3.バラホア③
荒れ地ではよく見かける何の変哲もない大岩の一つに使者が近づき、立ち止まった。使者の持つ小さなプレートが輝き、それに答えるかのように、岩がぽっかりと大きく口を開く。
「さあ、どうぞ」
促す使者に頷き、アイサが馬を引いて中に入った。使者も馬を引き、アイサに続いた。
岩の内部は暗かったが、思いのほか広く見えた。
「アイサ様」
リュラが呼びかけた。
「リュラ、行ってくるわ」
アイサが言った瞬間、アイサとバラホアの使者が馬とともに忽然とその場から姿を消した。
リュラは目を見開いた。
岩は元通り変わりなく立っている。リュラは二人を飲み込んだ岩を叩き、岩の後ろに回り、一回りした。試しに自分の剣を使って光を当ててみたりもした。が、何も起こらない。
「自分の目と頭が信じられないな……」
首をかしげながらも、ぐるりとあたりを見回す。誰もいないことを確認して、リュラは一人城へ戻った。
バラホアの使者と一緒に岩の口に入ったアイサは、そこで地面が抜けたような気がした。そして次の瞬間には、ぼんやりと光る通路に立っていた。
「入り口はあそこだけ?」
「いいえ、この大陸に幾つかあります」
そう言いながら、使者は馬の手綱を離した。馬は通路の奥に歩いて行く。アイサの馬もそれについていきたそうだ。
「向こうに彼らの好きな草があるのですよ」
使者は言った。
「行っておいで」
アイサが手綱を離すと、アイサの馬は先を行く馬を追って行った。使者が通路にあるカプセルにアイサを招く。二人がその中に入ると、カプセルはたちまち高速で動き始めた。
(サブウェイの一種か)
柔らかい光の中を移動する乗り物は、確かにセジュのサブウェイに似ていた。
間もなくカプセルが止まり、外に出たアイサはあたりを見回した。
通路の天井と側面は光を放つ植物に被われている。柔らかい光だった。
その先はもう少し明るくなっている。
近づくと、それは広場だった。
しかし、そこに空はない。
「バラホアは地下にあるとウィウィップで聞いたわ。本当だったのね」
アイサは何度も何度も母の心に浮かんだ淡い光を思い出した。それはまさにこの光だった。
「ウィウィップ? アイサ様はウィウィップに行かれたのですか?」
「ええ。そこで休ませてもらって、それからクルドゥリにも行ったわ。クルドゥリの仲間には何度も助けてもらった。あの人たちの助けが無かったらどうなっていたことか」
「何ということだ。我々がルテールに気を取られているうちに……もっと早くお迎えすることも、お助けすることもできたかもしれないのに」
「いいの。ここに来て、いろいろな人に会えて……本当によかったと思っているのだから。そんなことより、バラホアのことを教えて」
「そうですね……我々の祖先が地下にその住処を選んで以来、バラホアの民はずっとここで暮らし続けてきました。ここでは手に入らない材料の調達や、病気やけが人の治療のため我々は外に出ますが、多くの者は、またここに戻ってきます」
「帰らない人たちもいるの?」
「ええ、外の暮らしの方を選ぶ者もいます。それは自由です。村の外で人を助けるのも立派な道ですから」
「村?」
「はい。どう見ても国とは言えないでしょう? ここには支配する者も支配される者もいません。そういった意味では村とも言えませんが、皆が協力し、分かち合って暮らしています」
「でも、この村をまとめる人が必要じゃないの?」
「それは、代々長の家の者が務めます。もちろん、長は優れた医術の腕の持ち主でもあります」
使者はアイサにバラホアのことを話すのが嬉しくて仕方がないようだった。話を聞きながら、アイサは地下の村を見回した。
広場には噴水があり、その周辺には様々な植物が植えられている。
広場の先にある家々には蔓性の植物が這い、やはり、それらは淡い光を放っていた。その光は植物の種類によって薄紫だったり、黄緑色だったり、桃色だったりする。
「不思議なところ……」
アイサは目を凝らした。
村の人が思い思いに働いている。
薬草の手入れをしている者もあれば、調合している者もいる。
彼らが村と呼ぶこのバラホアは、さわやかな香りに満ちていた。
かすかに風も感じる。
「空気はどこから?」
「通気口がたくさんありますからね」
使者は植物とは違った人工の光を放つ岩肌を指さした。
(高い技術を受け継いでいる)
そのことがはっきりとわかる。
村の人々が、アイサに気づきはじめた。
「アエル様……?」
「あの髪、アエル様に似ている」
「いや、瞳の色が……アエル様の瞳は茶色だった」
遠巻きにしていた人々がアイサに近づいた。
「悪いが、まず、カゲート様にお会いしなくては。全てはその後だ」
使者は近づく村の人々に言うと、目の前に現れた大きな館の扉を押した。
「戻ったか」
そこに現れた男もまた、アイサを凝視した。
「カゲート様はいらっしゃいますか?」
「お部屋でお返事をお待ちだ。それにしても……外部の方をここに、しかも……カゲート様にお引き合わせしようとは、この方はいったい……」
「この方はイムダル様のところでお会いした、アイサ様だ。とにかく、カゲート様に会っていただきたいのだ」
「アイサ? アイサ様と仰るのか? わ……わかった、すぐにお知らせしよう」
男が館の奥に駆けて行くと、話を聞きつけて中年の女がやって来た。
女は声を失い、アイサの顔を見つめてやっと言った。
「これは、まあ……まあ……どうしたことでしょう。まずは……とにかく、こちらへ」
アイサは使者とともに館の茶室へ案内された。
全てが黄昏の中にあるようなバラホアの村の中で、ここは他よりも明るかった。
太陽の光に似た人工の光に満ち、花々もくっきりとした色をしている。
緑もつややかだ。
その植物たちの中に蕗の葉に似た形をした椅子とテーブルが置かれている。
「こちらでお待ち下さい」
茶室から出るまで、何度も女はアイサを振り返る。
女と入れ替わるようにして、唐突にドアが開いた。
「アイサ……?」
懐かしい母の面影を持つ男が聞いた。
「はい」
アイサは思わず答えた。
「アエルは? お前の母はどうした?」
「母は、事故で死にました。私が小さいときに。私は、バラホアのことはこちらに来るまで知りませんでした。母は自分の生まれ育ったところのことを語りませんでしたから。私自身も本当に皆が言うようにバラホアの者かどうか」
「私にはアイサという名前と、その姿で十分なのだが」
母アエルを思わせる男は、そっと微笑んだ。
「連れてきてくれてありがとう」
男は使者に言い、使者は得意満面だった。
「ところで、イムダル殿の方は何と?」
思い出したように男は使者に聞いた。
「表だったことはできないが、何なりとお力をお貸し下さるそうです。ですが、詳しいことは、また後ほどにいたしましょう。私は、これでひとまず失礼いたします」
使者は温かい笑みを浮かべると茶室を出て行った。




