5.ルテール⑩
リュト王子は小姓に着替えを手伝わせてるところだった。
リュトは顔色が悪く神経質そうな男で、褐色の髪に灰色の瞳、背は高くやせている。
年はさほどイムダルと離れてはいず、二十代後半ほどだったが、イムダルよりもずいぶん年上に見える。
着替えをすませたリュトは、ゆっくりとテーブルに着いた。小姓がグラスに冷えたジュースを注ぐ。
それに少し口をつけ、リュトはグラスを置いた。
「ニフル」
「はい」
ドアの隙間から外を窺っていた男がリュト王子の前にかしこまった。
「父上の具合はどうだ?」
リュトはその冷たい目を白髪交じりの男に向けた。
「お付きの医師団の話では、いつ亡くなられてもおかしくない、と」
「そうか。ぐずぐずしてはいられないな。早くティノスから確約を得なくては。連絡を取れ。やつが欲しがっているあの薬をもっとくれてやれ」
「いいのですか?」
「ああ、バラホアさえ手に入れれば、あんなものはいくらでも手に入る。恐らく、それ以上のものもな。しかし、その肝心のバラホアだが……まだ見つからないのか?」
「申し訳ありません。あのソーヴという男の話では、バラホアには外部の者は近づけないしくみがあるようです」
ニフルは頭を下げた。
「だが、バラホアは確かに存在している。イムダルの領地に」
リュトは手に取ったグラスを見つめた。
「はい、只今全力で探させております。つきましては、興味深い話が……イムダル王子の領地には数カ所、様々な薬や、その材料が取引される市が立つそうでございます。そこに何か手がかりがあるかもしれません」
「あのイムダルがバラホアのことに気づいているとは思えん。気づいていれば、放って置くことなどあり得ない。いくら馬鹿でもな」
「ソーヴから聞き出しましょうか?」
ニフルに暗い笑みが浮かんだ。それに目をやり、リュトは答えた。
「痛めつけてもあいつは話すまい。それに、あいつにはまだあの薬をつくらせねばならん。仕方ない、バラホアを従えるにしても険悪な状態にはなりたくなかったが、あの少年を利用して奴らをあおってやるか」
「それも一つの手でありましょう。バラホアの者は生真面目で、情に厚いようですから有効かと」
「手配しておけ」
「はい」
「しかし、クルドゥリにバラホアか。このオスキュラが拡大するにつれて得体の知れない奴らが出てきたものだ……だが、必ず、私の前に膝をつかせてみせる」
「はっ」
頭を下げたニフルが、ふと扉の方を見た。
「どうした?」
「アジが来たようです、それと……」
ニフルはリュトに会釈すると扉に向かった。
「おい、アジ、お前一人か?」
「そうだ」
ニフルは扉越しに中庭を見やったが、やがて黙って扉を閉めた。
「何を気にしている?」
「いや、一瞬……何か別の気配がしたようだった」
アジといわれた大柄な男は、にやりとしてニフルを見下ろした。
「何もいなかったぞ? ニフルよ、自分の感覚を研ぎ澄ますのはいいが……面倒ではないか? かかってくる者をたたきのめす方が余程楽しいぞ?」
「お前と私は違う。リュト様がお待ちだ。来い」
ニフルはそれだけ言うと、男をリュトの前へ連れて行った。
リュトの前に現れたのは、気迫のみなぎる大男だった。
一目で武に秀でた者だとわかる。
「アジ、まだバラホアは見つからないようだな?」
リュトの前に控えた大男、アジは低く唸った。
「申し訳ありません」
「まあ、いい。引き続き仕事を続けてくれ。ただし、くれぐれもこの間のように敵を殺すなよ? 大切なバラホアの者だ。生きて捕らえよ。奴らには、私のために働いてもらわなくてはならない」
リュトは噛んで含めるように言った。
「しかし、リュト様、あの者たちが使う毒は多彩、武術もそこそこできる。こっちの被害も大きくなります」
アジは不満を隠さなかった。
「被害の方は目をつぶろう。いくらでも補ってやる。お前も策を使え。お前のところには、なかなかできのいい副官がいるではないか。あいつを使え」
「しかし、策だけでは……」
納得のいかない顔をするアジにリュトは笑みを浮かべた。
「バラホアの探索はその副官に任せ、お前はせいぜいイムダルの領地の地形でも頭に入れておくんだな。そこで存分に戦ってもらうときも来よう」
普通の武将であれば、軽んじられているとも取れるようなこの言葉に、しかし、アジは瞳を輝かせた。
「それは、いつになりますか?」
「近いうちだな」
リュトは曖昧に答えた。
「その時が待ち遠しい。必ず、お役に立って見せます」
「ああ。期待しているぞ」
リュトが鷹揚に頷き、アジは意気揚々と部屋を出て行った。
「バラホアの探索をアジにお任せになるとは、どういうお考えでございますか?」
食事を始めたリュトの傍に控えたニフルが聞いた。
「別にアジだけに任せているわけではない。アジは、あのように戦うことにしか喜びを見いだせないような奴だが、ユタという使える副官がいる。それに、パシパにはお前の部下がいるではないか」
「はい。パシパにバラホアの情報が入れば、必ずこちらにも伝わりましょう」
「バラホアの探索でティノスに先を越されれば、元も子もないからな」
「しかし、ティノスは、なかなかに扱いづらい……」
ニフルは言葉を濁し、主を見た。
「私と兄の力が拮抗している以上、ティノスの力は必要だ。少なくとも、敵に回したくはない。やつも、今はこちらを必要としている。意思を操るバラホアの薬は喉から手が出るほど欲しいはずだからな」
「何としても、ティノスより先にバラホアを手に入れなくてはなりませんな」
「そういうことだ」
リュトが食事を終えた。心得た小姓が優雅にベルを振る。すると、再び女たちが現れ、食卓は音もなく片付けられた。




