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Bright Swords ブライトソード  作者: 榎戸曜子
Ⅰ.闇の炎
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5.逃亡③

 前方から襲いかかってくる兵をアイサのシールドがはじき飛ばし、その隙を()った二人が脱兎(だっと)のごとく駆ける。

「何だ? どういうことだ?」

 弾き飛ばされ、尻餅(しりもち)をついた兵に、更に追ってきた兵が(つまづ)く。

「何をやっているんだ」

「それが……」

「ぐずぐずするな、見失うぞ」

 声を上げた上官は、しかし、落ち着いていた。いくらシンが幼いころからこの城に住み、この城のことを知っているとはいえ、大勢の兵に追われれば捕まらないはずがないのだ。

「こっちだ」

「こっちに曲がったぞ」

 逃げる二人の後ろから大きな声が上がり、あちこちから兵が集まり、捕まるのも時間の問題……追う兵たちの誰しもがそう思った。

 ところが……廊下を曲がったところで、追っ手の兵たちはきょとんとした。

 二人の姿は、まさに忽然(こつぜん)と消えてしまったのだ。

「どこへ行った?」

「慌てるな、その辺の部屋に隠れたに違いない」

「一つずつ探すんだ」

 焦ったエモンの兵たちは、廊下の両側に並ぶ部屋を片っ端から調べ始めた。


 中庭に張り出したバルコニーからこの様子を見ていたシンとアイサはそっと庭へ下りた。

 明かりを持った兵が回廊を行き来している。城の外にも、そこかしこに松明(たいまつ)が焚かれた。身をかがめた兵が茂みの中まで覗き込む。その彼らの間を縫って、ベールで姿を消した二人は慎重に城の裏手に回り、手薄な裏門を(うかが)った。

 息を殺して窺う門の先には、城をぐるりと囲む森がある。二人はひとまずそこへ逃げ込むつもりだった。

「コル爺は無事だろうか?」

 森を見ていたシンが呟いた。

 いつもは裏門から(かす)かに見えるコル爺の小屋の明かりが、今夜は見えない。

「あの人は大丈夫だと思う。ここにいる兵よりもずっと強いし、知恵もあるから」

 アイサは初めてコルに会った時のことを思い出して言った。

 白いひげをした、小柄で痩せた男だった。

「古い言葉をしゃべるというが……これは驚いた。ストーがいないのが残念だ」

 アイサのことを注意深く見たコルはそう言っただけで、それ以上何も言わなかった。ただ、ストーの家を往復する時も、時には城にいる時も、コルがさりげなくアイサの様子を窺っていることにアイサは気づいていた。

「シンが城を抜け出してクロシュに行くと、コル爺はいつもシンについて来ていたのにね」

「えっ……?」

 シンはアイサを見、アイサはシンに頷いた。

「だけど、今夜はあのベールを使っていた。だから、シンが城を出たことがコル爺にはわからなかったんだわ。コル爺は、きっとシンのことを心配しているわね」

「そうだったのか……」

 シンは黙ってコル爺の小屋を見つめた。


「シン様と例の娘がいたぞ。門を固めろ」

 二人の目の前を一人の兵が裏門に向かって走って行った。

(先回りできなかったか)

 アイサの眉が曇る。

「そうか。やはり、城の中にいたか」

「門を固めろって、いい大人が子供二人を逃したのか?」

 顔色を変えて駆け付けた伝令兵に門を守っていた兵の一人が聞いた。

「それが……城内で見失ったんだ」

 伝令兵は口ごもった。

 アイサは伝令の兵に見覚えがあった。シンとエモンの剣のぶつかる音を聞いて部屋に入って来た兵だ。

「城の中なら、すぐに見つかるさ」

 門を守る別の兵が気軽に言った。

「ああ、俺たちはサッハの選り抜きの兵だぜ? 子供二人に……そんなに大騒ぎすることか?」

 他の兵たちも同意する。

「そのはずなんだが……どこにもいないんだ……」

 伝令兵はぶるっと身を震わせた。

「なんだ、弱気になりやがって」

 門を守る兵たちは顔をしかめた。

「弱気なわけじゃない。追いかけていた奴らも狐につままれたようだと言っていたよ。飛びかかったら、はじき飛ばされたと」

「酔ってたんじゃないか、そいつ?」

 一人が呆れたように笑った。

「いや、こんな大事な時に誰が酒なんか飲むものか。シン様と一緒にいた娘は、ただの娘じゃない。あの娘が火を放った時、俺はその場にいたんだが、思わずぞっとしたよ。あの娘はこのファニの様子を探っている間者(かんじゃ)かもしれないとエモン様はおっしゃっていた」

「何だって?」

「娘は……間者だと?」

 門を守る兵たちはざわめき、一様に表情を引き締めた。

「よし、わかった。二人とも逃がすわけにはいかないな」

「ああ。だから、こうしてやって来たのさ。外に逃げられると面倒だ。門はしっかり固めろよ」

 伝令の兵はそう言い置くと戻って行った。


「さあ、行きましょう。気配を悟られちゃだめよ」

 一通り兵の話を聞いてアイサが囁いた。

「わかってる」

 答えたシンの声はどこか機械的だ。アイサは強くシンの手を握り、城の塀伝いにそっと門に近づいた。

 門を守る兵たちはどんな小さなものも見逃すまいと、目を皿のようにして警戒していた。だが、その彼らも姿を消した者にまでは気づかない。

 二人はいとも簡単に裏門を通り、そのまま森へ入った。

(どうやらここまでは逃げられた)

 シンの手を離し、ベールをポシェットにしまうと、アイサはほっと息をついた。

 シンは黙って城を見ている。

(……無理もないか……唯一の保護者を失ってしまったのだから)

 血だまりの中のラダティスが目に浮かぶ。

(せめて、心を込めて(とむら)って差し上げたかった)

 アイサもまた城を見た。

(地上に来て、まだ日も浅い。それなのに、私はもう新しいファニの領主エモンを敵に回してしまった。さっきのエモンの話から、あの火は大国オスキュラに守られたパシ教の都パシパにあるとわかったけれど……どうやってそこまでたどり着いたらいいものか、見当もつかない)

 アイサが途方に暮れかかった時だった。城を見つめていたシンが唐突(とうとつ)にアイサに目を向けた。

「クロシュの町には行けないな。僕らを捜して兄上の兵がうようよしているだろう。セグルたちに迷惑をかけるわけにもいかないし。アイサ、ストー先生の家に行こう」

「シン?」

 アイサは驚いてシンの様子を窺った。

 ラダティスを失った時見せたあの動揺(どうよう)はすっかり隠され、シンの心は今、静かだった。

「でも……シン、あそこにも、すぐにエモンの手が伸びるわよ?」

「あの家の近くに先生の秘密の隠れ家があるんだよ。いったんあそこに行って考えよう。僕はともかく、君はこんなことに巻き込まれてはいけない。僕らがその隠れ家に着くのが早いか、あいつらが先回りして僕らを見つけるのが早いかだが、僕らが先に着く、慣れた道だから。君のベールもあるしね。だけど、本当に便利だなあ。一体どんなしくみなんだろう?」

「感心するのは二人で助かってからにして」

 アイサは言い、シンは黙って頷いた。シンは自分を取り戻したように見えた。たとえ、その言葉には少し抑揚(よくよう)がなかったとしても……

(まず、生き延びること。すべてはそれからだ)

 アイサは自分に言い聞かせた。


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