「そんなことで上手くやっていけるのか?」
「心配無用よ、シン。ことビャクに限っては、ね」
ルリが笑うと、すかさずシャギルが言った。
「俺も心配無用のクチだけどな」
「あの人が油断ならないのはよくわかっているよ」
シンはそう言うと黙り込んだ。
馬車に乗ったオオカミの子はアイサの膝の上で気持ちよさそうに目をつぶった。
「この子の名前を考えなくちゃね」
黙り込むシンの横でアイサがオオカミの子を撫でた。
「そうだった。森でもらったんだ。ハビロなんてどう?」
シンがオオカミの子を覗き込む。
「どこの言葉だ?」
シャギルがルリを見た。
「古代アヌ語……?」
ルリは驚いた様子で聞いた。
シンが頷く。
「ハビロって立派な大きな木を意味するの。いいわ。お前の名はハビロよ」
アイサはオオカミの子に言った。
「この坊主が古代アヌ語とはね……驚いたな。だが、こっちだって負けちゃいないぞ?」
シャギルが笑って馬車の中では賑やかなおしゃべりが始まった。シャギルも、ルリも、いろいろな国を回っているらしく物知りだった。彼らの言葉の端々から、シンは自分の知識など何ほどでもないのだと思い知った。
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