1.ベルル①
人々は地下へ向かう洞窟を半ば怯えたように、また、半ば何かを期待するかのように歩いていた。
誰ひとり口をきく者はなく、ただ黙々と進む。
彼らを見張る者のかざす松明の他に灯りのない洞窟は暗く、歩く人々の足下はおぼつかない。
ごつごつした岩壁に触れながら、彼らは黙々と、手探りで前を行く者に続く。
やがてその歩みが緩くなり、とうとう動きが止まった。
前方の扉が開き、そこから差す光に目をしばたかせる。
誰からともなく声が漏れた。
「神の火だ」
「力の火だ」
「これで神に一歩近づくのだ」
うつろな人々の瞳に熱狂が宿り始めた。
(だめだ、あそこに行ってはいけない)
アイサは焦ったが、人々の流れは止まらない。
強い光を放つ炎が人々の顔を照らし出す。
かすれた男の声が聞こえた。
「先へ進むのだ。神の光を受け入れ、神に認められた者となれ」
アイサは声の主を見た。
痩せた身体、曲がった背、くぼんだ眼窩に、鋭く、熱を帯びた目。
その者は人々を鼓舞する。
人々は怯えながらも次第に前へと進み、魅入られたようにその赤や青にひらめく炎を見つめた。
「だまされるな。これが神の光であるものか」
アイサは必死で叫んだ。
だが、振り向く者はいない。
いや、その中でたった一人アイサの声に気づいた者がいた。
神の光を浴びろと言った男だ。
その冷たい目がアイサを捕らえ、その顔に勝ち誇った笑みが浮かぶ。
どこからともなく男たちが現れてアイサの腕をつかんだ。
身動きのできないアイサに神の光を浴びろと言った男が近づき、懐から取り出した短剣を振り上げる。
(やられる……お母様……誰か……)
恐怖で声の出ないアイサの胸にその短剣が迫った。
心臓が早鐘のように打っていた。
(夢か……? あの男の顔が頭にこびりつく……)
アイサは身震いした。ぼんやりと室内を照らす明かりが見慣れた机や棚、簡易ソファーを照らしている。
(とはいえ、ここはベルルだ)
アイサは大きく息を吐き、ベッドから起き上がった。
セジュの九つの核はその昔、民を率いて海底に住処を求めた王の九人の息子が独立した核を築いたことに始まる。
九つの核は独自の産業を興し、それぞれの気風といったものがある。それがこのセジュに彩りを添えているが、相互の依存は深く、核の間は潜水艇や海中を走る列車のような乗り物が頻繁に行き交っていた。
核の領主は九人の王子の子孫が代々務めることになっている。
しかし、その彼らも核の住民に承認されなくては統治者としての資格を得られない。
領主が統治者として承認されない場合、住民の中から改めて統治者が選ばれる。その者はシロと呼ばれた。
選ばれし者という意味だ。
九つの核をまとめるセジュ王は、四年に一度、九つの核の統治者の中から彼らの話し合いによって選出される。
王に選ばれた者は、自分の核とは別にレンと呼ばれる専用のドームに執務室と選りすぐりのスタッフを持つことになる。
レンとはそのドーム名でもあり、その組織を表す名称ともなっていて、それぞれの核の領主や各方面の専門家を集めて会議を持ったり、セジュのデータの管理をしたりするのが主な役割だ。
他に各方面の研究施設も備えている。
そのレンの主であるセジュ王も、各核を束ねる重要な役割を果たすとはいえ、それぞれの核を従える権限はない。
今の王はリョサル、既に三期にわたって王を務めている。
彼はケペラの領主で、老齢ではあるが気骨のある人物だと言われていた。
ケペラは農業を主とする核である。そのドームの中の世界はよく手入れをされた緑に覆われ、時の流れも緩やかだ。
それに対して、アイサの父エアが治めるゼフィロウは得意の科学技術を生かして各核の生命維持システムの管理を請け負うのはもちろんのこと、新技術の開発にも余念がなかった。
ゼフィロウには常に新しい知識を求めて人が集まる。
アイサの父エア自身も、領主としての仕事などよりも暇があれば自分の研究室にこもるか、思うままに海中を漂っていたいという具合なのだ。
そのゼフィロウにはもう一つ大きな特徴があった。
それはシェキの洞窟だ。
この洞窟は人々が海底に落ち着き、王子たちがそれぞれ自分の核の場所を求めて海底を調査して回っていた頃、末の王子が見つけたものだった。
シェキの洞窟に入った末の王子は不思議な声を聞いたという。
そして末の王子とともにそこを訪れた者の中には正気を失う者が続出した。
不審に思った兄の王子たちも洞窟の調査をさせたが、やはり精神が傷つけられる者が続出しただけだった。
その洞窟には深く人の心に働きかける力がある。
人々はこれを訝り、恐れた。しかし、新しい世界を創ることにその力を注いでいた兄の王子たちは、やがてその洞窟に関心をなくし、その存在を忘れていったし、末の王子も、無事に戻った者も、その洞窟の中で経験したことについては多くを語らなかった。
兄たちが順調に自分たちの核の運営を始める中、沈黙を守っていた末の王子がシェキの洞窟の近くに自分の核を築く。すると、地上からやって来て以来、居所を定めなかったセジュの大巫女が王子の核に居を定めた。冷ややかな態度をとる兄たちをよそに、末の王子はゼフィロウの粋を集めた人工のシェキの洞窟ともいえる神殿とそれを守るドームを建造し、完成した神殿の管理者は当時の大巫女の申し出通り、代々の大巫女が務める決まりとなった。また、ゼフィロウの科学力によって入る者が制限されるようになったシェキの洞窟は、入った者にはその者の生存をかけて試練を課す、セジュの特別な場所となっていった。
セジュの巫女の歴史は古い。
この国がまだ地上で栄えていたころから王と大巫女は互いに協力し、その民を率いてきた。
海の底へと住処を求めた後も、セジュの巫女の頂点に立つ大巫女は、それぞれの核の思惑を離れ、人と時、身の回りすべてのものに耳を澄ます。それ故、その言葉は王や領主たちだけでなく、人々から尊重されている。セジュが大きな争いごともなく千有余年やってこられたのも、戦いを厭って海を選んだその建国のいわれと、人々の信頼を集める大巫女の存在にあったといえるだろう。
巫女だけでなく、セジュでは一般の人々の間でも広く瞑想が行われている。
アイサの過ごすベルル学園でも、生徒は一日一回瞑想の家を訪れ、時を過ごすよう定められていた。
そこを毎朝清めておくのは学生の役目だ。
掃除当番になっていたアイサは嫌な夢を振り払うように冷たい水で顔を洗うと制服に着替えた。
それは白い質素なワンピースで、腰に赤い帯を締めるものだ。赤と言ってもこの帯にはいろいろな色が織り込まれていて、この白い服を少しはましなものにしていた。
十八になったアイサがベルル学園の大学部に入学し、この寮に入ってまだ日も浅い。
ある日、神殿からゼフィロウの城に遊びに来ていたアイサは、父エアからベルル学園に入学の手続きが済んでいるので、そこで好きな勉強をするようにと言い渡されたのだ。
それがあまりにも意外であり、唐突であったので、アイサには最初何の話かわからなかったほどだった。
「私は、ずっと神殿で暮らすことになっていたのでは?」
不思議そうな顔をするアイサに、エアは小さく溜息をついた。
「おばば様とは話してある。ラビスミーナも賛成している」
決心したように言うと、エアはアイサのを覗き込んだ。
アイサのエメラルド色の瞳は父親譲りだ。だが、父であるゼフィロウ領主エアは、輝くような流れる黒髪をしていた。一方アイサは母親と同じ、波打つ銀の髪だ。
「ラビス姉様も?」
「そうだ。いつまでも、お前を城と神殿しか知らない娘にしておく訳にもいくまいと言ってな」
正直言って、この申し出はアイサにとって嬉しくもあり、怖くもあった。
アイサは物心がついたときから、父の城と神殿という大人だけの世界で暮らしていたからだ。
年の近い存在と言えば、たまにしか会えない姉のラビスミーナと、いとこのヴァンだけだった。
アイサは狭い寮の部屋を出て、まだ生徒のいない廊下を歩いた。
学園都市ベルルでの移動にはエアカーも使われるが、ベルル学園の施設間を移動するにはそれぞれの施設を効率よくつなぐ小型のサブウェイが便利だ。
寮の廊下にあるエレベーターに乗って、地下のステーションに出る。そこからアイサは瞑想の家へ行くサブウェイに乗った。
瞑想の家はベルル学園都市のドームの外に、さらに小さなドームとして付随している。
アイサの乗ったサブウェイが高速移動する。
アイサの身体がふわりとかしぎ、サブウェイが止まった。
サブウェイの扉が開く。
瞑想の家のあるドームだ。
そこは他のドームとは全く雰囲気が違っていた。
透明な壁。
昼夜の区別もなく、明かりもほんのわずかしか灯されていない。それ故に、ここを訪れる誰もが、いきなり暗黒の海底に放り出されたような錯覚を覚える。
(お母様もよくこうして壁の向こうを見つめていらしたな)
アイサは壁の向こうの、光の届かない海を見つめた。
朝の瞑想の時までは、まだ、だいぶ時間があった。