3.最上階の住人⑤
離宮を囲む庭園には明かりが灯され、警戒も厳重だ。離宮に近づくシンとナイアスの姿に気づいた警備兵が慌てて駆け付けた。
「王、いかがなさいましたか?」
「離宮の女官を呼んで欲しい」
女官が飛んでくる。
「王、御用でしょうか?」
「ああ、アイサはどうしている?」
「アイサ様は城からお戻りになると、すぐに御用があると仰ってそれきりお戻りになっておりません。アイサ様をこちらにお送りくださったのがガド様で、御前会議で重大なお話があったと話しておられたので我々はきっとそれに関することだと……」
ナイアスとシンは顔を見合わせた。
「アイサめ、上手くガドを利用したな」
「何か不都合が? お体がまだ本調子ではないでしょうに。昨夜のようなことがあったら、どういたしましょう?」
女官は青ざめた。
「その心配はいらないだろう。私に心当たりがある」
「でも、私の責任です。誠に申し訳ありませんでした」
シンは平身低頭する女官に同情した。
「いや、昨日からお前も疲れているだろう。アイサは今夜は城に泊めるから、お前は気にせず休んでくれ」
シンはおろおろする女官に言うと、急いで離宮を離れた。
「シン様、アイサ様の行方にお心当たりがあると?」
「ないよ。でも、ああでも言っておかないと大騒ぎになる」
「まったくアイサ殿はどこへ行かれたのだろう?」
ナイアスの表情がこわばった。
「アイサは気まぐれだからね」
「しかし、少しはご自分のお立場をお考えになっていただかないと」
「アイサは今まで自分が捕虜だと思っていたからここにいたのです。ところが、自分が客の身分だとわかった。それでアイサは気兼ねなく出かけたのでしょう」
「出かけた、ですって? いったいどこに?」
ナイアスは声を上げた。
「ちょっと聞いてみよう」
シンは厩に向かった。
厩の当番の男が姿を見せた。
「誰だ?」
「私だ」
「これは、王」
シンの顔を見た当番は慌てて膝をついた。
「夜分に済まない。馬の数は変わらないか?」
「申し訳ありません。それが、一頭姿を消してしまったのです。明日朝いちばんにご報告せねばと思っておりました。その前に犯人を捕まえることができればと仲間と見張っていたのですが」
「犯人か……」
「王?」
「しかし、軽々しくそのようなことをなさる方には見えませんが」
ナイアスが囁いた。
「ナイアス殿にアイサがどう見えようとそれはナイアス殿の勝手ですが……外の空気が吸いたくなったのでしょう。その軍資金をお与えになったのは、他ならぬナイアス殿、あなたですよ」
「そんな。サッハをご覧になりたいのであれば、いくらでもご案内いたしますのに」
「アイサは人を当てにすることを知らないから」
「だからと言って、何もお一人でお出かけにならなくともよさそうなものだ。しかもこんな時間まで……賊に襲われ、お怪我をなさったばかりだというのに。いや、ぐずぐずしてはいられない。今から城内はもちろん、サッハの町中をお探して無事にお連れせねば」
ナイアスは焦り、シンは苦笑した。
「ナイアス殿、だまされてはいけません。それにそんなことをしたら、アイサに何をされるかわかりませんよ?」
「それは?」
ナイアスはシンを見つめた。
「確かに、アイサはゼフィロウ領主の一人娘で、ほとんど外の世界のことを知らない。でも、一人でセジュを出て、ここにやってきた。気ままで、行き当たりばったりで、怖いもの知らずだが、そのくせ、妙に手強いんだ。ナイアス殿、僕はちょっと出かけます。馬を用意してくれ」
「はっ」
男が厩に急ぐ。
「お待ちください。王自らがお迎えに行かれるなど、そんな例はございません。第一シン様もお怪我なさっているではありませんか」
「ナイアス殿、心配は無用です。アイサのことはよくわかっています。それより、このことは誰にも言わないでくださいね?」
シンは念を押した。
「とんでもない。誰にも知らせないなど、できるはずがありません」
「困ります。これがストー先生にでも知られたら、厄介だ」
どこからともなく、ハビロが姿を現した。
ナイアスはぎくりとしたが、ハビロはナイアスをうるさそうに見ただけだった。ハビロが城門の方を見つめる。
「そうか。ハビロ、これからアイサを迎えに行ってくるよ」
「シン様、私も行きます」
厩の男が立派な馬を引いてきた。
「私にも用意してくれ」
ナイアスが言った。
「いいえ、結構です。それに、ご心配なく。どうか、先ほどの人のところに戻って下さい」
シンは追いすがるナイアスを振り切って、馬に乗った。
「これは命令です」
「シン様」
途方にくれたナイアスを置いて、シンは城を出た。
(全くアイサときたら……昨夜のことがあったばかりだというのに)
心の中でアイサに文句を言いながらも、馬を駆り、城を離れるにしたがって心が軽くなっていく自分にシンは気づいていた。




