3.最上階の住人⑫
この時、書棚の方から、ぱたりと本が閉じられる音がした。
「誰かいたのか?」
ストーが振り返る。
そこには先程の話題の主、アイサがいた。
だが、今まで人の姿はおろか、気配もなかったはずだ。
「アイサ様……いったい、いつからそこに?」
「先程の二人と一緒に入って来ました」
「まさか」
ストーは動揺を隠せなかった。
(シン様がお借りしていた姿を消すベールか? 厄介なものを……だが、気配が感じられなかった。そう言えば、先日、アイサ様はシン様と剣の手合わせをなさったとキアラ殿から聞いた。とても信じられない腕だったと)
気がつけば、ストーは身動きができなくなっていた。
ビャクグンのような鋭さとは全く別だが、なぜか身がすくむような気がする。
「では……今の話も、お聞きになられましたな?」
ストーはやっとの事で言葉を繋いだ。
「ええ。ストー殿のご心配は当然だと思います」
アイサは落ち着き払って言った。それがストーにとってはなおさら得体が知れないものに思われる。
「何を、考えておられる?」
「別に……難しいことは何も。ストー殿、そう言えば、私はあなたにお聞きしたいと思っていました。パシパはここにいる私のことをゲヘナを破壊した憎い悪魔だと感づいた。そしてあなたは、リンカがパシパの送った刺客だと知りながら離宮に置いた」
(気づかれていたか)
ストーの背に冷たいものが走った。
「何を仰います? 確かに使用人たちの人選は私に責任があるが、私がリンカのことを知っていたなどと……」
「ええ、他にも私を狙う者があの離宮には出入りしていたわ」
「何を証拠にそのようなことを?」
「証拠ですか……たとえば、このようにあなたのもとに集まる詳細な人事の調書を調べれば出てくるでしょうが興味はありません。私はあなたを責めようと思っているわけではありませんから」
見覚えのある調書がアイサの手にあった。
(いつの間に見つけた?)
「それよりも、私がお聞きしたいのは別のことです」
調書がアイサの手で本棚に仕舞われる。それを強張った表情で見つめるストーに、アイサは首をかしげて見せた。
「……何、ですかな?」
「ストー殿、リンカなどを当てにせず、ストー殿ご自身がもっと積極的に動いていたら私を殺せたかも知れないのに……あなたは何を迷っていらしたのです?」
「くっ」
ストーの手が机のわきにある剣に伸びた。ストーは鞘を払い、アイサに剣を向けた。
「あなたは、クイヴルにとって都合の悪い存在です。しかし、シン様をお救いし、ゲヘナの炎を封じた方でもある。さすがに私もあなたを手にかけることは躊躇われた。そこで、あなたに近づくリンカを利用しました」
アイサはくすりと笑った。
「甘い」
そこには怒りも、敵意も、恐れもない。
(こういう方だったのか? 離宮でお会いしたときとは、ずいぶん雰囲気が違う。それとも……)
「離宮でのあなたは、私たちを欺いていらしたのか?」
「いいえ、自分自身を欺いていました」
「それは……どういうことですかな?」
「私もストー殿のようにクイヴルのためにはシンはジョヌと結婚するのがいいと思っていました。でも、シンはクイヴル王になっても変わらなかった。私はやっぱりずっとシンと一緒にいることにしたわ。国のためとか、誰かのためではなくね」
堂々と王の恋人宣言をする娘を、ストーは見つめた。
アイサもストーを見返す。
(追いつめられる……だが……やはり、この娘はクイヴルのためにならん)
次の瞬間ストーの剣がアイサの細い首を狙って振るわれた。
その切っ先が空しく空を切る。
アイサはほとんど動いていなかった。
「ストー殿、本当に剣を振るう気がおありですか?」
ゆっくりとアイサは聞き、ストーは観念した。




