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Bright Swords ブライトソード  作者: 榎戸曜子
Ⅰ.闇の炎
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6.ウィウィップの里②

 花畑から隠れ家に戻った二人は早速食事にすることにした。

 幸い食べ物はたくさんある。

 一通りお腹が一杯になった後に、ゆっくりとお茶を飲みながらシンは言った。

「君の指輪は……君の思念に応じてシールドを張ることができるんだったね? 君はそのシールドを使って海の国からやって来たんだろう?」

 シンは今ではアイサが海の国の住人だということを微塵(みじん)も疑っていなかった。

「そうよ」

 アイサははっきりと答えた。

「だったら、アイサ、シールドを使ってラル川を下って海に出て、そのまま南の国ススルニュアに行くことができるかい?」

 この世界では魔法のように思われる力を、当然のように飲み込んで確認してくるシンの柔軟性にアイサは内心、舌を巻いた。

「できないわ。この指輪には制限があるの。水中を移動するのに使えるのは、ここに来るためと、セジュに帰るための二回限りよ」

「制限?」

「セジュは地上に介入しない。私はその例外だけど、やはりその例外にも制限が設けられているの」

「そうか……じゃ、改めてルートを考えなくちゃ。ゲヘナのあるパシパに行くためには……普通ならクイヴルの街道を西に向かい、船を使って大河ポン川を下るんだろうけど、四六時中ベールを被っているという訳にはいかないな。かといって、勝手のわからない街道をふらふらしていたら兄上に見つけてくださいと言わんばかりだ」

 肩をすくめたシンにアイサは聞いた。

「ポン川を使わないなら?」

大雑把(おおざっぱ)に言うと、三つのルートがある」

 シンは隠れ家で見つけた地図を広げた。

「三つ?」

「うん。まず、一つ目は、ここから南に下ってルシィラ港へ行く。そこでなんとか船に潜り込んでススルニュアのベル港まで行き、そこから陸路でオスキュラの宗教都市パシパに向かう」

 シンは指で地図の道や海路をなぞり、続けた。

「もう一つは、ここから北に向かい、グランとの国境に近いフィメル港に行く。そして、そこから改めて船で南のススルニュアを目指し、後は陸路でパシパへ。三つ目は、フィメル港に着いたら、船で更に北に行き、北の国グランに入る。そこからはずっと陸路でオスキュラのパシパを目指すんだけど……」

「シンは、どれがいいと思うの?」

 アイサは地図とシンを交互に見ながら聞いた。

「まず、南はやめた方がいい。ルシィラ港に続くラル川の下流一帯では、多くの者が目を光らせているだろうから。それに、たとえ首尾良くルシィラ港へ着いても、ルシィラ港はファニで一番の港だ。既に兄上の手が回っているだろう。グランから陸路でオスキュラに向かうのは……正直、何とも言えない。ファニの人間がグランへ行くというのは、滅多にないことだからね」

「じゃあ、北に行って、フィメル港から船で南に向かう?」

「それが一番いいと思うんだけど……」

 シンはしばらく考え込んだ。

「何?」

「うん……北の方が手薄(てうす)だということは確かだけど、フィメル港に向かう道が問題だ。やはり道という道はどこも見張られているだろうな」

「それで?」

 アイサは考え込むシンを見つめていると、シンは顔を上げ、広い森を指さした。

「この北の森に入ろう。パセ山地の(ふもと)に広がるブルールの森に入って、そこをさらに北に進むと、その先が北の森だ。北の森を通れば、一週間かそこらでフィメル港の裏手にある村に出るはずだ。そこから港までは大した距離じゃないと思うけど」

「森か……身を隠しながら行くにはちょうどいいわ。じゃ、決まりね、そうしましょう」

 あっさり同意するアイサに、シンは口ごもった。

「アイサ、ただね、これにもちょっと問題があるんだよ。北の森は誰も通ろうとしないんだ。入れば土地の者でも迷うような深い森で、その上、オオカミのすみかだって恐れられているからね」

「オオカミって?」

「犬みたいなものかな? でも、群れで暮らしていて、集団で狩りをする」

「人を襲うの?」

「そういうこともあるんじゃないかな。だから、北の森の道は荒れ放題になっているし、この辺の人は絶対に近づこうとしない」

「ふうん、でもオオカミが人間以上にたちが悪いとは思えないわ」

 アイサは明るく言った。

「まあ、ね」

 シンは肩をすくめて答えた。

 

 その晩二人は早く休んだ。そして翌朝、まだ暗いうちに隠れ家で見つけた食料品や小さな鍋、マントとカップ、そして薬を持ってストーの隠れ家を後にした。

 北の森の手前にあるブルールの森はエモンがラダティスの城を襲った時、兵を潜ませていた場所だ。

 しかし、今では大方の兵は既に移動しており、後に残されたごく少数の者がこの周辺でシンとアイサの行方を捜しているだけだった。

 そして、それもそう熱心とは言えず、二人はやすやすと彼らの目を盗んでブルールの森を抜け、北の森までやってきた。

 北の森を目の前にしたところで日が傾く。

 北の森は明るいブルールの森とは様子が違った。目の前に現れた森は深く、入ろうとする者を固く拒んでいるように見える。その、人を寄せ付けない不気味さとオオカミのせいで、都からやって来た兵も北の森には近づこうとしなかった。

 日が完全に落ちる前に木の枝を集めた二人は、周りに人気がないのを確認すると、用心しながら火をおこした。

「やはり冷えるわね」

 アイサは目の前に広がる黒々とした塊のような森を見ながら言った。

「お茶ぐらい飲みたいよね」

 シンはたき火に鍋をかけ、湯を沸かし始めた。

 アイサはそんなシンを面白そうに眺めた。

「あなたはお城で暮らしていたのに、それにしては、いろいろなことができるのね? 驚いたわ」

「よく先生から旅の話を聞いていたからね」

 シンは何でもないように言うと、アイサにお茶の入ったカップを渡した。

 アイサの手の中のカップが温かい。アイサは昨夜シンが夜中にそっと起き出して、必要なものを点検し、また地図を眺めていたのを思い出した。そうすることでシンは気を紛らわしていたのかもしれないが、それでは体の方が参ってしまう。

「シンはいろいろあって、あまり眠れてないはずよ。だから、私が先に見張りをするわ。こんな時疲れていたら、それが命取りになりかねないから」

 アイサは気軽な調子で言ってみた。

「わかった。それじゃ、交代の時間になったら起こして」

 シンは素直に頷くと、マントにくるまった。


 見張りを買って出たアイサは、しばらく火が燃えるのを見ていたが、そのうちに何かに見られているのを感じた。

 神経を研ぎ澄ます。

 風の音、木の葉が揺れる、草がざわめく。

 虫の気配、小動物の動き。

 ゆっくり後ろを振り向き、それから辺りを見渡す。

(気のせいだったんだろうか……いや、やはり変だ、何かいる)

 アイサは慎重に気配を探ってみたが、こちらも探られているような気がした。

(こちらから動くことはないか……襲いかかってきたら戦うまでだけど、今のところ殺気はないようだ)

 炎を見つめながら、アイサは意識を八方に飛ばした。

(あの気配が森の奥に消えた。それにしてもこの森……大きいなあ)

「交代だよ、早く休んで」

 シンが、ごそごそと起き出した。

「なんだか、こちらを窺う気配を感じたんだけど……それが消えてしまったの」

「人? 動物?」

「人、かな? わからない」

「気をつけてみるよ」

 初めて会ったときからシンは小柄で華奢だったが、さらに痩せてしまったような気がする。

 知的ではあったが、年相応の無邪気さを秘めていた瞳から、今は暗い憂鬱(ゆううつ)が見える。

(無理もないか……でも、これはシンが乗り越えていくしかないんだ)

 アイサは心の中で呟き、マントにくるまって横になった。

 背中がごつごつして眠れないかと思ったが、そんなこともなく、すぐに寝入ってしまった。


 気がつくと月が傾いていた。

「もっと早く起こしてくれなくちゃ。約束だったじゃないの」

 ぐっすりと眠ってしまったアイサは慌てて起き上がった。

「わかったよ。交代だ。アイサが言っていた気配は感じなかったよ」

「おかしいわね。まあ、用があるならそのうち現れるでしょ」

「アイサらしいよ」

 シンは少し笑った。

 それからしばらく月を眺め、横になった。


 アイサは、その後もずっと月を見ていた。

(明け方の見張りはいいなあ。夜から朝が生まれてくる。何もかも新しい命を持つようで、気持ちが浮き立つ。生きていくことが、とてもいいことだと思える)

 しばらくすると鳥の声がし、力強い日の光が辺りを照らしはじめた。

 風も夜中のような冷たさはなく、優しい。

 アイサは近くに枝をさがしに行って、たっぷりとたき火にくべた。

 太陽がゆっくりと空に昇っていく。

 アイサはこれから入る深い森を油断なく眺めていたが、より緊急の問題が浮上した。

 お腹がすいてきたのだ。

(お湯でも沸かしておくか)

 鍋に水を入れ、沸くのを待つ。沸くのを待ちながらアイサはシンの顔をのぞき込んだ。

 ぐっすりと寝入ったシンの寝顔はあどけなくてかわいいほどだったが、鼻筋は通り、まつげが長く、端整な顔立ちをしていた。

「シン、起きて。今日の始まりよ」

「え? あ、おはよう、アイサ。枝を足してくれたんだね」

 慌てて目を開けたシンは目の前の焚火を見て言った。

「お湯も沸いてるわ。お茶を入れてハムでもあぶりましょうよ」

 アイサは朝そのもののように明るく、生き生きとしていた。

「いよいよ北の森に入るんだね」

 シンは気を引き締めた。

「平気よ、何とかなるわ」

 アイサがあまりにも軽く答えたのでシンは思わず眉をしかめたが、それもアイサにつられてすぐに明るい笑顔に変わった。

「僕だって平気だよ。さあ、朝ご飯にしよう。ああ、ハムは僕があぶるよ」

 シンはなかなか手際(てぎわ)が良かった。

 お茶を入れながらアイサが鼻歌を歌い出す。

 シンはハムをあぶる手を止めた。

「あの時の歌だね? 祭りの日に旅の楽人たちが歌っていた……あれにもアヌ語が入っていたようだったけど。なんだか不思議な歌詞だったな」

「ええ、光のしるべで照らせ、岩の向こう、薄墨(うすずみ)の世界、尊い(わざ)、我らは伝えん、遙かな時を超えて……母様はこう歌っていたわ」

「君は母上から教わったのか」

「ええ、でも、なんのことかしら?」

「わからないのに歌っていたの? 母上には聞かなかったのかい?」

 アイサは首をかしげてみたが、元来そう深く考え込むたちではなかった。

「小さい頃、私は全くしゃべれなかった。声が出るようになったのはお母様が事故で死んでからだったから」

「どうして……いや……」

 困ったような顔をするアイサを見てシンは曖昧に首を振ると、またハムをあぶり始め、それから何度もあの歌詞を呟いた。


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