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Bright Swords ブライトソード  作者: 榎戸曜子
Ⅰ.闇の炎
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4.クロシュの占い師⑥

「いい占いが出たかい?」

 急ぎ足で階段を下りてきたアイサに、奥の食堂を片づけていた主が出てきて声をかけた。

「ええ、おかげさまで。ところでこの辺りの宿はとても流行っているようですね?」

 アイサは愛想よく聞いた。

「ああ、ここのところ旅の人が多くてね」

「旅の人?」

 シンの顔が曇った。

「ああ。おかげでうちも大忙しだ。有り難いことなんだがね。おい、明日の朝食の仕込みはできたか?」

 顔を出した背の曲がった男に主は上機嫌で訊いた。

「へい、ですが、明日にはまた買い出しに出なくちゃならないと思いますよ。なんせこう……」

 奥から答える男の声は外から戻ってきた客たちの声でかき消された。

「お礼は?」

「ロスからもらうことになっているから、いいよ」

 主はそう言うと、二人のことはすっかり忘れたように、戻った客たちの方へ行ってしまった。


 シンとアイサは浮雲亭を出た。明かりを消した店が増え、通りは薄暗い。

 夜も更け、通りを歩く人はすっかり少なくなっている。

 がらんとした通りを二人は急ぎ足で歩いた。

「アイサ、あのお婆さんが言ったことは……」

「確かだと思うわ。それにしても、エモン殿はもう王都を立ったのか」

 アイサはシンの言葉に上の空で答えると、城の方向を見た。その時の、どこからやってきたともしれない(本人は海の国だと言ってはいるが)娘が見せる覚悟の決まった表情を見て、シンは無性に苛立った。

「アイサ」

「何?」

「君は兄上がこのファニを狙っているって言うんだな?」

 シンは改めてアイサに聞いた。

「オスキュラの力を借りてね」

 アイサは冷静に答え、一方、シンはますます感情的になった。

(アイサは何も悪いことはしていない。それどころか、僕や父上のために動いている)

 そう自分に言い聞かせながらも、幼い頃から押さえつけていた感情というものが、今になって暴走する。

「兄上のこと、いつから気づいていた? どこの誰ともわからないお前なんかが、どうして僕より僕らのことがわかるんだ?」

 シンは叫んでいた。

「おい、喧嘩か?」

 通りを行く酔っ払いが笑う。そんなことはシンには関係なかった。八つ当たりだとわかっていても、シンには感情をぶつける相手は目の前のアイサしかいなかったのだ。

 シンはアイサの返事を待った。が、アイサは答えなかった。シンは立ち止まって、そのまま歩き続けるアイサの背中を見つめた。アイサの華奢な背中が通りの闇に溶けてしまいそうだ。

「おい、兄ちゃん、何とか言えよ」

 酔っ払いはアイサがどんどん歩いていくのを見て肩をすぼめた。

「こりゃあ、あきらめた方がいいぜ?」

 酔っ払いはシンの肩を叩くと歩き出した。

(このままだとアイサを見失ってしまう)

 焦る気持ちとは裏腹に、シンの足は思うように進まない。

「いつから……君は気づいていたんだ?」

 シンはアイサの背中に向かって言った。それはほんの小さな囁きだったが、先を急いでいたアイサは立ち止まり、シンのかすかな声に答えた。

「彼が……エモン殿がシンを見る目に気づいてから」

「そんな……」

 シンの顔に苦しげな表情が浮かぶ。

 アイサは小さくため息をつき、シンに近づいた。

「いいえ、冗談。城を抜け出してクロシュの街をぶらぶらしていた。その時の空気がどこかおかしかった。でも、確信を持ったのは、セグルからクロシュの兵が半分になるって聞いた時。ラダティス公の意図と違うから」

「父上が気づかなかったなんて」

 シンは唇をかんだ。

「ラダティス公は王都からずっとエモン殿とご一緒だった。エモン殿が王都に戻った後は、エモン殿の部下が片時もラダティス公から離れない。うまく気づかれないようにしていたのね。それに……ラダティス公はエモン殿を信頼されていたから、そもそも疑う気持ちなんて全くなかったんでしょう」

 アイサはまた急ぎ足で歩き出し、シンはアイサに並んだ。

「ここに来たばかりの君が気づいて、僕が気づかなかったなんて……」

 アイサは歩みを止め、今度はゆっくりとシンを見つめた。

「シン、それは違うでしょう? あなたは気がつかなかったんじゃないわ。気づこうとしなかったんでしょう?」

 アイサに見つめられ、シンはどんな表情を浮かべていいのかさえわからなかった。シンにはアイサが何から何まで……自分が隠していたかった不安や(おび)え、憎しみや怒りまで、全てを明らかにしてしまうように思えた。

「だけど……アイサ、僕にどうしろって言うんだ? これから兄上が何をしようと、僕にできることなんて何もないんだよ……」

 途方に暮れるシンの声が闇に消える。

 アイサはただ黙ってシンを見つめていた。

「短い間にここまで探り出した君のことだ。とっくに僕のことは知っているね?」

 シンは目を伏せた。

「あなたがラダティス公の本当の息子ではない、ということ?」

「それどころか、どこの誰の子かもわからないってことも、あの城の中で余計な者だってこともね」

 確かにアイサはクロシュの町に出てシンの生い立ちを聞いていた。それでシンを取り囲む城の雰囲気を納得したつもりでいた。

 だが、アイサはこの時、母を早くに亡くし、その後も神殿で暮らしていた自分などよりも、シンはずっと孤独だったのだと知った。自分には父も姉も大巫女もいた。神殿は自分を迎え入れてくれていた。だが、シンは……

「あなたのことはこのクロシュの町で聞いたわ。だけど、その前から、あなたがあの城の中でなるべく目立たないように気を(つか)っていたことは知っていた。我儘(わがまま)も一切言わずにね」

「僕は……いらない人間なんだよ」

 シンはぽつんと言った。これが、これまでずっとシンの心の中にあった重苦しさだった。

 しかし、ついに言葉になって吐き出されると、これを言う相手がいることがなんだか不思議に甘くて、シンは驚いた。

「いらない人間かどうかなんて、そんなこと、自分で決めることではないはずよ? それに私だって、セジュでは特別な珍種よ? 何せ、母は地上人なんだから。そんなのセジュの中でも私だけだわ。いいじゃないの、誰の子だって。あなたはあなただし、それにあなたを大切に思っている人もいるわ」

「アイサ」

 シンの脳裏に大らかなラダティスの笑みが浮かぶ。それから、セグル、チュリ、カヌ、ストー先生に、コル爺。

 シンは大きく息を吸った。

「ありがとう。誰かにそんなふうに言ってもらったことは一度もなかったな」

「当たり前すぎることは、みんな言わないのよ」

 アイサは微笑んだ。

「で、シンはこれからどうするつもり?」

「父上をお守りしなくては。ファニをどうするかは、それからだ」

 スッキリとした顔で答えたシンにアイサは頷き、二人は城へ急いだ。


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