5.逃亡⑦
エモンが父ラダティスを殺し城を奪った夜から、ファニの各地には降って湧いたように王都の兵が姿を現し、人々を監視し始めた。
クロシュにはとりわけその数が多い。
だが、いきなり夜間の外出を禁じられ、はじめは何が起こったのかわからなかった人たちも、翌朝になって領主ラダティスが亡くなり、長男エモンが跡を継いだと城から簡単なふれが出ると、たちまちいろいろな噂を囁き始めた。
ここポムの店でも、馴染みの客や近所の者が顔を出しては噂話をして行く。
「ラダティス様がエモン様に殺されたっていうのが本当らしいぜ?」
昼には少し早かったが、ポムの手料理をゆっくり食べていた客の一人が声を落とした。
「オスキュラと戦っても勝てっこねえ。この土地を奪われないためにも、エモン様はオスキュラにつくんだと」
息子が軍で働いているという男が応じる。
「ラダティス様はいい御領主だったが……」
奥に座った男が呟いた。
「ああ、立派な方だった。なにも殺すことはなかろう?」
男の連れが頷く。
「しっ、聞かれたらまずいぞ」
入口近くに陣取っていた男がすかさず外を窺うと、そこへクロシュの刀工のもとで働いている男がやって来た。ポムの店の近くに仕事場を持つその刀工のもとには、各地を巡る商人が出入りしている。そこで働くこの男の耳が早いのを知っていたポムは、昨夜クロシュの町を行き来する兵が口走っていたことを確認した。
「サッハで王様が殺されたっていうのは……本当かい?」
「まさか……」
周りにいた客たちが一様に息をのんだ。
「エモン様はオスキュラとうまくやっていくおつもりらしい」
刀工のもとで働く男は頷き、答えた。
それと同時にあちこちで声が上がる。
「それにしてもなあ……この土地が荒らされないのは結構なことだが、オスキュラってのは信用なんねえ国らしいぜ?」
「このままではクイヴルはオスキュラに乗っ取られちまうんじゃないかい?」
「一戦も交えないでか?」
「今まで通りの暮らしができるのかねえ……」
「そんな甘くないだろうよ」
「それでシン様はどうなさっているんじゃ?」
一人の客が思い出したように言い、刀工のもとで働く男が、やはりこれにも答えた。
「まだ見つかっていらしゃらない。行方不明だそうだ」
「逃げているのかい?」
奥に座った男は意外そうに言ったが、緊張した声がすぐに答えた。
「ああ、そういう話だ。だが、すぐに捕まるだろうよ」
「なんだってまた……」
「そりゃあ、エモン様からすれば、シン様は目障りだろう。あのラダティス様に大事にされていた。姿をくらましたということは、エモン様に逆らったということだ。シン様もエモン様が思い通りにできるほど、もう子供ではない」
ポムの胸に時折店を訪れるシンの姿が浮かんだ。
控え目で大人しいという印象しかない。
一方、クロシュでは優秀なエモンのことは昔からよく知られていた。あまりにも対照的な二人だとポムは思ったものだ。
「御無事でいらっしゃればいいが……」
呟くポムに、刀工のもとで働く男が首を振った。
「エモン様のことだ。シン様もラダティス様と同じ運命を辿られるだろうよ」
昼過ぎになると、クロシュをはじめ、ファニの各地でラダティスの養子シンとその連れの娘の行方を知る者は申し出るよう、ふれが回った。
ポムの店にほど近い大通りで、セグル、チュリ、そしてカヌはお互いを見つけ、駆け寄った。
「二人をかくまった者はエモン様への反逆と見なす、とあるよ」
カヌが大通りに立てられた札の一つを指さす。
「そのかわり、居場所を教えた者には賞金が出るそうだ」
チュリは立て札に集まる人々を用心深く見た。
「乱暴な奴らが町の人たちにシンとアイサのことを聞いていたよ」
「そういうことさ、カヌ。アイサが恐れていたのはこれさ。アイサは俺たちをエモン様の手から守ったんだ」
セグルは立て札に背を向け、歩き始めた。
チュリとカヌが後に続く。
「そろそろエモン様の手の者が俺たちのところへ来る頃だ。でも、あの晩は俺たちはずっとポムの店にいた。俺たちは本当に何も知らない。シンの行き先も、手助けしてくれそうな仲間のことも……いや、あいつには俺たちの他に仲間なんているわけないじゃないか? 城でもひとりぼっちだったというのに」
「コル爺が探していたよ」
カヌが言った。
「だが、そのコル爺もどこかに消えた」
チュリが答えた。
「セグル、ストー先生も留守だってシンは言ってたね?」
カヌがぽつりと言った。
「ああ、あいつは全く一人になっちまった。それなのに、俺たちはすっかり置いてけぼりだ」
「落ち着けよ、セグル。俺たちは俺たちのできることをしようって約束したろう?」
「チュリ、それが何になる? シンが死んでしまったら、なんにもなんねえよ」
セグルは苛立った。
「アイサがいるよ。二人で上手く逃げているに決まってる」
カヌが明るい声で言う。
「そう思いたいがな。アイサはここに来たばかりなんだ」
セグルは息を吐いた。
「でも、あの不思議な力があるし、勘も鋭いよ。隠し事ができないっていうか」
カヌはセグルを励ますように言った。
「だがなあ……相手はエモン様だ」
チュリが俯く。
「なあ、俺たちに出来ることって何だろう?」
真剣な顔をしたカヌは、セグルとチュリを見つめた。
「そうだな……とにかく奴らに疑われないようにしながら、シンとアイサの情報を集めることだ」
セグルが答えた。
「だけど、俺たちはこれからどうなるんだ? クイヴルはオスキュラの属国になるのか?」
チュリが通りを歩き回る兵を睨んだ。
兵の一人が彼らに目を止める。
これに気付いたセグルはのんびりとした様子でポケットから干した杏を取り出して二人に放った。
慌てて受け止めたカヌが早速口に入れ、のどに詰まらせて目を白黒させる。
この様子を見ていた兵は苦笑し、それから彼らに興味をなくして再び巡回を始めた。それを見送ってセグルは言った。
「エモン様のことだ。そのうちに俺たちに自分に都合にいいようなことを吹き込もうとするだろう」
「ああ」
苦々しい顔で頷いたチュリにセグルは肩をすくめ、続けた。
「だが、俺はオスキュラについたエモン様をどうこう言う気はないんだ」
「どういうことだよ、セグル?」
チュリの顔色が変わった。
「だって、チュリ、もし相手がものすごく強かったら、お前はけんかをするか?」
セグルはチュリを見つめた。
「悪いのはいちゃもんつけてくるオスキュラだろ?」
チュリもセグルを見返す。
「俺たちはそんなに弱いのかい、セグル?」
なんとか杏を飲み込んだカヌが聞いた。
「そうだ。少なくともエモン様にはそう見えた」
「だったら、どんなことでも許されるのか? 親を殺し、弟を捕らえるのもか? おい、セグル、答えろよ」
声を潜めながらも、血相を変えて自分にかみつくチュリにセグルは笑った。
「大国オスキュラに睨まれたこのクイヴルがどうすればよかったのかは……誰にもわからないんじゃないだろうか? だから、俺たちはそんな理屈は置いておこうぜ? 奴らが何て言い出したって俺たちはシンの味方だし、俺たちのできることをしていこう」
「なんだ、安心したよ」
カヌがほっと息をついた。
「まったく……紛らわしいこと言い出すなよ」
チュリも杏をかじり、笑みを浮かべた。




