5.サッハを預かる者⑤
王の留守を預かることになったナイアスのご機嫌伺いにと、館には以前にも増して貴族たちが訪れている。
だが、ナイアスは城から戻るとすぐに自室に籠ってしまった。
(誰も私にどうしろとは言わない。それでも……言外に言っている。私に選べと)
「ナイアス様」
思い悩むナイアスに執事役のグラディウスが近づいた。さすがにクイヴル国第二の実力者ナイアスの傍で万事を取り計らっているだけあって、その物腰は折り目正しい。
「何だ?」
ナイアスは物憂げにグラディウスを見上げた。グラディウスはそんなナイアスを見て、困ったように言った。
「リオン様が見えました。しばらくサッハにご滞在なさるご予定で、ナイアス様にご挨拶したいそうですが……」
「具合が悪いと言ってくれ」
ナイアスの忠実な側近であるグラディウスは、公私にわたるナイアスのサポート役である。ガドとともに長くナイアスを支えてきた、世情をよく知る温厚な人物だ。
そのグラディウスは気遣う視線をナイアスに向けながらも言った。
「しかし、リオン様はナイアス様の亡きお父上とはご懇意の方でした。ご家族の方々もご一緒で……このままお帰りいただくのは、お気の毒なのでは? お体の具合のことはお伝えいたしますから、少しだけでもお会いになったらいかがですか?」
「お前がそこまで言うのなら」
ナイアスは重い体をようやくソファーから起こした。
気の向かぬまま客室に入ったナイアスに、リオンとその妻、そして美しく着飾ったリオンの娘が恭しく頭を垂れる。
ナイアスはリオンとその奥方に親しく挨拶をし、娘には型通り高位の婦人に対する優雅な礼をして席を勧めた。
亡き父の友人であったというリオンは、エモンとの戦いで表立ってナイアスに協力できなかったことを長々とわびた。
「あの状況にもかかわらず、中立でいて下さったこと、それだけでもありがたいことでした。エモンからも、リオン殿には相当な圧力がかかっていたでしょうから」
ナイアスは答えた。
「そのお言葉、感謝いたします。だが、失礼ながら、王からはそのようなお気持ちのかけらさえ、うかがうことができません。一体、王は我々貴族をどうお考えなのか……いや、これは我一人の考えではありません。多くの貴族がそう考えております」
(こういうことだ。貴族たちは自分たちの利権を守るため王を押し、王を守る。自分たちに利益のない王だと思えば、結託して王を陥れようとする。シン様はそんな貴族を頼ろうとしない。シン様は戦いの決着がつき、それぞれの領主を決めると、間髪を入れずに行動に出た。自分の領の領主代理には、自分の息のかかった有能な者を家柄に関係なく送り込んだ。自分に反対した貴族の領地も没収して、領のものへと組み込んでいる。その貴族の反発を抑えるため、領主代理には、それを確実に支えられる者たちもつけた。そして、有能で人望があれば、もちろん貴族も使った。これにも他の貴族から足をすくわれないよう実力のある者を補佐としてつけている。各領に合った人物と、それを支える人材を、あれほど短い時間の中で選んで送り込み、機能させるとは……いったい、どれほどの人材と情報を握っているのだろう……初めてお会いしたときもそうだった。我々が知り得ないことをご存じだった。それは、クルドゥリの力であったかも知れない。が、決してそれだけではないだろう。クルドゥリの他にも、ジェリノのようにシン様を支える者たちがいる。自分などより若く、中央での経験も、頼るべき家も無い。身一つでこの国を追われたというのに、だ。その当時のシン様には、ファニのクロシュにいたほんの数人の友人と、そして出会ったばかりのアイサ様しかいなかった。シン様は取り立てて人目を引くこともない、寡黙な少年だったと聞く……)
「ナイアス様、しばらくサッハを、いえ、クイヴルをお預かりになるとは、我々も誠に心強い限りです。御用とあらば、何なりとお申し付け下さい。及ばずながら、お力添えさせていただきますぞ?」
(シン様が王では都合が悪いか)
リオンの心の内が手に取るようにわかる。
王が不在の間にナイアスに取り入ること、それが権威を回復するための千載一遇のチャンスだと思っている。
(しかし、彼らの力は侮れない。いくらエモンについた貴族たちが潰されたといっても、この国には既得の権利を振りかざす者が、まだ多く残っている。シン様はご自分の預かる領では、貴族たちに芸術や福祉を担当させてその誇りを保てるよう計らってはいるが、それにも外れた者は新たな道を探すしかない。今までのような暮らしができないことに不安や憤りを感じる貴族は多い。貴族以外の生き方が考えられない者もいるのだ。例えば、この者のように)
ナイアスは目の前の、着飾り、よそ行きの笑みを浮かべる三人に言った。
「ありがとうございます。是非、この国のためにお力を注いで下さいますよう」
「もちろんでございます」
リオンは答え、リオンの妻と娘は再び丁寧な礼をし、三人が出て行く。ナイアスはほっと息を吐いた。




